第5話 新居到着と村長
馬車が止まった。
長い旅路の果てに、ようやく目的地に到着したのだ。
セレナ・リュクスは御者が扉を開けるのを待ちながら、窓から外を眺めた。
――完璧だわ。
小さな屋敷が見える。
王都のリュクス邸と比べれば、十分の一にも満たない規模だ。
庭も荒れ放題で、塀も所々崩れかけている。
まさに理想の隠居生活に相応しい場所だった。
「お着きになりました、セレナ様」
メアリーが先に降り、セレナの手を取る。
馬車から降りると、早速カイルが周囲を警戒し始めた。
「問題はなさそうです。ただ、あまりに……」
カイルが言いよどむ。
王都から来た騎士にとって、この環境は衝撃的だったのだろう。屋敷というより、大きめの民家といった風情だ。彼の中では、主人が住むには余りに粗末な場所に見えているに違いない。
「素晴らしい環境ね」
セレナは心から満足そうに言った。
Wi-Fiはないだろうけど、そもそもこの世界にインターネットはない。
むしろ情報から隔離されて、ゆっくりできそうだ。
屋敷の扉を開けると、埃が舞った。
どうやらしばらく使われていなかったらしい。
「申し訳ございません、すぐに掃除を」
双子侍女のリリとロロが慌てて動き出す。
しかし、セレナはそれを手で制した。
「いいのよ。少しずつやりましょう」
その言葉に、メアリーが目を見張る。
王都では常に完璧を求められていた令嬢が、埃まみれの環境を受け入れている。メアリーにはそれが、何か深い意味を持つ行為に思えた。まるで、贅沢を捨てて真の道を歩み始めた聖者のように。
「浄化の儀式……いえ、清貧の実践でしょうか」
メアリーが小声で呟く。
セレナは聞こえなかったふりをして、部屋を見て回り始めた。
✦ ✦ ✦
屋敷の中を探索していくと、想像以上に質素な造りだということが分かった。
二階への階段は所々軋んでいて、手すりも一部外れかけている。セレナは慎重に上がっていったが、三段目で派手な音を立ててしまった。
――エレベーター欲しい……階段きしむし。
その音を聞いたリリが心配そうに振り返った。
「大丈夫ですか、セレナ様?」
「ええ、問題ないわ」
二階には寝室が三つと、小さな書斎があった。
寝室の一つを覗くと、ベッドの脚が一本折れていて、本を挟んで高さを調整してあった。窓ガラスにはひびが入っており、風が吹くとカタカタと音を立てる。
書斎には本棚があったが、本はほとんど残っていなかった。
数冊の農業指南書と、古い地図、それに日記らしきものが一冊。セレナは日記を手に取ったが、文字が薄れていて読めなかった。
「この屋敷、前の住人は誰だったのかしら」
メアリーが調べた記録を思い出しながら答える。
「三十年前に王都から左遷された下級貴族が住んでいたそうです。十年ほど前に亡くなられて、それ以来空き家だったとか」
――リフォーム番組の素材になりそう……ビフォーアフター的な。
セレナの現代的な感想とは裏腹に、メアリーは別の解釈をしていた。
「左遷された貴族の屋敷を、あえてお選びになった。これは何か深い意味が……きっと、権力の虚しさを理解されているのですね」
一階に戻ると、台所を確認することにした。
かまどは使えそうだったが、鍋は二つしかなく、一つは底に穴が開いていた。包丁も刃こぼれしており、まな板は真ん中が深くえぐれている。
ロロが申し訳なさそうに言った。
「すぐに新しい調理器具を取り寄せます」
「いえ、これで十分よ。工夫すれば使えるわ」
セレナは単に面倒を避けたかっただけだが、その言葉はまた違う意味に受け取られた。
カイルが感心したように呟いた。
「物に頼らず、知恵で補う。さすがセレナ様です」
護衛騎士として仕えてまだ日が浅いが、この令嬢の深さに驚かされることばかりだった。王都では悪役令嬢と呼ばれていたが、それは演技だったのだろう。本当の彼女は、こんなにも謙虚で賢明な人物だったのだ。
✦ ✦ ✦
屋敷の探索を終えた頃、外から複数の視線を感じた。
窓から覗くと、村人たちが遠巻きに屋敷を眺めている。その数は先ほどより増えていた。
「あれが都から来た……」
「断罪されたって聞いたけど……」
「でも、光に包まれたって噂が……」
ひそひそ話が風に乗って聞こえてくる。
