②
西ノ岡高校。この守上市が誇る進学校だ。
男女共学、県外からも入学者が多く集まるこの高校は、全生徒数1000人を超えるマンモス校でもある。
この高校の特色はそのクラス分けにある。
一学年には10クラスあり、AからJまで習熟度で完全に分けられ、授業の内容も若干異なる。
また、一学期ごとに定期テストの結果によってクラス替えが行われ、B以下の生徒たちはAクラスへの編入、Aクラスの生徒は維持を目標に勉学に励むというわけだ。
新入生は入学テストの結果によって最初のクラス分けが行われるのだが、俺、新谷真は「C」クラスを合格発表の際に言い渡されていた。
正直、文句なく良い位置であると俺は思う。
入試にも結構手応えがあったし、妥当だろう。
チラリと隣を歩いている女を見る。
神月理沙。
彼女は何が楽しいのか、スキップをしながら通学路を歩いている。
あの後、俺は彼女の「一緒に学校へ行こう」との提案に(渋々ながら)応じ、一旦家に帰ってシャワーを浴び、着替えて再び彼女の家で合流。そしてこのように一緒に歩いている、というわけだ。
「~~♪」
鼻歌を歌っている神月を横目に、俺は周りを見渡す。
並木道の通学路には、俺達のように西ノ岡高校の生徒がちらほらと確認できる。同じ一年生もいるようだ。
しかし、なんというか新鮮な気分だ。思えば、こちらに来て、初めて落ち着いた時間を持てたような気がする。
いろいろあったからな……。
再び神月を見る。
……いない?
「うりゃーっ!」
「うおっ!?」
俺の視界が誰かの手で塞がれる。
犯人は当然神月だ。
「ははは、君は油断しすぎだぞ」
「……お前は楽しそうだな、随分」
「誰かと一緒に学校に行くなんて初めてだからな! やはり初めてはいい、楽しいからな!」
そういって神月は体を一回転させる。
スカートが風で浮き上がり、結構な際どさを見せているのだが、神月は気にもしていない。
「俺は嫌だがな、初めての事ってのにはいい思い出がない」
「勿体無いな、何事も楽しまなければだぞ」
笑顔で神月は言う。
とはいっても、俺には土台無理な話だ。
なにせ、あんな事があったばかりだからな。
そういえば、彼女からはまだ納得の行く答えをもらっていない。
「……腕を吹っ飛ばされたのも、か?」
「そ、それは無理かもしれないが……」
「早く説明して欲しいね。黒い奴らのことも、腕のことも」
「あー、うん。それなんだが、放課後にまた会おう。その時に説明する」
放課後、か。
確か、今日も午前中だけで学校は終わるんだったか。
正直、いきなり学校を休んでしまった身としては、クラスに溶け込めるかどうかが不安だが……。
あ、そういえば。あることを思い出して、俺は神月に質問する。
「そういや、神月は何クラスだ? 俺はCだが……」
「ん? ああ、私はAクラスだ。となると別のクラスか、それは残念だな」
ん?……A?
「マジかよ……」
「? ……~~♪」
Aって言ったら各学校のトップが集められたようなクラスのはずだぞ?
俺は神月を注視する。
「~~♪……ん? なになになんだ!? わ、私の顔に何かついているのか?」
神月は、あたふたと顔を両手でこすり、手のひらと俺の顔を交互に見る。
……頭がいい奴ってのは、わからないもんだなぁ。
新谷真、十六歳にしての発見だった。
◆
昇降口で神月と別れ、Cクラスへ向かう。
中に入ると、すでに半数以上の生徒は来ているようで、一人で机に座っている生徒、中学校からの友達と仲良さ気な会話をする生徒、新しいグループでお互いを探りながら会話をする生徒と様々だ。
とりあえず席に座ろうとして、気がついた。
「自分の席がわからねえ……」
入学式には教室に入っていない。
おそらく、俺が欠席していた昨日の間に、この教室で担任との顔合わせや各々の自己紹介などをしたのだろう。
仕方がない、誰かに聞くか。
教室を見渡すと、教壇の目の前の席に座っていた女子が目についた。
「えっと……ごめん、聞きたいんだけどさ」
「あ、はい? ……なんでしょうか?」
三つ編みの、眼鏡をかけた大人しそうな女の子だ。
……若干俺を怖がってるような気がするのは思い過ごしだといいんだが。
「俺、昨日休んでてさ。自分の席がわからないんだ。これ、どんな順番で皆座ってるのかな」
