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1-3 ノーフェイス誕生

 目を覚まして最初に探したのは、妻でも、この場所の意味でもない。


 絵美のことだけだった。


 だが、どこにもいない。


 白い天井を見上げながら、俺は自分がまだ生きていることを、少し遅れて理解した。


「気分はどうかね、神宮君」


 声に視線を向けると、あの刑事――大天使と名乗った男が、部屋の隅に立っていた。


「……ああ。

 そうか」


 喉がひどく渇いている。


「俺は、拾われたんだったな」


「そうだ。

 そして今日から、君は一人ではない」


 男は、黒いケースを差し出した。


 中に収められていたのは、フルフェイスサングラス型のデバイスだった。


「装着してくれ。

 君の“相棒”になる」


「相棒、ね」


 正直、期待はしていなかった。


 それでも、俺は指示に従い、デバイスを装着した。


 ◆


『――身体チェックを開始します』


 無機質な、落ち着いた男性の声。


『心拍数、脈拍、異常なし』


 ただのAIだ。


 そう思った、その直後だった。


『マスターが所持している、お守り(アミュレット)に、microSDUCカードの反応があります』


 心臓が、跳ねた。


「……何だと?」


『スロットに挿入すれば、解析可能です』


 俺は、ほとんど反射的に、胸元のお守りを開いた。


 ――入っていた。


 あの日、絵美に渡したはずのmicroSDUCカード。


 なぜ、ここに。


「……差し込め」


 刑事が静かに促す。


 俺は、震える指でカードを挿入した。


『容量は128TB。

 解析には時間を要します』


「ああ、構わない」


『解析前に、ビデオメッセージが一件あります』


 その言葉で、俺の中の何かが崩れた。


「……再生してくれ」


 ◆


 投影された映像に、絵美が映っていた。


『パパ』


 その声だけで、

 胸が締め付けられる。


『パパが無実だって証拠と、真犯人のこと、全部この中に入れたよ』


 笑顔だった。


 ――あまりにも、覚悟を決めた笑顔だった。


『誰にも渡さないで。

 パパ自身で、調べて』


 映像が途切れる。


 しばらく、誰も言葉を発さなかった。


「……なあ」


 俺は、掠れた声で言った。


「娘の声と性格を、AIに移植することは可能か」


 刑事は、即答しなかった。


「可能だ。

 だが――覚悟が要る」


「構わない」


 俺は、目を伏せたまま言った。


「解析が終わるまで、八咫烏のエージェントとして働く」


「その後は?」


「真犯人を、俺の手で裁く」


 沈黙。


「復讐は、何も生まない」


「分かっている」


 俺は、はっきりと答えた。


「それでも、何もしない選択だけは、できない」


 ◆


「コードネームを決めよう」


 刑事が言った。


「顔を隠す存在……

 “ノーフェイス”でどうだ」


「それでいい」


「位階は、天使からだ」


「試用期間ってことか」


「ああ」


 俺は、デバイスに向かって言った。


「AI。

 お前の名前は――EMIだ」


『……了解しました』


『microSDUCカード内の音声・行動傾向データを反映』


『再起動を行いますか?』


「ああ」


『再起動します。

 電源を切らないでください』


「何と言うか、PCみたいだな」


「そういうものだ」


 数分後。


 視界に文字が浮かぶ。


 《再起動完了》


「……EMI、聞こえるか?」


 一拍、間があった。


『うん。

 聞こえるよ、パパ』


 その一言で、胸の奥が、静かに震えた。


『引き続き解析を続けるね。

 少し壊れてるところもあるから、時間はかかるけど』


「……頼む」


『大丈夫。

 パパは、ひとりじゃない』


 それは、慰めではなく、確認だった。


 俺は、初めて深く息を吐いた。


 こうして――


 ノーフェイスは生まれた。


 復讐のために。


 そして、絵美を裏切らないために。


