役立たずの聖女と呼ばれて追放されたけど、私の蝋燭は他人の願いを叶える灯でした~願灯屋にて~
「お前のギフトは“蝋燭一本灯すだけ”だ。聖女失格、教会から出ていけ」
大神官オルドリックの声が、白い大聖堂に冷たく響いた。
わたし——火野陽向、この世界での名はヒナタは、静かに頷いた。
「……はい。ではこの国の“灯”、全部持っていきますね」
一瞬、場が静まり返る。
「……なんだと? 何を言っている、小娘が」
「いえ、こちらの話です。お気になさらず」
意味が分からなかったのだろう。豪奢な祭服に身を包んだ老人は、ただ眉をひそめただけだった。
この世界では、誰もが【ギフト】を授かる。攻撃力、治癒力、豊穣——派手な力ほど尊ばれ、教会や冒険者ギルドがその数値を測り、人の価値を決める。
わたしが授かったギフトは【点灯】。
鑑定の結果は、たった一行。
『小さな蝋燭を、一本灯す』
それだけ。
最弱判定。聖女候補として召喚されたのに、「ハズレ」と笑われた。
「蝋燭一本灯すだけのお前に何ができる。役立たずが、よくもまあ聖女を名乗れたものだ」
金髪碧眼の第二王子レオンが、隣で美しい顔を歪めて吐き捨てた。その腕には、桃色の髪の聖女ミレーユが寄り添っている。本物の治癒ギフト持ち。教会の期待の星。
「ええ、名乗った覚えはありませんけどね。勝手に召喚して、勝手に祭り上げて、勝手に捨てる。手際がよろしいこと」
「減らず口を……っ。ミレーユのような本物の聖女とは、格が違うのだ」
「……レオン様。もう、その辺で」
意外なことに、止めたのはミレーユだった。
「ミレーユ? なぜお前が止める。こんな最弱ギフトの女、庇う必要などないだろう」
「……いえ。なんでもありません。早く、追い出してしまいましょう」
ふと、その横顔を盗み見て、わたしは思う。
(へえ……この子、本当はわたしを見る目が違うのね。怖がってる。何を、そんなに)
なるほど、と思う。
わたしは前世、緩和ケア病棟の看護師だった。
(最弱判定って言われても……わたしの患者さんたち、みんな笑って逝けたんだけどな)
心の中だけで呟いて、わたしは深く頭を下げた。
「お世話になりました」
喚かない。縋らない。
だって、知っているから。
この【点灯】の、本当の意味を。
『灯した者の、最も切実な願いを、本人が自覚するまで静かに照らし続ける』
派手じゃない。攻撃もできない。病も癒せない。
でも——消えそうな人の心を温める火だって、ちゃんと力なんだ。
「ふん。せいぜい野垂れ死なないことだな、最弱の聖女様」
「ご心配なく。死ぬのも、生きるのも——わたしは、ずっとそのそばにいた仕事ですから」
わたしは踵を返した。
背中に、王子の嘲笑が刺さる。けれど振り返らなかった。
さようなら。
あなたたちが捨てたものの価値を、いつか思い知る日まで。
——その日のうちに、追放は執行された。
わずかな荷物と、一本の蝋燭だけを抱えて、わたしは王都の城門をくぐる。
夜だった。
石畳を踏む音だけが、やけに大きく響く。
……正直に言えば、心細くないわけがない。
異世界に召喚されて、聖女と祭り上げられて、用済みとばかりに放り出された。前世の知識も、ここでは何の保証にもならない。
でも、と思う。
前世でも、わたしはいつもそうだった。
手の施しようがないと言われた病室で、それでもできることを探していた。痛みを和らげること。話を聞くこと。手を握ること。
「何もできない」なんて、嘘だ。
人にできることは、いつだって、ある。
ふと、立ち止まる。
城門を出る間際、わたしは無意識に手のひらをかざしていた。
ぽっ、と。
小さな炎が灯る。
——この国の人たちに。
誰にともなく、そう願った気がする。
あなたたちの本当の願いが、いつか叶いますように、と。
炎が、ふわりと夜風に揺れて——消えた。
そして。
振り返って見上げた王都の街並みに、わたしは息を呑んだ。
