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苦手な方はご注意ください。

男の愚行

男の馬鹿な行動の独り事、、女の非行の残酷経験緒の独り言。

人には男に女にも人には言えない過去があり、心の傷がある、、そんな独り言を聴いてやってもいいような。そんな男の独り言、、そんな女の独り言、、、

世の中の男と女には一つや二つの見せたくないほくろぐらいはあるものだ。

いいじゃないか、、いいじゃないか、、男と女の世界だもの。。

短編小説「男の愚行」原作者 献残屋藤吉郎


第一話「男と女の愚行非行少女の残酷物語」


第二話「登校拒否」





〇第一話「男と女の愚行&非行残酷物語」


1)男と生まれたら恥をしれ、、、


この世に生きてる男どもには「馬鹿」が多い、、全ての男どもが「阿呆」だとか「馬鹿」だとか言われる馬鹿が居るということだ。そういう吾輩も男ではあるが。。。

日本の「法律」は歴史の中を見ても、、そのバカな男たちが作ってきたのだから、、始末が悪い。

当たり前だがこの世のなかは「男と女」だ。。。その半分がおおよそ男、、、その男が残る

女に悪さをするのだから、最悪だな。。

だからと言ってはなんだが、どっちかと言えば男が女を泣かせたり、、苛めたり、、することが多い、、、たまには女が男を泣かせることもあるような、、、

子供や青少年ばかりではない、、、大人が悪さをしてるのであった。

考えてみたら、、ふざけた話である。

世の中で起きている「売春問題」や「人身売買」などは最もふざけた、、馬鹿にしていることだ、、やってはいけない「人間どもが」、、、法律や社会常識を破り、、「女」を人間扱いをして居ないようだ。

「規則を掟」をつくり、それを破って「売春」をしているのだから、、言語同断だ、、、

どうする、、この世のなかを、、馬鹿な愚行を重ねる男どもを、、、、


この世の男と女の人、、大人も子供も、、そして高齢者も社会の仕組みや法律では幸せになる

とされている。しかし、何と不平等なことか、、なっていないのであった。

それが人間社会だと言ってしまえば、それまでである。

この世の中は余りにも「非情」」であり、、「矛盾」が多すぎだ。

人間の力には限界があるのだった、、、

人間社会の先導者でもある筈の「政治家」に問題があるのだ、、、選挙で選ばれるときには「公約」を色々という。「約束」するという政治家に嘘があるのだ、、、

云いたい「ふざけるな、、」と、、、

今。東京都知事の選挙が行われている、、言いたいことを云っているような。。

今回の東京都知事の選挙を見てみろ、、何と無様な政治景色か、、一人の都知事を選ぶのに「なんだよ、、56人の立候補って、、遊んでいるのか、、選挙民を舐めてるのか。。」

これを見ても、ま政治がで切るのかと言いたい、、、

「おい、、もっと真面目にやれよ、、、モアモアモアだ、、」


日本の経済人もふざけてる、、、最近、大手企業の「苛め」が見られる、、下請け会社を馬鹿にしているような、、、製造、会社にしても企業を運営するには「法律や規制があり、、」何事にも「基準」があるのだ。

それらを無視したり、破ったりして、、「早い話が利潤追求に」走っているようだ、、これも又、、この世の人々を欺いた居ることであり、、とんでもない「世の非情」だ、、、

人の世の「人の幸せ」を考えろ、、って。


日本には、、世界中で「悪人」はいる。

日本では「指定暴力団」とかいわれる「やくざ軍団」が全国各地に存在する、、

国家権力で取り締まっているようだが、、撲滅は出来ないのだ、、

これも、この世の「非情」と「矛盾」だ。


この世の「政治家自体」「経済界企業人」「暴力組織やくざ」、、は

現代社会の「非情」」であり「矛盾」であるのだ、、

理解の出来ない、この世の「七不思議」だ、、、、、


2)男はとんでもない変身をする。


あれはしてはいけない、、これは駄目だと、、云いながら、、反省会を開いては「これしかりと、、やっていけないことの決まりを作り、、」頭を下げているような。

まったく、バカげたことを繰り返している。

學校などで「苛め」が原因で、、自殺したにも関わらずに、

「原因の調査をして、、二度と事故のないように対策をします。。」と言いながら、同じことを何度もくりかえしているのだった。。

また、、管理不足でプールなどで事故が起きて、、子供が溺れて死ぬといった ことも起きてる。

世の中には大人の不注意や管理不足などの失態を行い、、愚行をしているような。。

特に男の責任者が報道の席で、深々と大の大人が何人も出頭を下げて謝罪をしているのだった、、、

「おーーい、、頭を下げて謝ればいいのか、、ふざけるな、、人の命をなんだと思っている、、」と、、叫びたい。

すんでしまったことだから仕方がない、、、ではすまない。。

事件が起きる前に、、事の危険が感じられる場所や施設においては、、、

「考えろや、、、」と言いたい。

子供を教育する側は「手抜き」をするな、、、

また、保護者側も細心の注意を払い、、子供を任せるのだから、、

「覚悟」を持って預けろと言いたい。

事が起きてから「グダグダいうな、、」自分たちの城から出た子供たちのことは、、他人に任せたのであるから、「覚悟」しなければ、、、

何が起きても、、、「それが大人だ、、」と言いたい。

禄でもない男の様な生き物であってはならない。

それでなくても「恥」をふりまいている男のようには、「みっともない」のだ。


3)男とは下種な生き物だ


男の商売で「政治家」ほど、、下種な奴は無い、、、自分で決めた規制や決まりを、平気で破る奴がるからふざけてる、、、世の中で約束を平気で破る奴の多い人種は「政治家」だ。

そして、世間から叩かれると直に謝る「誠に遺憾です、、」とか言って、、頭をぺこぺこ下げるだ。なんともいい加減な頭である。。政治家の頭はかるいのかも、、、

中身も軽く、空っぽなのだ、、、だから、、何度も懲りずに過ちを繰り返すのかも知れない。

「政治家」だからと言っても偉くないのだ。

ひっくり返すと「馬鹿なのだ」と、、言いたい。

世の中で「先生」と言われて、、いい気になるのも「政治家」のような、、、

そして、「金の使い方」を知らないのも政治家だ、、無駄な使い方をしている。

始めから「汗水流して」稼いでいないので「金の価値が分からない」のも、、阿呆な政治家なのだ。。まったく、くだらない奴らだ。

挙句に「スケベー」と、、来ているから始末が悪い。

下心を持った、、野心家が「賄賂代わりに」昔でいう「人見御供」で女を差し出すこともあるのだ、、、何も知らずにあてがわれた、、馬鹿な政治家が一晩を過ごす、、、そして、、

