大嫌いな白百合
「私、白百合って大嫌いなの」
「なぜか、聞いても?」
「妹を思い出すから……」
リドディエはリシーロの名を口にせずとも、察するものがあったらしい。
どうでもよさそうに、妹の異名を呟く。
「ああ……。白百合の君、だったか……」
「そうよ。穢れを知らぬ可憐な花。それがあの子の異名。姉を敬うどころか危害を加えてくるような、性悪女のくせに……。ふふ。姿を思い浮かべるだけでも、笑ってしまうわね」
婚約者が自虐的な笑みを浮かべれば、彼もまた声を弾ませながら同意する。
「そうだな。彼女にそのような呼び名は、ふさわしくない」
「ええ。同意を示してくれて、嬉しいわ」
頷き合った2人の間には、穏やかな空気が流れた。
エクリーユは落ち着き払った様子で、カーテンを締め切っていた理由を告げる。
「窓の外にふと視線を向けた時、嫌でもこの光景が目に入る。それを見たくなくて、カーテンを閉め切っていたの……」
真紅の瞳を切なげに細めながら伝えれば、リドディエもまた苦しそうに眉間へ皺を寄せながらぽつりと呟く。
「僕の、せいだな」
「いいえ。リドディエ様は、何も悪くないわ。私がもっと早くに伝えておけばよかった。そうすれば、こんなにも気まずい思いをしなくて済んだのに……」
エクリーユは美しく咲き誇る花々から目を背けるのを止め、決意する。
「やっとこの手で、灰にできるわ……」
そう口にしたあと目の前に差し出した右手を払い、枯れかけた白百合に向かって異能を発現させる。
大輪の花を咲かせるのが精一杯だった花々は、あっという間に炎に塗れて塵に変わった。
「ただここで、一生懸命咲いているだけの花を散らす私は、誰が見ても醜い心の持ち主ね」
「そんなことはない。君は今までずっと、誰かから傷つけられてきた。人を害するよりは、ずっといい」
「いいえ。庇わなくたっていいのよ。ちゃんと、わかっているから。家族を傷つけて、なんの罪もない花々を灰に変えた。これでは、忌み嫌うあいつらと変わらない……」
エクリーユは己が醜く恐ろしい存在であることを、自覚していた。
「私はリドディエ様の婚約者には、ふさわしくないの」
だからこそ、身を引こうとしたのだが――少女を愛する彼が、それを許すはずがなかった。
「僕は君を、一生養うと決めた。どれほど身を引こうとしたところで、受け入れるつもりはない」
「リドディエ様……」
彼は最愛の婚約者を抱きしめる力を強めると、素直な気持ちを吐露する。
「それに……。これはそんなに、思い詰めるような話だろうか」
「一般的に考えれば、私の行いはとても恐ろしい行動だわ」
「僕はそうは思わん。目障りな花を散らした。それだけの話だろう」
「陛下のような男性には、気高き心を持つ女性こそが相応しいの。私には、あなたの隣に並び立つ資格が……」
「それは君の、勝手な想像だ」
陛下はどこか苛立ちを隠せない様子でそう吐き捨てたあと、はっきりとした口調で宣言する。
「僕の妃は、君以外考えられない」
何度目かわからぬ愛の告白を終えた彼は、エクリーユに謝罪をした。
「配慮が足らず、申し訳なかった」
まさか国王に頭を下げられるなど、思いもしない。
少女は婚約者の頬に触れて顔を上げさせた。
「これからは、ここに君が好きな花合の花を植えよう。何がいい」
「では、黒百合の花を」
すると、彼の口元が優しく和らぐ。
陛下は即座に花言葉を思い浮かべると、静かに声を発した。
「花言葉は、呪いと復讐か」
「そうね……」
「悪くない」
まさかリドディエがこちらの提案を受け入れてくれるなど、思いもしない。
エクリーユは自分が提案したのに、望み通りに花壇へ黒百合が植えられることに難色を示した。
「王城の花壇にそれらが植わっていたら、驚いてしまうわ」
「なぜ、そう思う」
「あまり縁起がよくないとされているもの……」
「そうか。この2つの意味だけでは、確かに不気味だが……」