家々の窓辺に、無数の小さな灯がともっていた。
ひとつ、ふたつ、みっつ——数えきれない。
まるで、星が地上に降りたみたいに。
誰も気づいていない。あの灯がわたしの【点灯】だなんて。
あれはきっと、この街の人たち一人ひとりの胸の奥に眠る、本当の願いの灯。
わたしは小さく笑った。
「……さて。この国の人たちの本当の願い、わたしが全部知っちゃってるんだけど——いいのかな、追い出して」
返事をする者は、誰もいない。
ただ、無数の灯だけが、わたしの背中をそっと照らしていた。
──────────
辺境の町、リンドルム。
地図の端っこにある、寂れた宿場町だった。
馬車を乗り継ぎ、徒歩で峠を越え、たどり着いた頃にはすっかり日が暮れていた。
冒険者ギルドの片隅に、使われていない小さな空き部屋があると聞いて、わたしはそこに転がり込むことにした。
そうして、看板を出す。
手書きの、不格好な木の板。
『願灯屋』
「願いを灯す店、ねえ」
通りすがりの冒険者が、胡散臭そうに眺めていく。当然の反応だ。
でも、わたしには確信があった。
この力は、きっと誰かの役に立つ。
最初の客は、三日後にやってきた。
茶髪の青年剣士。名前はカイル。
拳を握りしめ、いつも何かに耐えるような顔をした若者だった。
「あんた、願いを叶える聖女だって?」
「いいえ。叶えるんじゃありません。照らすだけです」
「……は?」
わたしは彼の手のひらに、蝋燭を一本灯した。
ぽっ、と小さな炎が揺れる。
その瞬間——わたしの目に、彼の“本当の願い”が視えた。
炎の揺らぎの中に。
「カイルさん。あなた、魔物討伐に何度も挑んで、失敗し続けてるんですよね」
「……っ、なんで、それを」
「弟さんの、仇のため……って、自分に言い聞かせてる」
青年の肩が、びくりと震えた。
「でも、違いますよね」
わたしは静かに、彼の目を見つめた。
看取りの現場で、何百回と交わしてきた、本当の言葉を引き出すための問いかけ。
「あなたが本当に欲しいのは——弟さんを守れなかった自分を、許すこと。そうじゃないですか?」
炎が、ゆらりと大きく揺れた。
カイルの瞳から、ぼろりと涙がこぼれ落ちる。
「……ずっと、ずっと……死にたかった。あいつを守れなかった俺が、なんで生きてるんだって……っ」
「生きていて、いいんです」
わたしは、彼の震える手をそっと握った。
「弟さんは、あなたに死んでほしいなんて、思ってない。それだけは、わたしが保証します」
その夜、カイルは初めて、声をあげて泣いた。
蝋燭の火は、彼が泣き止むまで、静かに灯り続けていた。
——この力は、間違ってなんかいない。
わたしは、そう確信した。
──────────
「報酬は規則通りだ」
低く、硬い声だった。
銀灰色の髪に、氷のように青い瞳。長身で、頬には古い戦傷。
冒険者ギルドのギルドマスター、グレン。
氷狼族のSランク。新人冒険者が震え上がると噂の、冷酷将軍のごとき強面だ。
「店の場所代だ。きっちり払ってもらう」
「はい、ちゃんとお支払いします。……あの、でも」
わたしは、彼の足元をちらりと見た。
「猫、抱えてますよ」
グレンの腕の中で、小さな子猫がにゃあと鳴いた。
「……拾った。雨に濡れてた」
「優しいんですね」
「うるさい。早く家賃を払え」
ぷいと顔を背けて、彼は去っていく。
その背中を見送りながら、わたしは小さく笑った。
町の人に聞けば、すぐに分かった。
グレンは、孤児院に毎月こっそり寄付をしている。匿名で。
町の捨て猫を、全部拾って育てている。今、家には七匹いるらしい。
口を開けば「規則通り」しか言わないくせに、誰よりも情が深い。
そんな彼が、ある雨の夜、わたしの店の戸を叩いた。
「……灯してくれ」
ぶっきらぼうに、彼は手を差し出した。
わたしは黙って、蝋燭を一本灯す。
炎が揺れて——わたしは、息を呑んだ。
そこに視えたのは、あまりにも切実な願いだった。
