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不殺の英雄  作者: 金木優
第一章 灯火の英雄
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第一章 第六話 「ハイウルフ」

 ハイメのように、とまではいかない。

 だけど目の前の誰かを救えるくらいには強くなりたい。

 冒険者協会に隣接している室内用訓練施設。

 磨き込まれた木の床が朝日の淡い光を返す。

 一見して、アラトが親しみ慣れた剣道場のような訓練場だ。

 アラトは、その真ん中にぽつんと立っていた。


「さて、君は冒険者としてこれから生きていく──相違ないな?」


 ハイメは木剣を肩に乗せ、アラトに確認する。


「はい…。少しでも強く…強くなりたいです」


 アラトはあの日の光景を思い出す。血塗られた小さな手を必死に握りしめたあの悲劇の光景を。


「ああ。そこで冒険者として避けては通れない特異な力について君に教示しよう」

「特異な力?」

「知っているだろう?私には全てを見通す力があること。この力は神から与えられる権能というものだ」

「権能……」

「そう。権能とは神から与えられる特異な力。炎を放つだの重力を操るだの、それは神によって様々な権能が与えられる。私の力は、知恵の神アテナから与えられた物だ」


 アラトは気持ちが僅かに昂る。

 元いた世界とは違う原理や法則。魔法や魔術は衰退したと聞いて期待はせずにいたが、炎や水を操り敵を倒してみたいとは密かに思っていた。

 

「神殿とかに行ったりすれば貰えるんですか?」

「いや、神によって違う。血筋で与える神もいるし、人格に惹かれて与える神もいる」


 異世界から転移した人間なんて、古今東西探したってそういるものでは無い。アラトは平凡な人間だが、それだけで希少価値はあるだろう。

 なんなら神様の為に全裸で一発芸を披露したっていい。気に入って貰って、スーパーウルトラなチート能力を手に入れたい。


「俺もその権能を与えられればもっと強くなれるって訳ですね!」

「まあ、その……なんだ」


 ハイメはバツが悪そうに銀色の瞳を右往左往し、「着いてこい」と手招きした。



◆◆◆


「これは魔力観測石、その名の通り魔力量を測る」


 受付場の一角。人の背丈ほどある台座の上に、淡い青光を帯びた半透明の宝珠がいくつも並んでいる。

 内部では光がゆっくりと脈打つように揺らめき、まるで生き物の呼吸を映しているかのようだった。

 

「魔力…ですか?」

「そう。人や魔物が内包する神秘のエネルギー。古来は魔法や魔術を行使するのに使っていたものだが、今では権能を操る為の源になる」


 そう言って、ハイメは観測石にそっと手を当てた。

 次の瞬間、宝珠は目が眩むほどの強い輝きを放つ。


「…すげぇ」

「魔力の内包量が多い程、輝きは増していく。権能を授からなくても、魔力は身体能力の強化に応用できるので、量が多くて損はない」


 ハイメは「測ってみろ」と短く顎をしゃくる。

 促され、アラトは観測石の前に立つ。

 アラトは緊張で生唾を飲み込み、手を当てる。受験の合格発表のソワソワ感というか、告白した時の返事を待つドキドキ感というか、期待と不安が入り交じった変な感じだ。

 神様から呪われているくらいだ。きっと内包魔力量が半端じゃなく、危険視されているに違いない。

 溢れんばかりの光が放たれるのを構え、アラトはぎゅっと目を瞑る。


「……あれ?」


 恐る恐る目を開けると、そこには先ほどと変わらぬ姿で佇む観測石があった。

 淡い青光は静かなまま、脈動ひとつ見せない。

 拍子抜けするほどの沈黙が、その場に落ちていた。


「皆無だな」

「え?」


 ハイメの即答に、アラトは思考が一瞬止まった。


「魔力が全くない。こんな奴は初めてだよ」

「……魔力が多すぎて壊れたとかじゃ?」

 

 ハイメはこれみよがしに観測石に手を当てると、宝珠は無情にも、先ほどと同じ眩い光を放ち、周囲を白く照らす。


「……そうですよね。異世界から来た俺に魔力なんてあるはず無いですよね…。でも期待しちゃうじゃないですかこんな王道展開。てかあんたの権能なら俺の魔力量ぐらいわかってたでしょ!!」

「実際に体感して欲しくてな」

 

 悪びれもせず言い切るハイメに、アラトはぐっと言葉を詰まらせる。


「そんじゃあれですか!?権能を手に入れても魔力が無ければ……」

「ああ。扱えない」

「マジか……」


 頭の中で何かが音を立てて崩れていく。

 神様、どんだけ縛りを科すんですか。なんかそんなに悪いことしました?

