第二章 第三話 「動揺」
冒険者協会に併設された屋外訓練場。
本来なら、木剣や木楯を手にした冒険者たちが、それぞれの鍛錬に汗を流しているはずの場所だ。
──だが、今日に限っては様子が違った。
訓練場の中央。
ぽっかりと空いた円の中に立つ二人の冒険者を囲み、周囲には人垣ができている。
視線は好奇と期待に満ち、囁き声がざわざわと波のように広がっていた。
「見ろよ、あれ……」
「パーティー殺し……明墨の英雄だろ?」
「あいつは誰だ?」
野次馬根性丸出しの視線を浴びながら、クロエは淡々と口を開いた。
「私の権能は知ってのとおり、黒い雷を操って敵を薙ぎ倒す。武器は大剣を扱う、以上」
あまりにも簡潔すぎる説明に、アラトは思わず眉をぴくりと動かす。
だが、この状況だ。衆人環視の中で、わざわざ自分の手の内を詳しく晒す必要はない。
これはクロエなりの警戒──配慮なのかもしれない。
……まあ、彼女にそこまで気が回るかは、かなり怪しいが。
「俺の権能は……。あー、その」
言葉に詰まる。
だがそれは、注目を浴びて緊張しているからではなかった。
『権能』。
神から与えられる異能力。
肉体を失った神々に代わり、その力を代行して行使するための権利。
権能は千差万別だが、共通する特徴は大きく二つある。
一つ目は、祈言を紡ぐこと。
人はあくまで代行者に過ぎず、権能を行使する際には、その力の源である神へ祈りを捧げる。
祈言は権能を宿した瞬間から脳裏に浮かび上がるもので、唱えずとも発動は可能だが、精度や操作性、出力は著しく落ちると言われている。
二つ目は、魔力を消費すること。
この世界では、人も魔物も例外なく魔力を宿している。
筋力の底上げや治癒力の強化など、日常的な用途もあるが、本来は権能を動かすためのエネルギー源だ。
大規模に影響を及ぼす権能ほど消費量は増し、魔力が尽きれば当然、行使は不可能になる。
──だが、アラトのあの力は……
アラトの脳裏に、あの時の光がよみがえる。
祈言は浮かばなかった。
そもそも、アラトには魔力がない。
それなのに、呼吸をするように、考えるより先に、自然に使えた。
理屈が合わない。
権能の定義から、完全に外れている。
純粋無垢に降って湧いた力だとは、どうしても思えなかった。
むしろ、不殺の呪いと同じ匂いがする。
善意か、悪意か。
少なくとも、軽々しく公言していい代物ではない。
……ここで話すべきか?
迷いが胸に沈む。
クロエの視線と、周囲の期待を孕んだざわめきが、じわじわと圧をかけてくる。
アラトは、息を一つ整えた。
「……まあ、その、なんていうか」
「遠目から見てたけど。黒骸骨の一撃、光の盾で防いでた。防御系の権能?」
クロエの蒼い瞳が、まっすぐ射抜く。
「……バレてんのかい」
肩を落とし、アラトは観念したように息を吐いた。
アルディアの一撃を防いだ直後に、クロエは救援に来たのだ。見られていないはずがない。
「そうだよ。今のところ、光の盾を出す以外はできない……と思う」
「思う?曖昧」
「俺だってよく分かってないんだよ」
「そう」
クロエは短く頷くと、さらりと言った。
「試しに、切ってみてもいい?」
「……え?」
一拍遅れて意味を理解する。
「ちょっと待て、試すの方向がおかしいだろ」
しかしクロエは聞いていない。
す、と右手を天へ掲げる。
瞬間──空気が震えた。
晴れ渡っていた青空に、黒い亀裂が走る。
雷鳴が轟き、訓練場の空気を叩き割る。
観衆が思わず一歩後ずさる。
裂け目から、漆黒の雷が一本、落ちた。
轟音とともに、稲妻はクロエの掌へ収束する。
弾ける黒電が凝縮し、形を成し漆黒の大剣が、そこに現れた。
刃渡りは人の背丈を優に超え、刃からは黒雷が静かに滴っている。
「……剣一本出すのに、演出が派手すぎるだろ」
アラトが引きつった笑みを浮かべる。
「で、試すって何を?」
「こうするの」
言葉が終わるより早く、クロエの身体が沈み込む。
次の瞬間、地面を踏み砕く音とともに、黒雷が爆ぜた。
一直線。
漆黒の刃が、アラトへ向かって振り下ろされる。
この世界に来たばかりの頃なら目の前で雷が落ちようと、大剣が振り下ろされようと、ただ呆然と立ち尽くすことしかできなかっただろう。
だが、今は違う。
あの時、アルディアの一撃を受け止めた瞬間と同じ感覚が、胸の奥から込み上げてくる。
熱でも冷気でもない。
ただ純粋な何かが、血管を逆流するように全身を駆け巡る。
意識したのか、無意識だったのか、自分でも分からない。
次の瞬間、光が弾けた。
アラトの身体を中心に、淡い白光が半球状へと膨れ上がる。
空気を押しのけるように展開したそれは、即席の防壁となって彼を包み込んだ。
直後、黒雷を纏った大剣が、光の盾に叩きつけられる。
衝撃が、地面を震わせた。
光と黒がぶつかり合い、火花のような粒子が四散する。
観衆の悲鳴が遠くで歪む。
一瞬、拮抗する。
だが、ぴしりと嫌な音がした。
光の表面に走る亀裂。
それは蜘蛛の巣のように広がり次の瞬間、薄氷のように砕け散った。
「──ッ!」
