虹は不思議な贈り物
「あー雨だ…」
聞こえるかどうかくらいの大きさの声で、あゆむがボソッと呟いた。
梅雨でもないのに、最近よく降る雨。
しとしとしとしと…
音も無く降り続ける。
空は暗く重い雲に覆われ、教室に光は届いてこない。
そのせいで、まだお昼だというのに電気をつけての授業。
先生が重要だとかなんだとか言いながら、教卓の前で必死になって喋っている。
しかしあゆむは先生の話も聞かず、窓の外を眺めていた。
なんだか私の心の中みたい…
ここ数日の間、あゆむは進路のことで悩んでいた。
あゆむは小学校の頃からピアノを習っていて、今では大会で優勝するくらいの腕前。
だからこのまま音楽大学に入って、プロの道を進むのか否かで…
両親はあゆむの好きなようにしていいと言ってくれていた。
しかし気になるのは、涼の存在だった。
涼とは幼稚園以来の幼馴染で、今まで何をするにも一緒だ。
あゆむは幼稚園の頃、この町に引っ越してきた。
慣れない幼稚園でいじめられていたところを涼がヒーローのごとく助けてくれたのだった。
それからはあゆむは涼に付きまとっている。
はじめはもういじめにあうことのないようにと考えてのことだったが、いつの間にか気持ちは変わっていた。
涼はどう思っているのかは分からないが、少なくともあゆむは涼のことが大好きだった。
進路も変えてしまいそうなくらいに。
そう。音楽大に行ってしまえば、涼と離れ離れになってしまう。
それはなにがなんでもイヤだった。
そんなこと大人の人から見れば、つまらない悩みだと言われるかもしれない。
あゆむ自身もそれは分かっていた。
自分の人生に関わることを今の気持ちだけで決めてしまうことはかしこいとは言えない。
でも今のあゆむにとって、涼はかけがえのない存在。
あの日以来、ずっとずっと一緒に過ごしてきたんだから。
好きな人とずっと一緒にいたいと思うのは誰でも思うこと。
あゆむも例外ではなかった。
「…涼」
「なんだ?」
ガッターン!!!!!
あゆむはあまりに驚き、イスから落ちてしまった。
「なななんな、なんで?!!」
状況を把握しきれない。
「はあ?授業終わったから、借りてた辞書返しにきたんだよ。さんきゅ」
「…え?終わった!?……全然気づかなかった…」
あゆむが考え事をしている間にすでに授業は終わっているらしかった。
「…大丈夫か?」
「え、何が?」
「いや、なんだか考え込んでたみたいだったし」
鋭い。
「別に。最近よく雨降るな〜ってボケっとしてただけだから」
「…そっか?じゃ俺教室戻るわ」
「うん、ばいばい」
ダメじゃん、私!!
涼に気づかれてしまったら、いけないのに。
多分涼のことだから、私が悩んでいるのは自分のせいだとか思い込む。
そんなことになったら涼に迷惑をかけちゃうよ。
だから知られるわけにはいかないんだ。
それに…
怒られるな、きっと。
自分の夢をダメにするなって。
その日、追い討ちをかけるかのように進路調査があった。
提出は五日後。
長いようで短い期限。
あゆむは家に帰るなり、部屋に閉じこもり調査票と向かい合っていた。
でも見ていても溜め息ばかり。
「まあ、五日あるんだしね」
結局、その日は名前しか書けなかった。
次の朝、涼を誘いに隣にある家へ向かった。
ちょうど用意ができたところだったみたいで、扉を開ける前に涼がでてきた。
「おはよ!」
「おう」
一緒に学校へ向かうのは毎日の習慣のようなものになっている。
さっそく涼が進路調査について聞いてきた。
「それがまだ全然…」
「そっか」
「でもまだ四日あるしね」
「あゆむは音大いかないのか?」
「え!?」
「見かけによらず、うまいんだからさ。プロいけるかもよ」
「見かけにって、何!!」
逃げる涼を追いかける。
涼は急に立ち止まり、振り返る。
「俺は好きだな、あゆむの演奏」
「……!」
「何赤くなってんだよ」
「別に。褒められたの初めてだなと思って…」
「お前はうまいんだからさ、自信持てよな。そら行くぞ」
「あ、待って」
ホントは…。
本当は、褒められたからだけじゃない。
好きっていってくれたから…
演奏をって意味だって分かってるけど、やっぱり涼の口から聞くと恥ずかしいよ…。
今日、褒めてもらってすごくうれしかった。
音楽やっていこうかなって思うくらいに。
でも…
そうすると涼とは……
ベットに横になり考える。これからの自分のことを。
「告白…告白したらどうなるのかな…」
もし彼女になったら安心して音大いけるんだろうか。
「…て無理だ…」
一番恐ろしい選択のような気がする。
「はぁ…」
そのままあゆむは眠りについた。
日は進み明日が提出日となった。
「どうした?元気ない?」
「そうかな?私は平気だけど」
「進路のことで悩んでるとか」
