表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
失敗聖女の異世界革命 ~地味に生きたいのに、なぜか文化が変わる件~  作者: 宵町あかり


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/14

第10話 聖なるパン

朝露がまだ草木を濡らしている頃、セレナ・リュクスは窓辺で村を眺めていた。

水の奇跡から一週間。村は平和を取り戻し、畑では種から芽が出始めている。清らかな水が常に湧き出る井戸は、今や村の象徴となっていた。


――平和になったし、普通に暮らせる……はず。


しかし、その平和な光景とは裏腹に、セレナの心には小さな不安があった。

明日は収穫祭。正確には春の種まきを祝う小さな祭りだが、村人たちにとっては大切な行事だ。


「セレナ様、おはようございます」


メアリーが朝食の準備を告げに来た。その手には厚い革装の日記帳が抱えられている。最近は肌身離さず持ち歩いているようだ。


「収穫祭の準備はいかがいたしましょう?」


セレナは少し考えた。

村人たちへの感謝の気持ちを示したい。しかし、何をすればいいのか分からない。


「そうね……パンでも焼いて配ろうかしら」


その言葉を聞いて、メアリーの目が輝いた。


「セレナ様がパンを!きっと村人たちは大喜びです」


――パン作り……ホームベーカリーないし。


現代では機械任せだった作業を、この世界では手作業でやらなければならない。不安が募る。


✦ ✦ ✦


昼前、村の市場にセレナの姿があった。

パンの材料を買い求めるためだ。


パン屋を営むジャックが、深々と頭を下げた。

四十五歳の彼は、三代続くパン屋の三代目。祖父の代から受け継いだ技術に誇りを持っていた。しかし最近、村人たちが「聖女料理」に夢中で、普通のパンの売り上げが落ちている。