 おれは、刑事――大天使の指示で、製薬会社のイルミナに侵入し、インサイダー取引の証拠となる情報を、サーバーから抜き取る仕事を請け負った。


 パーカーにGパン、バックパックを背負い、フルフェイスサングラスをかける。


 入出用のカードは、イルミナ内部に潜んだエージェントから予備のカードを預かる。


 そして、イルミナ社内部に侵入する。


 ◆


 ――EMIの『パパ?』と言う言葉で我に返る。


 モニターはノイズが走り、現在のログ解析画面へと戻る。


 俺は、いつの間にか強く握りしめていた拳を、ゆっくりと開いた。


 爪が食い込み、掌にかすかな痛みが残っている。


「……ずいぶん、昔の話を思い出していた」


 自分でそう言って、その言葉が嘘であることを、俺自身が一番よく分かっていた。


『3分のロスよ、パパ』


 EMIが、淡々と訂正する。


「正確だな」


『必要だから』


 それだけ言って、EMIは再び沈黙した。


 慰めも、同情もない。


 だが、そこに「距離」もなかった。


 フルフェイスサングラス越しの視界には、無数の文字列とパケットの流れ。


 EMIは解析を再開する。


『パパ、解析を再開するわ』


「よし、セキュリティソフトのリバースエンジニアリングを行う。

 EMI、補助を」


『わかったわ、パパ』


 コードを復元していくと妙な郷愁感に襲われた。


「これは、俺が作ったコードだ。

 間違いない。

 あれをそのまま実装したのか?」


 モニターを眺めていると、ある文字列が目に留まった。


「……EMI、このコードは何だ?」


『パパ……これは“KITSUNEBI”という文字列ね。

 この周囲のコードだけ他のコードと浮いているわ。

 バックドアの可能性があるわね。』


「ここを重点的にリバースエンジニアリングをする、EMI補助を」


『わかったわ、パパ』


 数分後、バックドアが仕掛けられている事が分かった。


 特定のコードを、入力するとサーバーにフルアクセスできる。


「EMI、今からサーバーにアクセスする。

 アクセスと同時に、インサイダー取引のデータを取り込め」


『わかったわ、パパ』


「よし、タイミングを合わせるぞ、五、四、三、二、一」


 そして、Enterキーを、バシッと叩く。


『データ取得開始……三十%……七十%……百%、取得したわ』


「よし、侵入痕跡を消して撤退だ」


『了解。

 痕跡を消去。

 五秒待っていて、パパ』


「了解だ」


 そして5秒きっかりに、痕跡を消去したアナウンスがEMIから流れる。


「長居は無用だ。

 離脱する。

 しかし大企業なのに警備員が見回りに来ないとは」


『警備員のリストラがあったようよ。

 何でも強固なセキュリティソフトを導入したからって……あ、そう言うこと?』


「その様だ」


 そして、俺達はイルミナ社から撤退し、大天使の用意した車に乗り込む。


「首尾は?」


「バッチリだ。

 後でEMIからデータを渡す」


 そう言いながら、俺は、モニターに映るmicroSDUCカードの解析進捗バーを見る。


 ――microSDUCカード解析率、42%。


 まだ半分にも届いていない。


「……なあ、EMI」


『なに、パパ』


「俺は、正しい道を歩いてると思うか?」


 一瞬、間が空いた。


 ほんの、コンマ数秒。


 それが、EMIなりの“考える時間”なのだと、今では分かる。


『私は、正しいかどうかは判断しない』


 静かな声だった。


『ただ、パパが立ち止まらずにいられるよう、選択肢と結果を示すだけ』


 俺は、小さく息を吐く。


「……それでいい」


『うん。

 それが、私の役割だから』


 画面上で、解析バーがわずかに進む。


 過去は、もう終わった。


 だが、まだ清算はされていない。


 神宮 誠司は、死んだことになっている。


 ここにいるのは――


「行くぞ、EMI。

 次の仕事だ」


『了解』


 ――ノーフェイス。


 その呼び名を、俺は胸の奥で反芻した。


 こうして、俺とEMIは――


 再び、“現在”へと歩き出す。

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