第7話 料理の新境地
朝靄が薄らぎ始めた頃、セレナ・リュクスは村の市場へと足を運んだ。
昨日の料理が意外にも村人たちに好評だったため、今日は本格的に料理に挑戦しようと思ったのだ。もっとも、本人にとってはただの再挑戦に過ぎなかったが。
市場は朝から活気に満ちていた。
農民たちが野菜を並べ、商人が干物を吊るし、主婦たちが品定めをしている。
セレナは食材を選ぶため、野菜売り場へと向かった。
「おお、これは聖女様」
商人のハンスが深々と頭を下げた。
五十代の彼は、二十年この村で商売をしてきたが、貴族が直接市場に来ることなど初めてだった。しかも、昨日の噂では革新的な農法と料理を披露したという。
セレナは野菜を手に取った。
しかし、新鮮な野菜の見分け方など分からない。結果として、萎びかけたものや、少し変色したものを選んでしまう。
「あの、聖女様、こちらの方が……」
ハンスが新鮮な野菜を勧めようとしたが、セレナは首を横に振った。
「いえ、これでいいわ」
実際は、どれも同じに見えていただけなのだが。
――スーパーなら賞味期限確認するのに……文字読めない部分もまだあるし。
ハンスは震えた。
二十年の商人人生で培った勘が告げている。これには深い理由があるはずだと。
萎びた野菜を選ぶ理由。それは……そうだ、きっと「熟成」だ。都では野菜も熟成させて、旨味を引き出す技術があるに違いない。
「いくらかしら?」
セレナの問いに、ハンスは慌てて値段を告げた。
しかし、セレナは値段交渉というものを知らない。言い値で買ってしまう。
「え、そんなに?」
ハンスは驚いた。
普通なら半額まで値切られるのが常だ。それなのに、この令嬢は言い値で支払うという。
――これは、慈悲だ。商人にも平等に利益を与えようとされている。
隣で見ていた主婦団のリーダー、アンナも息を呑んだ。
四十代の彼女は村の料理上手として自負していたが、昨日セレナが作った料理の噂を聞いて、自信が揺らいでいた。都の新しい技術を学べば、もっと上達できるかもしれない。そんな向上心が、彼女の目を輝かせる。
「聖女様、今日もお料理を?」
アンナの問いに、セレナは小さく頷いた。
「ええ、少し」
その控えめな返事が、かえって村人たちの期待を煽った。
✦ ✦ ✦
昼時、セレナの屋敷に村の女性たちが集まってきた。
料理を教えてもらいたいという。
セレナは断りたかったが、皆の期待に満ちた眼差しを前に、断ることもできなかった。
「じゃあ、一緒に作りましょうか」
結果として、即席の料理教室が始まることになった。
まず、セレナはスープを作ることにした。
野菜を切るところから始める。しかし、包丁の持ち方からして間違っている。刃を自分に向けて持ってしまい、見ている者をひやひやさせた。
若妻のサラが心配そうに見つめる。
二十五歳の彼女は、嫁いで三年、姑のベアトリスに料理を否定され続けてきた。味が薄い、煮込みが足りない、盛り付けがなっていない……毎日のように小言を言われ、自信を失っていた。
――もし、新しい方法を覚えれば、姑も認めてくれるかもしれない。
その希望にすがるように、セレナの手元を見つめる。
セレナは野菜を鍋に入れ、調味料を加え始めた。
しかし、順番がめちゃくちゃだ。先に塩を大量に入れ、その後で野菜、さらに砂糖、そして酢。通常なら考えられない順序で調味料を投入していく。
「あの順番は……」
十二歳の少女ミナが目を丸くした。
彼女の夢は都会のコックになることだ。村の単調な料理に飽き足らず、いつか都で修行したいと思っていた。目の前で繰り広げられる調理法は、まさに都の最先端に違いない。
火加減も独特だった。
最初から強火で煮立て、吹きこぼれそうになると慌てて火を消す。そしてまた強火にする。その繰り返しで、スープは不思議な色に変わっていった。
――これ、完全に失敗……クッキングパパ読みたい……漫画ないけど。
セレナの内心とは裏腹に、観察していた女性たちは別の解釈をしていた。
「強火と消火の繰り返し……まさか、二段階調理法?」
姑のベアトリスが呟いた。
六十代の彼女は、伝統的な味を守ってきた自負があった。しかし、嫁のサラを見ていると、時には新しいことも必要なのかもしれないと思い始めていた。若い嫁に負けたくないという対抗心も相まって、新技術の習得に意欲を見せ始める。
スープは次第に虹色に変化していった。
混ぜすぎて、様々な野菜の色素が混じり合った結果だ。
「なんて美しい色……」
ミナが感嘆の声を上げた。
次に、セレナは肉料理に挑戦した。
肉の焼き方も失敗続きだ。外側は真っ黒に炭化しているのに、中はまだ生という状態になってしまう。
「これは……」
セレナは困り果てた。
――これ、食べられないよね……でも皆見てるし。
しかし、アンナは違う見方をした。
「炭化健康法ね!昔、行商人から聞いたことがあるわ。炭には浄化作用があるって」
さらに、セレナはサラダも作った。
しかし、組み合わせがおかしい。果物と野菜と、なぜか薬草まで混ぜてしまう。さらに、盛り付けも崩壊している。皿からはみ出し、テーブルにまで広がってしまった。
「自然体の美……」
サラが呟いた。
姑に怒られ続けて縮こまっていた彼女にとって、この自由な盛り付けは解放的に見えた。
最後にデザートを作ることになった。
しかし、またもや調味料を間違え、甘いはずのデザートが塩味になってしまう。
「大人のスイーツということかしら」
