母国の状況 (リシーロ)
アティール王国の第2王女であるエクリーユ・アベティーラは、異能を発現できない無能のはずだった。
そんな彼女が細い身体に炎を纏わせ、王族を順番に痛めつけたのだ。家族は全員震え上がり、殺されるかもしれないと怯えた。
(姉様に命を奪われるなんて、冗談じゃないわ……!)
白百合の君と誉れ高い第3王女、リシーロ・アベティーラは、ちょうどいいところに隣国の国王とともに姿を見せた第4王子――ムガルバイトに助けを求める。
「兄様! エクリーユが……!」
その時に見せた無能の顔は、傑作だった。
憎悪の籠もった視線と絶望でいっぱいな表情は、何度目にしても心がスカッとする。
(ふふ。いい気味。わたしの大好きなお兄様を奪おうとしなければ、苦しまなくて済んだのにね?)
あとはムガルバイトが、彼女を完膚なきまでに叩きのめし――この場を納めれば、それで済むはずだった。
なのに――その直後、リシーロが想像もしなかった出来事が起きる。
「エクリーユ……!」
隣国の王であるリドディエが、転移魔法を使って姉を連れ去ったのだ。
ムガルバイトが伸ばした指先は、彼女に届くことなく虚空を掴む。
(やっと、邪魔者がいなくなったわね……。このまま、二度と帰ってこなければいいのに)
悔しそうに唇を噛みしめる兄の姿を目にした第3王女は、白百合のような美しい微笑みを浮かべて彼を慰めた。
「兄様。あの女は、私たち家族を酷い目に遭わせた罪人よ。隣国で引き取ってくれるのなら、それに越したことはないでしょ!?」
「違う。あいつだけは、駄目なんだ……!」
いつも余裕綽々のムガルバイトがこれほど動揺する姿を見せるなど、明らかにおかしい。
(なんで? どうして兄様は、これほどまでにあの女に入れ込むの……?)
兄の秘密を知らない、家族の仲で唯一異能を発現できなかった女。
王家にはどう考えても、不要な存在だった。
(私のほうがかわいくて、異能を使えて、みんなから愛されているのに……!)
リシーロは何よりも大事なムガルバイトからの愛をどれほど欲しても得られないことに、苛立ちを隠せなかった。
(――冷静になるのよ、リシーロ……!)
何度も己に言い聞かせた少女は、彼に纏わりつく腕の力を強める。
ここで冷静さを失っては、手に入るものも手に入らないと気づいたからだ。
「落ち着いて。兄様らしくないわ」
「くそ……っ」
ムガルバイトは悪態をついたあと、唇を噛みしめてから勢いよく近くにあった空の木箱を蹴りつける。
それはバコンと大きな音を立て、霧散した。
「ひ、いぃ……! 私の顔が……!」
「だ、誰か……! た、助け……!」
「あの女……! 絶対に許さん……!」
エクリーユに身体の一部を燃やされたものたちは、黙って見ていることしかできなかった使用人たちに助けを求める。
その惨めで惨たらしい命乞いによってようやく我に返ったムガルバイトは、静かに戸惑う下々のものたちへ命じた。
「父上には今、休息が必要だ。医者を呼んで、治療をして」
「か、かしこまりました……!」
兄の指示を受けた人々は、パタパタと小走りでその場をあとにする。
彼はその様子を見送ったあと、王座の間を見渡し、満身創痍の家族たちに冷たい視線を送った。
「五体満足なのは、俺とイトゥク。リシーロだけかな……」
名前を呼ばれたイトゥクは、ビクリと全身を震わせて怯える。
(あの女がいなくなったことだし……。次にいじめがいのある人間は、イトゥク兄さんくらいしかいないのよね……)
2人の兄は、リシーロにとって異質な存在だ。
ムガルバイトは大好きな人。
そして、イトゥクは――自分を愛してくれない、無能と同列の人間。
(どちらを王に据えるべきかなんて、考えなくてもわかるわよね?)