その女が未成年だったら堪らない、、、そんな馬鹿なことをするのも男であった。

何と浅はかな、阿呆なのは馬鹿な男なのだ、、、まったく「禄でもない生き物だ男とは。」

バカだよ、、、、


4)金持ちというか、、資金力が出来て権力者に成ったような気分に、、、


男というものは難と愚かな動物だ、、、苦労している時、、汗水流して働いている時ほど美しいものはない、、、しかし、、忘れてしまうようだ、、、働くことの美しさを、、、

どうしてなんだろう、、、その時の心意気を忘れずに邁進する男が居たら素晴らしいのだが、、

何故かその気構えはどこかに行ってしまい、、、有頂天という言葉で人生を狂わせるようだ。

男とは愚かである、、首を下げることなく、稲穂を後ろに垂れてしまう、、何とバカな奴だろう。

人に物事を頼むときも「お願いします、、、」が、、いつのころからか「頼む、、」とかになり、、

最後は「やっておけ」と命令口調になる。

どうして同人間が「七面鳥」ではあるまいに、、変わるのだろう。

いつも変わらずに接せる人間が居たら、、、それは本物の人間だ。

そして、、金が出来ると、、何でも金で頼めると思うのも馬鹿な人間であり、、阿呆な男だ。

世の中、、何でも金で出来ると思ったら「おお間違いだ、、」怪我するぞと言いたい。

この世では金では動かない人間もいるのだ、、、

そんな人間が、、男がいるから面白いのだ。

「べらぼーめ、誰がお前のためになんか動くものかと、、」啖呵を切る奴がいるからこそ、、いいのだ。

此の世のなかは、何でも間でも「右へならい」は無いのだ。

人の世には「天邪鬼」が居るからこそ楽しいのだ。

考えてみたら「どっちも馬鹿だ」と言いたい。。それが人の世かも知れない。。。。

悧巧な男どもはいないのだ、、、「ふりをしている男」いるが、、、、

常にこの世は仮想の世界なのだ、、、金持ちなったような気分の男もいるが、、大したことはない、、



5)思い上がり。。。


人とは何かが旨く行くと、、、特に男に多い。。すぐに極意気に成ったり、自信過剰になるような、、

要するに「思いあがってしまう」馬鹿が居るのだった。

そして、、何でも出来るという「錯覚」を起こして間違いをするのだ。

人生での失敗を繰り返すことが多い。

人の世はそんなに甘くはない。。失敗する人間は「おおよそ、物事を簡単に、甘く」考えて走り出すのだった。

言葉はいいよ、、云うのは只だから、、しかし、行動したらただでは済まないのだ。

世の中には「安請け合い」をするのも男が多い、、、やっぱり男は馬鹿だ。

何でもかんでも「かっこ」をつけたがる奴もいる、、辞めとけと言いたい、、後で痛い目を追ったり、、損をするのがいいとこだ、、「かっこ」をつける男も馬鹿だ。

やせ我慢する奴が居るが、、馬鹿だよ、、、欲しい時は欲しいと、好きな時は好きと、、愛している時は愛していると、、云えない男も馬鹿で阿呆だ。

世の中には馬鹿な男が多い。

もう少し利口になれと言いたい。



6)俺を始め、、女を愛する資格がない、、馬鹿な男どもだ


男が女を愛するには条件がある、、、備わった気質を持つ男には女を愛するしかくある。。

どうせ男と生まれたら、、女を愛することの出来る男にならないと、、、

女に言わせれば「銀流し」が多く、中身が空っぽな男がうようよだ、、、挙句の果てに「金が無い。。。」

「なにーー金が無い、、こらー女口説くのは百年早い、、馬鹿野郎」だよ、、、

「笑わせれな、、、顔を洗って出直してこい」と言いたい。

男どもよ、、男に成れ、、金を稼げ、、、仕事をしろ、、、

「おーーい、しっかりしろよ,,,へなちょこ男ども。。」

しっかり、勉強しろよ、、学問学べよ、、働けよ、、そして、金を稼げってんだ、、

そして、、男らしく口を聴いてから、、女を口説け。。

馬鹿にされない男に成れよ。。。



7)なんで男とは遊ぶのかな、、



まず、男とはどうして遊ぶのだろう、、最初は「女遊び」だ、、

しかし、、この言葉は失礼に当たるような、、女を遊びごとの対象とすることが間違いなのだ、

この言葉の反対で「男遊び」があってもいい筈だ。

この世の中は矛盾が多い、、会っても当たり前の顔をしているから不思議だ。

しかし、、「女遊び」が出来るような社会環境でも有るのだ。

商売が成り立っているのだ、、、江戸時代の昔、、男が遊ぶ場所が作られている。

それは「花街」だ、、、江戸時代には「吉原」という一流の遊び場があった。、

政府というか江戸幕府が公認で早い話が「売春」をさせていたのだった、、人身売買までして、、、更には庶民のための「おか場所」と言われる野外での売春行為が行われていた、、さらに京都などの花街には「祇園」という、

華やかな「色街」もあり、、芸子の売り買いまで行われていた。

そして、日本全国の宿場町にも「色街」はあった。

此の世のなかは男が女を「道具」のように売り買いをしていたのだった。

そして「悲劇」も起こり、、「女残酷物語」を「人生芝居」していた。

今の世も男が酒を呑んで遊べる 「酒場」があっ「て、、その名は「クラブ」

とか「スナック」とか「バアー」とか「パブ」とか呼ばれている。

そして、お座敷とか言われて「芸者遊び」もある、、、日本全国には男を楽しませる「遊び場」が数多くあるのだから、、

男に「遊ぶな、、酒飲むな」は無理なようだ。

そんなことで「女遊び」が消滅することはない。

そして、、女が「男遊び」をする「ホストクラブ」のような場所もあって、、他にもマッサージなどと称する類の遊び場は有るような。。」

要するに、、この世は男と女で、、遊びが好きな生き物なのだ。

だから、その遊びに伴って「快楽」が付きまとい「悲劇」が起こる。

この世は馬鹿な「男と女」であり、、「狸と狐」の化かし愛なのだ。。。

だから馬鹿な男と阿呆な女はほっとけと言いたい。

考えてみたら阿呆な世界だ。

そして、人間の遊びには切りがないのだ、、、「博打」「スポーツ」

スポーツには多くの種類がり、無限のような、、ましてや「博打」もそうだ、、

人とは女も男も快楽を求めて生きている。

何とバカげた阿呆な生き物なのだ、、、


8)男も女も仕事より遊びが好きだ。


人とはふざけた生き物だ、、出来ることなら「遊んでいたい」のだ。。

金が有れば何もしたくないのが「本音」の生き物だ。

しかし、例外はあるようだ、、どんな世界にも。。

出来れば人間とは「好きなことをしていたい」

人によって好きなことは色々だ、、、「食べることが好きな奴」「寝ているのが好きな奴」「博打が好きな奴」「女が好きな奴」「喧嘩が好きな奴」「車がすきな奴」「金が好きな奴」と、、いろいろだ。