ベアトリスが味見をして、顔をしかめながらも納得したような表情を見せた。
✦ ✦ ✦
午後になり、完成した料理の試食会が始まった。
虹色のスープ、炭化した肉、謎のサラダ、塩味のデザート。
どれも常識では考えられない料理ばかりだ。
しかし、村人たちは恐る恐る口にしていく。
最初に味見をしたのは村長のジョセフだった。
七十歳の彼は、三十年前のことを思い出していた。当時、この村に聖職者が訪れたことがある。その人物も、不思議な力を持っていた。病を癒し、作物を実らせた。しかし、セレナの存在感は、あの時とは違う何かを感じさせた。
スープを一口飲んで、ジョセフは目を見開いた。
確かに、味は奇妙だ。
しかし、なぜか懐かしい感覚が蘇る。幼い頃、初めて食べ物を口にした時の、あの純粋な驚き。味覚の原点に立ち返るような感覚。
「これは……」
ジョセフの反応を見て、他の村人たちも次々と試食していく。
カイルも味見をした。
王都の高級料理を知っている彼にとって、これは料理と呼べるものではなかった。しかし、セレナ様が作ったものに間違いはないはずだ。きっと、自分の理解を超えた、常識を超えた領域の料理なのだろう。
メアリーは確信を深めていた。
――セレナ様は、味覚革命を起こそうとされている。
固定概念に囚われない、全く新しい食の世界。それは、精神性の高さの表れに違いない。
――これ食べログなら☆1……でも☆5になりそう。
セレナの内心の呟きとは裏腹に、村人たちの間では感動が広がっていた。
サラは涙を流していた。
「こんな自由な料理があってもいいんだ」
姑から受けた抑圧から解放されたような気持ちになっていた。
ミナは目を輝かせている。
「これが都の料理!いつか私も作れるようになりたい」
ベアトリスも複雑な表情を浮かべながら、新しい味に挑戦することの大切さを認め始めていた。
子供たちは素直な反応を示した。
「変な味ー!」
「でも面白い!」
「もっと食べたい!」
いつもの料理に飽きていた子供たちにとって、この奇妙な味は冒険のようなものだった。
✦ ✦ ✦
夕方になると、村中から煙が上がり始めた。
各家庭で、セレナの料理法を真似た調理が始まったのだ。
虹色のスープ、炭化した肉、奇妙な組み合わせのサラダ。
村のあちこちで、失敗料理の連鎖が起きていく。
しかし、誰も失敗だとは思わない。
これが「聖女料理」なのだと、皆が信じて疑わない。
トーマスの家では、妻が虹色のスープを作っていた。
「これで今年は豊作間違いなしね」
希望に満ちた声で語る妻に、トーマスも頷く。
ピエールは、友人たちと「聖女料理」について熱く語り合っていた。
「これは料理の革命だ」
「味覚の固定概念を破壊する、新しい食文化の誕生だ」
若者たちの間で、セレナの料理は「革新の象徴」として受け入れられていく。
ハンスの店では、萎びた野菜が飛ぶように売れ始めた。
「聖女様が選ばれた野菜と同じものを」
客たちが、こぞって古い野菜を求める。
ハンスは困惑しながらも、商売の機会を逃さなかった。
――インスタ映えしない……むしろ闇鍋。
セレナは屋敷の窓から、村中から上がる煙を眺めていた。
どうして失敗が成功として受け入れられるのか、もはや理解することを諦めかけていた。
✦ ✦ ✦
その夜、メアリーは愛用の革装の日記帳を開いた。
『セレナ様観察日記 第七日目
今日、セレナ様は料理において、さらなる革新を示された。
味覚革命。それは単なる料理の変革ではない。人々の意識を変革する、聖女様の深い教えなのだ。
萎びた野菜を選ばれたのは、「完璧でないものにも価値がある」という教え。
値切らずに買われたのは、「公正な取引」の実践。
虹色のスープは、「多様性の調和」の象徴。
炭化した肉は、「浄化と再生」のメッセージ。
村人たちは、その教えを理解し始めている。特に、抑圧されていたサラ様の解放された表情を見た時、私は確信した。
セレナ様の料理は、単なる食事ではない。魂を解放し、新しい世界へと導く、聖なる儀式なのだと』
メアリーはペンを置き、明日の計画を考え始めた。
この「聖女料理」を、もっと多くの人に伝えなければならない。それが、自分に与えられた使命だと信じて。
一方、セレナは寝床で天井を見上げていた。
――もう諦めた……流れに身を任せよう。
抵抗しても無駄だということが、ようやく分かってきた。
何をしても誤解される。失敗すら成功として解釈される。
完全なる諦観。
それがセレナの到達した境地だった。
――これがバズるって……味覚の多様性すごい。
最後の現代的ツッコミを心の中で呟いて、セレナは目を閉じた。
しかし、翌朝、村に本当の危機が訪れることになる。
井戸の水が、ついに完全に枯れてしまったのだ。
春の種まき前の大切な時期に、水がない。
これは村の存亡に関わる重大な問題だった。
そして、その危機の中で、セレナの存在はさらに大きな意味を持つことになる。
お読みいただきありがとうございました。
萎びた野菜は「熟成の技術」、値切らないのは「慈悲の施し」、虹色のスープは「多様性の象徴」……全ての失敗が聖なる意味を持つことに。サラとベアトリスの和解も感動的(?)でした。
次回は村の危機!井戸が枯れる中、セレナのダウジング(失敗)がどんな展開を生むのか?
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