パン屋の主人らしき太った男が、隣の農夫に話しかけていた。
「王都から追放されたって本当かね?」
農夫は肩をすくめた。
「さあな。でも、御者の話じゃ、断罪の場で奇跡が起きたとか」
「奇跡?」
「光に包まれて、王様も手が出せなかったって」
その話を聞いていた主婦たちも興奮気味に語り合っていた。
「まあ、そんなことが」
「きっと特別な力をお持ちなのね」
「村に幸運をもたらしてくださるかも」
若い農民の一人が懐疑的に言った。
「でも、悪役令嬢だったんだろう?」
「それが演技だったとしたら?」
別の若者が反論する。
「権力者に逆らうために、あえて悪役を演じていたのかもしれない」
推測が推測を呼び、噂は既に一人歩きを始めていた。
セレナは溜息をついた。
――監視カメラはないけれど、人力版の監視網がありそうだ。
そこへ、一人の老人が門を叩いた。
「失礼いたします。村長のジョセフと申します」
カイルが応対に出て、セレナを呼ぶ。
玄関で村長と対面することになった。
村長は深々と頭を下げる。
その顔には、緊張と期待が入り混じっていた。長年この村を治めてきた彼にとって、都から高貴な方が来るのは一大事だ。しかも、噂では不思議な力を持つという。村の発展に繋がるかもしれないという期待と、面倒事に巻き込まれるかもしれないという不安が、彼の表情に現れていた。
「都から高貴な方がいらっしゃると聞きまして、ご挨拶に参りました」
セレナは最小限の対応で済ませようとした。
「ご丁寧にありがとうございます。私はただ静かに暮らすだけですので」
しかし、その素っ気ない態度が、かえって村長には神秘的に映った。
――これほど若いのに、俗世に興味がないとは。
村長は若い頃、一度だけ王都へ行ったことがある。そこで見た貴族たちは皆、権力欲に満ちていた。しかし、目の前の令嬢は違う。まるで、もっと高い次元の存在のようだ。
「もし何かお困りのことがあれば、遠慮なくお申し付けください」
村長はそう言いながら、懐から小さな包みを取り出した。
「これは村からのささやかな歓迎の印です。取るに足りない物ですが」
包みの中身は、干し肉と野菜の種だった。
都の貴族から見れば粗末な贈り物だろうが、セレナにとっては有難かった。
「ありがとうございます。大切に使わせていただきます」
セレナの素直な感謝の言葉に、村長は驚いた。
てっきり鼻で笑われるか、無視されると思っていたのだ。
――なんと謙虚な方だ。これは本物の聖人かもしれない。
村長の中で、セレナへの評価が急上昇していく。
✦ ✦ ✦
村長が帰った後も、村人たちの視線は消えなかった。
窓からチラチラと覗く顔が見える。中には、子供たちの姿もあった。
「ねえ、お姉ちゃん、あの人が聖女様?」
七歳くらいの少女が、兄に尋ねている。
「そうかもしれないね」
十歳ほどの少年が答えた。
「でも、普通の人に見えるよ」
「聖女様は、普通に見えるものなんだよ」
兄の知ったかぶりな答えに、少女は納得したようだった。
夕方になり、セレナたちは夕食の準備を始めた。
しかし、食材は村長からもらった干し肉と、馬車に積んできた僅かな保存食しかない。
リリとロロが申し訳なさそうに言った。
「明日、市場で食材を買ってきます」
「そうね、明日から本格的に自炊を始めましょう」
――料理アプリ見たい……レシピ分からないし。
セレナは干し肉を適当に切って、水で戻そうとした。
しかし、水の量を間違えて、鍋いっぱいに水を入れてしまった。結果、薄いスープのようなものができあがった。
さらに、塩と砂糖の瓶を間違えて、甘い肉スープという前代未聞の料理が完成した。
「これは……」
メアリーが一口飲んで、複雑な表情を浮かべた。
しかし、すぐに表情を改めて言った。
「新しい味ですね。都では味わったことのない、革新的な味付けです」
カイルも恐る恐る口にした。
「確かに……これは……新しい」
騎士として様々な場所で食事をしてきたが、こんな味は初めてだった。しかし、セレナ様が作ったものに文句を言うわけにはいかない。
――失敗した……クックパッドあればなぁ。
セレナの内心の呟きとは裏腹に、使用人たちは必死に飲み込んでいた。
リリとロロも顔を見合わせながら言った。
