第6話 農作業の革新
朝日が昇り始めた頃、セレナ・リュクスは目を覚ました。
辺境の屋敷での二日目の朝。今日から本格的な自給自足生活を始めるつもりだ。
――農業シミュレーションゲーム、たくさんやったから大丈夫よね。
しかし現実はゲームとは違う。セレナはその事実を、これから身をもって知ることになる。
朝食を済ませ、セレナは納屋から農具を取り出した。
鍬らしきものを見つけ、それを手に取る。しかし、持ち方からして逆さまだった。重い部分を上にして、柄の細い部分を地面に向けている。
「セレナ様、朝から農作業を?」
メアリーが驚いたような声を上げる。
王都育ちの令嬢が、自ら畑仕事をしようとしている。これは予想外だった。
「ええ、食べ物は自分で作るものよ」
セレナは涼しい顔で答えた。
実際は、村人に頼るのが気まずいだけなのだが。
メアリーの瞳が輝き始めた。
――セレナ様は、労働の尊さを身をもって示そうとされている。
新しい修行が始まるのだ。メアリーは興奮を抑えきれなかった。
カイルも同じような反応を示す。農業については全く知識がないが、セレナ様がされることに間違いはない。そう信じて疑わない護衛騎士は、鍬を逆さまに持つ姿さえも、何か深い意味があるものとして受け入れた。
セレナは種袋を全部持って畑へ向かった。
荒れ果てた畑を見て、まず畝を作ることにする。
しかし、鍬を逆さまに持っているため、土を掘り起こすどころか、奇妙な模様を描くだけだった。
まっすぐ進もうとしても、なぜか蛇のようにジグザグになってしまう。
「あら……」
セレナは首を傾げた。
――YouTube見たい……農業講座とか。
そんな内心とは裏腹に、その光景を見ていた農民たちは息を呑んだ。
農民のトーマスは、四十代の熟練した農夫だ。
去年の不作で収入が激減し、妻が明らかに痩せてしまった。子供たちにも十分な食事を与えられない日々が続いている。今年こそは豊作を、と春の種まきを前に祈るような気持ちでいた。
そんな時に、都から来た高貴な令嬢が、見たこともない方法で畑を耕し始めたのだ。
「あの模様……まるで何かの紋章のようだ」
トーマスの隣にいた若者ピエールが興奮気味に言った。
二十代の彼は、古い農法に不満を持っていた。もっと効率的な方法があるはずだ、革新的な技術があれば村は豊かになれる、そう信じていた。
「都では、きっと新しい農法が開発されているんだ」
ピエールの言葉に、トーマスも希望を見出し始めた。
――もしかしたら、今年は違うかもしれない。
都の新技術なら、去年のような不作は避けられるかもしれない。妻と子供たちに、十分な食事を与えられるかもしれない。そんな切実な願望が、トーマスの目を曇らせていく。
✦ ✦ ✦
畝作りを終えたセレナは、次に種まきを始めた。
しかし、種の適切な間隔など知らない。
一箇所に大量の種を投下してしまう。
「これくらいでいいかしら」
セレナは満足そうに頷いた。
――これじゃ収穫できない……ゲームならリセットボタンがあるのに。
しかし、その様子を見ていた村人たちの解釈は全く違った。
「あんなに密集させて……」
「いや、待て。もしかしたら」
農民たちがざわめき始める。
トーマスは考え込んだ。
常識では考えられない種まきの方法。しかし、都の令嬢がわざわざ自ら行っているということは、何か理由があるはずだ。
「神聖幾何学農法だ」
ピエールが突然叫んだ。
「僕、昔行商人から聞いたことがある。都では、特別な配置で種をまくことで、大地の力を最大限に引き出す方法があるって」
それは単なる与太話だったのだが、目の前でセレナが実践していることで、急に現実味を帯びてきた。
水やりの段階になって、セレナはさらに失敗を重ねる。
水を勢いよくかけすぎて、せっかくまいた種を流してしまったのだ。
「あっ……」
小さく声を漏らすセレナ。
――完全に失敗した。明日やり直そう。
しかし、その光景さえも、村人たちには別の意味を持って映った。
「種を流して……まさか選別している?」
「強い種だけを残す方法か」
「なんという高度な技術」
誤解は次から次へと連鎖していく。
昼時になり、セレナは屋敷に戻った。
農作業で疲れ切っていたが、昼食の準備もしなければならない。
✦ ✦ ✦
台所に立ったセレナは、収穫した野菜で料理を始めた。
実際は畑の端に生えていた雑草も混じっているのだが、野菜との区別がつかない。
調味料の瓶を手に取るが、文字が読めない。
この世界の文字は読めるようになったが、略字で書かれた調味料のラベルまでは判読できなかった。
結果、塩と砂糖を間違えてしまう。
「これで味付けして……」
甘いはずのスープが、異常にしょっぱくなった。
慌てて砂糖(と思った塩)を追加して、さらに味が混沌としていく。
火加減も失敗し、鍋の底が焦げ付いた。
