第一章 第四話 「冒険者」
何の変哲もない日々も、積み重ねれば確かな変化をもたらす。
この世界に来てすぐの頃に振るった、あの頼りない音ではもうない。 今は芯のある線が通っている。手のひらの皮は固く、筋肉の張りも見違えるほどだ。
「私の弟子になって半年くらいか」
朝靄の中、ハイメが腕を組んで立っている。 その口調はいつも通り素っ気ないが、ほんのわずか──わずかにだけ、満足の色が混じっているように聞こえた。
「……少しはマシになりましたか?」
「ああ。ほんの少しな」
評価は辛い。だが、アラトの胸はじんわりと熱を帯びる。
「よし。剣術の地盤も固まったことだし、実践に行ってみるか」
不意に告げられた言葉に、アラトは戸惑う。
「実践?どこに行くんですか」「そんなの決まっているだろう。冒険者協会だ」
◆◆◆
アラトがいるピンケット村はフィスフィライト国の東端に位置する小さな村だ。
なので、賑わっている市場や貴族が住まう大きな城なんてものは無い。
冒険者協会も同様で、協会に入会するには、ピンケット村から北方にある防壁都市レイストリアに向かわなければならない。
「あのー、いつになったら着くんですか」
三日三晩、野宿で休息を取りながら歩き続けている。
多少整備されているとはいえ、コンクリートで舗装されているわけではないので、体力が持っていかれる。
「もうすぐだ」
ハイメは微塵も疲れる様子もなく、軽快に歩みを進める。
「先生待って、少し休憩しましょう!」
アラトは耐えかねて、地に尻を着く。
ハイメはため息を一つ吐いて、手頃な小岩に腰をかける。
「そういえば、冒険者協会の事は教えていなかったな?」
「魔物の討伐等を斡旋する機関、としか」
「まあ概ねそれで間違いない。だが、協会はただの依頼斡旋所じゃない」
ハイメは携えていた水筒をひとくち含むと、淡々と続ける。
「冒険者協会は国家に属さない。それ故に円滑に脅威の排除に費やせる。政治が絡む国軍ではなせないシステムだ」
「なるほど……確かに、軍だと命令系統とか許可とか、色々面倒そうですね」
「そういうことだ。各国の思惑に左右されない独立の武力だからこそ、協会は冒険者の質にうるさい」
アラトは思わず眉をひそめる。
「じゃあ……俺、試験とか受かる自信ないですよ?」
「勘違いするな。質と言っても、必要なのは素行と最低限の戦闘力だけだ。半年間、私の訓練について来た時点で合格ラインには達している」
「そ、そうでしょうか……」
「自信がないのは良い。だが、過小評価は成長の妨げだ」
ハイメは立ち上がり、歩き出す直前でアラトを振り返った。
「それに心配するな。君には実力以上の保証がある」
「保証?」
「私の弟子、という肩書きだ。協会はそこを重んじる」
それっていわゆるコネ入社ってやつでは?
腑に落ちないアラトを無視し、ハイメは道の先を見すえる。
「さあ、行くぞ。レイストリアはすぐそこだ」
◆◆◆
木々を抜けた先で、突然視界が開けた。
「──すげぇ……」
アラトは思わず息を呑む。 遠くまで石造りの建物が並び、その中央には白い円柱状の塔──冒険者協会の本棟がそびえている。 ここが防壁都市レイストリア。その名の通り分厚い防壁に囲まれている。防壁の中は人と物が行き交い、空気そのものが活気を帯びているようだった。
「迷うなよ。人が多いからな」
「は、はい!」
ハイメの後に続き、大通りを抜ける。石畳を埋め尽くす人の波に、アラトは思わず肩をすくめた。
行き交う人々の視線がアラトに降り注ぐ。
──いや、その視線はアラトの前を歩くハイメへのものだった。
銀色の髪を高く結い上げたポニーテールが、歩くたびに光を弾く。
凛とした背筋、迷いのない足取り。
人混みの中にあっても、ハイメの存在だけがはっきりと浮かび上がっていた。
「あれって……ハイメ様じゃ?」
誰かが小声で囁く。
「灯火の英雄だろ?」
「まさか、こんなところで……」
囁きは波紋のように広がり、やがて確信を帯びたざわめきへと変わっていく。
