乳母と私
――運動着はオーダーメイドで、一から作り上げるらしい。
それが出来上がるまで外で走り回るのを禁じられたエクリーユは、再び寝室に籠もりきりになった。
「姫様……。気分転換に、外へ出られたらいかがでしょうか」
「いいえ。暫くは、遠慮しておくわ」
「ですが……」
――怖かったのだ。
また兄たちと鉢合わせるのが。
聞いてはいけない単語を耳にして、陛下に迷惑をかけるのが――。
だから少女は、大人しくしていることにした。
すっかり第2王女の部屋と化している国王の寝室には、信頼のおける人間しか顔を出さない安全な場所だとわかっていたから……。
「テラマは、陛下と長いの……?」
「お側で見守っていた時間は、それほど長くはありませんが……。姫様を大切に想っていることは、よく存じております」
「そう……」
暇を持て余した少女は口元を綻ばせ、乳母にある提案をした。
「よければ、彼の話を聞かせてもらえないかしら?」
「私が、ですか?」
「ええ。気分転換には、ちょうどいいと思って。駄目?」
「いえ……。私からお話できることは、それほど多くはありませんが……。姫様がお望みになるのでしたら、喜んで」
そうして、テラマは語り出す。
彼女から見た、陛下の印象を……。
「陛下は民のことを第一に考える、とてもお優しい方です。そのため、この国は難民の駆け込み寺と呼ばれるようになりました……」
「居場所を失った、民たちの楽園……」
「そうですね。王城の外へ出れば、アティール王国の民もいます」
「そう……」
自国の悪評は、王城に籠もりきりだった第2王女の元にも届いている。
『私利私欲のために、国民に苦ばかりを押しつける王』
父は国民たちに信頼されるどこか、嫌悪されるような王だった。
(きっと、安寧を求めてこの国に移住してきた人々は……私のことを、恨んでいるでしょうね……)
顔を合わせたら、何をされるかなどわかったものではない。
不安でいっぱいになったエクリーユの表情が強張ったのを目にしたテラマは、少女を安心させるように優しく微笑んだ。
「ご安心ください。姫様の悲しみは、陛下の痛みですもの。王城に、アティール王国の民は私たち夫妻以外はおりません」
「そうだわ……。テラマの旦那さんは……」
「今は、宰相として陛下のお側におります」
「あら……。そうなの……。今度、ご挨拶をしなければ……」
乳母には随分とお世話になっている。
夫にも感謝を伝えるべきだと考えての発言だったのだが、彼女はあまり喜んではくれなかった。
(迷惑だったかしら……?)
話が途切れてしまい、2人の間には気まずい沈黙が下りる。
エクリーユがいつまで経っても声を発さないのを確認した彼女は、再びリドディエの話を始めた。
「陛下は民から、絶対の信頼を寄せられております」
「どうして……?」
「助けを求める声をしっかりと聞き、他国との諍いにも恐れることなく立ち向かったからです」
「そうなの……」
「はい。荒事を好まない温厚な性格の陛下の元には、似たような民たちが集まりました」
彼は心優しい人だ。
だからこそ、いつでも大切な人を守れるように抗う術を隠し持っている。
そうとも知らずに、彼の元へある男が姿を見せた。
「その噂を聞きつけ、やってきたのがムガルバイト様です。母国の評判はあまりよくはありませんでしたが、陛下は快く迎え入れて王城への出入りを許しました」
「兄、様……?」
「はい。第4王子は自らの置かれた状況だけではなく、姫様の境遇を相談されたとか。それを聞いた陛下は酷く心を痛められたのです。何度か、こちらにも妻として娶りたいと文を送っていたのですが……」
エクリーユはなぜリドディエの人となりの話をしていたのに、第4王子の話が出てくるのかと困惑する。
だが、そんなこちらの戸惑いに気づく素振りもなく、テラマは次々と衝撃的な発現を続けた。
「ムガルバイト様が、私に命じたのです。その手紙を処分するようにと……。結局、レべラゼム王国の国王の耳に入ることはありませんでした。それを耳にした陛下は、第5王子にいだく思いを変化させたとか……」
乳母は手紙を捨てろと命じられたが、それを大切に保管していたらしい。
古ぼけた羊皮紙を差し出された第2王女は、恐る恐るその手紙に目を通した。
『アティール王国第2王女、エクリーユ・アベティーラへ。隣国の王から手紙が送られてくるなど、困惑するのは無理もない。理由については、会ってから話をしよう。ここに、用件だけを書き記す。僕の妻になってほしい。いい返事を、期待している』
それは口数の少ないリドディエらしい簡素な手紙で、エクリーユはその内容を目にした瞬間に真紅の瞳を瞬かせて口元を覆う。
「陛下は、弱者を装う強者を毛嫌いしております。ですので、騙し討ちのような形で信頼関係を破壊した彼のことを、許せなかったのでしょう」
「2人は親友だと、聞いていたけれど……。その言い方なら、仲違いでもしたの……?」
「いえ……。表面上は、普段と変わらぬ距離感で接しておりました。しかし……。姫様と妹君を比べ、後者を選び取った姿を目にしてついに我慢しきれなくなったのでしょう。陛下はこの一件以降、第5王子に対する嫌悪をさらけ出すようになったのです」
乳母の説明を受けたエクリーユは、ようやく合点がいく。
仲がよかったはずなのに、兄の話題が出た瞬間に嫌悪を露わにする理由を……。
「陛下はずっと、姫様を心配しておられました。その気持ちに、嘘偽りはないかと……」
テラマが第2王女に嘘をついたことは、一度もない。
少女はその言葉を疑いもせず、素直に受け入れた。
「そう、ね。話してくれて、ありがとう」
「いえ! 姫様のお役に立てて、光栄です」
「喉が渇いたわ……。お茶を、用意してくださる?」
「もちろんです! 少々お待ちください」
1人になりたいと直接口にしなくとも、付き合いの長い乳母なら察してくれる。
それが何よりもありがたいと感じながら、エクリーユは寝台に四肢を投げ出した。




