だれも望まない世界
王子は、朝から胃が痛かった。
断罪式典の段取り表を眺めながら、彼は何度目かわからないため息をつく。
赤いインクで囲まれた文字――
「悪役令嬢レイア、断罪」
「……なぜ?」
それが王子の率直な疑問だった。
レイアは確かに少し口調が強い。
表情も柔らかとは言いがたい。
だがそれだけで人生を断罪されるほどの罪を犯しただろうか。
彼は昨日も侍従に聞いた。
「本当に彼女は、ヒロインに嫌がらせを?」
侍従は困った顔で答えた。
「いえ、書類上はそうなっておりますが……実際には、リリアナ様が転びそうになったところを支えておられましたし、ドレスも褒めておられました」
「……それを、なぜ“陰湿な妨害”と?」
「……イベントですので」
王子は頭を抱えた。
ヒロイン、リリアナもまた、納得していなかった。
「断罪、ですか?」
彼女はそう聞き返し、しばらく沈黙した。
レイアは怖い顔をしているが、怖いことは一度もしたことがない。
むしろ、社交界の立ち回りを教えてくれた恩人ですらある。
「私、あの人に助けられてばかりでした」
侍女は気まずそうに目を逸らした。
「ですが……物語では、そういう役割ですから」
「役割……?」
リリアナは首を傾げる。
「誰の物語なんですか?」
その問いに答えられる者はいなかった。
そして、当の本人――悪役令嬢レイア。
彼女は荷造りをしながら、淡々としていた。
「辺境送り、ですか」
使用人が恐る恐るうなずく。
「申し訳ありません……本当は、皆様……」
「いいのよ」
レイアは小さく笑った。
「この国は、どうやら“そういう流れ”らしいわ」
「お嬢様は、悔しくないのですか?」
レイアは少し考えてから答えた。
「悔しいというより……不思議ね」
誰にも恨まれていない。
誰にも憎まれていない。
それなのに、罰だけが予定通りにやってくる。
「世界の都合、というやつかしら」
彼女はそう言って、鞄を閉じた。
断罪当日。
式典は驚くほど静かだった。
民衆は盛り上がらず、貴族たちは目を伏せ、王子は顔色が悪い。
ヒロインは今にも泣きそうだった。
「では……悪役令嬢レイア、辺境へ――」
司会役の声も、どこか歯切れが悪い。
レイアは一礼し、振り返る。
「皆様」
誰もが身構えた。
最後の悪あがみか、怨嗟の言葉か。
しかし彼女は、穏やかに言った。
「どうか、お元気で」
それだけだった。
馬車が走り去ったあと、王子はぽつりと呟いた。
「……誰も、望んでいなかったな」
リリアナも小さくうなずく。
「ええ。でも、起きてしまいました」
沈黙が落ちる。
まるで、脚本だけが一人歩きして、登場人物が置いていかれたような世界。
誰かが苦笑した。
「次は、何が起きるのでしょうね」
誰にも答えはわからなかった。
ただ一つ確かなのは――
この断罪を、心から喜んだ者は、誰一人いなかったということだけだった。




