第一章 第七話 「黒雷」
全身を叩きつける衝撃。 転がり、木の根に肩をぶつけ、最後に地面に叩きつけられる。
「……っ、あ……ああ……!」
右腕がありえない角度に折れていた。 骨が軋む音が耳の奥で響く。
痛い。叫びたい。 けれど──声が出ない。それでも、足は動いた。 後ろからレッサーウルフの遠吠えが聞こえる。
アラトは森の中をよろめきながら進み、大きな倒木の影に身を潜めた。
荷馬車の方はハイメがいるので無事なはずだ。問題は自分自身。どうにか合流しなければ。剣も満足に握れない手負いの状態で孤立するのは危険すぎる。
今ある持ち物は商会の積荷とボロボロの剣。それと冒険者協会から支給される初心者入門セットのひとつ、緊急彩煙弾。
危機に瀕した時、近くの冒険者に知らせる狼煙を上げることができる。
直ぐにでも使用し、ハイメに助けを求めたいが、近くの魔物に気づかれる可能性が高い。
レッサーウルフを遥かに凌駕した体格のハイウルフ。今まで出会った魔物の中で別格の威圧感を放っていた。
奴が近くにいる現時点では控えるべきだろう。
ふと、気配がした。
カサ……カサ……
草を押し分ける小さな影。 緑色の肌。黄色い瞳。 小柄な体に粗末な布──ゴブリン。左腕には赤い腕章をしている。
アラトは息を殺し、震える左手で剣を握った。
脳裏にあの日の光景が蘇る。
幼い少女を噛み殺した魔物を。
抑えきれないほどの殺意が溢れ出てくる。呪いがなんだ。刺し違えてでも殺してやる。
アラトは剣を強く握りしめる──がゴブリンは武器を構えなかった。 ゆっくりと近づき、アラトの折れた腕を見て、小さく頷き笑顔を見せてきた。
「そう警戒しなさんな」
「…な……」
「怪我を見せなさい。治そう」
理解が追いつかないまま、ゴブリンはアラトの身体を隅々まで調べる。
「ふむ。右腕以外は大した傷じゃないな。腕を出しなさい」
言われるがまま、アラトは折れた右腕を差し出す。
ゴブリンがアラトの腕に手を当てると、緑色の光が溢れ出す。
「痛みが引いていく……」
「ほれ、もう治ったぞ」
アラトは右手を握ったり閉じたりして、正常に動作しているか確認する。
「あんたは一体……」
「話は後じゃ。狼共が近くにいるからな」
ゴブリンはアラトを背中で押すようにして歩かせ、森の奥へと案内した。 やがて、薄暗い洞窟の入り口が見えてくる。
「ここ……住んでいるのか」
内部は思ったより広く、壁には乾燥させた薬草や木の実が吊るされていた。 足元には干し肉や獣の皮もある。まるで、小さな村みたいだ。
他にもゴブリンが暮らしているのかと思ったが、気配は静かすぎた。 このゴブリン以外の姿はない。
「ここにはわし一人で住んでいる。まあ座ってくれ」
アラトは地面に敷いてある干し草に座り込む。
「あの、さっきはありがとう……あんたはゴブリンだよな?」
「見ての通り」
「なぜ人である俺を助けてくれたんだ?」
「苦しんでる者に人も魔物も関係ない。医術の神から権能を授かった者として、怪我人を放っておくことは出来ん」
魔物は人の敵で討伐対象。そしてゴブリンはアラトにとって最も憎むべき存在。
レイラが殺されたあの日から心の底に深く根付いている。
このゴブリンは何か企みがあるんじゃないかと疑ってしまう。
「腑に落ちない様子じゃな」
「……」
「ゴブリンと人が争う事の方が通常じゃ。だからわしを信用せずとも良い。ただ──」
少しの沈黙の後、ゴブリンは柔らかく微笑みアラトの肩に手を置く。
「何が正しいかは自分で決めなさい」
その目は、どこか寂しげだった。
◆◆◆
日が暮れる頃、外で不気味な声が上がった。
──グルルルルル……。
低く湿った唸り。
「狼共が近づいてきておるな…」
「ちょっと外を見てくる」
アラトが斥候役を買って出ると、ゴブリンは「わしも行く」と立ち上がる。
洞窟の外へ近づくと、複数の影が木々の間をうろついているのが見えた。
その数は──八、いや十はいる。そして他とは際立つ巨大な影──ハイウルフだ。
「なんで……こんなに集まって……」
アラトが言葉を飲み込むと、ゴブリンはアラトの背負っていた積荷の箱を指さした。
「それを開けてみよ」
依頼者の物を無作法に覗き込むのは気が引けるが、アラトはゴブリンの指示通り箱を開ける。 中には黒い粉末の袋がぎっしり詰まっていた。
「薬……か?いや、これは……」
鼻を近づけると、異様な刺激臭がする。 血の匂いに混じった、腐った甘さ。
「麻薬じゃ」
ゴブリンは忌々しそうに箱の中身を睨みつけ、顔を背ける。
「近頃、魔物が徒党を組み凶暴化してると聞いておる。これのせいでな」
「……商会はなんでそんなものを」
そのときだった。
ヴォオオオオオォン──!
