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不殺の英雄  作者: 金木優
第一章 灯火の英雄
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第一章 第五話 「少女の願い」

 夜更けにアラトはふと目を覚ました。

 外で……何かが鳴いた気がする。

 低く、湿った、獣の声。

 音はすぐに止んだ。だが、肌に粘り着くような緊張だけが残った。

 ハイメはすでに目を開けていた。


「何頭か近くをうろついているようだ。だが襲ってはこない。群れを整えている気配だな」


「群れ……?」

「ああ。明日、数は思っている以上に多いかもしれない」


 ハイメは布団を跳ね上げ、音もなく立ち上がる。


「偵察に行ってくる。君は寝ていろ、体力温存は必須だ」


 言われるまま横になるが、胸の鼓動はなかなか落ち着かなかった。


◆◆◆


 翌朝。 村の外れに出た途端、空気が変わった。

 ただの朝靄ではない。 獣の残り香、湿った草の匂い、踏み荒らされた土。


「こんなに近くまで来ているなんて……」


 アラトが呟くと、村長が苦々しい表情で頷く。


「つい三日前ですじゃ。今までは山の近くに住み着いておったのに……腹を空かせておるのか……」

「……ふむ」


 ハイメは膝を折り、足跡を観察する。


「おかしいな。レッサーウルフは確かに出ているが、足跡の向きが統一されていない。まるで──」

「まるで?」

「何かから逃げながら、無理やり群れを形成しているようだ」

「逃げる……?」


 アラトの背筋に、ひやりとしたものが走る。

 そのとき、森の奥から、一本の木がバキッと折れる音が響いた。

 村長が青ざめる。


「ま、まさか……!」


 だがハイメは右手を軽く上げ、村長を制した。


「安心しろ。あれはただのレッサーウルフだ。数は……四、いや、五か」

「そんないるんですか!?」

「問題ない。お前が三頭を抑えろ。残りは私が追い払う」

「え、三頭!? 無理ですよ!」

「できる。半年間の訓練を思い出せ」


 ハイメはちらりとアラトの木剣……ではなく、腰に差した鉄剣を見やった。

 冒険者協会で渡された初心者入門セットの一つ。切れ味、強度、共に並の性能。勿論炎や氷を纏ったりする魔剣なんてものではなく、ただのロングソード。

 元の世界で所持していれば間違いなく銃刀法違反で検挙される危険物だが、この世界では心許ない。


「月並みの剣だが、君には十分な代物だ」

「そりゃそうですけど──ってなんか動いた!」


 森の影が揺れた。

 黄色い目が、五つ、六つ──いや、七つ。


「う、嘘だろ……数、増えてませんか!?」

「気にするな。想定内だ」


 ハイメは一歩前へ出て、涼しい顔のまま言い放つ。


「呪いのことを忘れるなよ。あくまで撃退だからな」

「わかってますよ!うわぁあ来た!!」


 レッサーウルフの群れが唸り声とともに飛び出す。

 アラトは思わず身をすくめた。だが身体は自然に動いていた。 木刀ではない、“重さのある刃”でレッサーウルフの突進を受け止める。


「っ……!」


 衝撃で腕が痺れる。だが、半年の訓練の成果か足は踏ん張れていた。

 大丈夫。魔物と言えど、大型犬みたいなものだ。気が少々荒いけど。 反撃に剣を振るう──だが、浅い。


「下がれ!」


 ハイメの声とほぼ同時に、別のレッサーウルフが横から噛みつこうと跳びかかってくる。


「くっ……!」


 アラトは咄嗟に腕でガードした。 牙が皮膚を裂き、温かい血がじわりとにじむ。


「痛いなクソ!」


 アラトはガムシャラに腕を振り払い、剣を四方八方に薙ぎ払う。 運がいいことに、レッサーウルフに攻撃が当たったのか、動きが止まり地面に崩れ落ちる。


「こらっ!冷静になれ!」

「す、すみません……!」


 アラトは痛む腕を押さえながら立ち上がった。

 レッサーウルフはアラトのマグレヒットを恐れたのか、ジリジリと後退していき、最終的に森の奥に逃げていった。 情けない有様だが、村を守るという目的は果たした。


「まあ、初めてにしては上出来だ」


 ハイメが珍しく褒め、アラトの胸がじんわりと温かくなる。


「でも先生、俺はともかくなんであいつらを殺さなかったんですか」


 自分の事で必死だったが、ハイメの武器はいつも持っている白杖だけだ。

 殺傷能力が高いとは言えず、戦闘中もあくまで追い払う事に専念していたように見える。


「奴らは賢い。少し痛めつければこの場所は危険と判断し、他の同胞にも共有され近寄らなくなる」

「ああ、なるほど……」

「だが念には念を。日暮れまで周辺を警戒するぞ」


 陽が沈むまで、アラト達は村の外周の森を警戒した。

 二、三度レッサーウルフと遭遇したが、アラト達の姿を見るや、一目散に逃げていった。

 ハイメは、もはやレッサーウルフの脅威は去ったと判断し、二人は村長宅へ報告に向かう。

 その道すがら、地面に座り込み、膝を抱えたレイラの姿が目に入った。

 心配そうな表情のまま、じっと俯いている。


「レイラ!?」

「……」


 レイラは立ち上がり、無言でアラトの腹に顔をうずめる。


「…もう帰ってこないかと思っちゃった」


 アラトの服を涙で濡らし、小さな手でしっかりと離さないように握りしめる。

 