不思議な生き物だ、、、人とは「じっと」していられないようだ。

じっと動かない時は「死んでいる」のだ、、

「南妙法蓮華経の世界だ」

ところで天国はあるのか、、地獄はあるのか。。。

全て人間の作り出した「空想な世界ではないか、

面白いもだ、、人間とは現生に飽きたら、目には見えない「あの世」と、、やらを創ってしまうのだから。

人間の世界は「無常な世」だ、、「所業無常」だ、、

よくよく、考えてみたら「何も無い」のだ。。

「無の世界」だよ、、、

考えてみたら、、馬鹿も、禄でもない、、阿呆もないのだ。



9)この浮世の男も女も、みんな同じ穴のムジナだよ、、、


此の世のなかに、生まれた男も女もあまり変わらない、、たいして違いの無い生き物だ。

欲の皮の突っ張った「獣」だ、、、己の欲しいものには飛びつき、、嫌いなものには鼻もひっかけない

「皮を被った化け物」だよ、、、

そんな男と女の「獣」か「化け物」か、分からない生き物がうようよと、、動き回っているのだから面白い、、、元をただせば「同じ穴のムジナ」ではないか、、、

笑わせるよ、、その獣が化け物が、、ちゃらちゃらと着飾って、街を歩いているのだから、、、

「何を気取ってるんだよ、、」と、、言いたい。

どっちもどっちだぜ、、馬鹿も阿呆もないのだ。

考えてみたら、、、いや、考えなくても同じだ、、、「男も女も同じようなものだ」

比べる価値もない。。

あるとすれば見た目の「姿形」が違うだけだよ、、、男と女の違いは下らないが「ついているものが違う」のだったかな、、、あはっあははだよ、、」

そんな馬鹿な阿呆な男と女の「恋争い」も可笑しい、、、

神代の時代から、、「男と女が慈しみ愛」その結果が存続しているのだから、、、

「アダムとイブ」の昔から、男と女の儀式は尊いものとされてきた。

不思議なことは尊い儀式や慈しみ愛が、、今の時代には「遊び」とされていることだ。

それが「男と女の愚行」なのだ。



〇少女の非行残酷物語


1)一人の少女の親子喧嘩から、、、


一人っ子の少女が居た、、、可愛がられて育ったのであった。

ある日、帰宅時間が遅く成り、、父親から怒られた、、だけならよかったのであるが、、殴られたのだ、、、暴力を振るわれたのであった、、、そして、、、度重なる父親の暴力がいやであった。その暴力から逃げた。

それが、その少女の非行のきっかけとなった。

少女は家に帰るのが恐ろしくなり、、友達の家を泊まり歩いた、、泊まれるところがあるうちは良かったが、、、其れも嫌がられるよになり、、路上での公園で野宿をするようになった。

そんな生活をしていると、、、性格も変わってくるのであった、、、自然に「いじけて」「悪く成る」から、、人を「苛める」ようになる、、、

その少女は14歳で、、中学校2年生であった。

學校では「不良少女」のレッテルが貼られた、、、その少女はいつの間にか不良少女同士でグループをつくり、、「苛め」が激しくなっていった。」

そして、学校へ出る日もなくなり「登校拒否」をした。

たまには家に帰るが、父親の留守を狙ってだ、、父親と顔を合わせる時があると、、めちゃくちゃに殴られる。。

段々に家にも寄り付かなくなるのだった。

俗にいう「アンパン」を始める、、、アンパンとは「メチルアルコールをビニール袋に入れて、、蒸発をさせて、、それを吸うのであった。

メチルアルコールは揮発性なので、その気体を吸い込んで、、要するに酒を呑んで酔っ払った状態になるが、、「アンパン」は体には悪い。。

そんなことをして、、福岡繁華街でふらついていたのであった。

「アンパン」をするために大量の「メチルアルコール」は買っておいた。

そんな「アンパン」をして、、「らりる(ふらついていること)」、、そんな少女を町の不良「やくざにもならないチンピラ」が放ってはおかなかった。

町のダニだ、、人の生き血を吸って生きてる男たちが、、不良少女に目を付けたのであった。

その不良処女も狙われた。


2)目をつけられ、、狼の餌食になる。


街を徘徊する少女は「アンパン」の常習者になり、、行動もいい加減になっていった。

福岡の繁華街の隅っこで、、「らりって」ふらついている少女たち、、その少女たちに群がるチンピラ野獣たち、、

彼らも金が無く、、職もなく、、ヤクザの予備軍でふらつく、暴力の狼男たちが男である、、、社会秩序からはみ出した無法者だ、、

その男たちが牙を剥いた、、、その先には不良少女たちがいた。

「アンパン」で意識朦朧となった、目も虚ろになっている少女は、、

街の狼の餌食になってしまった。

男達の屯する部屋に連れ込まれたが、、少女は何が起きたか分からずに、、男たちに裸にされ、強姦をされたのであった。

少女は余りの痛さに叫んだ、、「痛い、、、やめて、、」と、、

しかし、、男たちはお構いなしだ、、、少女の痛みや苦痛などは聞こえなかった。。

そして、、ことが終わると少女は山に捨てられた。

不良少女の残酷物語だ、、、

その後の少女に大きな傷を残した。


3)強かった少女


その後の少女は立ち直った。。つよかったのである、

もしかしたら、、女とは強い生き物なのかしれない。

その少女は生き方を変えた、、傷ついた少女は家庭環境も両親の都合で引っ越しを繰り返していたが、、17歳の時に生活も落ち着いてアルバ見つけて、両親もとで暮らしてた。

その後、、高校への進学を諦めて働いた。

そんなある日、、、友達から誘われて「水商売」へと進んだ、、福岡市内の「スナック」で最初はアルバイト気分であった。

それがいつしか本業になり、、、クラブ勤務をするようになった。

その少女も逞しく、、強く水商売で頑張った。

そして、15年間、福岡の「九州の繁華街と言われる、、中州」で生きてきたのである。

少女の時に受けた傷が原因で、、「男嫌い」というのか「男不審」があった。。。


4)色模様いろいろ、、、


その1)女の度胸は凄い


その女は亭主もちであるが、、度胸抜群であった。。。

当時32歳であったが、、いったん男と女の関係になると、、自分の家に男が遊びにいくと、亭主が居ようが平然として部屋に上げて、、時には麻雀をすることもある。知らぬ振りが旨かった。

そして、夜などには母親が一階で寝ていようが、、自分の寝室に招いて情事を重ねていた、、燃える女だったのであった。

車の中での時には「素っ裸」に成り、、真冬でも外へ出て、、車のボンネットの上で果てることもあった。

そして、、言うことが凄い。。「私、、乾く暇がないわ、、濡れパなしだよ、、参ったな、、」とうそぶくほどであった。そんな女の独り言だ。

今はあの世で笑っているかな。。。



その2)母親と同居していて、、義理の父親に襲われる。


九州の女で母親と一緒にクラブをしていた、、、東京へ出て浮名を流したようだ、、30歳の頃に九州へ戻り、その女は美人な姉と3人で、人気なクラブに出ていた。

新潮168cmと長身ないい女だった。。母親と一緒のマンションだったので義理の父親も同居したいたのであった、、ある日、母親が留守の時に義理の父が迫ってきたのだった。

