京子ー9
年が明けて二月。来月、母がとうとう家を離れる。
私は父母の家の大掃除をしていた。部屋はもう引き払って、荷物はもともと借りていた賃貸に戻している。母の部屋も掃除をして、いらないものはすべて捨てた。と言っても、昔から使っていた家具やアルバムなどは残している。片づけても、母の部屋のままだ。
部屋の中の整理を終えた後、私は外に出た。今までずっと手を付けられていなかった外壁の掃除をするためだ。壁にこびりついた雨だれの汚れを、高圧洗浄機で吹き飛ばそうという魂胆である。この洗浄機は父に買ってもらった。お願いした時、父は苦い顔をしたが、「じゃあお父さんやんの? 自分で?」と言ったらしぶしぶ買ってくれた。
雲一つなく、すがすがしいほどの青い空。ただ空気はびっくりするほど冷たい。洗浄機に水を補充しようと庭の水道を使っているが、凍るんじゃないかというぐらい冷たかった。やっとの思いで掃除を始めたが、手を外に出したくなくて、片手は暗い赤のダウンジャケットに手を突っ込み、片手で洗浄機を扱って掃除をした。雨だれの黒ずみや苔が水に吹き飛ばされて、元のきれいなレンガ色が露わになる。上から順番に、左から右へと、水を掛けては移動し、掛けては移動し。二時間ほどしたらすっかりきれいになった。
外壁の掃除も終わり、庭の草木の掃除も終えた私は、家の中に入った。母はまた、ガラス戸近くのリクライニングチェアに座り、庭を見ながら日を浴びている。
「よし」
時間はもう十四時過ぎになっていたが、まだお昼ご飯を食べていなかったため、台所にある冷蔵庫の中を見た。中はすっかり整理整頓されている。私は卵と、ウインナー、玉ねぎ、ケチャップがあることに気が付いた。冷凍庫には冷凍されたご飯がある。であれば、オムライスを作ろう。私は食材を出して調理を始めた。電子レンジで冷凍ご飯を温めながら、ウインナーと玉ねぎを切って、卵をボウルに割り入れる。ご飯の解凍が終わったら、切ったウインナーと玉ねぎと合わせて炒めていく。
そんなことをしていたら、母が杖を突きながら台所へやってきた。
「どうしたの?」
「のどが渇いちゃった」
「ああ、うん、分かった。麦茶出すね」
私がそう言うと、母はゆっくりうなずいた。
「これ、バターは入れないの?」
私が麦茶を注いでいる間に、母はフライパンの中を見ながらそう言った。
「いいのよ入れなくて。ほら、麦茶入れたから」
私はそう言いながら母をリクライニングチェアに連れて行って、隣のテーブルに麦茶を置いた。
オムライスができたら、母の隣のテーブルに持っていき、母と一緒にテレビを見ながら食べた。
「あんた、ケチャップかけなくていいの? あるでしょ?」
母がケチャップをかけずオムライスを食べる私を見て、そう呟いた。私は、はあ、とため息を吐く。
「私はケチャップいらないの。中のごはんに味ついてるから」
「ああ……そう」
「本当、お節介すぎ。私、自分のことはちゃんとやるから」
「はいはいそうですか。分かりました。はいはい」
私がちょっと怒ると、母は適当にそう流す。最近はいつもこれだ。聞いてないし、覚えていない。
「お母さん、来月から施設だからね」
「行かないよ」
前は行くと言っていたのに、また忘れてそんなことを言っている。もう諦めているが、かなり記憶力は衰えている。
「施設に行っても、ちゃんと職員の人の話聞いてね」
「はいはい」
「本当、お母さん人のことはぐちぐち言うくせに、自分のことは棚に上げて……」
つい口を突いて出た悪口だったが、あえて止めなかった。
「学生の時から、いろいろ愚痴出して、そのくせ何にも具体的なことはしてくれないし」
「そんなことない」
「昔っからそうだよ」
私はそう言って母の反論を止めた。
言わなきゃならないことがある。大したことはないんだけども、大切なことで。ちゃんと伝えなければ。
しばらくの沈黙の後、食事を終えた私は台所にお皿を持って行って、皿洗いを始めた。
「……でも、外の人とはちゃんと話せるんだから、ちゃんと頑張ってね」
私がそういっても、母は返事をしない。黙り込む。
「私にいろいろ教えてくれたでしょ。食事のマナーとか」
私はそれに構わず続けた。
「中学高校の時も、部活、すごい応援してくれたじゃん」
関係ない話だけど、一応話しておく。
「大学受験の時は、塾にも行かせてくれて、遅くまで勉強してた時は、夜食とかも作ってくれて」
もう、施設に入る時まではここには来ない予定だ。だから、言えなかったことを言っておく。
「就活の時とかは、まあ、大変だったけど、会社が決まった時は、お祝いに時計、買ってくれたじゃない? あれは地味に嬉しかった」
だって、家を離れるまで、ずっと私に寄り添ってくれていたのは、母なのだ。過保護で、お節介で、何でも私のやることなすことに口をはさんできて嫌なところもたくさんあったけど、それでも、まったく意味がないなんてことは、無いんだ。
「結婚の時は、いきなり家出てごめん。でも、あの時はどうしてもあの人と結婚したかったから、許してほしい」
だから。
「だから、頑張ってね。私もたまに会いに行くから」
私が最後にそう言うと、母はゆっくり、頷いた。この言葉も、母が覚えているかは分からない。でも、言っとかないと。もうここでしか、伝えるチャンスが無いと思うから。
翌月、母を施設に預けた。その時、私は服や日用品、書類などと一緒に、昔の家族の写真を渡した。母がどう思っているか分からないが、忘れないよう、そばに置いといてほしかったから。
施設の帰り、私は本屋と雑貨屋さんに寄った。買ったのは前から読んでみたかった新書と単行本の小説、そして、写真立てをひとつ。帰ったらその写真立てに昔の家族の写真を入れた。市民公園の東屋で撮った、四人の写真。
過去に置いてきた後悔は、完全に終わってしまった。そしてもう、毎日を積み上げるしかやることがなくなってしまった。であれば、やるしかない。やらなければ。だって、もし次にあの子と会うときが来て、その時、私が何も変わっていなかったら、合わせる顔がなくなってしまうから。