彼はあえて言葉を途切れさせると、こちらの顔色を窺いながら続きを発する。
「愛と恋といった、ロマンチックな意味もある」
「そう、なの……?」
「ああ。毛嫌いするような花ではない」
不思議そうに小首を傾げるエクリーユに優しく微笑むと、陛下ははっきりとした口調で告げた。
「僕は、好きだ。白百合よりも、ずっと」
その発言を耳にした少女は、真紅の瞳を見開いて驚く。
なぜならば、彼の反応は想定外だったからだ。
「お兄様は、黒百合が私にふさわしくないと言ったのに……」
「なんの話だ」
ムガルバイトに先程とまったく同じ質問をした時、真逆の反応をされたのがすごく悲しかったなど、言えるわけがなかった。
リドディエは兄の話題を出したくないほど、憎んでいるのだから……。
「い、いえ。なんでもありません」
「君は傷ついても、じっと我慢するべきだと考えているようだが……。それは誤りだ」
「で、でも……」
「誰かに話せば、心が軽くなることもある」
これは声に発することなく、自分の心の中で留めておくべきだ。
エクリーユはそう思っていたのだが、彼は話してほしいと少女に促す。
「陛下が、不快な気持ちになるんじゃ……?」
「僕は確かに、あの男が嫌いだ。君の口から話題が出るだけでも、腸が煮えくり返ってしまうほどに」
「だったら……」
「彼と過ごした日々は、兄妹だけの思い出として大切に心の底へ仕舞っておこう――そんなふうに隠し通されるほうが、よほど苛立ちが募る」
「どうして……?」
「ムガルバイトが、それを望んでいるからだ」
陛下は大嫌いな親友の名を口にすると、表情を歪めて吐き捨てる。
「あの男の願いは、なんとしてでも実現しないように邪魔をしたい。そう強く想っている時点で、僕も君と同じくらい――心が穢れている」
「リドディエ様……」
「僕の隣に並び立つべき王女は、君だけだ。エクリーユ」
ここまで望まれたら、彼を拒む選択をすることすらも億劫で――少女は渋々、語り出す。ずっと心の奥底にしまい込んでいた、ある日の出来事を。
「兄様から白百合を差し出された時、断ったの。私は黒のほうが好きだから。でも……。彼は、リドディエ様のようにこちらの言い分を受け入れてくださらなかった」
「君はその態度を目にして、どう思ったんだ」
「つらかった。すごく、悲しかったわ。家族の中で、唯一信頼していた人だもの……。そんなことを言う人だなんて、受け入れたくなかった……」
もしもあの時、兄にも事情があるはずだと納得して信じ続けていなければ、もっと早くに彼と出会えていたかもしれない。
かつていだいた悲しみに胸を痛めた少女は、過去の光景ではなく今を見つめながらぽつりと呟く。
「そう考えてみると、リドディエ様は私にとって、理想の殿方なのかもしれないわ……」
「ほう。それはいいことを聞いたな」
陛下はエクリーユと自分の意見が真逆であった場合、必ず譲歩してくれた。
好きなものをなんでも買い与え、何不自由のない暮らしを施し、メンタルケアに心を砕いてくれた。
まさに、至れり尽くせりだ。
こんな状況で文句を言えば、罰が当たる。
「惚れたか?」
冗談めかして問いかけられるなど思わず、少しだけ面食らってしまう。
だが――悪い気がしないのは、彼を心の底から信頼している証拠だと思いたかった。
「……少しだけ、好意的に見られるような気がするわ……」
「いいことだ」
リドディエは満足そうに頷くと、聞き取りづらい声で何かを呟いた。
「いつかは、あの男のことなど忘れ――俺だけで頭の中をいっぱいにしてくれるといいのだが……」
エクリーユは彼の願望を聞き取ることができず、不思議そうに小首を傾げる。
その後、婚約者に問いかけた。
「陛下? 今、何か……」
「なんでもない」
しかしリドディエは、もう一度同じ言葉を呟いてはくれなかった。
(気の所為かしら……?)
エクリーユは来たときと同じように彼の手を取り、この場を立ち去った。