その女も度胸抜群だった。。迫る義理の父に「あんた、、後のことを考えて出来るな、、やってみな、、」と、啖呵を切られて引っ込んだそうだ。

そんな馬鹿な男が居たのだった。

その後、その女は母親から独立してクラブを出したのであった。一時は繁盛したが時の浮き沈みで、、今は一人クラブをしている。

37歳の時からの付き合いの男は、、辛抱強く付き合っていた、、温泉旅行には母親同伴で行った。

しかし、、度胸抜群の強い女で、、燃えるには激しく燃えるような。。

今は59歳になったのかな、、九州の燃える女は、、、、



その3)東京の燃える女、、、


その女は遊びが好きだった、、昔「原宿族」というか「竹の子族」と言われる若い男女の集団が居

そんな中の女の子が、、友達と「ハワイ旅行」に出かけた、目的は外国の男と遊ぶことであった、、そして、目的を達してきたのである、、、白人の何を見てきたのであった、、勿論、ハワイの恋を楽しんできたのだった。

恐ろしい、初めからハワイの夜遊びが目的だったとは、、

日本に帰って、ちゃっかり結婚をして子供までつくり、、幸せな家庭を持っていたのであるから、、びっくりだ。

そして、、ある時から「不倫」をしていた、、女とは凄い、、考えてみたら恐ろしかもしれない、、、その女は若いころに乳房の整形をしていた。しかし、失敗をして、、その女の乳房はコンクリートのように固くなってしまっていた。

人とは外見と中身が違うのだった。



その4)東宝ニューフェースに合格したいい女


しかし、、スタイルが良くて美人でも、誰でもスターに慣れることは無いのだ。

アルバイトで始まった「銀座の蝶」生活がしみ込んでしまった女もいた。

いい女だから、、ちやほやされる、、浮いた生活に慣れてしまう、、そんなことで水商売にどっぷりつかってしまったのだ、、気が付けば年が。重なり、、スターどころではなくなっていた。。人生の女の時間は短い、、

そして、、男から男と、、クラブを任せられた。

しかし、女とは不思議な生き物だ。。

いつしか、、男と女は出来上がるのだった。。そして、、その女は仕込まれた男の勢で、ただ一つだけの形をとらないと頂上にのぼらないのであった。

それは長く伸びた脚をまっすぐにしないと、女を感じない女だった

美人薄明と言われるように35歳で「蜘膜下症状で倒れて」死んだのだ、、今は天国かな。。



その5)女は見かけによらず凄い。


誰が見てもセンスのいい、、真面目そうな女の子だった。

背も低く、、「ちび」と、云われるほどだった、、車は可愛いいスポーツタイプの軽自動車だった。難となく、隙がみられるのだった。。男好きのする女の子だった、、、

まだ、、25歳で水商場の経験もあった。

男の誘いにのり、、裸の付き合いをする様になる、、、

話を聞くと水商売をしていた頃には、、ある程度決めた男たちと「遊ばない、」と言われて、男と女の関係を持ち、、小遣いを貰っていたという。

早い話が売春だ、、個人営業の売春をしていた、、一度の関係で「20万」と、、云うのであった。。人は見かけによらないものだ、、女は怖い、、本当に怖い生き物だ。

トランジスター女でちょゅぴりグラマーな女の子だったが、、、さっさと最終的には結婚をして、、今は幸せに生きているから不思議だ。



そも6)夫に騙されて困っていた女


営業の出来る知的ないい女がいたが、、結婚したあと、、永い間、夫に嘘をつかれ、騙された女が居た。

子供二人を預けられて、、その男の会社の社宅に住んでいたが、、夫は女を作り、家には帰らなかったのであった。

知り合いの男に助けを求めて、、金銭的な援助を受けた。

男は親切と優しさで助けていたのであった、、、

時間も経ち、、時には相談を受けながら食事もした。

しかし、、男と女だ、、何とかなってしまうものだった。

そして、女は「子宮がんをわずらった」一度完治したはずだったが、、

亡くなった。。。連絡をもらって葬儀に参列した。。

亡くなる1か月前から連絡がないので、可笑しいと思ったが、、、

後で男は知ったのであった。

知り合いから聞いた話ではあるが、、病気の自分を見せたくなかったということであった。

その男は誰も知らい葬儀であったが、、最後に別れの顔を見たが、、小さくなっていたような、、

そして、二人の子供たちが、、男に近寄り挨拶をして来たのであった。

「初めまして、、母より聞いています、、いろいろ、大変お世話に成りました、、今日はありがとうございます、、きっと、母も喜んでいると思います、、」と、、言われた男は涙した。

一人葬儀場を後にした。寂しい別れであった。



その7)商いの旨い女


商いの旨いやり手な女だった。。ある浮世世界の「売れっ子芸者」だったが、、何の因果か、芸者を辞めて男の商売を手伝った。

男では苦労した女だっが商いはうまかった。

そして、、ある程度は商売も軌道にのったが、、男の勝ってから崩れた。

その女には子供もいた、、母親も一緒に面倒を男は見たが別れた。

その女の子は今頃は25歳ころか、、、いろんな人生があった。

経験豊かないい女だった。



その8)花柳界で売れていた芸者


仕込みから入って、花柳界にどっぷりつかった女、、半玉から置き屋に住み込んで、、芸者に成った女。そして、、「旦那がついて床上げをした女、、根っからの花柳界の女だった」

そんな女も恋をするのだった。

「旦那持ちでありながら、、旦那が来ない日には恋をする、、」若い燕をつくるのであった。

世の中はなんだよ、、一筋は少ないようだ。

しかし、、そんな女が居るからこそ、、悲恋も生まれる。

女も若い時はいい、売れっ子芸者も年を取る、、花が枯れるように芸者の華も散るのであった、、、華やかな花道を歩いた「女の華」も枯れた酒場で酒を呑むような

寂しい夜の華となって散っていく。



その9)その女,身長17cmのスタイル抜群


水商売が長く、、クラブを任せられていた。。一度は結婚して男の子供がいる、、すでに20歳を過ぎた、大人だった。

亭主が焼きもちやきから、、誤解が生じて離婚騒ぎとなった、時間はかかったが離婚は成立した、、重しいもので子供とその女は仲が良く、、今も一緒に住んでいる。。そして、、その息子は父親の仕事を手伝っているのであった。。。植木職人の見習いをして居る。

なんとも不思議な関係だ、、、男と女は合わなくても子供は気が合って生きている。。

その女はスタイル抜群の女であるが、、一人で生きている。



その10)25歳の身長170cmの銀座の女


若くてスタイル抜群の銀座の女。。。一人で住んで「弟夫婦と仲がいい」

そして、、父親が居るが気が合わずに、、弟夫婦を頼りにしている。

練馬に住んでいたが、、男の援助で渋谷に移り住んだ。

モデルクラブの所属して、、時には雑誌などに出ていた。

女は贅沢になってしまうものである、、、食事も慣れてくると「高級志向」になるような、、、食事場所も「高級ホテルのレスランやラウンジ」が定めのコースとなる。。そして、、高級ホテルでの「ティータイム」他成るような。。。今も銀座に出ているとか、、そろそろ女ざかりかな32歳ぐらいで。。。