思わぬところからチャンスが舞い込んできたと、リシーロはほくそ笑む。
アティール王国の末姫としてどこかの国に嫁ぐのではなく、最愛の人の伴侶として名を連ねる絶好の機会は、今を逃せば二度と訪れないだろう。
(あの女が暴れ散らかした時は、どうしようかと思ったけど……。エクリーユもたまには、わたしの役に立つのね!)
己の醜い欲望を実現させるため、エクリーユは人々から白百合の君と呼ばれるに相応しい微笑みを浮かべ、兄をけしかける。
「この中だったら、ムガルバイト兄さんが一番王に相応しいわ! ねぇ、そうでしょ? イトゥク兄さん!」
「な……!? 何を言っている。王太子は私だぞ!?」
冗談ではないと声を荒らげたのは、王太子のワンスだ。
彼はどれほど傷ついたとしても、長兄として自分が王位を継ぐのが当然だと考えているのだろう。
弟に対して、「リシーロの提案を素直に受け入れたらどうなるかわかるだろうな」と鬼の形相で凄んでいた。
(ワンスお兄様なんかにこの国を任せたら、政治の道具として利用されてしまうわ。そんなの、許せない……!)
少女はなんとしてでも長兄が王になるのを防ぐため、嗜虐的な笑みを浮かべて痛いところをついた。
「あら。兄さんは副団長のくせに、手も足も出ないままやられてしまったじゃない」
「ぐ……っ」
「愛剣を破壊されて、抵抗する力すら奪われた弱いワンス兄さんがこの国の王となったって、なんの意味もないわ!」
妹の心ない発言に、すぐさまワンスは何も言えなくなる。
(ふふ。いい気味!)
リシーロは自分がまるで悪魔になったかのような全能感に包まれながら、激昂する兄に微笑みかけた。
「君はムガルバイトの出自を知らないから、そんな事が言えるんだ!」
「知ってるわよ?」
姉と同じように純粋無垢な存在だと思われては困る。
少女は満面の笑みを浮かべ、はっきりとした口調で第4王子の秘密を暴露した。
「兄さんって、わたしたちの本当の兄妹じゃないんでしょう?」
「い、一体どこで……!」
「それは秘密。わたし、ムガルバイト兄さんが大好きなの。父さんはしばらく人前に出られないし、これからはわたしたちがこの国を治めるね!」
「そんなの、許せるわけが……!」
リシーロは騒ぎ立てる長男を黙らせるため、己の異能を発動させた。
少女の背中からは勢いよく植物の枝葉が飛び出て、ワンスの四肢を拘束する。
「くそ……っ。リシーロ! 離せ!」
「野蛮な兄さんは、ちょっと気を抜くと襲いかかってくるから怖いわ。みんなまとめて、地下牢にぶち込まなくちゃ」
リシーロはドレスの裾に隠したホルスターの中から、異能制御装置を取り出す。
(人数分用意しておいて、本当によかった!)
少女は罵詈雑言を繰り返す兄たちを無効化するべく、イトゥクに命じた。
「イトゥク兄さん。あなたが異能を無効化させるのよ」
「ぼ、僕、が……?」
「ええ! まさか、拒否なんてしないよね?」
「で、でも……」
今まで自分に命令してきた兄たちを拘束しろと、妹に命じられたのだ。
第5王子は目を白黒させて迷う素振りを見せたが、拒絶なんて許すはずがない。
「それとも、ほかの兄さんたちと一緒に異能を使えなくされたい?」
「う、う……」
イトゥクはガタガタと全身を震わせながら、渋々妹の小さな手から異能制御装置を鷲掴む。
その後、リシーロの操る植物に囚われた兄たちへ順番にそれをつけた。
「イトゥク! 貴様……!」
「覚えてろよ! こんなことして、五体満足で行き続けられると思うな……!」
「ひぃい……っ」
家族の罵詈雑言を一心に受ける第四王子の姿を目にしたリシーロは、最愛の兄とともにその光景を冷めた目で見つめている。
(イトゥク兄様に言うことを聞かせるなら、暴力で訴えかけるよりも身の安全を保証するほうが有効なのに……。それに気づいていない時点で、小物よね)
ムガルバイトは、傷ついた家族たちが地下牢へ連行される姿を見ても何も言わない。
(わたしの行い、お気に召さなかったのかな……?)