「無事でよかった…」


 父親を亡くした日を想起してしまったのだろう。アラト達が任務に出て、ずっとここで待っていたのかもしれない。小さな身体が冷えきっている。

 アラトはそっと膝をつき、レイラを抱き寄せる。


「……うん。ありがとうレイラ」


 レイラを家まで送り届け、村長宅へ向かった。

 

「仕方ない。日も暮れた事だし今日もあの子の家に泊まるか」

「そうですね。きっと喜びますよ」


 村長に依頼内容について報告をすると、顔が明るくなり、重厚なソファーに案内される。

 報酬は冒険者協会を通して支払われる。

 協会に任務完了を報告し、依頼者が預けた報酬から諸経費が差し引かれ、その残りが冒険者に渡る仕組みだ。

 だが村長は食料品の手土産やら何やらを渡し、繰り返し謝意を表す。


「このような小さな村の依頼を受けてくれる冒険者の方は少ない。本当に助かりました」


 村長の謝辞にアラトは感じたことの無い高揚感に包まれる。

 危険と隣合わせだが頑張った分、感謝される仕事。これが冒険者の醍醐味なのかもしれない。

 この先、冒険者として生きていくのも悪くないと思えた。

 そんな甘い展望に浸っていると、遠くから奇妙な、ひどく嫌な音が響く。


 バキッ……ガシャッ……ギャァアアアアッ!!


「……先生、今の……」

「嫌な音だ…」


 次の瞬間、外から、悲鳴が上がった。


「きゃあああああああ!!」


 アラトの心臓が跳ね上がる。


「先生、今の声!?」


 全身の血が逆流するような感覚に駆られ、アラトは外へ飛び出した。

 村はまさに地獄と化していた。 複数種の魔物が混成した異常な群れが村を襲っている。


「レイラの家……!」


 考えるより早く、アラトは地を蹴っていた。


「待てっ!一人では危険──」


 ハイメに複数の魔物が群がる。

 

