取引
どれほど謝罪を繰り返したところで無意味だとわかっていても、唇からこうした言葉が飛び出てしまうのは、日頃の習慣が染みついているからなのだろう。
リドディエはそれをよくわかっているからこそ、こちらに同情的な視線を向けた。
「君はそうやって、何度も彼らに許しを請っていたんだな……」
耳元で囁かれる優しい声音にを聞き、少女は真紅の瞳を大きく見開く。
自分はもう、弱者ではない。
異能を意のままに操る強者だ。
こんなふうに狼狽えては、いけないはずなのに――。
「あ、ぁ……。ち、違うの……。これ、は……」
「一国の姫が、そんな言葉を軽々しく口にするな。ますます、傷が深まる」
「う、ぅ……っ」
「とてもじゃないが、1人にしてはおけん」
エクリーユは恐怖と絶望が入り混じった表情を浮かべながら、唇を噛みしめる。
浅い呼吸を繰り返していたせいか、どんどんと息を吸うのが苦しくなり、自分でも過呼吸になりかけているような感覚があった。
少女は己の身体を抱きしめる陛下力が強まったのを認識し、真紅の瞳を潤ませた。
「リドディエ、様……」
「君には、休養が必要だ」
「ならば、永遠の眠りを……」
「それは、許可できん」
「どうして……」
彼は何度目かわからぬ願望を考えるまでもなく棄却した。
その後、エクリーユの耳元で囁く。
「絶望の中、君が命を落とす姿を間近で見届けるなど――耐えられない」
リドディエは少女の置かれていた状況を、まるで自分のことのように感じて心を痛めてくれているらしい。
国王は「ここにいるべきだ」と己が思えるように、優しく諭す。
「彼らよりも幸せになって、見返してやればいいだろう」
「私は、罪人よ。そんなの、無理に決まっているわ……」
「そうだな。確かに、1人では難しいかもしれん。だが……」
この期に及んでもまだ自分は幸せになるわけにはいかないと思い悩む少女に向かって、リドディエは左手を差し出した。
「僕の手を取れ、エクリーユ。2人ならきっと、辿り着けるはずだ」
己の細い指先とはまったく異なる大きな手を差し出された少女は、真紅の瞳を大きく見開いて驚く。
『俺の名前は、ムガルバイト。君の兄だよ』
その光景は、幼い頃の兄とそっくりだったからだ。
(お兄様は私に手を差し伸べてはくださったけれど、幸せな時間は長く続かなかった……)
エクリーユは恐れている。
あの日のように妹と天秤にかけられ、自分が捨てられてしまうのではないかと。
しかし――。
「欲しいものはなんでも買い与えてやる。幸福になる資格がないと嘆くなら、僕が大切に慈しむ。これからは血の繋がった家族ではなく、僕のことだけを考えて生きてくれないか」
リドディエは少女の不安を取り除くように、己に有利な提案してくれた。
「君を、世界で一番幸せな王妃にしてやる」
彼の告白を聞いたエクリーユは、信じられない気持ちでいっぱいになる。
「そ、そんな……。それでは、まるで……」
「ああ。そうだ。僕はずっと、エクリーユが欲しかった。それでは、理由にならないか」
――幼い頃から虐げられていた自分が、隣国の国王に愛を囁かれるなどあり得ない。
(自惚れては、いけないわ……)
エクリーユは何度も自分に言い聞かせ、リドディエの提案を遠回しに拒絶する。
「この手は、穢れているわ……」
「構わない」
「私は許されない罪を犯したのよ……」
「それでもいいと言っている」
「あなたの命を、奪うかもしれないのに……」
「その時は、君の好きにしてくれ」
それでも、彼はけして諦めなかった。
考える暇もなくぽんぽんと飛び出てくる回答に目を丸くしたエクリーユは、ついに抵抗を止める。
「一度契約を交わしたら、戻れないわよ。私を裏切れば、あなたは命を落とす」
「構わん」
彼はまるでエクリーユの口にする言葉が最初からわかっていたかのように、迷いなく言葉を吐き出した。
それが、不思議で堪らない。
(命を失っても構わないと誓うほど、私に好意をいだいてくださっている。それは一体、なぜ……?)