〇第二話「登校拒否」


1)「登校拒否」


引きこもりも「登校拒否」も原因は同じようなものだ、、、全てが己から始まった心の拒絶だ。

暖かい温室の様な中で咲いた花は、、野辺で咲いた花よりは弱い。。。

動物園の様ないつでも餌をもらえるような檻の中の動物は、、野生ではなかなか生きてはいけないように、、

人間は環境に溶け込んでいけるものと、、己のうちの殻に閉じこもってしまうものがいるような、、、

そんな違った性格の人間が溶け込む会うのは時間がかかる。

その溶剤の役目が学校であり幼稚園や保育所であるのだ、、、そして、、人と人、が笑ったり、泣いたり、怒ったりしながら成長していくのであった。

そんな環境に馴染めない、、溶け込めない人間が弾けて、いつの間にか隅っこに逃げてしまうのだ、、、それをみ逃さずに、よくよく人を観察して、、特に心の叫びを聞き届けないとな、、

先生とは,、教師とは言えないような、、、

学問に優れていることはいいことだが、、、子供の心を読まないとな、、、

そして、引っ張って行かなければ、、子供を教えることは出来ないような、、、

先生も教師も大変な仕事だな、、天職なのかも知れない。


2)福沢諭吉の言葉「人の上に人をつくらず、、人の下に人をつくらず、、、」

家族とは勝手な生き物の集まりだ、、、子供が幼少の頃には一緒に遊んだり、、可愛いと言っては

人は面白い、、不思議ないきもの

何故に同じ人間に生まれて、同じに平等に生きられないのだろう、、、

人間にはもって生まれた性格や才能が有って、全ての人間がひとりひとりが異なって生まれて来て、、違った生活空間で来ている、、、育てられているのであった。

それだけでも同じにはならない。

生まれて、育ててくれる親も違い、、人間の容姿はまったく違っている。大きい小さい、、太い細いと、、そして、「男と女」はまるっきり違う。

更に生まれた家の貧富の差にもより、、昔でいえば「身分の違い」が、、、人を同じにはしていないのだ。。

人間をこの世に創り、送り出した神は、、「情けも仏もない」のだ、、、

しかし、、右を向いても左を見ても、まるっきり同じ姿では味も素っ気もない、、、

この世は上手く出来てる。。。

才能の良しあしは「人を競わせるような、、、」、、時には争わせて「人の向上」をはかり、、

「人間の進歩発展」をするような。。。

全てが同じではだめなのかも知れない、、、しかし、、人の生きる道で何かが同じでなければ「平等」はない、、、それが人に課せられた永遠の「課題、、宿題」なのかも知れない。。。

そして、、神は残虐である、、「なぜ、、人の世界に身体障害者を、精神障害者を送り出すのか、、」

「なぜだ、、どうしと、、」と言いたい。。

その立場に置かれたひとは「人よりも数倍の心労」がある筈だ。。せめて、同じであって欲しい。

福沢諭吉の言葉「人の上に人をつくらず、、人の下に人を人をつくらず」は、、いろいろな解釈ができる、、むずかしい、、、

今、、学校や職場に行きたがらない「拒否心」は日々の人間関係で生まれてしまうもの、、、

まずは家庭環境での空間で、、親が、近親者が、、幼少時代に子供を授かっら、、「可愛い、、愛おしい、、」というだけで、頬釣りして抱きしめて育ててはいけないような。。

子供を人任せにして、、悪くなれば「学校が」「職場が」」とか「人が、、友達が」という風な考えは捨てないと、、、「己の育て方を、、」よくよく反省して考えないと。。。


3)行きたくないと学校へ、、職場


子供が朝起きて来ない、、起こしに行くと、、「頭が痛い、、、」とか「腹が痛いとか」と言って、

學校を休みたがる。。子供なら、、友達と会って遊ぶことが楽しい筈だ、、

それが嫌がる、、親はその事情を早く知るべきである、、、普通は子供の我儘と思い、、

「だめでしょう、、行かないと、、」簡単な諭しで行くと思い、、そん場を斬りぬけてしまう、、、

そして、、一日ぐらいは休んでもいいかと、、しかし、そんな日は続くのであった。

親はなんとかして行かせる、、行きたくない本当の理由を知ろうともせずに、無理矢理に行かせる。

そして、、登校拒否の本当の訳、、それは「苛め」があったのだ。

子供が「登校拒否」をするには必ず原因があるのだった、、、それを知ろうとしない親も馬鹿である。

何故に早く原因究明をしないのか、傷口は小さい方が縫い合わせし易いのだ。

大きくなった傷口は縫えないかも知れないのだ、、、そして、縫える傷口ならばいい、、親も世間も縫えなくなってから、、事件になって、、初めて騒ぐのだった。

「どうしてくれる、、、責任はだれが取るのだ、、」と、、遅いのだよ。。。

全く馬鹿げている、、、どうして、もっと早く気づいてやれない、、対処が出来ないものかと、、

「登校拒否」から始まり、、「家庭内暴力」が起きて、、「苛め」に発展して最悪な「自殺」が起きる、、、初めて事の重大さに気づき、、大騒ぎをする。。

そして、、、これからどうすると、、対策を練る、、、

まったく馬鹿な、知恵の無い大人たちが考える、、繰り返す「登校拒否」「家庭内暴力」「苛め」「自殺」と、、、その対策の愚劣な事か、、、考えろよ、、

「ましな答え」を、、、天国か地獄へ行った子供たちが笑っているよ、、、

懲りずに繰り返す愚行な大人たちよと、、、

そんな日は来るのだろうか、、、考えろ、、、地球規模の危機を、、、



登校拒否の原因にはいろいろな要因が絡んでくる、、、その一つが


1)家族団欒が少なくなる。

家族とは勝手な生き物の集まりだ、、、子供が幼少の頃には一緒に遊んだり、、可愛いと言っては

いっしょにいる時間が長く、、というよりは作っていたような、、、

そして、、子供が小学5年とか6年の頃になると、、不思議な現象が家庭内にも起こる。

人とは家族であっても「慣れあい」が出来る、、「これくらいはいいか」とかの甘えである。

そして、、「無いとは言えない、飽きである、、」男と女がまず、、「いても居なくても同じなような」

いわゆる「空気」になってしまう。

親と子供も同じで、、何時もいるから、ついつい、、何かあるごとに「後回し」になる、

そして、、いつの間にか夫婦でも、親と子供の間にも「会話」が減っていくような、、極端な話が無言が多くなる、、それが「親子の断絶」の始まりのような、、、

そして、、昔は子供部屋などは特別な環境以外にはなかった。ほとんどが家族が寝る時には一緒の部屋で布団を並べて敷いて寝ていた。大きな家の場合に年より夫婦だけが別の部屋で、、夫婦とその子供たちは一緒だった。。そして、ご飯を食べる時にも同じ「ちゃぶ台」昔のテーブルだ、、一緒に食べた。。