「グレンさん」
「言うな」
「……戦友の、お墓ですね」
彼の肩が、わずかに揺れた。
「誰も看取れなかった。戦場で、置いてくるしかなかった。せめて——もう一度、あいつの墓に、花を供えたい」
氷のような男の声が、初めて掠れた。
「叶わない願いだ。墓がどこにあるかも、もう分からん」
「いいえ」
わたしは首を振った。
「叶わない願いなんて、ありません。形を変えてでも、必ず」
炎が、温かく揺れる。
グレンは長いこと、その火を見つめていた。
そして、ぽつりと。
「……お前の店、戸締まりが甘い。今度見に来る」
「えっ」
「猫が一匹増えた。お前のせいだ」
「なんでですか!?」
不器用すぎる男の背中が、雨の中に消えていく。
わたしは、なんだか胸が温かくなって——
そっと、自分の手のひらを見つめた。
……この火は、本当に、いろんな人の心を照らすんだなあ。
そんなことを、思いながら。
──────────
「願灯の聖女」の噂は、辺境からじわじわと広がっていった。
そして——王都へと、逆流していった。
ある日。
願灯屋の扉を蹴破る勢いで飛び込んできたのは、見覚えのある金髪の男だった。
第二王子、レオン。
かつてわたしを「役立たず」と嘲笑い、追放した張本人。
その美しい顔は、見る影もなくやつれていた。
「ヒナタ! 頼む、王都へ戻ってきてくれ!」
わたしは、お茶を淹れる手を止めなかった。
「それで?」
「それで、じゃない! 王都で、疫病が……っ、ミレーユの治癒でも、間に合わないんだ! 人がどんどん死んでいく!」
「蝋燭一本灯すだけの、わたしの力が?」
レオンが、言葉に詰まる。
わたしは、ようやく顔を上げた。
怒鳴りはしない。声も荒げない。
ただ、静かに。
「ミレーユ様の治癒は、肉体しか治せない。だから、心の折れた病人には届かない。——絶望した人たちが、自ら死を選んでいる。そうですよね」
レオンの顔が、青ざめた。
「な、なぜそれを」
「分かりますよ。わたしは前世で、ずっとそういう人たちのそばにいたから」
茶器を、そっと置く。
「治らない病で、心が折れて、生きる意味を見失った人たちを。何百人も、看取ってきたんです」
わたしは、まっすぐにレオンを見据えた。
「あなたたちが捨てたのは——“役立たずの蝋燭”じゃない」
一拍、置く。
「人の心に、火を灯す。たった一つの、本物でした」
レオンが、その場に崩れ落ちた。
「……俺は」
震える声で、彼は呟く。
「俺は、なんてことを……っ」
わたしは、彼を責めなかった。
ただ、立ち上がる。
「行きます。王都へ」
「ヒナタ……!」
「勘違いしないでください。あなたのためじゃない」
コートを羽織りながら、わたしは振り返った。
「まだ消えていない、たくさんの灯のためです」
追放の夜、わたしが無意識に王都中に灯した、無数の願いの火。
あれは、まだ——消えていない。
人々の胸の奥で、かすかに、けれど確かに、灯り続けている。
なら、わたしのやることは一つだ。
その火を、もう一度、繋ぎ直す。
「行きましょう。グレンさん」
「言われなくても、ついていく」
いつの間にか戸口に立っていた氷狼の男が、剣を担いだ。
腕には、子猫が一匹。
「……猫は置いていってください」
「こいつも王都に用がある」
「ないでしょ!」
こうして、わたしは王都へと戻ることになった。
かつて、わたしを捨てた場所へ。
──────────
王都は、死の匂いに沈んでいた。
疫病で倒れた人々が、治療院に溢れている。
だが、その目はどれも虚ろだった。
体は治療を受けても、心が死んでいる。
生きる意志を、失っている。
「ヒナタ……」
治療院の中央で、桃色の髪の聖女が、ふらりと立ち上がった。
ミレーユ。
憔悴しきった顔で、彼女はわたしを見つめた。
「あなたが……来てくれたの」
かつて、わたしを「役立たず」と罵った人。
でも今、その瞳には、棘なんてどこにもなかった。
