第二章 第二話 「拠点」
何はともあれ、冒険者として腰を据えて依頼をこなしていくには、拠点となる住居が欠かせない。
野宿や宿屋暮らしも悪くはないが、装備の手入れや体調管理を考えれば、落ち着ける場所は必要だ。
防壁都市レイストリアは冒険者で溢れている街だ。宿の数にも困らない、という前情報は入っている。
とはいえ、長期滞在となると話は別だ。毎晩宿代を払うのも馬鹿にならない。
「……不動産屋、みたいなところはないのか」
地図も持たず、聞き込みもせずに歩き回った結果、アラトは見事に迷子になっていた。
大通りから外れ、似たような路地を右往左往していると、不意に背後からしゃがれた声が飛んでくる。
「坊主、宿探しかい?」
振り返ると、そこにいたのはこじんまりとした体躯の老婆だった。
背は低く、背中は丸い。だが、目だけは妙に鋭く、年齢を感じさせない光を宿している。
「ええ、まあ……」
アラトが曖昧に答えると、老婆は口元に水タバコを咥え、紫煙をふっと吐いた。
そのまま、値踏みするように、つま先から頭のてっぺんまで──
撫でるように、じっくりとアラトを見回す。
一瞬で「冒険者だが、まだ浅い」と見抜かれた気がして、背中に冷たいものが走る。
「……よし」
老婆は一拍置き、にやりと笑った。
「うちへ来な!」
「え?」
次の瞬間、がっしりとした力がアラトの首根っこを掴んだ。
「いだだだだっ!? ちょ、ちょっと何ですかいきなり!」
見かけからは想像もつかない腕力だった。
抗議する間もなく、アラトは引きずられるように路地裏へと連れて行かれる。
人通りは一気に減り、石畳はひび割れ、陽光も届きにくくなる。
大通りの喧騒が、嘘のように遠ざかっていった。
「ここだよ」
放り出されるようにして立たされた場所は、大通りから少し離れた、静かな一角だった。
古いが手入れはされている石造りの建物。
派手さはないが、壁は厚く、窓も小さい。防犯と耐久性を重視した造りだ。
老婆は胸を張り、親指で建物を指す。
「どうだい坊主。この立地、この静けさ、この頑丈さ。こんな好物件、中々ないよ」
アラトは言葉を失い、建物と老婆の顔を交互に見比べる。
「オマケに入居者は一人しかいないから、共同スペースも使い放題」
「それ、不人気物件なだけじゃ──」
ゴフッ、と瞬く間に老婆の拳がアラトのみぞおちに入る。
「うぐっ!──おい、ババア何しやがんだ……」
うずくまるアラトを横目に老婆は水タバコを吹かす。
「とりあえず内見でもするかい?」
老婆はニヤリと笑い、宿の中へと案内する。
内装は寝台の置かれた簡素な小部屋に、共同のトイレや食堂がある。
やや古臭いが、この世界では一般的な宿だ。
だが──肝心なのは、値段だ。
どれだけ立地が良かろうと、どれだけ頑丈そうだろうと、支払えなければ意味がない。
冒険者になってまだ日が浅い身だ。手元にあるのは、ハイメと共に稼いだわずかな蓄えだけ。
この世界の通貨はベルクと呼ばれるもので、価値は大方日本の円と変わらない。
今手元にあるのは十万ベルク程。
「……で、おいくらなんですか」
慎重に言葉を選びながら尋ねると、老婆は水タバコを指先で軽く叩き、灰を落とした。
その動作一つひとつが妙にゆっくりで、アラトの神経を逆撫でする。
しばし沈黙。
風が路地を抜け、古い建物の壁を撫でていく。
老婆はじっとアラトの顔を見つめ、口の端を吊り上げた。
しわだらけの顔に刻まれたその笑みは、どこか悪戯めいている。
「一月、百万」
「帰ります」
反射的に踵を返すアラトの首根っこを、老婆は即座に掴み取った。
「まてまて、冗談だよ。全く近頃の若者は気が短くていけない」
「冗談にしては心臓に悪すぎるんですけど!」
引き戻されながら抗議すると、老婆はケラケラと喉を鳴らして笑う。
どうやら、完全に楽しんでいるらしい。
「で、いくらなんですか?言っとくけど、こっちも手持ちないですよ。独り立ちしたばっかりなんで」