「ち違うよ!!ていうか、涼はどうすんのよ」
「俺はもう決まってるよ」
「へ…どこに!?」
「内緒。じゃ」
それだけ言うと校庭を走っていってしまった。
「逃げられた…」
でも涼はどこの大学にしたんだろう。
その大学によっては私もその大学に…
『好きだな、あゆむの演奏』
涼の言葉が頭をよぎった。
…っ
今日は朝から晴れていたのに、午後から急に雨になった。
「また雨か…」
気が重たい。
晴れが続いてたから少しは気が楽になってたのに。
雨って本当いやになるな…
「あゆむ一緒に帰らないか?」
声をかけてきたのは、涼だった。
「う、うん。いいよ」
並んで傘をさして帰り道を歩く。
なんだか傘のせいでいつもより涼が遠い気がした。
いつもは会話が絶えないのに今日に限って、話がみあたらない。
どうしよう。何か話さないと。
「えっと…涼さ、あ…今朝進路決まってるって言ってたよね。どこの大学にしたのか教えて」
「あゆむ、それは内緒だって言っただろ」
「そうだけど…でも教えてくれてもいいじゃん!」
「だめだ」
「なんで!」
「なんでも」
「ケチ!!」
「……」
空気が更に重たくなった。雨の音が大きく聞こえる。
なにやってるんだろ、私…
「…りょ」
「あゆむ」
「え?」
「お前さ、音大に行かない気なのか?」
「そ、それは…」
「お前のことだから、俺と同じとこにしようとか考えてんじゃないだろうな」
「私は」
「だから言えない。教えない。俺は俺のせいであゆむの進路の邪魔をしたくない」
「涼…」
「俺は本当にあゆむの演奏は素敵だと思ってる。もしあゆむが本気で目指したいと思っているなら、俺のことは抜きで考えるんだ。自分の人生は人に合わせるもんじゃない」
「………」
やっぱり怒られたか…
気づかなかったがいつの間にか雨はやんでいた。
「あゆむ!」
涼はあゆむの手を掴むと走り出した。
「なに???」
急だったものだから、あゆむは転びそうになった。
何がなんだか分からない。
このまま涼に付いていくしかなかった。
雨上がり独特の匂いがする。
草木についた露が太陽の光を反射させ、キラキラ光り輝いている。
「涼、どこ行くの?」
「いいから、早く」
二人は雨上がりのキラキラ輝く世界を走り抜ける。
涼はあゆむを連れて、どんどん進んでいく。
学校の帰り道、家がある方へ続く道、全てを通り越していく。
涼は山の方へと向かっている。
「涼?」
名前を読んでも、答えようとはしない。
その代わりに「早く早く」とせかされる。
10分くらい山道を走った。
でもその間、涼は足をゆるめようとはしなかった。
ちょっと…もうダメ。疲れた……
「あと少しだから頑張って」
あゆむの疲れに気づき、声をかけた。
しばらく行くと、涼の足が止まった。
「あーもう動けない」
「あゆむ、早くしないと消えてしまう」
「何が?こんな山の中で…」
涼が目の前を覆っていた木の枝を押しのけると、そこには…
「あ!!」
あゆむが声をあげた。
あゆむの目に飛び込んできたもの、それは…
町いっぱいに架かった大きな虹だった────
虹は見事なものではっきりと空を七色に染めていた。
その美しさに見とれてしまう。
「もう少し先までなら行けそうだ」
涼がさしのべてくれた手を掴んで一歩前にでる。
「気持ち落ち着いた?」
「え?」
「さっきは偉そうなこと言ったけどさ、でも俺はあゆむにあゆむの道を選んでほしかったから。高校も俺に合わしただろ?」
「気づいてたの?」
「当たり前だ。お前とは長い付き合いなんだからな」
「そうだよね」
「俺は…今度こそ、自分で決めてほしい」
「…」
「ま、もし考えぬいて出した答えが同じ大学だったなら、仕方ないけどな。それまでは考えて考えて納得がいくまで悩むといいよ。たまには悩むことも大切だし。それに今決めたものが最終決定ってわけでもないんだしさ」
涼が一呼吸おいて、手を胸に当てた。
「あゆむが自分に一番あった進路を選べますように」
涼は虹に向かって願っている。
「何それ〜流れ星でしょ、普通」
「この虹なら叶えてくれそうじゃん。笑うなよ」
笑いすぎたのと嬉しかったのとで涙が浮かぶ。
「ありがとう…結局、また涼に力借りちゃったね」
「なにを今更」
「……そうだね」
あゆむは涼の手を握った。
「綺麗だね」
そういうあゆむの顔は曇りのない素敵な笑顔だった。
涼はやわらかな笑みをあゆむに向けた。
そして虹を見る。
「うん」
もしまた君が迷いそうになったら、二人で虹を探しにいこう。
その虹はきっと、俺たちの願いを叶えてくれるはずだから────…
ここまで読んでいただきありがとうございました。あゆむと涼シリーズは短編としていくつか書いていくつもりなので今後ともよろしくお願いいたします。