 アラトは力なく窓の外へ視線を向ける。

 抜けるような青空が、皮肉なほど綺麗だった。


「さて」


 その空気を断ち切るように、ハイメが手を打つ。

 

「自分の置かれている状況がどんなに困難を極めてるかわかったところで鍛錬を始めるか」

「……はい」


◆◆◆


 実戦経験を養うべく、アラト達はレイストリアに拠点を置き、軽い依頼をこなしていくことにした。

 レッサーウルフのような弱い魔物、時にはオークやハーピーといったベテラン冒険者が対峙する魔物とも刃を交えた。

 ハイメとの剣術稽古も怠っていない。

 呪いの制約から、守る事に特化した剣術を指南してもらった。

 相手の攻撃を躱し、受け流す剣術。ハイメのように流れるような所作には到底及ばないが、実践で扱える程度には形になった。

 ハイメのように強くなりたいとアラトは必死にその背を追いかける。

 だが、数々の依頼をこなすうちにある疑念が生まれた。

 ハイメは決して魔物を殺さなかった。

 後にも先にもハイメが剣を振るったのを見たのはあの時だけだ。

 休息を取るため、ピンケット村に戻った際にアラトは思わずティアに愚痴をこぼしてしまう。


「ねえ、ティア。ハイメは魔物を殺そうとしないんだ。こないだも……、ゴブリンの依頼があったんだけど、一匹も殺そうとしなかった。俺はゴブリンが憎いよ。小さな女の子を目の前で殺されたんだ。今でも夢に見る」

「……そう」

「俺には無いけど、ハイメにはその力がある。予め奴らを沢山殺しておけば、悲劇は減らせるはずだ」


 吐き出すように言った言葉のあと、静寂が落ちた。

 ティアは視線を落とし、指先を止めたままじっと考え込む。


「……ハイメはね」


 ゆっくりと、噛みしめるように言葉を選ぶ。


「あなたに見せたくないのよ。手を汚す自分の姿を」

「……なんで?」

 

 ティアは顔を上げ、まっすぐにアラトを見る


「あなたにそうなって欲しくないから」

「……」

「かつてハイメの弟子の中に数多の魔族や魔物を殺し続けて、遂には世界の英雄になった人がいるの。あなたも知ってるわ、五大英雄の一人──」

「暴虐の英雄?」


 悪神から世界を救ったとされる大英雄。物騒な名前だから覚えている。

 ハイメの庭園の銅像。その中心にいる人物。


「そう。彼はその二つ名の通り、数多の魔物を虐殺し続けた。時には怒りに任せ、憎しみに流され殺し続け、遂には悪神達を打ち倒した。人々は彼を崇め感謝したわ。けどね」


 ティアの声は僅かに震え、糸目の奥に暗い色が灯る。


「彼が奪ってきたのは紛れもない命なの。魔物にも家族や恋人はいる。暴虐の英雄は赤子から老人まで魔物であればその命を奪った。多くの悲しみを振りまいてしまった」


 アラトはティアの震える指先を見つめ、耳を傾ける。


「だからハイメは無闇に魔物であっても殺さない。それが正しいと信じてるから。あなたの前なら尚更」


 ティアは微笑みながらアラトの手を包み込むように、そっと握りしめる。


「ハイメはあなたに陽の当たる道を歩んで欲しいのよ」

 

 自分はなんて愚かなのだろう。本当に自身の不甲斐なさには呆れる。

 ハイメの行いに煩わしさを感じ、その意図も理解しようとせず、疑いの目を持ってしまった。

 彼女の背をひたすらに追いかけ、信じていく。先が見えない真っ暗な闇の中でも。

 心の奥底に、小さな灯火が確かにともった気がした。

 

◆◆◆


「脇が甘い!」

 

 ハイメの剣術に圧倒され、アラトは床に倒れ込む。


「くっそ…勝てるビジョンが見えない」


 床に放られた木剣を手に取り、ハイメに向けて構える。

 数秒もしない内に再び木剣が宙に舞う。


「少し休憩だ」


 ハイメは汗まみれのアラトに手拭いを投げつける。

 本人は一滴の汗も流さず、涼しげな顔をしてる。


「先生強すぎますって。あんた世界で一番強いでしょ…」


 アラトは手拭いでぶっきらぼうに額の汗を拭き取る。

 

「一番強い……か」

「なんですかその含みのある言い方」

「私はな〝元〟剣聖なんだよ」


 『剣聖』──剣を極め、その道の頂きに立つ者の称号。

 確か受付嬢もハイメのことを元剣聖だとか何とか言っていた。


「剣聖とは有り体に言えばその時代で最も剣を極めた者の称号だ。その証に武神アレスから神器である聖剣を与えられる。そして私は今その聖剣を持っていない」

「つまり剣聖は他にいる……。先生より強い人が存在してるからってことですか?」

「ああ。そういうことだ」


 アラトは仰向けになり、小さく息を飲んだ。

 何だか釈然としない。ずっと好きだったベテランのスポーツ選手が、若手の選手に追い抜かれるような悲しさというか悔しさというか。

 自分の師であるハイメが一番であって欲しいという、単なる我儘な気もする。


「世界は広い。私は過去の人間だとつくづく痛感する。でも君はこれからの人間だ」


 銀色の瞳を輝かせ、ハイメはニヤリと笑う。


◆◆◆

 

