第一章 第九話 「旅立ち」
「ここならハイメも喜ぶわね」
ハイメの亡骸は、五大英雄の像の正面にある花畑、その中心に埋葬することにした。
村の人々もまた、ハイメの死を深く悼み、嘆き、悲しみに沈んでいた。
彼らも、埋葬にはぜひ立ち会いたいと強く願い出ていたが、村長が気を利かせ、最後の別れはティアとアラトの二人きりで行えるよう取り計らってくれた。
「……本当に安らかな顔」
ティアはそう呟き、棺桶の中で静かに眠るハイメの頬に、そっと指先を伸ばす。
「じゃあ、そろそろお別れしないと」
「……そうだね」
アラトは棺桶の蓋を両手で持ち上げ、足元から腰、胸へと、ゆっくりとスライドさせていく。
その動き一つ一つが、別れを実感させるようで、胸が締め付けられた。
ハイメは、言葉で教えるよりも背中で示す人だった。
多くを語らず、時に放任とも取れる距離を保ちながら、それでも決して見捨てることはなかった。
迷った時には必ず前に立ち、行く先を照らす灯りであり続けてくれた。
共に過ごした時間は一年にも満たない。
それでも、アラトにとっては、何ものにも代えがたい大切な日々だった
「クソ……もう泣かないって決めたのに」
ハイメとの記憶が胸に溢れ、堪えていたものが決壊する。
視界が滲み、熱い雫が頬を伝った。
「さようなら、先生」
パタン、とそれは棺の蓋が閉じる音であると同時に、彼女の人生の幕が静かに下ろされる音だった。
土を掬い、優しく、丁寧に棺の上へとかけていく。
一握りごとに、別れが現実のものになっていく。
ハイメがどのような人生を歩み、何を成し遂げてきたのか、アラトは詳しく知らない。
それでも、彼女が多くの命を救い、尊敬され、慕われてきた存在であることだけは、確かだった。
そんな彼女が最後に残したものは──
「こんなところにいた」
不意に背後から声をかけられ、アラトは肩を震わせた。
反射的に顔を伏せ、涙の跡を見せまいと乱暴に袖で拭う。
「……まだいたのか、クロエ」
振り返ると、長い黒髪の少女、クロエがいつもの無機質な表情で立っていた。
感情の読めない黒い瞳が、静かにこちらを捉えている。
「そんな言い方しないの」
ティアにたしなめられ、アラトは不満を押し殺すように口をへの字に結び、黙り込んだ。
クロエが救援に来なければアラト達は、未練も後悔も残さず、あの場で木っ端微塵に消し飛ばされていた。
感謝していないわけではない。
ただ、今このタイミングで現れたこと、その無遠慮さというか、空気の読めなさが、どうしても神経を逆撫でする。
「で、なんだよ。俺のこと、まだ魔物だと思ってるなら……いい加減うんざりだ」
アラトの棘のある言葉に、ティアは肘で小突く。
ハイメが死んだのはクロエのせいではない。
助けがもう少し早ければ、なんて馬鹿みたいな仮定を持ち出す気もない。
ただ、今は静かな悲しみに浸っていたいだけなのに、彼女の存在がノイズになっている。
「あなたのことはもう魔物だと思っていない」
クロエは静かに言った。
「あの時は……ごめんなさい」
艶やかな黒髪を揺らし、ぺこりと頭を下げる。
あまりに素直な謝罪に、身構えていたアラトは拍子抜けしたように目を瞬かせた。
「あ、ああ……わかればいいんだよ」
気まずさをごまかすように、アラトは咳払いを一つする。
「で、何の用だ。まさか謝りに来たってだけじゃないだろ?」
「ええ。じゃあちょっと両手を上にあげてくれる?」
「え、なんで?」
「いいから」
空虚な瞳に見つめられ、アラトは言い返す言葉を失い、仕方なく言われるがまま両手を上にあげバンザイの姿勢をとる。
クロエは白い指先を顎にあて、小さくこくっと頷いた。
次の瞬間、ぐい、と視界が反転した。
「……は?」
気づけば、クロエはアラトを肩に担ぎ上げていた。
まるで米俵でも持ち上げるかのように。
「よし。それじゃあ行きましょう」
「オーケー相棒────じゃねえよ!!」
慌てて叫ぶ。
「流石あんな大剣を振り回すだけの力がある訳だな!?こんな大胆な人攫い見た事ねえよ!」
両手両足をばたつかせ、必死に抵抗する。
しばらく無言で耐えていたクロエだったが、やがて観念したのか、アラトを地面に降ろした。
「……一体何なんだよお前」
肩で息をし、ぜえぜえと呼吸を整えるアラト。
一方クロエは、息一つ乱さず、不思議そうに首を傾けている。
「あなたは私とパーティーを組むの。ハイメ様から聞いていない?」
「聞いてない。本当に先生がそう言ってたのか?」
クロエは、ほんの僅かに間を置いてから、こくっと小さく頷いた。
彼女とは、これまで数えるほどしか言葉を交わしていない。
だがその短い付き合いの中で分かることがある。
クロエは、良くも悪くも正直だ。