「あ、昨日休んでたってことは、新谷君ですか?」
「知ってるのか? ……もしかして昨日何かあった?」
「はい。先生が、『全員無遅刻無欠席を目標にしようと思ってたのにー』って、嘆いてました」
「は、ははは……そうなんだ……」
「席はあいうえお順です。えーと、あのへんですね。確か名前の札が貼ってあるので、行けばわかると思いますよ」
眼鏡をかけた女の子は教室の窓側の奥を指さした。
「ありがとう。えーっと……」
「戸川愛です。よろしくお願いしますね」
「新谷真。よろしく」
俺は戸川に軽く会釈をして、自分の席に向かう。
えーっと……。あった、「新谷真」。
鞄を机に置いて、椅子に座わろうとしたところで、俺は隣の男子に話しかけられた。
「よっす」
「……どうも」
「新谷くんだよね?俺、渡辺裕也。よろしく」
「……ああ、よろしく」
渡辺は、二枚目のヤサ男という風貌で、人当たりのよさそうな雰囲気があった。
すでにグループを作っているのか、周りには男子が三人ほど集まっている。
きっとこいつは、中学校ではクラスの中心になってきたような奴なんだろう。
そう感じさせる男だった。
「ところで、新谷君って県外から来た人?」
「ああ。そうだけど、なんでわかったんだ?」
「いやぁだって、新谷君、朝歩いてたでしょ? あの神月理沙と一緒にさ」
……『あの』?
渡辺の取り巻きは、えー、うっそー、まじでー、なんて言いつつこちらを見る。
神月と歩いていたのが見られていたのにも驚いたが、まあ通学路の道中では俺と同じような一年生を多く見かけたし、不思議ではない。
むしろ、疑問なのはこいつらの反応だ。
どうやらこいつらにとって、神月と一緒に歩くという行為は特別な意味を持っているらしい。
「こっちで神月って言ったら、大した有名人だぜ?」
「……へえ、どうしてだ?」
「どうしてだと思う?」
「さぁ、検討もつかないね」
「俺、あいつと同じ中学校だったんだけど。あいつ、中学生の頃暴力事件を起こしたって噂があってさ」
……!
暴力事件?神月が?
「しかもその相手のほとんどが結構有名な不良やチーマー。神月はそいつらを片っ端からボコボコにして、中には病院送りになった奴もいるって話だ」
渡辺はニヤニヤと含み笑いを浮かべながら話した。
それにしても……予想外の話だ。
あいつが不良をボコボコに、ね。俺は朝の神月の様子を思い出す。
……にわかには信じがたいな。
「あくまで噂だけどね。ボコボコにされたって奴らも、否定してるし。ま、女一人にボコされたってなったら面子が丸つぶれだろうから当然だろうけど」
「……へぇ」
「まあ、どうして新谷君が神月と一緒にいたのかは知らないけどさ。付き合う相手は選んだほうがいいと思うよ?」
渡辺は下衆じみた笑みを隠そうともせずにそう言った。
「ご忠告どうも。ただ、俺は自分で見たことしか信じない性質なんでね」
「……ふーん」
渡辺は真っ直ぐ俺の目を見つめる。
若干の間の後、渡辺は繰り返すように言った。
「付き合う相手は選ぶべきだよ。そうだろ?」
「…………誰と付きあおうが俺の勝手だ。少なくとも、指図される覚えは無いね」
俺がそういうと、渡辺は一瞬驚いたような表情を見せた。
まるで、俺の答えがあまりに予想外なものであるかのように。
それほどまでに、神月は危険な人物なのだろうか?
しかし実際に接しての感覚として、どうしても悪い奴には思えなかった。
答えが出せないまま、思案していると、
「よーっし、ホームルーム始めるぞー」
担任であろう女教師が教室に入ってきた。
スラリとした長身で、短く切り揃えられた髪。
そしてジャージを着たその姿から推測するに、体育教師だろうか?
ゆっくりとその女教師は教室を見回すと、俺の顔を見つけるなり喋りだした。
「おお、シンタニ!今日は来たのか!」
「あの」
「いきなり欠席だって言うから驚いたぞ!風邪だったそうだが、もう大丈夫なのか?」
「いえ、その」
「ああ、私は田中舞って言うんだ、覚えやすい名前だろ?これからよろしくなシンタニ」
「……ですから」
「なんだ、何か言いたいことがあるのかシンタニ。どうした?」
「……俺の名前は、シンタニじゃなくてニイタニです」
教室が、若干の笑いに包まれた。