農家などへ行くと、俗にいうお大臣の家などでは一人一人の小さなお膳で食べていた、、、それでも同じ部屋の中だった。

そんな訳で家族の親と子供、、年より夫婦の会話があった。

古い仕来りはあったが、、礼儀もしっかりしていた。

夜の団欒の時にも一部屋で過ごしていたのである、、、

ところが戦後になって、、時が過ぎ、、経済的にゆとりが出たきた日本では建売住宅とか、土地の分譲が始まり、、各家庭が独立して家を持つようになった。そして、田舎から都会への進出が始まり、、ひと家庭で一つの家を所有する時代が来たのである。

また、、少子化が始まり子供一人が多く成り、、家の中に子供部屋が出来るようになった。

そして、個人個人のプライバシーなどと称して、、秘密が多くなった。

夫婦でも子供でも分からない時間が出来た。それも「引きこもり」の要因の一つのようでもあるような、、、

誰が悪いわけもなく、、自分たちで子供の各部屋生活を作り、、人の持っている性格により「引きこもり」などという現象を起こしたような気もする。



2)会話が無くなるような、、、


一人の少年、無太郎は3人弟妹の長男です、、、小学に入るまではおしゃべりな明るい子供だった。小学校へ通うようになっても同じように明るく振舞っていた。しかし、二人の弟が妹が小学校へ入学して、無太郎が小学5年生に成ったころに、親からテストの成績が悪いと怒られた、そして、弟や妹と比較されたのである、、そんな学業などのテストの点数で弟や妹は褒められて、、自分は怒られた。

それがたび重ねているうちに、無太郎は勉強が嫌いになっていった、、世の中の出来事から見れば些細な事であるが、子供無太郎には大きな痛手となり、心に刻み込まれていって自然に負い目となっていった。

そして、いつもいい成績の弟や妹は褒められて行くのを見ていて、、徐々に物いわぬ子供になっていったのであった。

そんな両親は無太郎の痛みを知るわけがなかった、、なぜかというと、、、

親は無太郎に、、、「どうしたの、、あなたはテストが良くないね、、もう少し、頑張らにと、、弟や妹に負けないようね、、あなたは長男なのだからしっかりして頂戴、、」と、、親にしてみれば怒っている訳ではない、、励ましているのだった。

しかし、そこに大きな落とし穴があったのだった。

子供も大人も誰しも人間のプライバシーを比較されたり、、本人の前で「よしあし」を言われたりすることは禁物である、、

誰しも自分の欠点というか負の面を云われるのは辛いもので、、

云われるくらいなら顔を見せないほうがいい、、会わないほうがいい、、会話を避けた方がいいとなり、、自分の部屋がある子供は出て来なくなる。

人は誰しも小言を云われたり、注意をされるのは嫌である、、、なるべく言われないように一人になるようだ、、、

それが度重なっていくうちに、、やることが全て、面倒くさく成っていく。そして、起きることさえ面倒になっていくのだった。

子供も大人も「楽」な行動を選ぶような、、、「言い訳」を考えて寝てしまう、、、

無太郎も母親が朝、起きて来ないの起こすと、、「お母さん、頭が痛くて学校を休みたい、、動けないよ、、」と、甘えることは知っていた。

最初は良かったが「言い訳」が通用しなくなっていくのだった。

そんなことの繰り返しをして行くうちに親も騙せなくなり、、今度は何をするかというと、、、居直ることをするのであった。

部屋の鍵を空けない、、親が少し強く言うと、、、「うるさい、、うるさいんだよ」と更に不貞腐れるのだった。

そして、、優しい親の心を知ってか知らずか、、逆らってくるのだった、

何も食べずに部屋に閉じこもる子供が心配で、親は怒ることが出来ずに優しく接しようとする、、、

無太郎の場合も最初は部屋から出てこないが食事時間には出てきたのであった。

しかし、「登校拒否」が始まり、部屋から出て来なくなって1か月が過ぎたころからには親に物を投げつけたりするようになった。

母親は一人では対処できなくなり、、無太郎の父親にも相談したが、、そのうちにそのうちにと言ったが、、手遅れになっていった。

子供は体も多きくなり、、体格的にも対応が出来なくなっていた。

そして、家庭内は一人の「引きこもり」が始まってから、環境が一遍していったのである。。毎日,重苦しい、笑いの無い家庭になっていったのであった



3)引きこもりにはいくつかの要因が絡み合って、、


子供も大人も引きこもりには生活環境や親子や身内の関係、、更には学校とか職場とかの人間関係が絡んで起きるので、一概には「これが原因」とは言えないような気がする。

そして、本人の性格や気性などが関わるので難しい。引きこもりは「突然」に起こるのではなく、、徐々に行動や気持ちに変化が表れて、親がよくよく本人を観察していれば分かる筈である、、しかし、誰しも日々の生活が忙しい、、、心にゆとりを持って生活していることが少ないのだ、、、子供が幼少の頃には親も注意を払って、、「危ない、、それは駄目よ、、」とか、、「それはしてはいけない、、」とか、窘めることが多い。

そして、、関わることが親も子供も、なぜか楽しいような、、笑顔を見せながら生活にも余裕があった。

しかし、子供も成長してくると、、、「うるさいよ、、そんなことは分かっている、、」とか関りから逃げるような、、、

そんなこともあり、、「放任主義」をとる親も出てくる。

また、、「それくらいは自分でやりなさい、、いつまでも子供じゃあないのだから、、」と、、突き放す親もいる。

親子関係は難しい、、、本当は構ってもらいたいと思う子供もいる筈で有る、、その親子関係の距離が人により違いがあって、「こうだと、、」と言えない。

その辺にも気持ちのくい違いが出来て、、心の行き来が狂ってくるようだ、、、

そして、気が付いたら「会話」が無くなり、、引きこもりにつながっていく、、親子の断絶が始まってしまう。

子供が成長する頃には経済的にもお金が必要になり、、共働きが多くなって、孤立化していくようだった。

親も仕事と家庭の両立で肉体的に疲れ、、子供も部活や課外授業や「学習塾」などで肉体的に精神的にも負担が増えて、疲れがでるようだった、、、

御互いの肉体的疲れや精神的な悩みが増えて、、いつの間にか無口になり、、「会話」が少なくなる

そんな家庭環境で生活空間で生活することが、、正直言って「面倒臭く」なり、、お互いが無理をして「背伸び」をしているような、、

そこに「引きこもり」という落とし穴に嵌るようであった。

しかし、、「引きこもり」問題は課題が多く難しい、、言えることがひとつだけあるような「早く気が付き、傷口が小さい時」に、、お互いで話し合うことの様な気がする。。。。


