第一章 第二話 「不殺の呪い」
「アラト!いつまでそうやっていじけておる」
年季の入った道場で、アラトは不貞腐れるように竹刀を抱えながら寝そべっていた。
「……俺に剣の才能は無いんだよ。わかってるだろじいさん」
老人は微かに笑みを浮かべ、腰痛を気にかけながらアラトの横に胡座をかく。
「なあ、なんで俺を拾ったんだよ」
かつて事故で両親を亡くしたアラトをこの老人が引き取った。血縁もなければ、縁もゆかりも無いただの他人を。
「理由なんざなんだっていいだろう。それより、諦めるのか」
老人は竹刀の先でアラトの身体を揺らす。
「うるさいな。だから才能が無いんだよ俺には!」
アラトは飛び起き竹刀をぶっきらぼうに薙ぎ払う。
老人は眉ひとつ動かさず、流れるように竹刀を手に取り、洗練さも欠けらも無い雑な一撃を防ぐ。
「ほら、こんな不意打ちですら食らわせられないなんて。俺に剣術を教えても籠で水を汲むようなもんだ」
アラトは再び寝転がり、老人から顔を背ける。
準ずるように老人はアラトの横に座り直す。
互いの息遣いが聞こえるくらいの沈黙が続いた。ヒグラシの涼し気な鳴き声が響き渡る頃、老人はため息をひとつ吐き、口を開く。
「わしは親の気持ちというのがわからん」
老人が自らを語るのはこれが初めてだった。アラトは床を見つめながら、密かに耳を傾ける。
「わしは剣の道でしか生きる術を知らん。お前に与えれるのも、剣の中でしか無いと思い、そうした」
老人はゆっくりと立ち上がり、軋む床を一歩踏みしめて竹刀を構える。その立ち姿は老骨を忘れさせるほど洗練されている。
「才能なんてものはそれ程重要じゃない。それよりも大切なことは他にある」
老人はアラトに竹刀の剣先を向ける。
「なあ、アラト。お前は剣に何を乗せたい」
◆◆◆
「…痛っ」
今までの全てが幻だったんじゃないかと現実逃避したくなるが、腹の痛みがそれを否定する。
「いい目覚めだったかしら?」
茶髪に簡素な衣服を身に纏った糸目の女性がアラトの顔を覗き込む。
「ここは…」
木材が露出した天井、古びた木造りの机と椅子。
明らかにアラトが知っている日本の民家では無い。簡素なログハウスのような造りだ。
「ピンケット村の中よ。ここにはゴブリンはいないから安心して」
糸目の女性はふふっと笑い、グラスに水を注ぎアラトに手渡す。
「私はティア、あなたは?」
「…アラトです」
ティアと名乗った糸目の女性は、ちょっと待っててとだけ言い残し、そそくさと部屋の外へ出て行った。
「…夢だったら良かったんだけどな」
質素なベットに寝そべり、アラトは窓越しに外を眺める。
ここは二階らしく、小枝に止まる小鳥の姿が見える。
「気がついたか少年」
急な呼び声にうわっ、とアラトは跳ね起きる。
「そんなに驚くことないだろう」
振り返ると、白いローブを着た銀髪のポニーテールの女性が佇んでいた。
「物音ひとつ聞こえなかった…」
「強者というものは不意に現れるものなんだよ」
銀髪の女性の手にはティーポットとカップがあり、何やら楽しげに机に並べる。
「あの、助けてくれてありがとうございました」
アラトはベットから這い出て、立ち上がり深々と頭を下げる。
この人は文字通りの命の恩人になる。立ち上がるのに少し腹の傷が痛むが、礼節は尽くすべきだろう。
「よせ、気恥しい。傷が開くだろ」
銀髪の女性は顎でベットに戻るよう伝える。
アラトはベットに腰かけ、頭の中を駆け巡る問いを整理しようとする。
まずここが異世界であることの確認だとか、あのゴブリンの存在だとか。何にせよ問いただしたい事は数え切れないほどあるのだが、如何せん言葉につまる。
そんなアラトの様子に気にもかけることなく、銀髪の女性は悠々とカップに紅茶らしきものを注いでいる。
「そんなに考え込まなくても教えてやるよ」
アラトの心を見透かしたように、銀髪の女性はニヤッと口角を上げ、ティーカップをアラトの前に差し出す。
ゆらゆらと湯気が立ち、鼻の中に仄かな花の香りが入り込む。
「私はハイメ。君はアラトだったか」
ハイメと名乗った女性は紅茶を啜りながら、値踏みするように上目で見る。
名乗って無いはずだが、先の糸目女性が伝えたのだろうか。