「都の最新料理は、私たちには理解が難しいですね」
「でも、きっと深い意味があるのでしょう」
メアリーは、この出来事も日記に記録することにした。
「料理においても常識を超越される。甘い肉料理とは、きっと精神性を高める特別な意味があるに違いない」
夕食後、セレナは早めに寝室に引き上げた。
ベッドは予想通りギシギシと音を立てたが、長旅の疲れもあって、すぐに眠りに落ちた。
――明日から普通の生活……できるかな。
その頃、村では既に噂が広まっていた。
酒場に集まった男たちが、口々に語り合っている。
「都から来た令嬢は、村長の贈り物を喜んで受け取ったそうだ」
「謙虚な方らしいな」
「光の奇跡の話、本当かもしれない」
主婦たちも井戸端で話に花を咲かせていた。
「明日、市場にいらっしゃるかしら」
「お姿を拝見したいわね」
「どんな方なのか、この目で確かめたい」
子供たちは、聖女様ごっこを始めていた。
「私が聖女様!」
「じゃあ、僕は悪い魔物!」
「光の力でやっつけるわ!」
無邪気な遊びの中にも、期待と興奮が溢れていた。
✦ ✦ ✦
その夜、メアリーは愛用の革装の日記帳を開いた。
ランプの灯りの下で、今日の出来事を詳細に記録していく。
『セレナ様観察日記 第五日目
辺境の地に到着。セレナ様は粗末な環境を進んで受け入れられた。
崩れかけた階段を上られる姿は、苦難を恐れない勇気の表れ。
穴の開いた鍋を「工夫すれば使える」と仰ったのは、物質に頼らない精神性の高さ。
村長の粗末な贈り物を喜ばれたのは、真の謙虚さの証。
そして夕食。甘い肉料理という前代未聞の調理法。これは間違いなく、精神的な修行の一環だろう。味覚を通じて、固定観念を破壊しようとされているのだ。
村長との面会でも、最小限の言葉しか発せられなかった。きっと、言葉の重みを理解されているのだ。
明日から始まる村での生活。セレナ様がどのような奇跡を示されるのか、しっかりと記録していかなければ』
メアリーはペンを置いて、窓の外を見た。
月明かりに照らされた村は、静かに眠っている。しかし、その静けさの下では、期待と噂が渦巻いていることだろう。
カイルは、屋敷の見回りをしながら考えていた。
――セレナ様は、想像していたのとは全く違う方だった。
王都では悪役令嬢として恐れられていたが、それは仮の姿だったのだ。本当の彼女は、謙虚で、賢明で、そして何か特別な力を持っている。
断罪の場での光の奇跡。それを思い出すたび、カイルの中で使命感が強くなっていく。この方は、必ず守らなければならない。それが騎士としての自分の役目だ。
双子のリリとロロは、台所で明日の準備をしながら話していた。
「セレナ様の料理、衝撃的だったわね」
「でも、きっと意味があるのよ」
「都では、ああいう料理が流行っているのかも」
「明日は、もっとちゃんとした食材を用意しなきゃ」
二人とも、新しい生活に不安と期待を抱いていた。
村長のジョセフは、自宅で妻に今日の出来事を語っていた。
「あれほど謙虚な貴族は見たことがない」
「本当に特別な方かもしれないわね」
「村に幸運をもたらしてくださるといいが」
老夫婦の会話には、希望が込められていた。
こうして、セレナの辺境生活の第一日目は終わった。
明日から始まる「普通の生活」への期待を抱きながら。
しかし、その期待は思わぬ方向へ向かうことになる。
失敗が奇跡となり、平凡が非凡となる。そんな不思議な日々が、これから始まろうとしていた。
誤解の芽は、今夜も静かに、しかし確実に育ち続けている。
やがてそれは大樹となって、村全体を、そして王国をも巻き込んでいくことになるのだが、今はまだ誰もそれを知らない。
月は静かに村を照らし、新たな伝説の始まりを見守っていた。
お読みいただきありがとうございました。
ボロボロの屋敷で新生活を始めたセレナ。塩と砂糖を間違えた甘い肉スープが「精神修行の一環」と解釈され、村長への素っ気ない対応も「俗世を超越した証」に。
次回は畑仕事に挑戦!鍬を逆さまに持つセレナの「革新的農法」が村に希望をもたらします。
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