 ハイメのしごきが一通り終わった後、依頼を受けに受付に戻った瞬間、鉄の匂いが鼻を刺した。

 鼻腔を突く、生臭く、冷たい気配。

 剣や鎧のそれとは違う、もっと直接的な匂いに、アラトは思わず足を止めた。

 受付前に、一人の女が立っていた。

 鮮血を浴びた黒髪の女。

 夜を切り取ったような黒い瞳に、黒地の軽装鎧。

 肩から腰にかけて返り血がまだ乾ききらず、鈍い光を帯びている。

 彼女の周囲だけ、まるで空気が一段冷えているようだった。

 ざわついている冒険者たちも、自然と距離を取っている。


「あいつ、あれだろ」

「ああ。〝パーティー殺し〟のクロエだ」


 恐れと嫌悪を隠そうともしない、露骨な声だった。


「誰ですかあれ?」


 人だかりの外から遠巻きに眺めながら、アラトは小声でハイメに尋ねる。


「明墨の英雄、クロエ。一等級冒険者だ」

「…墨?」


 クロエ本人は、周囲の視線も、ひそひそ話も、まるで意に介していない。

 無表情のまま歩み寄り、報告書を受付台に置いた。


「……依頼終了。討伐対象は全て排除した」


 感情の起伏が一切ない、乾いた声。

 まるで出来事を報告する機械のようだった。

 受付嬢は一瞬身を強張らせ、それから慌てて書類を受け取る。

 震える指先が、彼女の動揺を雄弁に物語っている。


「そ、それでは少しお待ちを…」

 クロエは小さく頷くと、受付から踵を返す。 

 その時、クロエとアラトの視線が、一瞬だけ交差した。  彼女の瞳はまるで死人のように光を宿してない。無機質で冷たいオーラを身にまとっているようだ。

 怒りも、悲しみも、喜びも──何も宿していない。

 アラトは、ぞくりと背筋が粟立つのを感じた。

 クロエは何も言わず、そのまま歩き去っていく。

 残されたのは、床に滲む血の跡と、鼻に残る鉄の匂いだけだった。

◆◆◆


 依頼はいつもの魔物相手では無く商会の護衛依頼を受けることにした。

 積荷を都市へ運ぶだけの、比較的安全な仕事──そう聞かされていた。

 街門を抜けた途端、空気がひやりと変わる。

人の気配が薄れ、土と枯葉の匂いが濃くなる。 商会の馬車三台を中心に、護衛としてハイメとアラトが並ぶ。


「悪いな兄ちゃん。積荷の一部を背負ってもらって」


 商会の男が笑って声を掛ける。アラトは荷を担ぎ直し、軽く頭を下げた。


「大事に運びます」

「そんな固くならなくても大丈夫だよ。今日通るルートに魔物は滅多に出やしない」


 男はアラトの不安をかき消すように豪快に笑う。

 フラグ立ててんじゃねえ!とツッコミたくなるが、大声を出して魔物を引き寄せても面倒なので口を噤む。

 馬車は舗装されていない道を、ぎしり、ぎしりと軋ませながら進む。

 その音に紛れるように、森は妙に静かだった。


 ふと気づく。

 ハイメが、先頭を歩きながら一度も周囲を見ていない。

 視線は終始、森の奥──人の目が届かない暗がりに向けられている。

「何かいるんですか先生?」

「……」

「黙られると不安なんですが」

「来るぞ」

「っ……止まれ!馬が怯えてる!」


 先頭の御者が手綱を引いた瞬間、森の奥から重低音の唸りが響いた。


 ──グルルルルル……


「魔物っ!?なんでこんな浅い森に!?」


 やっぱりこうなるのかよ、とアラトは剣を抜く。 次の瞬間、巨大な影が木々を突き破り、馬車に飛びかかった。


「くそっ、積荷だ!狙ってんのは積荷だ!」


 商会員の叫びが上がった。 アラトは荷馬車を守るように前へ出る。


「先生、どうします!?」

「全員下がれ!一旦私が──」


 言い終える前に、巨大な影が姿を現す。

 獣とは思えぬ知性を宿した金色の瞳。

 アラトの背丈を優に超える、圧倒的な体高。


「ハイウルフ!?賢狼と呼ばれる上位種だぞ!」

「っ……!」


 アラトは剣を構え、牽制するが、ハイウルフの突進が馬車を弾き飛ばす。 爆風のような衝撃で、アラトの身体は宙に投げ出され──


「あ──」


 声にならない声を残して、アラトの身体は宙を舞い、崖下へと転げ落ちていった。


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