身体中の骨が震える程の轟音。土が落ち、天井から小石がぱらぱらと零れる。
「考える時間もくれないか」
「……奴らは鼻が利く。理由はわからんが、狙いは恐らくこれじゃ。麻薬の臭いを辿ってきたようじゃの」
ゴブリンは静かに腰を上げ、麻薬の入った箱を持ち、洞窟の外へと足を踏み出す。
「おい、どこへ行くんだ!?」
「どの道ここにいても袋小路。わしが囮になる」
ゴブリンは左腕の腕章を震える手でギュッと掴む。
「……なんでそこまで俺のために」
「君のためじゃない……。わしは正しいと思う道を歩みたいだけじゃ」
ゴブリンは小さな足取りで、前に進む。
弱々しく、今にも折れそうな背で。彼は決死の覚悟でアラトを守ろうとしてる。
狼達の狙いは恐らく麻薬。ゴブリンが上手く注意を引けば、その隙に離脱できるかもしれない。
不殺の呪いを持つアラトが加勢行ったところで、蹂躙される結果は変わらない。ゴブリンの提案に甘え、このまま逃げるのが最善だ。
だけど──
アラトはそこまで割り切れるほど大人ではなかった。
「俺が囮になる」
洞窟の外へ出て、アラトはゴブリンに申し出る。
「何を言っている。わしは老い先短い。君が逃げなさい」
「……俺が歩んでる道が正しいかなんてわからない。だけど──」
複数のレッサーウルフ、その中心にいるハイウルフを前に高らかに叫ぶ。
「恩人を見捨てて逃げるのは誤った道だ」
ゴブリンは緊張の紐が解けたように、小さく笑う。
「名を教えてくれないか?」
「アラト。あんたは?」
「ガルム」
レッサーウルフが開戦の遠吠えをあげ、飛びかかってくる。
『癒しを切望する者に救いを与え、痛みを渇望する者に制裁を下す。苦痛を祓い続けた癒し手は死を拒絶するに至る。我に顕現せし力の奔流── 其は医術の神』
アラトの身体に暖かな翠緑の光が纏わりつく。
「暖かい…」
「アラト、君が傷ついてもわしが瞬時に回復する。臆するな。共に戦おう」
「ありがとう、ガルム」
アラトは剣を抜き、向かってくるレッサーウルフに振るう。
奴らの弱点は鋭敏な鼻だ。神経が集まってる鼻先に剣の平地を思いっきりぶつける。
左横から新たなレッサーウルフが現れ、腕に噛み付く。
ガルムは直ぐさま、アラトの腕を回復する。
怯まないアラトにレッサーウルフは困惑した様子で固まったことから、即座に剣で薙ぎ払う。
何度もレッサーウルフの猛攻を受けるが、その度ガルムが治し、アラトが攻撃を仕掛ける。
ガルムがいなければ、数度死んでいる。
何とか捌けてる──が懸念は奥で様子を伺うハイウルフだ。
「高みの見物ってわけか、あの野郎」
レッサーウルフはアラトのゾンビ状態に恐れをなして、攻撃の手が緩む。
それを見たハイウルフは群れを叱責するかのように咆哮を轟かせ、王者の威圧を纏ったまま、ゆっくりと歩み出る。
「中々の使い手だな、ゴブリン。人の子も鉄の塊一つでよくやっている」
ハイウルフは鋭い牙を剥き出しにして、獣の唸りと笑いが混じったような音を漏らす。
「……喋れんのかよ」
アラトはガルムを背に、震える手で剣をハイウルフに向ける。
「白賢狼、なぜ一族の長たるお主がこのような場所にいる」
「何処かで相見えたか……ああ、その赤い腕章。境界なき治癒団の者か」
「……目的はなんじゃ」
「人間共がもたらしている毒の排除」
ハイウルフはギロリと大きな黄色い目玉でアラトを睨みつける。
「そして、それをもたらした貴様も私の敵だ」
ハイウルフは咆哮を上げ、アラトに噛み付こうと顎を開ける。