アラトは紅茶を手に取り、息で熱を冷ましながら口に含む。
「率直に聞くが、君はこの世界の住人では無いな?」
ぶぶっー、と紅茶をハイメの顔に吹きかける。
「ああっ!やべっ」
寝耳の水の問いに動揺してしまった結果、命の恩人に対して紅茶を吐いてしまった。
ポタポタとハイメの顔から紅茶(アラトの唾液混じり)が滴り落ちる。
なにか拭くものはとあたふたアラトは周囲を探し見るが、適したものは無い。
恐る恐るハイメの様子を伺う。見るからに善人で朗らかそうな彼女のことだ。そんな紅茶ぐらいで、怒りメーターは振り切れないだろう。
「……この野郎」
ハイメは額に青筋を立て、張り付いたような微笑を浮かべていた。
「すみませんでした!」
直ちにベットで、土下座をする。この人は怒らせたらダメなタイプだ。本能がそう察知している。
「まあいい」
ハイメはポケットからハンカチを取りだし、自身の端正な顔についた雫を拭き取る。
「それで、君はこの世界の人間では無い。勝手に見させて貰ったんだが、私の中ではそう結論が出ている」
「見させて?」
「そう。かいつまんで説明すると私は対象した物や生物のあらゆる情報を見通すことが出来る。攻撃力、防御力だったり、記憶や生い立ちだったり、性癖だったり何でもな」
「……性癖?」
そこだけ妙に引っかかったが、突っ込む気力は湧かなかった。
要するに──スーパーチート級の鑑定能力、ということだろう。ハイメの言葉が事実なら、だが。
「疑うなら、当てて見せようか?君の年齢や生まれのニホンのこと、初めて恋した相手は二つ年上の──」
「わかった、わかった!信じるから」
アラトは慌てて両手を振った。
これ以上喋らせれば、人生の黒歴史まで暴露されかねない。
「それでだ」
ハイメは話を戻すように、カップを持ち上げる。
「この世界は君の知る世界では無い。ばらえてぃ番組やドッキリとかの類でもないぞ。純然たる事実だ」
わざとらしく、アラトの知識から見て拾ったであろう言葉を混ぜて言い放つ。
何となく察しはついていた。
だが、こうしてはっきりと言葉にされると、胸の奥が重く沈む。
「帰れる方法はあるんですか?」
アラトの縋るような声に対し、ハイメはカップを静かに机へ置く。
答えに窮したのか、しばし視線を落とし、指先で縁をなぞるように弄んだ。
「知らない、と言った方が正しいか。一人君と同郷の女性を知っているが…。世界を横断する方法は無いに等しいと思う」
「……そうですか」
アラトは布団に仰向けに倒れ込み、天井を仰ぐ。
別に特段思い残すことなんてない。両親は幼い頃に死んだし、恋人もいない。多少友人はいたが、アラトがいなくなったて何の影響も無いだろう。やり遂げたかったことなんか無いし、夢中になれるものも無かった。ただ、死ぬ理由がないから生きてただけ。
ただ、ひとつ心残りがあるとすれば育ててくれた養父である老人。
「恩返し、出来なかったな」
アラトの瞳から一筋の涙が流れ落ちる。
溢れ出る涙を止める術も知らず、アラトは必死に腕で涙を拭う。
「さて、君の現状についてだが」
ハイメはアラトの涙が引いたのを確認し、口火を切る。
「伝えなくてはならないことがある。少し場所を変えよう」
ハイメの後を追い、薪が積み上げられた庭に出る。すぐ近くには鶏卵用の鳥小屋があり、鶏が慌ただしく鳴いている。
「伝えたいことって言うのは?」
「端的に言うと君は呪われている」
呪いなんて非科学的なもの、現実主義のアラトにとって普段なら一蹴するとこだが、ここは神秘がバーゲンセールのように溢れる異世界。いつもとは勝手が違う。
「その呪いは古くからある呪いのひとつ。私も長いこと生きているが、症例は一人しか見たことが無い」
「長いこと生きてるってあんた何歳なんですか?」
「レディに歳を聞くな」
ゴンっとアラトの頭部に手刀が炸裂する。
「すみません。お若く美しい姿をしておられたので」
「な……何を馬鹿なこと言っている。まあよく周りから可愛くて美少女で美人で別嬪で容姿端麗で眉目秀麗とか言われているけどな」
そこまで言ってないです、とは口が裂けても言えない。