そして、、引きこもりが始り、、同時に家庭内暴力が始まるのも要因の一つだ。


1)家庭内暴力

子供にも大人にもあるようだ、、「家庭内暴力」は、、、

昔と違い、、今は夫婦二人で育てることが多く、、その上に友働きが多い。

そんよってしまう。

友働きの場合などは、、朝は忙しともあった、、「誰誰ちゃん、、いくよ、、」と言いながら、親が守る様に育てる、、年寄りがいると更に可愛がるのだった。

子供はその生活が当たり前とおもうようになってしまう。

お祖母ちゃん、、おじいちゃんに、、「誰誰ちゃん。。可愛い、いい子だね」と褒められて育ってしまうことが多い。

そんな子供が、、今までにあったnoiDこともなく、話したこともない仲間が居る中にほうり込まれてしまうのである、、、

それは、、「ライオンかも知れない、、狼かもしれない、、像かも知れない」のだ、、見たことのない生き物と一緒に一つの檻の中に入れられてしまうのだから、、」子供によっては環境が変わるので、、本人そのものも変化し

環境に順応する子供もいれば、、閉鎖的なってしまう子供もいるのだ。。子供とは難しい、、、



2)家庭外に不満が、、、


子供も成長仕切れない中途半端な大人の格好をした大人が、、親や近親者と生活した延長で、家庭以外の社会空間に出た時、、、「こんな筈ではなかった、、どうして、自分の考えが通じないのだ、、、

と、、繰り返し思う。その繰り返しが自信をうしなっていくのだった。

學校で社会現場での「やるさなさ、、、不甲斐なさが、、」行動が出来ないことが、、意見が通らが積み重なって「こころの中に鬱憤の膿がたまり、、」その膿の吐き出し口を求めて、、それが暴力となって表れるような。

その暴力が内に出るか外に出るかによって「呼び方というか、扱い方が千葉って来る。」のだった。。

家庭内で家族対して、大概は親にする暴力で、、、それは「甘え」の表現のヒツかも知れないのだ。

そして、社会や職場、学校での暴力は刑事事件にも発展して、社会問題に取り上げられる。。

いわゆる「非行」として、、、

家庭内だけなら、、話合いや気づかいで、穏便にすることも出来れるが、、暴力程度では警察沙汰になることもある。。。

いずれにしても「暴力」は駄目なのだ。

社会で取り締まられている「暴力団」は現在は厳しく規制をされて、、公安委員会からは「広域指定暴力団」として管理されている。。そんなところから「大きい、小さいの違い」は有っても「暴力」は絶対の駄目なのだ。

だから、、「引きこもり」や「登校拒否」や「職場放棄」にならないように、、、日々、」管理者や教育者は監視指導には注意して行動をしないと、、、

この行為も出発点は家庭である。。

特に子供を育てることは難しい、、そして、育成することは「更に至難の領域」なのだ、、、

簡単に子供を育てることは考えないほうが、、時代が進むほど、難しくなっていくような、、、

時代が、、世の中が「少子化」だからと云って、むやみに、、やたらに「子供を増やす」ことを考えないほうがいい。。。

現在の世界、、地球規模で考えた方が、、、、ウクライナでの戦争、、パレスチナとイスラエルの戦闘での子供たちの残酷物語、、ビルマでの悲劇、、そして、台湾問題が、、、更には北朝鮮のミサル発射など、、、世界各地での自然災害が起きて、、地球環境に危機が迫っている。

人々よ考えてみて欲しい。。もぅともつと「モアモアモア」に。。。

暴力がどうのこうのな言ってる場合でないのだ、、、

世の中が亡くなったらどうする、、、今こそ、、地球規模で考えろって、、、叫びたい。。。

「馬鹿野郎、、、人間ども、、、」と、、


3)飛び出す暴力


人の暴力とは限りがないような、、、一度吹きだしたら噴火が止まらない「火山」のようにマグマを流す。。周囲を溶かしながら、、巻き込みながら、傷つけていく、、時には命を奪う。。。

最初は小さなゲンコツも平手打ちも大ききなると、、物を手にして暴れるようだ、、、

どうしてというほどに暴れる、、、

多分、自」分でも止まらなくなるように、、人に危害を加える。

人とは怖ろしい生き物だ、、、なんでというほ力が出てくる、、、火山が爆発すると溶岩が流れ出す。。。其の勢いは徐々になる。。

しかし、、時がたち、、冷えてくると固まる、、人間も同じだ、、時間が経ち冷静になると嘘のように静かになる、、、

人も話し合い、、初めから冷静なら「暴力」はいらない。

それならば原因になることを究明して、、助け合い、話合いで暴力は防げる筈だ、、

しかし、出来ずに暴力を振るうのだ、、、

振るう方も「我慢せずに」、、「云えよ」「話せよ」、、「黙る前に口を開け」

そして、、思いっきり討論しろと言いたい、、

無言は美徳とされた時代は終わったのだ、、只、黙っていては分からないのだ、、

人には素晴らしい武器がある、、それは「言葉」なのだ。。

云いすぎかもしれないが話すことが「美徳」なのだ、、話して、納得して、無暴力で行きたいものだ。。。



そして、、子供の不登校や「引きこもり」「家庭内暴力」から始まった子供の暴動は

「いじめ」まで発展する。。。


1)苛め、、、


引きこもりからはじまり、、家族への暴力行為が起こり、、学校などで友達関係への苛めが起ると問題である、、いわゆる学校内暴力が起きることがある。

友達同士の喧嘩ならまだいい、、それが団体で「個人一人」を苛めると、、苛められた子供に悲劇が起きるのだ、、、最悪の場合は「自殺」というような形で表れてくる。

ものあ無くてはならないような。。

出来ることから始めるとすれば、、極端な話が、、個室をなくしてオープンにすることだ、その反動で「プライバシーの問題」が起る、、難しい。

昔は大部屋だった、、しかし、、今は違うと反感をされる。

引きこもりはどうして起こるのか、、家庭内に引きこもるのには、理由がある筈だと思うことが大事だ。

まずはその理を、、訳を聞きださないと、、大事なことはひきこもることを、、「なんでと人は怒れば怒るほど、、追求すればするほど、、人とは自分の穴倉にはいってしまう。

それを重ねるうちに「穴倉」から出て来なくなるのであった。

穴倉に入る前に、、入り口で話さないと。。。

「子供が学校に行きたくなかったら、、休ませればいい、、」そして、本人がやりたいことをやらせるのだ、、、話合いで決めてやればいいような、、、

いろいろいる子供たちの中には「勉強が嫌いなこどもいる」「団体行動が嫌いな子供もいる」それを無理やりさせることは無い、、、その子供の不向きが有るのだから、、それを親は指導者は見出すことが必要だ。。

穴倉の入り口で防ぐことが大事だ。それには普段からの観察が必要であり、、無暗やたらに子供を創るな、、、考えて行動をしろよとと言いたい。

それが苛め対策の基礎だと思う,,大人たちが考えて「コヅクリ」をしろと言いたい,、何度も言い


2)苛め(その2)