アラトの言葉に、老婆は再び値踏みするように目を細めた。
その視線が、金ではなく──人そのものを見ている気がして、背筋に薄く寒気が走る。
「……ほう」
老婆は指をゆっくりと三本に増やした。
「一月──三万。三食付きだ」
「……は?」
思わず聞き返すと、老婆は不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「耳が悪いのかい? 朝昼晩、飯は出る。水も風呂も共同だが、屋根はあるし、雨漏りもしない」
「……逆に怖いんですけど」
あまりにも条件が良すぎる。
レイストリアの相場を知らないとはいえ、冒険者が集まる都市でこの値段は破格だ。
アラトが訝しげに黙り込むと、老婆は肩をすくめる。
「別に怪しいことはしないよ。ただし──」
そこで一拍置き、意味ありげに笑った。
「客は選ぶ。坊主は顔が悪くない。目も濁ってないし、背中に変な臭いもない」
「選考基準が曖昧すぎません?」
老婆は聞いちゃいないという顔で続ける。
「飯は有り合わせのものだ。豪華なのを期待するんじゃないよ?」
こくっと頷き即答すると、老婆は満足そうに頷いた。
「よし、決まりだ。私はペンネ。逃げるなよ坊主」
「俺はアラトです。この条件で逃げる冒険者がいたら、そいつは余程の大馬鹿者だ」
こうしてアラトは、安くて、三食付きで、少し──いやかなり胡散臭い下宿を手に入れることになった。
案内された部屋に荷物を放り込み、ひと息つく間もなく、階下から腹を刺激する匂いが漂ってきた。
油と香草、焼けた肉の匂い。質素だが、空腹を真正面から殴ってくる匂いだ。
「坊主、飯だよ!」
ペンネの張りのある声が、床板を震わせる。
「は、はい!」
階段を降りると、狭い食堂の中央に年季の入った木のテーブルが据えられていた。
壁際には使い込まれた棚と大鍋。火にかけられたスープが、ことことと音を立てている。
テーブルの上には、湯気を立てる皿が並べられていた。
厚切りのパン、豆と根菜の煮込み、塩気の効いた肉のソテー。
豪華とは言えない。だが、アラトの胃袋には十分すぎるほどだ。
「……これ、俺のですか?」
「他に誰がいるってんだい」
ペンネは腕を組み、胸を張る。
「三食付きってのは伊達じゃないよ。量も味も、文句は言わせない」
「……いただきます」
アラトは半信半疑のまま、スプーンを取った。
一口。
「……うま」
思わず零れた声に、ペンネは鼻を鳴らす。
豆は芯まで柔らかく煮込まれ、スープには肉の旨味が溶け込んでいる。
腹の底に、じんわりと温かさが広がっていく。
気づけば、アラトは無言で皿を空にしていた。
「坊主」
「はい」
「冒険者はどうしても、金の浪費を抑えるために食事を削る傾向にある。質素な食事では、胃袋も心も満たされない。いい仕事をこなすには、いい食事をってわけさ」
ペンネの言葉はぶっきらぼうだが、不思議と胸に残る。
「食事を疎かにするんじゃないよ」
老婆はそう言って、空になった皿を下げた。
腹が満ちると、張り詰めていた心まで少し緩んだ気がした。
レイストリアという巨大な都市で、今日初めて居場所を得た感覚。
アラトは椅子の背にもたれ、静かに息を吐いた。
「それとだ」
ふと思い出したように、ペンネが口を開く。
「もう一人、入居者がいる。女だから、風呂の時間とかは気を使ってやりな」
「……女の子ですか?」
思わず声が上ずる。
「ああ。少し無愛想だが、根は優しい。綺麗な子だよ」
「……綺麗」
その一言で、アラトの脳裏に都合のいい想像が膨らみ始める。
思わず口元が緩み、鼻の下が伸びかけた、その瞬間──
ごんっ。
「ぐぇっ!?」
どこからともなく飛んできたおたまが、額に直撃した。
「何気持ち悪い顔してるんだい、坊主」
ペンネは涼しい顔で腕を組んでいる。
「あの子を泣かせるようなことをしたら承知しないよ」
「……はい。すみませんでした」
額を押さえながら頭を下げるアラトを見て、ペンネは小さく笑った。