人々は道の端へと自然に身を寄せ、視線は敬意と畏怖を孕んでハイメに集まった。
「先生って、こんなに有名なんですね……」
素直な感嘆とともに、胸の奥がちくりと痛んだ。
尊敬すればするほど、同時に湧き上がってくる感情がある。
こんな自分が、本当にハイメの弟子でいていいのだろうか。
歩幅を合わせながら、アラトは無意識に視線を落とす。
「まあな。それよりどうだ、都市部へ来たのは初めてだろ?」
「はい。異世界に来て半年になりますけど……村とは桁違いの情報量で、正直目が回ります」
通りの両脇には店が連なり、槌音、呼び込みの声、金属が擦れる音が混じり合う。
防壁都市と呼ばれるだけあって、鍛冶屋や防具店、武器を扱う露店がやけに多い。
どれもが「戦い」を前提にした品揃えで、この街が日常的に危険と隣り合わせであることを雄弁に物語っている。
ここが魔国との最前線に築かれた防壁都市レイストリア。
幾重もの戦禍を受け止め、この国の命運を支え続ける最重要拠点。
「あれ、そういえばこの世界にはエルフとかドワーフみたいな他種族はいないんですか?」
アラトは流し目で人々の様子を見ながら、ふと湧いた疑問を口にする。
「いるにはいるが、極小数だな。悪神達との戦いで、人間以外の人類種は大きく数を減らした」
「それは残念です」
他種族との交流は異世界ファンタジー要素の醍醐味のひとつだが、いないものは仕方がない。
無骨な鎧を着た筋骨隆々のおっさん達を眺めるるのに飽きてきた頃、ハイメが足を止めた。
「着いたぞ」
街の喧騒に包まれながら、アラトは顔を上げる。 石造りの重厚な建物。その中央に掲げられた交差した剣の紋章。 ここが冒険者協会、未知と危険が渦巻く場所であり、人々の生活を支える基盤でもある。
「緊張する必要はない。私がついている」
「いや、それは余計緊張するんですが……」
「いいからいくぞ」
軽くあしらうように言い放ち、ハイメは扉を押し開けた。
中はさらに騒がしかった。 依頼を叫ぶ受付嬢、武具を携えた屈強な冒険者たち、酒場のような喧騒。 村とは別世界の喧噪に、アラトは少し目を回しそうになる。
「冒険者協会、レイストリア支部へようこそ!ってハイメ様!?」
受付の女性がぱっと表情を明るくし、勢いよく立ち上がる。
「お久しぶりです。今日はどうされたんですか?まさか北方の神魔龍の被害に悼まれて討伐受注に来たくださったとか?」
「いや、今日は新しい弟子を鍛えに来ただけだ」
ハイメが軽く顎をしゃくると、受付嬢の視線がアラトに移る。
「……えっと、アラトです。よろしくお願いします」
「ハイメ様の弟子……!まあ!」
受付嬢は手を打って感嘆した。そう期待の視線を向けられても困るのだが。
「でしたら登録はすぐに通します! 手続きだけしていただければ、試験や教養期間は免除になりますので!」
「免除……」
「普通はありますが、あの五大英雄の師であり、元剣聖であり、神代から生きる伝説であるハイメ様のお弟子さんですから」
肩書きのバーゲンセールにアラトは思わずハイメを見る。 ハイメは知らん顔で腕を組んで立っている。
「……先生、ちょくちょく気になる単語があるんですが。特に元剣聖とか」
「別に大したことはしていない」
「珍しくちょっと照れてません?」
二人の軽妙なやり取りを目にして、受付嬢は思わずくすっと笑った。
「ふふ、謙遜なさらないでくださいよ。ハイメ様は冒険者としても、一流で知られてるんですから。さて、アラト君。こちらに署名をお願いしますね」
ハイメにあれこれ問い詰めたいところだが、業務を遅延させては気が引けるので言われるがまま、アラトは冒険者登録書にサインする。 途端に、手元に六つの小さな星がついたペンダントが滑らせて渡された。
「これが冒険者証です!等級は一番下の六等級から始まります。依頼をこなせば、等級は上がっていき、その分報酬もプラス査定されますよ」
「へえ。ちなみに先生の等級は?」
真顔で胸元からペンダントを取り出す。
星の数は一つ。