穴倉から引き出したら、、子供や大人でもすきなことやらせてやる、、得意なことがあるのだ。。誰でも彼でも学校での勉強を好きな奴ばかりではない、、嫌いな奴が多いのだ。

英語が好きな奴、、数学が好きな奴、、絵をかくことが得意な奴、、音楽が好きで歌うことがなによりも好きな奴、運動神経が飛び向けているいる奴と色々いる。

大人になったら得意な分野で仕事は一本道が多い。

だから、、子供に対してやれと、攻めるなよと言いたい、考えてみろよ、、自分の子供時代を、、、自分の能力を考えろだよ。

「鳶が鷹を産むようにはいかないのだ、、」

子供時代には「のびのびと、、」慌てずに生きましょう、、、

黙ってても成長するから、、暖かい心で見守らないと、、穴倉に入ってしまうよ、、、まずは「ひきこもり」をさせないように、、周りの大人が気遣わないと。。。大人でも周囲の家族が優しく接しなければダメだ。

人の優しい心が大事だ、、

人とは「やっては駄目とか、、それはいけないと、、」と、、何から何までダメ押しでは、息が詰まり、、反発して、、逆切れを起こすのだ。

「なんでも駄目はやめましょう、、、やりたいことを話し合いをしながらやる、、ダメなら、なんで駄目かを相談する」

そんな努力を親も子供もすれば、、いいのではないかな、、、

兎に角「ひきこもり」を防ぎ、、楽しい家族団欒を、気を抜かずに作ることが一番大事なようだ。



3)引きこもりが、、治り、穴倉から出てきたら。。。


長い冬眠をしていた動物が、すぐにてきぱきとは動けない。しばらくは冬眠状態の、夢用病者が起きてきたのだ、、、優しく見守ってやらないと、、右も左もわからなくなった人間に道を手を引いてやらないと、、前の見えなくなった人間なのだ。

間違えば、、冬眠から覚めた「熊」のように凶暴になるのだから、、冬眠明けの熊のように、人も暴力的になるような、、穴倉が出て来た「引きこもり奴」は。。。

そんな危険な引きこもりを放し飼いする時は、、少しだけ「調教」しないとな、、、

その調教は「駄目駄目の禁止調教ではだめなのだ。。難しいが。。」

やっていいことで、どうすれば出来るかを説かないと。。。

引きこもりから目が覚めたばかりの冬眠人間に教えることは、、、生きることの楽しみを、、

生きていればこその「楽しみ、悲しさ、笑い、涙を」を知ってもらう、、暗い穴倉では見えない、、聞こえない、分からない喜びを見て喜んでもらう、、、

そんな心を知ってもらう。

生きているからこその喜びを知ってもらう。

「やっては駄目の心得ではなく、、、やっていい心得を覚えてもらう、、」

そんなことの繰り返しで、人の閉ざされた心は開くのではないのか、、、

人の生きていることの喜びを,、一人になって「孤独な心」の中には何もない。。。

人と家族の中にこそ、、団欒の中にこそ、幸せは有ることを知ってもらう、、、努力を周囲は世の中はするべきであるような、、、


4)穴倉から出て来た「冬眠熊」は、、、


世の中は「やさしさ」「おもやり」が大事だ、、冬眠熊にも必要だ、、自然の恵みが順調に巡り、、動物たちにも行き渡れば、、人郷には現れずに自然の条理で回っていたかも知れない。

そして、人によって自然が破壊されて、動物たちの住処が亡くなり、、追い出されるように人郷に近寄ってきたようだ。

誰が悪い、、自然を壊した人間に罪があるのだ。

世のなかの罪は人が全てつくりだすのだった。

「考えろよ、、、人間ども、、、」

人の世界で、、家庭で、、学校で、、社会で、、起きる暴力は難で起きるのか。。。「かんがえろ。。」と、、言いたい。

余りにも時代が早く動き過ぎる、、着いていけない人間が、はみ出した人間が自分の殻から抜けられないで、藻掻いているのだ。

出口が分からずに、もたもたしているうちに、、口でしゃべるより簡単な手が出てしまうこともあるような、、、

人にはいろいろな人間が居るのだ、、「せっかちな人間」

「のんびり歩きの人間」「頭のいい人間」「少し頭の回転がゆっくりな人間」と、、、

全てを一緒に「前へ倣え」「右を向け」「左を向け」と揃えることが間違っているのだ。

同じ世界で「統一する」ことは代かも知れないが、、何から何までは一緒にはできない。。

人は顔も体格も性格も違うのだから、、いいじゃないか。。

人間社会の「原則」「規則」を踏み外さなけれ

そんな人間社会を歩くようであれば、、、「優しく、思いやり」をもって生きていけば、、暴力はなるような。。。

人生は笑って、笑顔で接していった方が、、同じ人生なら楽しい筈だ。誰も手を挙げて、闘うことをしない世の中がいい。。人は幸せがいい、、、泣くより笑いがいい。。。


5)冬眠から覚めた」「穴倉の熊」は目覚めが悪く凶暴だ、、、


冬眠覚めの動物たちは、冬眠の間に「子供を産み」何かと神経がらだっているような、、、

人間も同じだ、、目覚めは誰しもよくない、、「引きこももり」などをしていたら,なおさらだ。

人も動物も接し方、一つで決まるような、、相手の人間も動物もかわるものである。

「怒って、怒りをぶつければ、怒りが返ってくる」「優しく笑顔で出迎えれば、、笑顔が返る」

そんなものだよ。。。しかし、いつの時代にも、どんな時にでも例外はある。

それは仕方がない、、、

學校でも社会でも、、職場でも気が合う仲間は出来る、、気が合わない奴も出来る、、、

しかし、、人とは好きになることが大事だ、、、人には長所もあれば欠点もある。。。

それも仕方がないことだ。

そして、、人間とは面白い、、不思議な生き物だ。

嫌いになることは簡単で、、好きになることは難しい。

しかし、、人は男も女も恋をする、、青春時代の特権なのだ。。

青春時代は「好きでも、、好きと言えない」はずかしさがある、、それだよ、、、

仲間同士でお互いが好きになり、、励まし愛、、助け合えば、、、「憎しみや恨みは忘れる」

學校での生活、、、中学校で3年間、、高校での3年間、人生のうちの「たった3年間」だ、、

面白おかしくやらないと、、、「馬鹿野郎だよ、、」「愚か者になるな、、、」

くだらない暴力など忘れろ、、、「苛め」など吹き飛ばせと言いたい。

「青春万歳」と叫びたい。。。「愚かな、馬鹿野郎にはなるな、、」





































男と女の世界は不思議なも、、隠せば見たがる、、見せようとすれば逃げる、、、

それが男と女だ、、そんな女心も知らないでは「恋」も出来ない、、男心をしらないでは男にも好かれないよ、、変な世界だ。

そんな男と女の世界で生きてるのだから、、時には馬鹿にも阿呆にもならないと恋などできない。

本当にその女を知ったつもりで、ごく一部しか知らないで、知ったふりをする馬鹿な男どもだ、

この世は所詮「嘘パッチの男と女の集まりだ」そんなふざけた物語。

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