あるのは、ただ深い、無力感だけ。
「わたしの治癒は、体しか治せない。何度治しても、みんな……心が折れて、また倒れてしまうの。わたし、もう、どうしたらいいか……」
わたしは、彼女のそばへ歩み寄った。
そして、その手のひらに——蝋燭を一本、灯した。
ぽっ、と。
ミレーユの目が、大きく見開かれる。
「これ……この火、わたし、知ってる……」
炎が、揺れる。
わたしには視えた。彼女の願い。そして、彼女の過去も。
「ミレーユ様。あなたは、ずっと前に——わたしの蝋燭に、救われたことがありますね」
彼女の頬を、涙が伝った。
「……うん。聖女に選ばれる前。誰にも期待されなくて、消えてしまいたかった夜に。どこからか、窓辺に小さな火が灯って……それで、わたし、もう少しだけ頑張ろうって、思えたの」
ぼろぼろと、彼女は泣き出した。
「だから、あなたのギフトを見たとき、分かったの。これは、わたしを救った、あの火だって。わたしの治癒なんかより、ずっと……ずっと、本物だって」
「ミレーユ様……」
「怖かったの。羨ましくて、怖くて。だから、ひどいことを言った。あなたを追い出すのに、賛成してしまった。……ごめんなさい。本当に、ごめんなさい……っ」
わたしは、彼女の手を握った。
「謝らなくて、いいんです」
そして、微笑む。
「一緒に、やりましょう。あなたの治癒と、わたしの灯で。きっと、この人たちを救えます」
わたしは治療院の中央に立ち、手をかざした。
人々の胸の奥に、かすかに残る願いの灯。
それを——繋ぎ直す。
ひとつ、ひとつ。
消えかけた火に、息を吹き込むように。
「あなたの願いは、まだここにあります。だから——生きてください」
すると。
虚ろだった人々の目に、ゆっくりと光が戻り始めた。
「……ああ、そうだ。俺はまだ、娘の結婚式を見ていない」
「私……もう一度、畑を耕したい」
「孫の顔が、見たい……」
生きる意志が、よみがえっていく。
その瞬間、ミレーユの治癒の光が——初めて、人々に届き始めた。
体と、心。
両方が癒されていく。
治療院に、温かな光が満ちた。
泣きながら、ミレーユがわたしの手を強く握る。
「ありがとう……ヒナタ……!」
「いいえ。一緒に、救ったんです」
窓の外。
王都中の家々に、再び無数の灯がともっていた。
それは、人々が生きることを選び直した、希望の火。
美しい、光の海だった。
──────────
疫病が収束した後。
王宮の大広間で、レオン第二王子の処遇が言い渡された。
「レオン。そなたは、国を救う力を持つ聖女を、私的感情のみで追放した」
国王の声が、冷たく響く。
「その結果、疫病蔓延による国家の危機を招いた。——よって、王位継承権を剥奪する」
レオンは、何も言い返せなかった。
かつての傲慢さは、もうどこにもない。
ただ青ざめて、うなだれるだけ。
その傍らで、大神官オルドリックもまた、震えていた。
「ギフトの数値こそが、信仰の証……そう信じてきた。だが、その数値は、国を救えなかった……」
旧い価値観が、音を立てて崩れていく。
わたしは、その光景を静かに眺めていた。
断罪に、快感がないと言えば嘘になる。
でも、それ以上に——むなしさのほうが、大きかった。
すべてが終わった後。
レオンが、わたしのもとへ歩み寄ってきた。
「ヒナタ。最後に、一度だけ……灯してくれないか」
わたしは、少し迷った。
けれど、断る理由もない。
彼の手のひらに、蝋燭を一本、灯した。
ぽっ、と。
炎が、揺れる。
わたしには視えた。
彼の、本当の願いが。
『ヒナタに、もう一度、認めてほしい』
失ってから、ようやく気づいた願い。
わたしを役立たずと笑い、追放した、その手のひらに——
今さら、わたしを求める火が灯っている。
レオンも、その意味を悟ったのだろう。
顔を、くしゃりと歪めた。
「……俺は」
声が、震える。
