1-7 真実の行方
あの日を境に、高満和夫と神宮明美の居場所は、この世界のどこにもなくなった。
二人の国籍、戸籍、住民票、納税記録……誠司の手によってあらゆる公的データが「上書き」された結果、彼らは最初から存在しなかった幽霊へと変えられたのだ。
高満は、さらに過酷な運命を辿った。
留置場を脱走し、その際、警官の拳銃を強奪した容疑で指名手配。
マスコミは「警察の不祥事か、強大な組織の手引きか」と連日報じたが、その真実を知る者はいない。
一方、明美は親族からも絶縁され、留置場の冷たい壁の中で審判を待っていた。
絵美に対する暴行の容疑も加わり、彼女は「やっていない」と半狂乱で訴えたが、絵美の「笑いながら殴られた」という静かな証言が、検察と裁判官の心証を絶望的なものにした。
スキャンダルは世間を狂熱させた。
“良妻賢母の仮面”を剥がされた女へのバッシングは、かつての誠司へのそれを遥かに上回る苛烈さだった。
その後、治療を終えた絵美は、祖父・神宮和也の元へと身を寄せた。
和也は、小規模ながら技術力の高い工場の社長。
彼は傷ついた孫娘を温かく迎え、将来の後継者として、そして一人の人間として、厳しくも慈しみを持って育て始めた。
ある日の夕暮れ。
和也の書斎で、絵美がふと口を開いた。
「ねえ、おじい様」
「なんじゃ」
絵美は、かつての幼さが消えた、どこか冷徹ささえ感じさせる瞳で祖父を見つめた。
「お父さんは……生きてると思うの」
「……何故、そう思う」
「あの会場で流れた動画。
あれは、私がお父さんに渡したお守りの中に隠した、SDカードのデータだから」
和也は一瞬、言葉を失った。
あの会見場を地獄に変えた「ノーフェイス」の正体を、絵美は既に確信している。
「……そうか。
ならば、あの会場のジャックも……。
ふん、みなまで言う必要はないな」
「うん。
今はお父さんの邪魔をしたくないの。
お父さんの戦いが終わるまで」
「そうだな。
逃げた高満とかいう男を、今も地の果てまで追っているのやもしれん」
「私が居ても、今は足手まといにしかならないから。
だから……」
絵美は視線を自分の手元に落とした。
「おじい様、私に教育を施して。
いつかお父さんと同じ場所まで辿り着けるような、誠実で、誰よりも鋭いエンジニアになりたいの」
和也は、孫娘の瞳に宿る、血の争えない「技術者としての情念」を見つけ、力強く頷いた。
◆
高満不在のまま進められた裁判。
警官殺害と拳銃強奪の罪が加わった彼には、異例の速さで死刑判決が下った。
対照的に明美は、獄中で税金を使って生きながらえさせることへの世論の反発もあり、早期に釈放された。
だが、戸籍も居場所もない女が社会に戻れるはずもない。
彼女は路上生活者へと転落し、男の袖を引いてその日暮らしの糊口を凌ぐ「影」となった。
ある冬の夜。
街角で誠司は、偶然その「影」とすれ違った。
やつれ果て、かつての面影もない明美は、目の前の男が自分の陥れた夫だとは気づかない。
誠司は無言のまま、彼女が差し出した汚れきった缶に百円硬貨を投げ入れた。
硬貨の触れ合う乾いた音が響く。
「……ありがとうございます」
背後に聞こえる、掠れた謝罪の言葉。
誠司は二度と振り返ることなく、雑踏の中へと溶けていった。
◆
その頃、脱走した高満は「白夜」と呼ばれる組織の施設に軟禁されていた。
目の前には、仮面をつけた男が立っている。
「我々の組織に入るか、死んで海に浮かぶか。
二択だ、高満」
「……拒否権なしか。
だが、俺みたいな社会的死者を拾って、何の得がある?」
「あの会見場の動画。
最後に『八咫烏』の紋章があった。
我々の仇敵だ。
そして最近、そこへ凄腕のハッカーが入った。
コードネーム、ノーフェイス」
男は机の上に、異様な威圧感を放つ“鬼の頬当て”を置いた。
「これはボイスチェンジャーと、行動支援AIが組み込まれたデバイスだ。
顔は整形して変えてもらう。
今日からお前は、この鬼の面を被る『オーガ』だ」
高満は、不気味に光る頬当てを手に取り、低く笑った。
「鬼か。
……悪くない。
八咫烏とやらに復讐できるなら、喜んで協力してやるさ」
こうして、表の世界から消された二人の男は、闇の結社という盤上で再び相まみえる運命へと引き寄せられていった。
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