焦げた匂いが台所に充満する。
――クックパッド見たい……レシピ本すらないなんて。
そんな時、双子侍女のリリとロロが台所を覗いた。
「セレナ様、何か新しいお料理を?」
二人は王都の画一的な味に飽きていた。
毎日同じような味付けの料理ばかり。若い彼女たちは、新しい刺激を求めていた。
差し出された謎の料理を、恐る恐る口にする。
「!?」
衝撃的な味だった。
甘いのかしょっぱいのか分からない。そして焦げた苦味。
しかし、これまで経験したことのない味であることは確かだった。
「これは……新しい」
「都では、こんな料理が流行っているんですね」
双子は目を輝かせた。
その騒ぎを聞きつけて、村の主婦マーサもやってきた。
三十代の彼女は、都会への憧れを持っていた。洗練された都の文化、優雅な生活様式。それらへの憧憬が、目の前の奇妙な料理さえも「都の最新料理」として受け入れさせた。
「まあ、なんて複雑な味わい」
「きっと、都の上流階級ではこれが当たり前なのね」
マーサは感激した様子で、料理法を教えてほしいと懇願した。
メアリーはその様子を見ながら、手帳に記録していく。
『セレナ様は料理においても革新的だ。従来の味の概念を覆す、全く新しい味覚の開拓。これも聖女としての使命の一つなのだろう』
✦ ✦ ✦
午後になると、セレナの「革新的農法」と「創作料理」の噂は、瞬く間に村中に広まった。
井戸端に集まった村人たちが、口々に話している。
「都の令嬢様が、自ら畑を耕していらっしゃる」
「見たこともない方法で」
「料理も凄いらしいわよ」
長老のバルトロメオは、七十年生きてきて多くの変化を見てきた。
彼は基本的に伝統を重視する性格だったが、孫たちの将来を考えると、変化も必要かもしれないと思い始めていた。
――変化は怖い。だが、もし本当に豊作をもたらすなら……
葛藤を抱えながらも、バルトロメオはセレナの行動を見守ることにした。
やがて、セレナの作った「料理」が、村人たちに配られることになった。
失敗作なのだが、皆は「聖女の恵み」として有難がって受け取った。
トーマスは、その奇妙な味の料理を大切に持ち帰った。
「これを食べれば、今年は豊作間違いなしだ」
妻と子供たちに、希望に満ちた顔で語る。
ピエールは、料理を小さく分けて、お守りのように懐に忍ばせた。
「革新の象徴だ」
若者たちの間で、セレナの料理はお守りとして扱われ始めた。
セレナは屋敷の窓から、その様子を眺めていた。
――炎上しそう……いや、良い意味で信仰の炎が燃え上がってる。
どうしてこうなるのか。
ただ普通に暮らしたいだけなのに。
夜になり、メアリーは愛用の革装の日記帳を広げた。
ランプの明かりの下で、今日の出来事を詳細に記録していく。
『セレナ様観察日記 第六日目
今日、セレナ様は農業と料理において、革新的な技法を実践された。
農法については、従来の常識を覆す種まきの配置。あの幾何学的な模様は、きっと大地の力を引き出すための神聖な図形なのだろう。水で種を流されたのも、選別の一環に違いない。
料理においても、これまでの味覚の概念を超越した、全く新しい領域を開拓された。甘さと塩辛さ、苦味が複雑に絡み合うあの味は、きっと精神性を高める効果があるのだろう。
村人たちは、セレナ様の革新性に驚き、そして希望を見出している。特に、去年の不作で苦しんでいたトーマス氏の目に、生気が戻ったのを見た時、私は確信した。
セレナ様は、ただ生きているだけで、周りに希望を与える存在なのだと』
メアリーはペンを置き、窓の外を見た。
月明かりに照らされた畑には、セレナが作った奇妙な畝の模様が残っている。
明日、村人たちはその畑を真似するだろう。
そして、セレナの「農法」は、この地に根付いていくだろう。
観察から確信へ。
メアリーの心は、既に次の段階へと移行し始めていた。
✦ ✦ ✦
その頃、セレナは寝床で天井を見上げていた。
――なんで褒められるの……失敗なのに。
理解できない。
ただ失敗しただけなのに、皆が勝手に深い意味を見出していく。
この誤解の連鎖は、まだ始まったばかりだった。
そして翌日、村には本当の試練が訪れることになる。
井戸の水が、突然枯れ始めたのだ。
春の種まきを前に、村の存亡をかけた最大の危機。その中で、セレナの存在はさらに大きな意味を持つことになる――
お読みいただきありがとうございました。
農業も料理も大失敗のセレナですが、村人たちは「革新的技術」として希望を見出してしまいました。不作に苦しむトーマスの切実な願いが、誤解をさらに加速させます。
次回は村の危機!井戸が枯れる中、セレナの適当な行動がどんな奇跡を生むのか?
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