リシーロは最愛の兄とこれからの話をするべく、彼を見上げて問いかけた。
「邪魔な人間は、牢屋にぶち込んでおいたわ! あとは兄さんが、王座につくだけね!」
「どうして君は、俺を王にしたいんだ……?」
「だって兄さんは、何もかもを持っているじゃない!」
優しくて、容姿が整っていて、何をやらせても卒なくこなす。国民たちからの評判も上々で、誰よりも己の伴侶に相応しい存在。
それが、リシーロから見たムガルバイトという男だった。
「俺は王座になんて、ふさわしくないよ」
「王族の中で誰が一番玉座に適しているのか。国民に聞いて答えを出さなきゃ、兄さんはあそこに腰を下ろしてくれないの?」
「王になんて、なりたくないんだけどなぁ……」
第4王子と呼ばれる資格がないのにそう名乗ることを許された彼は、この一世一代のチャンスを前にしても随分と消極的だ。
リシーロはムガルバイトを批難するように声を荒らげる。
「どうして? 王様になれば、なんでも手に入るのに!」
「俺の、欲しいものが……?」
「わたしを婚約者にしてくれたら、協力するわ! 兄さんの願いを、叶えてあげる!」
「それは、本当かい?」
「もちろん! だってわたし、兄様を愛しているもの!」
奇しくもその作戦は、項を成した。
彼にはどうやら、叶えたい願いがあるらしい。
妹のぶら下げた餌に食いついた兄は、ついに重い腰を上げた。
「わかった。いいよ。今日から俺が、この国の王だ」
「まぁ、素敵! 兄さんが覚悟を決めてくれて、とっても嬉しい!」
彼は妹と腕を組んだままカツコツと軽快な靴音を響かせたあと、玉座に腰を下ろす。
その光景を目にした第3王女は、自分の思い通りに事がうまく進んでいると喜んだ。
「わたしも今日からは、妹じゃなくて婚約者になるんだもの! たくさん、愛してね?」
リシーロはようやく最愛が手に入ったと満足そうな笑みを浮かべ、ムガルバイトの首筋に抱きつく。
そんな兄妹の姿を、青ざめた表情で見つめる少年がいた。
「イトゥク」
「は、はい……っ」
「怖がらないで。何もしないよ。君はただ、俺の言うことだけを聞いてくれたら、それでいい」
ムガルバイトが他の兄とは違い、家族に暴力を振るったことがないと彼もよく知っているのだろう。
だからこそ、逆らわずに大人しく従ってくれる。
(わたしと兄さん、雑用係のイトゥク兄さんがいれば、誰にも邪魔されることなく幸せに暮らせるわ……!)
大嫌いな姉の起こした反乱のせいで、一時はどうなることかと思ったが――なんとか幸せになる道筋を導き出したリシーロは、心の中でエクリーユに宣戦布告をした。
(今に見ていなさい! あなたが大好きだったムガルバイト兄さんとわたしがラブラブだって、隣国まで轟かせてあげる……!)
姉は暴力を受けなくて済むと安堵しているかもしれないが、平穏な暮らしができるのは一瞬だけだ。
たとえこの国から逃げ果せたとしても、彼女に待ち受けるのは永遠の苦しみ。
精神的な攻撃からは、逃れられるはずがない。
(離れて暮らしていたとしても、いくらでも攻撃する方法はあるんだから……!)
リシーロは人知れず、より一層彼女に苦痛を与えられるように立ち回ると決め――こうして、大好きな兄のぬくもりを堪能した。




