第一章 第一話 「小さな強敵」
「ゲホッ、も…もう限界だって!」
いつぶりだろうか。こんな無我夢中に走り回るのは。
運動部だったので体力はある方。
もう受験シーズンで引退してはいるが、それでもそこらの高校生よりかは体力はある方だと自負している。
まあ今はそんなケチな自尊心なんてどうでもいい。 荒い息を無我夢中で飲み込み吐き出す。
「し、死ぬ。口の中がなんか血の味してきたし、横っ腹は痛いし!」
辛ければ足を止めればいい──とはいかない理由。
それは自分の背後にいる存在。やつらが茂みからその姿を現す。
小柄な体躯に不揃いな尖った歯と耳。
そして、生物としていかなる進化の過程を辿ればそうなるのか、理解の及ばない緑色の皮膚。
やつらの事はよく知っている。ただそれはゲームやマンガの世界でだけだ。
『小鬼』
言わずとと知れたゲーム序盤の雑魚キャラ。
その雑魚キャラから、今必死になって逃げている自分は雑魚以下ということになるが。
「なんで、こんな目に遭ってるんだ!!」
神崎荒人、十八歳。高校三年の受験生。
受験生と言うからには、勉強に明け暮れているはずなのだが、最近は毎日悪友とゲーム三昧。
そんなうだつが上がらない毎日を送っていたアラトがなぜこのゴブリン達に追いかけられているか。
目が覚めるとそこは林の中だった。
記憶が確かならば、学校からの帰り道のはずで、ひんやりした地べたで寝た覚えはない。
だというのに、見知らぬ木々に囲まれた遺跡めいた場所に倒れていた。
自身の現状に呆然とし、現を抜かす暇もなく、示し合わせたかのようにゴブリンは現れた。
相手はナイフを持ち、多勢に無勢。明らかに敵意を剥き出しにして奇声を上げながら迫ってきたので、即全力逃走。
我ながら寝起きにしては電光石火の判断だった。
だが、ゴブリン達は驚くほど執念深いようで、追跡の手を緩めない。
そしてアラトの体力はもう底をつく。
「もうここまでか、我が人生に一遍の悔いなし…」
アラトは足を弛め、これまでの人生を走馬灯のように振り返る。
思えば散々な人生だった。
両親は物心つく前に交通事故で他界し、ひょんなことから近所の剣道愛好家の老人に拾われ、剣術指南と称し、休日は竹刀では叩かれまくる始末。
その老人とは些細なことで口論になったり、本気の殴り合いもした。
だが、家族と呼べる仲だったと思う。
今ここで、アラトの死を本気で悼んでくれるのはその老人くらいだろう。
まあ悪くない人生だった。
「一回でもいいから彼女が欲しかったな」
アラトが立ち止まろうとした瞬間、突然現れた傾斜に足を取られ、アラトは前のめりに転がり落ちる。
茂みへと勢いよく突っ込み、草木が身体を容赦なく叩いた。
「ドコヘイッタ、サガセ!」
石や木の根が入り混じった地面を連続前転したせいで、全身を殴られたかのように痛む。
呻き声を噛み殺し、ゴブリンが辺りから立ち去るのを茂みの中から見届ける。
「助かったあ」
茂みから這い出し、自分の体が無事であることを確かめる。
死を覚悟するような経験は、生まれて初めてだった。 瑞々しい空気を吸い込み、大きく吐き出す。 ただそれだけで、生きている実感が湧く。
しかし安堵も束の間。 装備も何もないまま、未知の生物が住まう山林のど真ん中。
気を抜けばまた襲われる。
先の喧騒と打って変わって、辺りは森本来の静けさに包まれている。
いっそこれは夢なんじゃないかと呆けていたくなるが、滑落した身体中の鈍痛が焦燥感を募らせる。
「…ここにいても仕方が無いか」
両頬をパシンと叩き、アラトは再び歩き出す。
まずはこの山林から抜けること。
再びゴブリンと遭遇するのはもう御免だ。
人工物、道路、人里。何でもいいから文明を探さなければ。
そういえば、と何日か前に見た遭難に関するテレビ番組の対処法が頭をかすめる。
一つ目:落ち着いて110番または119番。
──スマホはない。小銭すらない。却下。
二つ目:来た道を戻る。
──目覚めたら山の中だった。却下。
三つ目:その場に留まって救助を待つ。
──ゴブリンが闊歩している。却下。
四つ目:大声で助けを求める。
──ゴブリンを呼ぶだけ。却下。
通常の遭難なら有効だろうが、状況が状況だ。
ネックなのはあのゴブリン。