「待て待て待て!俺は積荷の護衛をしただけだっ。中身のことは知らない──って聞いてねえ!」
アラトは横に倒れ込み、回避行動を取る。
牙が背を掠めたが、大事には至ってない。
「アラト!上じゃ!」
倒れたアラトに向かってハイウルフの前腕が伸し掛る。
「ぐがぁっ!!」
肺が圧迫され、肋が嫌な音を立てながら軋めく。
「そのまま潰れろ」
更に加重され、息をするのもままならない。
「やめろ賢狼!」
ガルムがハイウルフの前足を叩くが、微動だにせず、ガルムの悲痛な叫び声が森に響き渡る。
意識が朦朧とする中、涙で濡れるガルムが視界に入る。
俺は死んでも構わない。だけど───出会って間もない人間に涙を流すこの優しきゴブリンだけはどうか助けてください。
どうか───
アラトの願いに応えるように木々の間から、音もなく影が落ちる。 艶やかな長い黒髪に光を飲み込む漆黒の瞳。 大剣を片手に、淡々と佇む少女。
「……クロエ……?」
アラトが名前を呟くと、少女はちらりと目だけを向けた。
「おい、お前達」
ハイウルフがレッサーウルフに呼びかける。
「少し待っていて」
クロエは一言そう言うと、漆黒の大剣を肩に担ぎ、ゆっくりとレッサーウルフの群れへ足を踏み出した。
その背中は──たった一人なのに、群れよりも圧倒的に大きく見えた。
そして、次の瞬間。
森に赤い弧がいくつも描かれた。クロエが動いたかどうかすら見えない。 ただ、魔物たちの身体が次々と宙を舞い、木々へ叩きつけられていく。
圧倒的で、静かな蹂躙。
「残りはあなただけ」
クロエの周りから、黒い火花が弾ける。
「……黒い雷」
黒い稲妻はまるで発光する墨で描いたように、宙に伝播する。
「小娘、そうかお前が明墨の英雄か」
クロエの大剣が黒い雷光を帯び、空気が震えた。
ザシュ────
斬撃は音より先にハイウルフを切り裂いた。 クロエが大剣を振るう度に黒雷が弾け、視界に黒い線が走る。
「早いな、小娘……!」
「致命傷を与えたつもりだけど……。強いね貴方」
ハイウルフが怯んだ隙に、ガルムはアラトの身体を引きずり戦線から離脱する。
「アラト、今治療をする!」
「……これがハイメと同じ一等級冒険者の力。圧倒的だな」
クロエは再び自身の上背程ある大剣を構える。
「……英雄と対峙するには分が悪いか」
ハイウルフは血を滴らせながら、一歩、また一歩と後退する。
「逃がすと思う?」
クロエは即座に、大剣をハイウルフに切り込む──が煙のようにその白毛の胴体が霧散する。
あたりは霧が立ち込み、視界が濁る。
「生憎私の本分は隠す事にあるのでな。さらばだ英雄」
ハイウルフの声がこだまのように反響し、次第に霧が晴れていく。
「逃げられた」
クロエは大剣を地面に突き刺し、名残惜しそうに視線を下げる。
「どうじゃアラト」
「凄いよガルム。全然痛まない」
アラトは立ち上がり腕や足を伸ばしガルムの治癒の効果を確かめ、クロエに視線を移す。
「あの、クロエでいいんだよな。助かった。ありがとう」
「……別にたまたま近くにいたから」
クロエは表情を一切変えず、淡々と言葉を放つ。
「──ところで」
クロエは大剣をガルムに突き向ける。
「そのゴブリン、殺さないの?」
「まてまて、ガルムは敵じゃない!」
慌ててアラトはクロエとガルムの間に割って入る。
クロエは無表情のまま、きょとんと首を傾げる。
「ゴブリンは敵。もしかしてあなた魔物なの?」
バチッ、と小さな音を立てクロエの大剣から黒い稲妻が漏れ出す。