取って付けたような賛辞だったが、以外にもお気に召した様子で、少し頬を赤らめている。
「話が少し逸れたな」
ゴホンとハイメは咳払いをし、真剣な面持ちで話を続ける。
「…よし。こいつは最近卵の出が悪いからな」
ハイメは鳥小屋に入り、一匹の鶏を素早く両手で捕まえる。鶏はけたたましく暴れるが、観念したのか微動だにしなくなる。
「そこのナタを取ってくれるか」
薪割り台として使ってるのか、丸太にナタが刺さっている。
「これですか?」
ナタを引き抜くと、ハイメはすかさず鶏を丸太に押さえつける。鶏の首を晒すような形で。
「こいつの首をそのナタで切り離せ」
「…え?いや無理無理。そんなやったことないですし。ちょっと罪悪感とか…。それにハイメさんの服も汚れますよ」
「いいからやれ」
歯切れの悪いアラトにハイメは語気を強める。何故わざわざこんなことやらせるのか理解不能だが、何かしらの意図があるのはわかる。
沈思黙考しても、ハイメの顔が曇るだけなのでアラトはナタを握りしめ決意を固める。
なるべく苦しませないようにするには、やはり一瞬でカタをつけたい。大振りで勢いをつけ、一気に振り下ろす。これが最前の方法だろう。
アラトはナタを天に掲げ、重力と自身の膂力を合わせ首に目掛ける。
だが、ナタが鶏の首に到達することは無かった。
「ぎぃぃぃいあああああ!?」
アラトの中で悶え苦しむ程の激痛が反響する。
この痛みはもう知っている。
ゴブリン戦。刃を振るい、相手を追い詰め、あと一歩で仕留めるはずだった瞬間に降って湧いた、あの悪夢と同じ痛みだ。
「……あがっ、くっそ、なんで?」
「それが君にかけられた呪い。他者を殺めようとすれば忽ち激痛に襲われ、絶命を実現できなくなる」
ハイメの声は淡々としていた。
彼は暴れる鶏を手際よく鳥小屋へ戻すと、地面に横たわるアラトの背に手を添え、上体を支える。
「悪いな。言うは易し、身を呈してこその教訓だ」
ハイメは短く息をつき、アラトを見下ろす。
「君の中にあるそれは不殺の呪い。神々が与えた他者を殺せなくなる呪いだ」
「……なんで……そんなもんが俺に?」
アラトは掠れた声で問いかける。
「さあ?大昔同じ呪いを受けたやつは歴史に名を残す大量虐殺者だった。君も同じような事をしたんじゃないか?」
冗談めかしくハイメは笑うが、たまったもんじゃない。いっそ死んでしまえば楽なんじゃないかと思いさえする強烈な痛み。
「……でも、要は誰かを殺そうとしなければこの呪いは発動しないんですよね」
必死に理屈を組み立て、声を震わせながら言う
「それほど不自由では…ないか」
「楽観的になりすぎだな」
ハイメは即座に切り捨てる。
「ここは君の世界ではない。それがどういう意味かわかるだろう?」
胸の奥に、嫌な予感が沈み込む。
──そうだ。ゴブリンとの戦いで身をもって知ったはずだ。自衛の為の殺傷も、食事を摂る為の狩りも、この世界では、それらすべてが命を奪う行為だ。
そしてその行為は、アラトにとって致命的な制限となる。
生きるために殺さねばならない世界で、殺せないという呪いを背負わされたのだ。
「付け加えると、呪いの適用範囲は恐らく小動物だけでなく羽虫にも及ぶ。植物等の意思が希薄な生命に対して呪いが発動することは無いと思うがな」
「……それって元の世界にいても結構支障をきたすんじゃ」
ゴキブリやハエ等の害虫駆除もままならないし、耳元でプンプン煩わしく飛ぶ蚊ですら攻撃出来ないという縛りプレイ。
──なんだそれ。
異世界どころか、現代日本でも普通に詰んでいる。
アラトは乾いた笑いを浮かべる。クソゲーもいいとこだ。返品できるものなら、中指を立てながら製作者の顔面に向け、叩きつけてやりたい。
「さて、そんな不憫な君に提案なんだが」
年不相応な、どこか悪戯めいた笑みを浮かべながら、彼女は一言だけ告げる。
「私の弟子にならないか?」
あまりにも唐突で、しかし妙に落ち着いた声音だった。
冗談とも、本気とも取れるその一言に、アラトは言葉を失う。
この人は、今の話の流れでそれを言うのか。
だが、その眩い銀色の瞳だけは笑っていなかった。
まるで、ずっと前から決めていた選択肢を、今ようやく提示したかのように。