少女の疑問に、答えは返って来なかった。
陛下の真意を探るように、隣国の姫は紫色の瞳を見上げる。
(ミステリアスな瞳……)
彼の目は、物憂げに細められていた。
(今は、悲しんでいるのかしら……? 私が、自ら命を絶とうとしたせいね……)
さすがは一国の王だ。
どれほどじっと見つめたところで、不満くらいしか読み取れない。
(彼の手を取って生きると、そうはっきりと宣言すれば、リドディエ様は……笑ってくださるかしら……?)
まだ、出会ったばかりなのに――。
彼の笑顔が見てみたいと思うほどに心を許しているなんて、おかしなことだ。
あり得ないとどれほど必死にしても、エクリーユは彼を熱望するのを止められなかった。
(これは彼が、異能を持っているせい……?)
王家の血を引き継ぐ者は、異能を持って生まれる。
それは、エクリーユが生まれ育った国だけの話ではなかった。
少女が炎を使役するように、リドディエにもなんらかの力を持っている。
(彼の異能が、魅了だったらよかったのに……)
何もかもを忘れて、彼のことだけで頭をいっぱいにしたかった。
そうすれば、少女は王が望む通りの姿を見せられただろう。
よく笑い、生きることを楽しみ、リドディエのそばにいるのが幸せだと語り、愛を囁く。
そんな自分を夢想したエクリーユは、真紅の瞳を悲しげに伏せた。
(すべてが思い通りにいけば、苦労はしていないわね……)
そもそも彼がそんな力を持っているのであれば、とっくの昔に使っているだろう。
こうしてなんの異変も感じることなく呑気に会話を続けていられた時点で、その線はないと考えるべきだ。
(それを残念に思っている時点で、やはり私には……)
――エクリーユが唇を噛み締めたまま、暗い表情で俯き続けていたからか。
「結論を今すぐに出せとは言わない。ここでゆっくりと心の傷を癒やしながら、考えておいてくれ」
彼は優しい声音でそう呟くと、こちらに譲歩するような提案をしたあとゆっくりと両手を離した。
(あまりにも、私に都合がよすぎる提案だわ……)
それだけ自分に好意をいだき、死なせたくないと思っている証拠なのだとしても――エクリーユは彼の気持ちを、疑わざるを得なかった。
(レべラゼムの国王で、お兄様の友人……)
自分が彼について知っている情報は、これくらいしかない。
(彼を信じると、すぐに答えを出すべきだったかしら……)
こんな状態でリドディエの手を取ったところで、後々トラブルになるだけだ。
(信頼のおける人か、しっかりと見極めなくては……)
ムガルバイトのように裏切られては、元も子もない。
ゆっくりと顔を上げた少女は窓の外を見たあと、切なげに真紅の瞳をゆっくりと閉じた。
「眠いか」
「いいえ……」
「疲れただろう。あれほど慣れない異能を使ったんだ」
「陛下の寝台を、独占するわけには……」
陛下が嫌がる姫の肩に優しく触れる。
エクリーユは堪えきれず、こてんとベッドに転がった。
(ふかふか……)
寝心地のいい寝台は、寝そべっただけでも眠気を誘う。
少女は真紅の瞳を細め、こちらを見下す陛下の真意を探るように彼を見上げた。
すると、リドディエは「こちらのことは気にする必要はない」と言わんばかりに淡々と言葉を紡ぐ。
「好きに使え。今日からここは、君の部屋でもある」
「私、の……?」
「ああ。エクリーユは、未来の王妃だからな……」
彼は紫色の瞳を和らげたあと、額にかかった前髪をサラリと撫でつけて退かした。
その手つきは、驚くほど優しい。
「リドディエ、様……。駄目……」
「ほら。真っ赤な瞳が眠気に抗えず、閉じてきた……」
「手を、止めて……」
「嫌だ」
朦朧とする意識の中で額に触れた指先を退かそうと必死になったが、彼の意思は固い。
結局抗い切れず、エクリーユは意識を失った。