「これは聖女様。パンの材料をお求めですか?」


ジャックの声には複雑な感情が入り混じっていた。


――貴族様がパンを作る時代か。職人の立場はどうなる。


しかし同時に、聖女様のパン作りを見られるという期待もあった。都の最新技術を学べるかもしれない。その葛藤が、彼の表情を複雑にしていた。


「ええ、小麦粉とイースト菌をお願いします」


セレナはイースト菌の量が分からず、適当に指差した。

その量を見て、ジャックは息を呑んだ。通常の十倍の量だ。


「そ、そんなに使われるのですか?」


「これくらい必要かと思って」


実際は全く分かっていないだけだったが、ジャックには別の意味を持って聞こえた。


――まさか古代製法?大量のイースト菌を使う失われた技術があるという。


三代に渡って受け継がれてきた知識の中に、そんな伝説があった。

職人としてのプライドと、新技術への好奇心が激しく葛藤する。


メアリーも熱心に観察している。


「日常にも奇跡は宿る。それを証明される時が来たのね」


記録者として、また布教者として、この瞬間を逃すまいと目を凝らしていた。


✦ ✦ ✦


午後、セレナの屋敷の厨房には、見学者が押し寄せていた。

聖女様のパン作りを一目見ようと、村の女性たちが集まってきたのだ。


セレナは内心で焦っていた。


――これYouTubeの失敗動画レベル……配信されたら炎上案件。


まず、イースト菌を全部入れてしまった。

普通なら少しずつ加えるものだが、一度に全量投入。生地がみるみる膨らみ始める。


発酵時間も適当に決めた。

「一時間くらい?」と思って放置したが、大量のイースト菌のせいで生地は異常な速度で膨らんでいく。


気がつけば、ボウルから溢れ出し、天井近くまで膨張していた。


パン職人のジャックは、その光景に職人生命を賭けた衝撃を受けていた。


「あの発酵は……まさか古代の超発酵法?」


自分が三代かけて磨いてきた技術とは、次元の違う何かを目撃している。

職人としての常識が音を立てて崩れていく感覚。それは恐怖でもあり、同時に新しい世界への扉が開く興奮でもあった。


子供たちは素直に驚いていた。


「すごーい!パンが生きてる!」

「もこもこして雲みたい!」


純粋な驚きと楽しさが、場の緊張を少し和らげる。


セレナは慌てて生地を成形しようとしたが、手にくっついて思うようにいかない。

結果として、不規則な形の塊がいくつもできあがった。


主婦のアンナは真剣な表情で見つめていた。


「あの不規則な形……まるで芸術作品のよう」


四十代の彼女にとって、型にはまらない形は革命的だった。

いつも同じ形のパンを焼いていた自分の固定観念が揺らぐ。


「保存食として革命的かもしれないわ」


実用的な視点から、新たな可能性を見出していた。


✦ ✦ ✦


オーブンに入れる段階で、セレナは温度調整を完全に間違えた。

最高温度に設定してしまい、外側から急速に焦げ始める。


「あ、焦げる!」


慌てて取り出そうとするが、既に手遅れだった。

オーブンから出てきたのは、真っ黒な物体。炭のような外観で、包丁も通らないほど硬い。


煙が厨房に充満し、皆が咳き込む。


――炭水化物……文字通り炭化してる。


セレナは失敗を確信した。

しかし、村人たちの反応は違っていた。


村長のジョセフが、感慨深げに呟いた。


「黒は神聖な色。昔から魔を払い、浄化の力があると言われている」


七十歳の記憶の中から、古い言い伝えが蘇る。

黒いパンには特別な意味があるはずだ。聖女様が作られたものなら尚更。


ジャックは震える手で、黒いパンの一つを手に取った。

硬すぎて切れないその質感、炭のような黒さ、そして微妙な光沢。


「これは……革命だ」


職人としてのプライドが音を立てて崩れ落ちる。

三代続いた技術、毎日早朝から仕込む苦労、全てが否定されたような気がした。しかし同時に、新しい可能性への扉が開かれた興奮もあった。


「聖女様、弟子にしてください!」


突然、ジャックが土下座した。

四十五年の人生で培ったプライドを捨て、一から学び直す決意。それは職人として、いや一人の人間としての大きな転換点だった。


――インスタ映えはしない……真っ黒だし。


セレナの内心とは裏腹に、村人たちの興奮は高まっていく。


子供たちが無邪気に叫ぶ。


「宝石みたい!」

「ピカピカしてる!」


素直な視点が、大人たちに新たな気づきを与える。


主婦のアンナが実用的な観点から評価した。


「この硬さなら、長期保存が可能ね。革命的な保存食になるわ」


論理的な解釈が加わることで、失敗が成功へと転化していく。


✦ ✦ ✦


翌日の収穫祭当日。

村の広場には、祭りの準備が整っていた。


セレナは黒焦げのパンを籠に入れて、配り始めた。

普通なら恥ずかしくて出せないような代物だが、もはや諦めの境地に達している。


「これを皆さんに」


村人たちは歓声を上げながら、有難く受け取っていく。


「聖女様のパン!」

「これは家宝にします!」

「いや、食べてこそ意味がある!」


誰かが叫んだ。


「聖餅だ!これは聖餅と呼ぶべきだ!」


その名前は瞬く間に定着した。

黒く硬い塊は、「聖餅」という神聖な名前を得て、村の新たな名物となった。


パン職人のジャックは、涙を流しながら聖餅を掲げていた。


「これからは聖女認定パン屋として生きていく!黒いパンの研究を始める!」


プライドを捨てて新技術習得を決意した彼の顔は、不思議と晴れやかだった。

新しい人生の始まり、それを受け入れる覚悟ができていた。


メアリーは熱心に記録を取っている。


「日常の奇跡。それこそが真の聖女の証」


聖女伝説の新たな側面を発見した喜びが、彼女の筆を走らせる。


――もう慣れた……失敗しても皆喜ぶし。


セレナの心には、諦観から受容への変化が完全に定着していた。

抵抗しても無駄、それならば流れに身を任せよう。皆が幸せなら、それでいい。


祭りは盛大に行われた。

聖餅を中心に、聖女料理の数々が並ぶ。虹色のスープ、炭化した肉、奇妙なサラダ。全てが神聖な食べ物として扱われる。


村の若者たちは既に次の展開を考えていた。


「この聖餅、隣村にも広めよう」

「いや、領主様にも献上すべきだ」

「聖女様の新発明として、国中に知らせるんだ」


――これトレンド入り……しないか、SNSないし。


セレナの最後の現代的ツッコミも、もはや諦めと受容に包まれていた。


夕方になると、村中で黒焦げパン作りが始まった。

各家庭から黒い煙が上がり、失敗を恐れない新しい文化が生まれていく。


✦ ✦ ✦


その夜、メアリーは愛用の革装の日記帳を開いた。


『セレナ様観察日記 第十日目


本日、日常の中に宿る聖女の真価を見た。


聖餅。それは単なる黒いパンではない。

黒は浄化の色、硬さは永続性の象徴、不規則な形は自由の表現。


パン職人ジャック様の改心も印象的だった。

プライドを捨て、新たな道を歩む勇気。それを与えるのも聖女の役目。


日常にこそ聖女の真価がある。

派手な奇跡だけでなく、毎日の小さな革新。それが人々の生活を真に変えていく。


明日は洗濯の日。セレナ様は何を示されるのか。


聖餅のレシピ(私の推測):

・小麦粉(適量)

・イースト菌(通常の十倍)

・発酵(天井に届くまで)

・焼成(最高温度で炭化するまで)


この記録が、後世の指針となることを願って』


メアリーはペンを置き、窓の外を見た。

村のあちこちから、まだ黒い煙が上がっている。失敗を恐れない新しい文化が、確実に根付き始めていた。


パン職人のジャックは、店の看板を書き換えていた。

「ジャックのパン屋」から「聖女認定・黒パン研究所」へ。

人生の大転換を、彼は前向きに受け入れていた。


「明日から、新しい人生だ」


四十五年のプライドを捨てた代わりに、無限の可能性を手に入れた。

その表情は、不思議と若々しかった。


村長のジョセフは、再び手紙を書いていた。


「領主様への追加報告。聖餅という新たな発明について」


水の奇跡に続く、日常の奇跡。それを正確に伝えなければならない。


セレナは寝床で天井を見上げていた。


「――失敗したのに……もう慣れた」


完全な諦観から、小さな受容へ。

そして今は、少しだけ前向きな気持ちさえ芽生え始めている。


皆が幸せそうだから、これでいいのかもしれない。

その思いが、セレナの心を少しずつ軽くしていく。


翌日、村の女性たちがこぞってパン作りを始めた。

皆、黒く焦がすことを目指して、競い合うように失敗していく。


そして、その中から別の「奇跡」が起きることになる。

洗濯という日常の作業が、新たな伝説を生む日が近づいていた。

明日、教会使者がやって来る。その時、村はどんな色に染まっているのだろうか――

お読みいただきありがとうございました。

黒焦げの失敗パンが「聖餅」として村の名物に!パン職人ジャックがプライドを捨てて弟子入り志願する姿が印象的でした。セレナも完全に諦めから受容へと心境が変化してきましたね。

次回は洗濯編!どんな失敗が「奇跡」になるのか、お楽しみに!

感想・評価・ブックマーク、とても励みになります! 次回もお楽しみに!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