「ハイメ様は世界に百人といない一等級冒険者です!」
「この人、どんだけ肩書きがあるんだ…」
「文句があるのか?」
「ないです」
ハイメに睨まれ、アラトは慌てて首を振る。
「ではハイメ様。本日のご依頼はどのように?」
「こいつの実践だ。レッサーウルフの群れが近くの村に現れたと聞いた。撃退依頼が出ているだろう?」
「はい、レッサーウルフは五等級相当ですが……ハイメ様が一緒なら問題ありませんね」
「ではそれを受ける」
ハイメは依頼書を受け取ると、アラトの肩をぽんと叩いた。
「行くぞ。初めての実践だ。気を引き締めろ」
アラトは深く息を吸い込む。
「……はい!」
こうしてアラトの冒険者としての第一歩が始まった。
◆◆◆
レイストリアからの馬車道を外れ、小道を抜けた先に、小さな集落が姿を現した。 瓦葺きの屋根が並ぶ田舎の村だが、雑多な匂いや喧騒ばかりの都市とは違い、どこか懐かしい温もりが漂っている。
「ここか……依頼の出ている村は」
アラトは胸の早鐘のように鳴っているのを感じていた。 初めての実践。緊張と期待が綯い交ぜになり、うまく呼吸ができない。
「そんなに気負うな。レッサーウルフは小型とはいえ襲撃性が高い。冷静さを欠くと、簡単に懐に入り込まれ、噛み千切られるぞ」
「わ、分かってます!」
声が裏返り、ハイメに本当に大丈夫かとちらりと睨まれる。 村へと入ろうとするその時だった。
「お兄ちゃんたち、だれー?」
村の入口で、ひょこっと小さな頭が覗いた。 麦色の髪を三つ編みにし、明るい茶色の瞳をぱちくりさせる幼い少女。
「あ、お客さん?」「いや、冒険者だ」
ハイメが淡々と答えると、少女はぱあっと顔を輝かせる。
そんな幼い子供が憧れる職業ではないと思うのだが、少女は飛び跳ねながら笑顔見せ近づく。
「ほんと!?お仕事にきたの?おおかみさん、やっつけてくれるの?」
アラトは膝を折って目線を合わせ、少女の笑みに答えるように、にっこりと笑った。
「うん、任せて。お兄ちゃん、こう見えても強いんだよ?」
「さっきまで緊張で声が裏返っていたがな」
ハイメの冷静なツッコミに、少女は両手を口元にあてながら、くすくす笑う。
「ふたり、仲良いんだね!」
「いや、別に」「先生酷いです」
少女はレイラと名乗り、村の中へと手招きする。
村人たちは恐怖と疲れの色を浮かべながらも、ハイメの姿を見た途端に安心したようだった。
薄暗くなり始めた道を歩き、村長宅へ案内される途中、レイラはアラトの袖をちょんちょんと引いた。
「ねえねえ。今日の泊まるところは決まってるの?」
「いや、まだだよ」
「そしたらレイラのお家にきて!」
「でもお家の人に怒られちゃうよ。知らない人を家に呼んではいけません、って」
「大丈夫!お母さんはレイストリアにおでかけしてて、レイラ一人で寂しいの!」
レイラはアラトの袖を左右にブンブン振り回し、頬を膨らませる。
「先生どうしますか?」
「いいんじゃないか。宿代も払わなくて済むし」
「やったー!」
レイラは両手を掲げ、はしゃぎ走り回る。
「じゃあ、ご飯用意してるから、村長とのはなしが終わったらあそこの家にきて!」
「えっ、夕食までご馳走になるのは申し訳……もう行っちゃった」
「いいじゃないか。タダ飯にありつけるし」
「何言ってんですか。お金はちゃんと払いますよ」
「わかってる。冗談だ」
村長と依頼について話し終わった後、レイラ宅へ訪れた。
扉を開けるとビーフシチューの濃厚な香りが部屋いっぱいに広がっている。
「早く座って!」
アラトよりも小さな手で皿に料理を盛り付け、テーブルに運ぶ。
「凄い……これ全部一人で作ったの?」
「料理の腕はティア並だな…」
見た目からしてレイラは五歳かそこらの年齢だ。感嘆しながらアラトはテーブルに着く。
「召し上がれ!」
ビーフシチューを口に運ぶ。濃いめの味付けが、疲れた身体に染み渡る。
空の皿にスプーンを置き、空腹が満たされた余韻に浸りながらアラトはふと疑問が湧く。
「ねえ、なんで見ず知らずの俺達にここまでしてくれるの?