体格は人間に劣るが、言語を使い、統率された敵意を持つ獣。知恵が回る分、熊のような猛獣よりもタチが悪い。
頼むからゴブリンに出会った時のライフハックを誰か教えてくれ。
無いよりはマシ、とアラトはその辺に転がる木の枝を拾い上げる。
片手で振り回せる程度の急ごしらえの武器だが、剣術に多少心得がある分、不安を和らげられる。
あの老人との苦い剣術経験がこんな形で心の支えになるとは思わなかった。
石や木の根が入り交じった悪路にも慣れた頃、川のせせらぎが耳を撫でた。
「水……!」
アラトは足の疲労も忘れ、音の方へすぐさま走り出す。
澄み切った小川に手をつけ、冷たい水を口に含む。
「生き返ったあ」
川水を飲んだ経験は無いが、これまで飲んできたどの飲料水より美味く感じる。
食料はともかく、水分確保をどうするか目下の急務だった。
ここで水源を見つけられたのは大きい。
胃に水が満たされると同時に、精神にも充足感が広がって行く。
そして宛もなく歩いてきた道程だったが、川を下っていけば人里に降りれるのは、という模索していた安易な筋書きを実行することが出来る。
アラトは最後にもう一度川水で喉を潤し、川沿いの草石を踏み歩く。
「にしてもここは一体どこなんだろうな」
孤独感から、無意識的に言葉が漏れ出す。
「ゴブリンなんて、日本にいるわけないしな…」
日本どころか全世界を探しても、その存在を証明はできないと思うが。
ふとアラトの頭にある俗語が脳裏をかすめる。
「まさか異世界とか?」
アラトはフッと鼻で笑ってみせるが、現状を説明つけるなら案外それが一番スッキリする。
無心に歩き続けると、木々の隙間から明るい光が差す場所に出た。
アラトは目を見開き、光源に群がる虫のように一心不乱に歩みを進める。陰鬱とした森の中から一気に視界が開ける。
花が咲き乱れる色彩豊かな花畑が広がり、その奥には大きな川。
対岸には丸太で作られた塀のような人工物。そして花畑と川の間には橋まで架かっている。
「……へへ、やった!」
遭難初心者にしては上出来じゃなかろうか。
人がいそうな場所をついに見つけることが出来たのだ。
アラトは唇をかみ締め歓喜に打ちひしがる。
そんな刹那の歓喜も束の間。
「ミツケタ」
森の中から一匹のゴブリンが跳び出してきた。
「しつこすぎるだろ!」
アラトは木の棒をゴブリンに構える。
「コワイノカ?」
剣先が震えるアラトにゴブリンはニヤリと笑いペティナイフを突き向ける。
「ワレワレノドウホウヲ、ヨクモコロシテクレタナ!」
ゴブリンはしゃがれた声で咆哮し、懐に飛び込んでくる。
アラトはすぐさま棒を振り下ろすが、投げやりになったその初撃は容易くも躱される。
「こっち来んなバカ!」
花弁が四方に舞い散る中、ゴブリンはその小さな体躯を活かし素早くアラトの懐に入り込み、腹に一刺し与える。
「ぐぅぅぁぁぁ!?」
刺された痛みにアラトは絶叫し、血が溢れる腹を抑えながら、ゴブリンと距離をとる。
「痛すぎるだろクソ!」
今まで味わったことの無い激痛に視界がぶれながらも、アラトは息苦しさを噛み殺しゴブリンに視線を向ける。
「クルシミナガラシネ」
ナイフに着いたアラトの血を拭い、ゴブリンは再び攻め入る。
アラトは突撃するゴブリンに対し、身を低くして半ばヤケクソにタックルを食らわせた。
予期せぬ反撃に面食らったのか、意外にもタックルは上手く噛み合い、ゴブリンは吹っ飛ばされ、その拍子に持っていたナイフが手から離れ地面に落ちる。
すかさずアラトはナイフを拾い上げ、ゴブリンに馬乗りになり、ナイフを首元に突きつける。
「ハァハァ、形成逆転だ。大人しくしろ」
「ソレハドウカナ?」
ゴブリンはアラトの腹を鷲掴み、傷口を無遠慮に広げる。
「がぁぁぁぁあああ!!」
アラトはゴブリンの手を払い除けようとするも、ゴブリンは断固としてその手を離さず、尖った爪を食い込ませる。
こいつはきっと何が起きてもこの手を離さないだろう。このゴブリンには深い執念がある。
最後の手段。コミュニケーションが取れる人間のような相手を即座に殺すのは迷いがあった。もしかしたら話し合いで解決できるかもなんて考えていた。この状況でそんな甘い考えは薪にでも焚べるべきだろう。ナイフを手にした瞬間に事を済ませておくべきだった。
