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だれも望まない世界

作者: 南蛇井
掲載日:2026/02/06

王子は、朝から胃が痛かった。


断罪式典の段取り表を眺めながら、彼は何度目かわからないため息をつく。

赤いインクで囲まれた文字――

「悪役令嬢レイア、断罪」


「……なぜ?」


それが王子の率直な疑問だった。


レイアは確かに少し口調が強い。

表情も柔らかとは言いがたい。

だがそれだけで人生を断罪されるほどの罪を犯しただろうか。


彼は昨日も侍従に聞いた。


「本当に彼女は、ヒロインに嫌がらせを?」


侍従は困った顔で答えた。


「いえ、書類上はそうなっておりますが……実際には、リリアナ様が転びそうになったところを支えておられましたし、ドレスも褒めておられました」


「……それを、なぜ“陰湿な妨害”と?」


「……イベントですので」


王子は頭を抱えた。


ヒロイン、リリアナもまた、納得していなかった。


「断罪、ですか?」


彼女はそう聞き返し、しばらく沈黙した。


レイアは怖い顔をしているが、怖いことは一度もしたことがない。

むしろ、社交界の立ち回りを教えてくれた恩人ですらある。


「私、あの人に助けられてばかりでした」


侍女は気まずそうに目を逸らした。


「ですが……物語では、そういう役割ですから」


「役割……?」


リリアナは首を傾げる。


「誰の物語なんですか?」


その問いに答えられる者はいなかった。


そして、当の本人――悪役令嬢レイア。


彼女は荷造りをしながら、淡々としていた。


「辺境送り、ですか」


使用人が恐る恐るうなずく。


「申し訳ありません……本当は、皆様……」


「いいのよ」


レイアは小さく笑った。


「この国は、どうやら“そういう流れ”らしいわ」


「お嬢様は、悔しくないのですか?」


レイアは少し考えてから答えた。


「悔しいというより……不思議ね」


誰にも恨まれていない。

誰にも憎まれていない。

それなのに、罰だけが予定通りにやってくる。


「世界の都合、というやつかしら」


彼女はそう言って、鞄を閉じた。


断罪当日。


式典は驚くほど静かだった。


民衆は盛り上がらず、貴族たちは目を伏せ、王子は顔色が悪い。

ヒロインは今にも泣きそうだった。


「では……悪役令嬢レイア、辺境へ――」


司会役の声も、どこか歯切れが悪い。


レイアは一礼し、振り返る。


「皆様」


誰もが身構えた。

最後の悪あがみか、怨嗟の言葉か。


しかし彼女は、穏やかに言った。


「どうか、お元気で」


それだけだった。


馬車が走り去ったあと、王子はぽつりと呟いた。


「……誰も、望んでいなかったな」


リリアナも小さくうなずく。


「ええ。でも、起きてしまいました」


沈黙が落ちる。


まるで、脚本だけが一人歩きして、登場人物が置いていかれたような世界。


誰かが苦笑した。


「次は、何が起きるのでしょうね」


誰にも答えはわからなかった。


ただ一つ確かなのは――

この断罪を、心から喜んだ者は、誰一人いなかったということだけだった。

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