嘘をついたり、誤魔化したり、相手の反応を見て言葉を選ぶタイプではない。
彼女が「ハイメがそう言った」と言うなら、それは事実なのだろう。
──だとしても。
なぜ、パーティー殺しの異名を持つクロエなのか。
ハイメに問い詰めたいが、今となっては確かめるすべもない。
「少し待ってくれ」とクロエに告げ、ティアに視線を移す。
「ティア、俺が授かったこの力の意味について少し考えたんだ」
黒骸骨の男、アルディアの一撃を防いだ光の力。
無我夢中で、あの時のことはよく覚えていないが、元からあった手足のように、無意識に呼吸をするように、この力を扱えた。
この力が神から与えられた権能だとしたら、なぜ魔力が無いアラトに扱えるのか。何のためにこの力を授かったのか。疑問は尽きない。
不可解な力だが、それでも授かった意味についてアラトなりに出した答え。
「俺は本格的に冒険者として生きていく。ハイメの言葉通りこの力を誰かを助けるために使いたい。それと──」
これはハイメが望んでいることでないのはわかっている。
けれど、ハイメの弟子としてケジメをつけなくてはいけない。
「あの黒骸骨をぶっ倒す」
ティアはそっと視線を落とし、足元に揺れる影を見つめた。
その表情に一瞬だけ柔らかな迷いが滲み、やがて覚悟を決めたように、穏やかな声で口を開く。
「アラト、あの人が……アルディアが憎い?」
「そりゃ憎いよ」
即答だった。
「あいつは先生の弟子だったんでしょ?だったら先生が成してきたことも全て理解してるはずだ。先生は、自らの弟子に手をかけられて死ぬなんて……やりきれないよ。あいつを八つ裂きにしてやりたい。けどね──」
アラトの脳裏に、ハイメとアルディアの戦いの光景がよみがえる。
「先生はあいつを恨んでない。むしろ弟子に殺されて本望だって言わんばかりの満足そうな顔をしてた」
剣を交える最中、ハイメはどこか楽しそうだった。
弟子の成長を、心から喜んでいるように見えた。
「先生にとっては、あの黒骸骨も俺も、同じバカ弟子なんだろうな」
アラトは自嘲気味に、ふっと笑う。
「だから俺が復讐に走っても、先生は喜ばない。まあ、呪いでそもそも殺せないんだけどさ」
肩をすくめる。
「でもさ。ボコボコにして、墓の前まで引きずって、土下座くらいはさせる。その後に理由を聞く。それくらいは、許されるだろ?」
アラトの意気込んだ姿を見て、ティアは安心したように柔らかく笑う。
「そうね。その時は私も加勢するわ」
ティアはぎこちない動きで、シャドーボクシングの真似をする。
「ティア、俺行くよ。先生と稼いだ金も少しあるし、レイストリアに拠点を構える」
口に出してみて、ようやく実感が湧いた。
この村を出るということ。
ハイメと過ごした日々に、きちんと背を向けるということ。
冒険者として本腰を入れて生きていくには、ピンケット村はあまりに穏やかすぎる。
優しくて、温かくて、だからこそ、ここに留まり続ければ、前へ進めなくなる。
村を出るのが、最善だ。
分かっている。分かっているが、それでも胸の奥が少しだけ痛んだ。
「寂しいけど、可愛い子には旅をさせよって言うしね。母親としては心配だけど……」
そう言いかけてから、ふと思い出したように言葉を切る。
「あっ、そういえば──」
糸のように細めていた目を、わざとらしく睨む。
頬をぷくっと膨らませ、拗ねた少女のような顔になる。
「ハイメに最愛の母親って言ってたけど、私は違うの?」
その問いに、アラトは一瞬だけ目を瞬かせた。
そして、少し照れくさそうに、けれど迷いなく答える。
「何も最愛の人は一人だけとは限らないでしょ。ティアも俺にとって最愛の母親だよ」
その瞬間、ティアの目がぱっと輝いた。
感嘆の声を上げる間もなく、ぎゅっとアラトを抱きしめる。
「行ってらっしゃい。たまには顔を見せに帰ってきなさい」
抱きしめる腕は細いが、驚くほど温かい。
アラトは一瞬だけ身を委ね、それからそっと離れた。
振り返れば、きっとまた足が止まってしまう。
名残惜しさを振り切るように歩き出し、アラトはクロエのもとへ駆け寄った。
「これからよろしくな相棒」
「まだパーティー申請してないから、相棒じゃない」
即座に返され、思わず足がもつれる。
前につんのめりそうになるのを堪え、アラトは苦笑した。
「……先が思いやられるな」
「事実を言っただけ」
淡々とした返答。
相変わらず感情の起伏は薄い。
だが、それでもいい。
不安はある。
恐怖も、迷いも、山ほどある。
それでも──立ち止まらないと決めた。
二人は並んで歩き出す。
目指す先は、防壁都市レイストリア。
喪失を胸に抱いたまま、それでも前へ。
一歩ずつ、確実に。