抵抗を失った黒刃が、勢いそのままに滑り込む。
剣先がアラトの右肩を掠め、そこから左胸へと斜めに走る。
布が裂ける音。
遅れて、肉が裂ける鈍い感触。
焼けつくような痛みが、神経を焼き切る勢いで脳へと突き刺さる。
「っがぁ、いたっ!」
情けない悲鳴を上げながら、アラトの視界が揺れた。
足から力が抜ける。
背中から地面へ叩きつけられ、肺の空気が一気に吐き出された。
土埃が舞い、空が遠のく。
胸元からじわりと広がる温かさが、やけに現実的だった。
地面に倒れ込んだアラトの耳に、遅れてどよめきが押し寄せる。
「お、おい……」
「今の、やりすぎじゃ……」
黒雷を纏った大剣は、稲光とともに消えていた。
クロエはその場に立ち尽くしている。
黒い瞳が、アラトの胸元──滲む赤へと落ちる。
「……え」
クロエの掠れた声が、静まり返った訓練場に落ちる。
その一音に、確かな動揺が滲んでいた。
常に無表情で、何事にも揺るがない明墨の英雄。
その彼女が、ほんの僅かだが、確かに揺れている。
アラトは薄れる意識の中で、それを見た。
(……あ、動揺してる)
妙に冷静な思考がよぎる。
「何ぼーっと突っ立てんだ、パーティー殺し!」
人垣を乱暴に押しのけ、一人の男が駆け寄ってくる。
坊主頭の側頭部には剃り込み。分厚い首と丸太のような腕。いかにも前衛といった体躯だ。
男はアラトの傍らに膝をつき、傷口を確認する。
「くそ、斜めに入ってやがる……!」
血で濡れた指を見て舌打ちする。
「おい、ラフィネ!すぐこいつを治療しろ!」
呼ばれたのは、群衆の後方にいた小柄な少女だった。
淡いツインテールの金髪を揺らしながら、慌てて前へ出てくる。
「い、今やる!」
震える手をアラトの胸元へかざすと、柔らかな緑光が溢れ出した。
じんわりと、温かさが傷口に染み込む。
痛みがわずかに和らぐ。
「どうだ、ラフィネ?」
「話しかけんで!そんな直ぐに治るわけじゃないの!」
その間も──クロエは動かない。
責めるような視線が、彼女へと集まる。
「やりすぎだろ……」
「パーティー殺しの異名は伊達じゃないな」
小さな囁きが、刃のように飛ぶ。
クロエの指先が、かすかに震えた。
だが、何も言わない。
ただ、地面に倒れたアラトを見つめ続けている。
「ふー、これでもう大丈夫。傷跡も残ってないよ」
ツインテールの少女──ラフィネは額の汗を手の甲で拭いながら、胸を張った。
淡い緑光がゆっくりと収束し、アラトの胸元から完全に消える。
裂けていた衣服の下を恐る恐る触ると、そこにあったはずの熱も、痛みも、傷もない。
「……すげぇ」
「これくらいお手のもんよ」
どこか誇らしげだ。
「ありがとう、助かった」
アラトが素直に礼を言うと、ラフィネは一瞬きょとんとし、照れ隠しのように顔を逸らした。
「べ、別に普通のことだし」
そのやり取りを遮るように、静かな声が落ちる。
「……生きてる」
クロエだった。
確認するように。自分に言い聞かせるように。
それだけ。謝罪も、言い訳もない。
だがその声は、先ほどの雷鳴よりもずっと小さく、ずっと弱い。
アラトは、ほんのわずかに笑った。
「俺は簡単に死なないよ」
クロエの瞳が一瞬だけ揺れる。
そして何も言わず、踵を返す。
人垣を割り、黒髪が遠ざかっていく。
「おいどこに行くんだ!このパーティー殺し!」
坊主頭の男が立ち上がり、追いかけようとする。
だが、アラトは慌てて腕を伸ばした。
「いいんだ」
「よくねぇだろ」
「悪気があったわけじゃない」
ガルシアは振り返り、信じられないものを見るような目を向ける。
「いやでもよ。お前、死にかけたんだぜ?わざとじゃねぇにしても、何か気にかける素振りくらい見せろってんだ」
憤慨しているが、その怒りはアラトのためのものだ。
アラトは立ち上がり、改めて二人に向き直った。
「俺はアラト。助けてくれてありがとう」
「俺はガルシアだ。礼ならラフィネに言ってやれ」
ぽん、と無造作にラフィネの頭に手を置く。
「おい、頭に手を置くな!」
ラフィネは両手をぶんぶん振り回して抵抗するが、ガルシアの分厚い腕はびくともしない。
「やめろってば!髪崩れる!」
「ちっこいのに元気だろ」
「おいこら!ちっこいけどお前よりは年上だからな!」
じゃれ合いのような光景に、アラトは思わず笑う。
……悪くない
知らない土地で、知らない相手に助けられる。
それだけで、少し救われる。
ガルシアはふと真顔になり、顎をさすった。
「ところでよ」
「うん?」
「助けた礼としちゃなんだが……飯、奢ってくれねぇ?命の値段にしちゃ安いもんだろ?」
にやりと笑うガルシア。
ラフィネがすかさず横から口を挟む。
「私は甘いのがいい!」
「調子に乗るな!」
「だって奢りでしょ!?」
騒がしい二人を見て、アラトは苦笑した。
「喜んで。好きなだけ食べてくれ」
「よっしゃ!」
ガルシアが拳を握り、ラフィネが小さく跳ねる。
訓練場の重苦しい空気は、いつの間にか霧散していた。
遠く、去っていく黒髪の背中を一瞬だけ思い浮かべながら──アラトは小さく息を吐いた。