アラトは恐怖心から無意識に剣を構える。
「私に剣を向けるということは図星だったってこと?」
「そんな殺気を向けられたら誰でも身構えるわ!」
どうやら雷を操る彼女は話が通じないらしい。
クロエの戦闘能力ならハイウルフとの一戦で垣間見えた。
逆立ちしても勝てる相手では無い。剣技は勿論、黒い電撃も操る。真っ向から戦って無力化し、説得する時間は作れない。
ならば───
「ガルム、俺が時間を稼ぐから逃げてくれ!」
ガルムはアラトの言葉に躊躇い、その場に踏みとどまる。
「狙いはゴブリンであるガルムだ。だからあんたがこの場にいたら邪魔なんだ。さっさと逃げてくれ!」
「じゃが──」
「恩人を死なせたら後悔してもしきれない!早くしてくれ!」
「……わかった。アラト、何処かでまた会おう」
ガルムは振り向き、森の中へと走り出す。
クロエが追撃しようと迫るが、アラトが剣を振りかざしそれを阻む。
「そう。死にたいのねあなた」
クロエの身体中に黒い雷が纏わりつく。
そして大剣を天にかがげ、更に電撃を溜めていく。
「そこまでだ」
アラトが死を覚悟した瞬間、白いローブを着た銀髪の女性がふわりとポニーテールを揺らし、二人の間に降り立った。
「灯火の英雄……ハイメ様」
「剣を下ろせ明墨。私のバカ弟子を黒焦げにする気か」
「…先生!」
クロエは掲げた大剣を下ろし、地につける。
「無事だったか」
ハイメは安堵の表情を浮かべ、アラトに近づく。
「先生も無事で良かったです」
「私を誰だと思っている」
手刀でアラトの頭を軽く叩く。
「先生……、商会が運んでいた物って」
「わかっている。魔物の理性を奪い、依存させる麻薬」
「なぜそんなものを……」
「護衛していた商会の連中は食物類と聞かされていたらしい。あらゆる組織や人を介し、大元をはぐらかす。ありふれた手口だが、効果的だ。中枢にたどり着くのは困難だろう」
どんな意図で、魔物用の麻薬を運搬したのかは不明だが、何にせよロクな考えじゃない。
「それよりなぜ明墨の英雄と敵対していた?」
「それはこいつが──」
アラトはガルムとの出会い、ハイウルフとの戦闘、クロエが救援に来てくれたことについて説明する。
「私は魔物を殺そうとしただけ」
「だからガルムは敵じゃないって──ああもう疲れた」
何度同じ説明をしても、杓子定規なクロエには一切効果が無く徒労に終わってしまう。
「もう行きましょう先生」
「待って、あなたも魔物なんでしょ」
「違うわ!」
「あのゴブリンを庇うってことは、つまりあなたも魔物であることの証拠」
「なんだそのガバガバ推理!」
ジリジリ迫ってくるクロエをハイメが静止する。
「とりあえずこの魔物は私が引き継ぐ。それでいいな明墨の英雄」
ハイメも説明を諦めたのか、適当な言葉でクロエを言いくるめる。
「ハイメ様がそう言うなら」とクロエは引き下がり、少し残念そうに俯く。
「こんなのが一等級冒険者……。まあ助けてくれたのは感謝するけど……」
「ひとまず商会員と合流して、その後協会に報告だ。行くぞ」
何処か寂しげにこちらを見つめるクロエに向かってアラトは舌をべっと出し、下まぶたを指で引き下げてみせた。
これまでの行いへのささやかな仕返しだ。
だがクロエは挑発されたことにすら気づいていない様子で、ただ「?」とでも言いたげに、きょとんと小さく首を傾げたまま立ち尽くしている。
その拍子抜けする程の間の抜けた姿は、〝パーティー殺し〟という禍々しい異名からはあまりにかけ離れていた。