「ちっ、死んだら殺すからな馬鹿弟子!」

「はい!!」


 振り返らず、叫ぶように返事をする。

 背後で、金属がぶつかる音と獣の悲鳴が交錯する。

 胸を締めつける不安を押し殺し、アラトは夜の村へと駆けていった。

 レイラの家に着くと嫌な汗が首筋を伝う。扉が吹き飛び、室内は血飛沫で赤く染まっていた。


「レイラ!!」


 奥へ走り込むと──


「いや……やっ……!」


 レイラはゴブリンの下で必死にもがいていた。 床に押し倒され、ゴブリンに押さえつけられ、爪で身体を裂かれている。

 その小さな手足で必死に抵抗している。


「……おにい……ちゃん……!」


 助けを求めるその声は、弱々しく、震え、今にも途切れそうだった。


「やめろおおおおおおおおおおお!!」


 アラトは剣を構え、ゴブリンへ殺意を叩きつけ──

 ──その瞬間。


「っ……あ……!?」


 頭の中を鋭い針で貫かれたような痛みが走る。

 足が止まる。 手が震える。 膝がガクンと折れる。


 動け動け動け動け動け動け。


 だが、その思いの大きさに比例するように痛みが増し、全身が動かない。

 殺意を向けた瞬間、呪いが牙を向いた。


「あがっ、動けっ……クソっ……!」


 アラトは床に手をつき、必死に前へ進もうとする。 だが、痛みで指一本さえ動かない。

 目の前で、レイラの小さな体が震える。


「お……にい……」


 そして、ゴブリンの牙がレイラの喉へ──


ガリッ。


「や……め……」


 レイラの瞳から、光が消えた。


「…………ッ」


 声にならない叫びが喉に詰まる。 アラトは地面に這いつくばったまま、涙と涎と血で顔を濡らし、震え続けた。

 目的を達したゴブリンはアラトに気にもとめず、壊れた壁から立ち去る。

 呪いがふっと消える。

 動けるようになった頃には、レイラはもう冷たかった。


「…………ごめん……ごめん……っ」


 アラトの嗚咽が、静かな家に落ちた。


「……主力がここまで来ているか」


 立ち尽くすアラトの背後に、静かな声が降りた。


「先生……」


 ハイメはレイラの亡骸を一瞥し、何も言わずに背を向ける。


「……全ての生物が等しく尊い価値を持つ──その理に照らせばこれから私の行う所業は、命の尊厳を踏み躙るただの悪行だ」


 そう告げ、崩れた壁の外へ歩みだした。

 外は魔物の海だった。 五十を超えるゴブリンやホブゴブリン、小型炎竜が唸り声をあげている。


「憎しみは連鎖し、殺戮は果て無く続く。それでも私は───大切なものをこれ以上失いたくない」


  ハイメはそう言い切ると、胸の奥に溜まっていた息をゆっくりと吐き出し、手の中の杖をぎゅっと握り直す。

 彼女に震えはない。迷いもない。ただ、積み重ねてきた年月の重さだけが、言葉の余韻として残る。


『全てを見通す眼は理を識り、深淵を照らす叡智と成る。我に顕現せし力の奔流』


 詠唱が紡がれるたび、周囲の空気が張り詰めていく。

 風が止み、音が遠のき、世界そのものが彼女の言葉に耳を傾けているかのようだった。


『其は知恵の神』


 ハイメの銀の瞳に揺るぎない光が宿り、手の中の杖が剣へと変貌する。

 そして剣を大群に向け、


──閃光。


 剣が振られた瞬間、十体が地面に崩れ落ちた。斬られたことすら理解できなかったのだろう。

 残りの魔物たちが狂乱のように突撃してくる。

 ハイメは走らない。ただ淡々と剣を振るう。

 一振りで三体。返す刃で二体。 まるで敵の弱点を知っているかのように一太刀で倒していく。

 怒号も、呻きも、咆哮も、何一つ届かない。

 そこにあるのは── 圧倒的な剣の技量による静謐な殺戮だった。

 数分後、魔物の大群は一体残らず地に伏していた。ハイメの剣には血ひとつ、ついていない。

 月明かりの中、アラトのもとへ戻る。


「……終わった」


 アラトはレイラを抱えたまま、動かない。 目は虚ろで、涙だけが止まらなかった。


「……おい。もうその子を寝かせてやれ」


 アラトは返事をしなかった。 ただ、冷たくなった少女の手をいつまでも握り締めていた。


◆◆◆


 翌日、曇天の空の下レイラの簡素な葬儀が行われた。ハイメの奮闘で死者はレイラだけだった。

 小さな棺桶に村の人々が葬列を成して花を一輪ずつ、彼女の傍らに添える。

 痛々しい傷はハイメが修復し、まるで眠っているかのような安らかな顔だった。

 事態を聞き、レイストリアから駆けつけたレイラの母親は棺桶に突っ伏してすすり泣いている。

 アラトはその光景をただ呆然と見つめることしか出来なかった。


◆◆◆


 レイストリアに帰る道中、アラトは俯きながら歩みを進める。

 葬儀が終わった後、ハイメは今回の件について火急の事態であると判断し、早期報告のため足早に村から去った。

 村の人々は頭を下げ、礼の言葉を投げかけてくれたが、アラトにとって彼らの優しさは苦痛に感じた。

 あの時、すぐ手を伸ばせば届く距離だった。

 もしハイメがその場にいたら、確実にレイラを救えていただろう。

 自分に対する不甲斐なさ、後悔。ゴブリンに対する憎悪。負の感情がアラトの身体中を這いずり回っている。

 突然足がもつれ地面に倒れ込む。手を付き立ち上がろうとするが、足に力が入らない。


「大丈夫か?」

「いえ、なんでもないです」

「……疲労が溜まっている。それじゃ歩けまい」


 ハイメはしゃがみ、背をアラトに差し出す。


「大丈夫ですって…」

「大丈夫なわけあるかバカタレ」


 アラトを無理矢理背に担ぐ。


「いい歳こいておんぶは恥ずかしいです!」

とジタバタするが「黙れ」と鋭い銀色の瞳で睨んできたのでアラトは大人しく身体を預ける。

 気まずい沈黙の中ハイメが口を開く。


「冒険者、辞めるか?」


 唐突な言葉にアラトは吃ってしまう。


「私は戦うことしか教えられないからな。君の性格も考え、冒険者が合っていると思ったんだが……。辛いようなら知り合いに頼んで農民や商人の道もある」


 ハイメの背に揺られ、アラトは無言を貫く。

 まあここまで頑張った方なんじゃないか。朝早くから剣を振り、何日も鍛錬を続け、魔物なんて恐ろしいものとも戦った。結果は散々だったけど仕方ない。

 チート能力を与えられた訳でもないし、それどころか呪われてるんだから。我ながら上手くやったよ。

 後は農民やら商人やらになって悠々自適に暮らせばいい。

 いい歳になったら奥さんを貰って子供が出来て家族に囲まれて死ぬ。

 今回のことは仕方ない。そういう時もある。 知り合って間もない女の子が、ゴブリンに殺されただけだ。 自分のせいじゃない。直接手を下したのはゴブリンだ。 ……そう思えば、忘れられる。忘れられるはずだ。



──そんなわけ、あるか。



 彼女の悲痛な叫び声も、彼女の母が流したあの涙も、何も出来なかった自分への怒りも鮮明に覚えている。


 忘れることなんてできない。


「先生……俺、強くなれますか。貴女みたいに……強く、なれますか」


 アラトは泣きじゃくりながら、師の背中に問いかける。


「そうだな」


 ハイメは俯き、ふっと笑う。


「君は強くなる」


 ハイメの背に顔をうずめ、子供のように眠りにつく。

 師の背中は銀木犀の香りに包まれていた。

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