京子ー7
翌週から父母の家で寝泊まりすることになった。いつまでいるか分からないため、一旦借りているマンションは解約せず、衣類や布団、仕事用のパソコンなど最低限必要なものだけ持ってきて二階の部屋に住むことにした。六畳ほどの部屋で、一人部屋には十分すぎる広さ。ものが少ないため少し寂しく感じたが、借りている部屋と違い、広く、日当たりが良かった。
毎日仕事以外の時間は母につきっきりとなったが、体力も落ちてきていて、勝手に出歩くことも、杖を使って暴れたりすることも無くなっていったので思ったより大変ではなかった。昼間はガラス戸近くにあるリクライニングチェアに座り、じっと庭を見つめて夜まで過ごす。夕食を食べた後は寝室に戻り、大音量でテレビを見て眠る。そんな感じだ。
ただ、仕事中に電話をかけてくることは多くなった。体が動かせない分、不安が大きくなっているんだと思う。前みたいに無駄に明るい声で会話する感じではなく、ぼそぼそと何かを話して切ることが多い。また、皆が寝静まった深夜、一階から「京子、いるの?」と呼び掛けてくるようにもなった。私が眠い目をこすりながら「いるよ」と言うと、すっと自分の部屋へ戻っていく。父に聞くと、一階の父の部屋にもノックしてくるそうだ。眠れなくなってしまった夜に独りぼっちなのが耐えられないんだろう。今思うと、食事や洗濯等の家事をすべてやってしまったのは、よくなかったと反省した。母が自分の裁量をもって活動できる場を奪ってしまった。家の中はきれいになったが、母は不安だっただろうと思う。
不安の中、弱っていく母の姿を毎日見た。歩くのもやっとで、記憶がどんどん零れ落ちていく母を。
もう早く母を施設に預けたい、と思ってしまう。病気に抗えない母の姿を見ていると、辛い。この先どうなるのだろうか。途方もなく不安になる。そして、そんな考えをしてしまう自分が嫌になる。さらに、自分もこうなるのか、と考えて、とてつもなく不安になってしまう。そしてまた、そんな自分勝手な考えをしてしまう自分を嫌になる。
十月の終わり。改めて要介護認定を受け、要介護状態であると認定を受けた。そこから介護施設を探して、年明けごろには入所できることになった。
介護施設への入所が決まり、この生活に終わりが見えて、不安がいくらか和らいだ。ずっと母のお世話をする人がいて、母も暮らしやすくなるだろう。それこそ、私のお世話より。
ただ、これから母はどうなるのだろうという不安だけは消えなかった。当たり前だ。お世話する人が私から施設の方になり、お世話は手厚くなるかもだけど、このまま、母が残りの時間をちゃんと暮らせるかは、たぶん、そこが要ではないのだ。
寒くなって、母の活動量はどんどん減っていく。ガラス戸近くにあるリクライニングチェアに座り、庭を見ながら、ただ日を浴びるだけだ。