京子ー1
家の庭で洗濯物を干していたら、エプロンのポケットの中でスマホが震えた。
洗濯かごを縁側に置き、スマホの画面を確認すると、私は小さく、はぁ、とため息を吐いてしまった。あの人からだ。二年半前、私から別れを告げたあの人。元夫。
一瞬、電話を取ることを躊躇ったが、彼のことだ。ここで出ないとメッセージの方で何か送ってくるだろう。億劫なやり取りを、文字でするのはさらに億劫だなと思い、私は縁側に座り、渋々電話を取った。
「あ、もしもし? おれだよ、おれ」
「……オレじゃ分かんないんだけど」
「……ごめん。登です」
彼は情けない声でそう謝った。もうこの謝罪を聞くのは何回目だろう。私はもう聞き飽きてしまった。
「一か月ぶりぐらいか」
「うん、そうだね」
「最近はどうだ?」
「どうだって、普通よ。そんな一か月でいきなり変わるわけないじゃない」
四月に一度電話してきたばかりなのに、一か月で何がそんな変わることがあるはずないだろうに。私が呆れたようにそう言うと、彼はまた「あはは、そうか。ごめん」と謝った。
離婚して二年半ほど、彼とは年に数回連絡を取っている。この定期連絡は、離婚するときに彼から半ば強引に交わされた約束だった。「離婚しても、君は母親だから」と。私は最初断った。一方的に離婚を切り出したのは私が、母親として連絡を続けるというのは気が引けたし、私にはそんな資格なんてないと思っていたから。けど、彼は引かなかった。具体的な理由は、話してくれなかった。彼はただただ「ダメだ」と言うだけだった。
以来、この憂鬱なやり取りが今もなお続いている。そして、このやり取りの頻度が去年の十二月から月に一度ぐらいに上がった。彼に理由を尋ねても「いや、なんとなく」と言うだけでまた具体的な理由を言わなかった。
「その……最近どうだ。お母さんの調子は?」
彼は母の体調の話を持ち出す。母に認知症のような症状が出始めていたことは、今年に入ってからすでに話していた。
「……ちょっと物忘れがひどすぎだね。できれば来月、いや、再来月かな。支援センターとかに相談しようと思う」
私は縁側に置いた洗濯かごに手を掛けながら、庭の芝生に落ちた庭木の影に目を落とした。定期的に訪れている父母の家。一月に訪れた時、庭は手入れされておらず、雑草でいっぱいだった。以降、私が手入れをしたため、今はすっきりとした姿を見せている。その緑が、私の不安を中和してくれる。
「そうか、そうだね……その方がいいよ」
彼は何か口に出そうとしたが、その言葉を飲み込んで、まるで他人事のようにそう言った。それが正解だ。実際、ほぼ他人のようなものなのだから。彼にできることは何もないし、する必要もない。
その後、彼は次の飛び石を探すように話題を探し、見つけるとそれに飛び移るようにその話題を話し出す。仕事はどうとか、忙しくないかとか、最近休みにしていることとか。どうでもいい話を、大切そうに話す。どうか、この会話が続いてくれと願うように。
その中で彼は娘と息子、歩と晴信の話題を出した。
「ハル、前に部活の試合でケガしたって言ったけど、先月からもうぴんぴんだぞ。普通にサッカーやってる。歩も、元気だ。部活は二年になっても続けてる。あ、前言ってなかったけど、瑠美さんとまた同じクラスになったんだって。歩はなんか嫌そうな顔してたけどな」
「そっか」
端的にそう返した。二年半前、私が置いて行った娘息子の近況に、私はそんな、淡泊な言葉しか返せない。だって、何を思ったらいいのか、何か思っていいものなのか、分からなかった。家を出て、母でなくなった私が、何を思えばいいんだろう。