「俺は、本当に、大事なものを……失ってから、気づいたんだな」
わたしは、静かに首を振った。
「その火は、もう、あなたには届きません」
冷たく突き放すのではなく。
ただ、事実として。
「願いに気づくのが、遅すぎました」
炎が、ふっと——細く、頼りなく揺れる。
それは、二度と叶うことのない願いの、最後の灯だった。
わたしは、踵を返した。
「さようなら、レオン王子」
もう、振り返らない。
王宮の重い扉を抜けると、外には、グレンが待っていた。
腕には、やっぱり子猫が一匹。
「終わったか」
「はい。終わりました」
「……いい顔してる」
「そうですか?」
「ああ。すっきりした顔だ」
春の風が、心地よかった。
背負っていた重いものが、ようやく、降りた気がした。
──────────
わたしは、グレンと共に、辺境の町リンドルムへ戻った。
王都に残ってほしいと、何度も乞われた。
ミレーユも、泣きながら引き止めた。
でも、わたしの居場所は、ここじゃない。
大聖堂でも、王宮でもない。
あの、地図の端っこの、小さな町。
「願灯屋、再開ですね」
不格好な木の看板を、もう一度、軒先に吊るす。
カイルが、嬉しそうに駆け寄ってきた。
「店主さん、おかえり! みんな待ってたぞ!」
「ただいま、カイルさん」
町の人たちが、口々に言う。
「願灯の聖女さまが、帰ってきた」
「いやいや、聖女なんて柄じゃ……」
わたしは、苦笑する。
世界を救う聖女になんて、なれない。
強大な攻撃力も、万能の治癒力も、わたしにはない。
でも。
消えそうな願いを、一つずつ灯すことなら、できる。
それで、いいんだ。
それが、いいんだ。
その日の夜。
店じまいをしていると、グレンがふらりとやってきた。
相変わらずの強面で、腕にはまた新しい子猫。
「八匹目ですか」
「拾った。文句あるか」
「いいえ、まったく」
わたしは笑って、彼にお茶を淹れた。
そういえば、と思い出す。
「グレンさん。あの後、戦友のお墓、見つかったんですよね」
「ああ。お前が言った通りだった。形を変えて、だったがな」
彼は、ぽつりと語った。
王都での戦いの後、偶然出会った老兵が、戦友の最期を看取っていたこと。
その墓が、ちゃんと建てられていたこと。
「花を、供えてきた」
氷青の瞳が、わずかに和らぐ。
「……お前のおかげだ」
「いいえ。グレンさんの願いが、強かったからです」
窓辺に、小さな蝋燭が一本、灯っている。
その火を、グレンがじっと見つめた。
そして、ふいに——
「ところで、店主さん」
「はい?」
「あんたの蝋燭には、何が灯ってるんだ?」
わたしは、思わず手を止めた。
人の願いは、何百と視てきた。
でも、自分の蝋燭に何が灯っているのか——それだけは、わたしにも分からない。
いや。
本当は、薄々、気づいているのかもしれない。
目の前の、不器用な氷狼の男を見て。
そっと、頬が熱くなる。
わたしは、ふっと火を見つめて、微笑んだ。
「……それは、まだ秘密」
「なんだそれは」
「秘密です」
「気になるだろうが」
「いつか、教えてあげますね。いつか」
グレンが、不満そうに眉を寄せる。
その腕の中で、子猫がにゃあと鳴いた。
窓辺の蝋燭が、ゆらりと、温かく揺れる。
小さな、けれど確かな灯。
消えそうな願いを、一つずつ照らしていく、わたしの火。
——この物語は、まだ続く。
だって、世界には、まだ灯されるのを待っている願いが、たくさんあるのだから。
(『願灯屋にて』シリーズ、つづく)
──────────
【あとがき】
「最強チートより、誰かの心に小さな火を灯せる力の方が、本当は一番強いんじゃないか」——そんな問いから生まれた話です。
グレンの捨て猫は、現在八匹。たぶん、来週には九匹になります。
次話『願灯屋にて〜涙もろい氷狼の場合〜』もよろしくお願いします。ヒナタの蝋燭に灯っているものの正体は、もう少しだけ、秘密にさせてください。