いくら村の依頼を引き受けた冒険者と言えど、ここまでの対応は過剰な気がする。
「……そこに飾ってある剣。私のお父さんも冒険者だったの」
古びて刃こぼれした剣を指差し、レイラは精一杯笑顔を取り繕っているが、つぶらな瞳には隠しきれない悲しみが滲んでいた。
「お父さんは優しくて、強くて、かっこよくて……でも死んじゃったんだ」
震えるレイラの声に、アラトはどう声をかけたらいいか分からず押し黙ってしまう。
「だから冒険者の人は好き!死んじゃったお父さんと同じ雰囲気がするの。優しくて、強くて、かっこいい感じがする!」
レイラは重ねているのだ。死んでしまった父とアラト達を。
父の面影を、懐かしさに触れたいのだろう。
だから見ず知らずのアラト達にここまでしてくれる。
沈黙の中、ハイメは食後の紅茶を啜り、口を開く。
「……彼は強かった」
「お父さんを知っているの?」
「君のお父さんは蒼氷の英雄と呼ばれる一等級冒険者だったんだ」
ハイメは古びた剣を懐かしむように見つめ、記憶を呼び起こす。
「五十年前に悪神が討たれた後、主を失った魔物は統率を失ったが今でも脅威は顕在している」
魔物達が巣食う魔国とアラト達がいるフィスフィライト国は隣接していて、小競り合いが絶えない。
ピンケット村はハイメがいるので平穏を保っているが、他の地域では日々冒険者を要請し危険を排除しているのが現状だ。
「一年前くらいになるか。魔国のザガン大将率いる魔物の軍勢がレイストリア近郊に進軍し、多くの命が奪われた」
レイラは目を見開き、身を乗り出しながら耳を傾ける。
「ザガンに大義などない。ただ殺戮を求め、死を撒き散らす外道。その矛先は人が最も多く集まる王都フィライトに向かっていた。だが、奴の目的は果たされなかった」
ハイメはポンとレイラの頭に手を乗せ、優しく撫でる。
「蒼氷の英雄、君のお父さんがその命を賭してザガンを討ち滅ぼしたんだ。たった一人で、最期まで背を向けることなく」
レイラのつぶらな瞳が大きく揺れ、次の瞬間、堪えきれなくなった涙がぽろりと零れ落ちた。
雫は頬を伝い、次々と床へと落ちていく。拭おうともせず、ただ瞬きをするたびに涙は溢れ、細い肩が小さく震え始める。
声を上げて泣くわけでもなく、嗚咽を漏らすこともない。ただ静かに、必死に感情を押し殺しながら、それでも零れてしまう涙だった。
「当時は各所で魔国の軍勢が一斉蜂起して、冒険者も国軍も人手が逼迫していた。彼一人に背負わせてしまった」
すまない、とハイメは頭を下げる。
「ありがとう、お姉ちゃん。お母さんはあまりお父さんのことを話したがらなかったから……」
レイラは小さな手で、大粒の涙を拭い取る。
「お父さんの話を聞けてよかった。顔を上げて、お姉ちゃん!」
「お姉ちゃん……っていう年齢でもないんだけどね」
余計なことを言ったなと後悔するよりも早く、ハイメの手刀が、アラトの頭へ落ちた。
◆◆◆
夕食の片付けを手伝ったあと、レイラは布団を三つ並べると、誇らしげに胸を張った。
「ここで寝るんだよ! ふかふかだよ!」
「ありがとう。助かるよ」
「レイラは先に寝ていいぞ。明日になれば、狼退治もすぐ終わる」
ハイメの言葉に、少女は安心したように布団に潜り込む。
「うん!お仕事終わったらまたお父さんのお話を聞かせてね!」
「ああ、いいとも」
レイラはふわりと微笑み、そのまま眠りに落ちた。
アラトとハイメはレイラを起こさないように気遣い、小声で話す。
「……先生。レイラのお父さんは本当に凄い人だったんですね」
「ああ、彼がいなかったら今ごろこの辺り一帯は魔物に蹂躙されていただろう。巷の吟遊詩人がこぞって彼の功績を歌にするぐらいの偉業だ」
淡々とした口調だが、その声には深い敬意が滲んでいた。
「だがな──」
ハイメはレイラの寝顔を見て、言葉を切る。
「英雄だって一人の人間だ。死を美談にされ、残された者や英雄自身の感情まで塗り替えられてしまう。彼は英雄の手本となる行いをした……だがきっと全てを投げ出してでも帰りたかっはずだ」
ハイメはぐっすり寝ているレイラの頬を撫でる。
「この子の元に」
アラトは何も言えず、静かに頷くしかなかった。