アラトは激痛の中、静かに殺意をかためナイフを両手で逆手で持つ。
振り下ろそうとした瞬間
「ぎぃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!??」
突如、アラトの頭蓋の中で激痛が走る。脳を直接無数の針で刺されたような味わったことの無い痛み。想像できる最大の痛みの百倍の痛撃。
気づけば青空が目の前に広がっている。あまりの痛みで、ゴブリンの腹の上から地面に転がっている。
「い、一体何が……?」
ゴブリンはそんなアラトの様相を見てポカンとしている。ゴブリンが何かした、という訳でも無さそうだ。
いきなり降って湧いたような激痛に訝しむが、目の前の脅威の排除を優先すべくアラトは再びナイフを手に取り、殺意を固めゴブリンに向かってナイフを突き出し走り出す。
再度、その殺意に呼応するかのように頭の中で激痛が暴れ狂う。
悲鳴は上げなかった。いや、実際は叫んでいたのかもしれないが、周囲の喧騒が一気に遮断されたかのように音が聞こえなくなった。
それほどの痛撃がアラトを襲う。
「ブザマダナ」
ゴブリンは転がったナイフを拾い上げ、仰向けに倒れているアラトの首筋にナイフを当てる。
「……うるさいな。やるならやれよ」
疲弊した身体を動かす体力も気力も全て削ぎ落とされた。
死が怖くないという訳では無いが、先程の痛みに比べればナイフで首を掻き切られたぐらい、という気持ちもある。
何にせよ万事休す。馬鹿みたいに深く青い空の下、色とりどりの花畑の中で死ねるなら悪くはない。
案外、死の間際でも冷静だ。自分の新たな一面に心が波打つが、もうその感情を巡らす機会も失われてしまう。
「少し、名残惜しいな」
アラトは寝入るように瞼を閉じ、決意を固める。
「ちょっと待て」
そよ風が花弁を運び、アラトの頬を優しく撫で、金木犀の香りが鼻先に漂う。
「ナニモノダ!?」
想定外の侵入者にアラトの首元に当てていたナイフの剣先を向ける。
アラトもゴブリンに倣うように声主に目をやる。
悠然と立ち尽くすその人物は白いローブを着ていて、フードをすっぽり被っているので顔は見えないが、声色からして若い女性だろうか。
右手にはローブと同じ色の重厚そうな杖を持っている。
「何者?ここは私の庭園だが、お前達こそ何奴だ。真心込めて育てている花を散らしやがって」
その女性は白い杖をゴブリンに向け、苛立ちを含みながら無遠慮にこちらに足を運ぶ。
遠目からではわからなかったが、銀髪の髪がフードから見え隠れしている。
顔が見えそうな距離まで近づいた途端、ゴブリンは蛇に睨まれた蛙のように立ちすくみ、カタカタとナイフを持つ手が震える。
「マサカ、オマエハ」
「なんだ、新参者かと思ったが私のことを知っているのか。なら話は早い。私は平和主義者なんだ。さっさと失せろ」
ゴブリンは破竹の勢いで森の方へと駆け出し、その小さな体躯を活かし一気に草むらに溶け込んで行った。
「大丈夫か、少年」
その女性は寝転がるアラトへと屈み、フードを外す。
キラキラと眩い銀髪を一束に纏めてポニーテールにしていて、瞳も同じく銀色。顔立ちもその眩い髪と瞳に相応しい顔立ちをしている。
二十代前半くらいか、アラトよりかは年上に見える。
「傷は下腹部か」
慣れた手つきで、銀髪の女性はアラトの服を脱がせる。
「運がいい、内臓に傷は達して無い」
そんなひと目でわかるものなのか、とアラトはささやかに感嘆する。女性はローブの内ポケットから包帯やら薬品瓶を取り出し、処置を始める。
「あの、ありがとうございます」
「礼はいい。今ここで傷の縫合するから、この麻酔剤を飲め」
返事をする暇もなく、口に瓶を押し込まれる。 ほの甘い液体が喉を下っていくと、同時に眠気が襲う。
首に触れる女性の白い手──体温を確かめているのか。
「これは…」
女性の表情がわずかに固まる。
アラトは睡魔に耐えきれず、目を閉じた。
深い眠りの底に落ちて行く中、その女性が最後に呟いた言葉が頭の中で反響する。
「──呪われている」
初めまして、金木優と申します。第一章灯火の英雄編はほぼ完成しておりますので、随時投稿していきたいと思います。
よろしくお願いいたします。




