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水にジャバジャバと手を引かれ、入る。

触れた手に温度は無いし、感覚もない。


なのにちゃんと手は引かれていて……ああ、これが、呼ばれるとか連れていかれるということなのかなぁとぼんやり思った。


「どうした?」


ふと足が止まってしまった。

ズボンに染みてくる冷たい水で、もう、足は感覚が鈍い。


何故?


自分でも分からない。

なぜ自分は今……足を、とめたんだろう。


「……やっぱりな。行きたくないんだろ。」

「………」

「言えよ。言わないと本当に連れてっちまうぞ。」


いつも通りの、優しい顔。

連れていく、などと言いながらもオレの手を握るその手にほとんど力など籠っていない。


そんな気などないのは丸わかりだった。


「……なんで、怒らないんだ」


オレの絞り出した声に、彼はまた優しい笑みを濃くして首を傾げる。


「なにが」

「あの日、俺は逃げたのに……なんで怒らないんだよ」

「怒らねぇよ」

「なんで……だってお前、オレと、約束したから、死んだん、だろ……そんなの、オレが、殺したようなもんだ。なのに、俺は逃げて……なあ、なんで、責めないんだ?なんで……怒らないんだよ……」


そうだ、オレは、あの日逃げた。

死にたいなどと言ったのはオレの方だったのに逃げて。


誰からも愛されたこいつが。

こいつだけが死んだ。


オレのせいで、死んだんだ。なのに。


コイツはオレの前に現れてから一度もその事は言わなかった。

責めなかった。


その、変わらない優しさが、気遣いが。


オレには、苦しかった。


「お前のせいじゃない。俺が死んだのは……俺の意思だった。後悔なんかしてない。だから、自分を責めんな。」


俯いていた顔を上げたら目の前……と言っても普段の目線より少し斜め下に、悠の顔があった。


優しく細めた目に、自分の泣きそうな顔が映る。


困ったように笑いながら、彼の指先がオレの目元をなぞった。

感覚は無い。


だが確かに、あの日と同じ触れ方だと分かる。

それくらいわかるほど……オレは、彼の傍に、いたから。


「それに、逃げたって言うけど……逃げてねえじゃん。お前は優しいから。……母ちゃんのこと置いてけなかったんだろ。」

「……うん」

「それってむしろ、すげえ事じゃん。死ぬ覚悟あったのに、それでも生きる方取るって。むしろ立ち向かったんだよ、お前は。すげえ勇気だったと思う。本気ですげぇって思うよ。……俺には出来なかったことだもん。」


嘘のない声がオレの心を溶かす。

ああ、あの時と、あの頃と一緒だ。

いつもこいつはこうだった。


ふざけてて、うるさくて、ワガママなガキのくせに。

なのに堪らなく、かっこよくて。


だからみんなも、俺も。


こいつが大好きだったんだ。


「だから怒らねぇし、連れてかない。それに、隣のあの未亡人、多分お前のこと好きじゃん。これから幸せになるやつなんか連れてけるかよ。」


俺の手を離した彼は寂しげに笑った。


「安心しろよ、日が沈むと同時に俺は消える。俺が死んだ時間だからな。なあ、遼。もう、今日で終わりにしていいぞ。」


突然の言葉に、頭を殴られたような気がした。

『終わり』。

その言葉がぐるぐると頭を回る。


「なに、を?」


声が震えた。

でも決して寒さのせいじゃなかった。


「俺に、付き合わなくていい。命日にももう休むな。墓参りも、実家の仏壇にも手合わせに来なくていい。お前はもう……解放されていいんだよ。」

「なに、言って」

「そのままの意味。あの日ホントは、お前に言いたかったけど、言えんかったからさ。だから今言っとく。………もう、終わりにしよ。」


彼の言いたいことを理解した瞬間、オレは声を張り上げた。


「馬鹿なこと言うな」


こんなに大きな声が出るなんて。

自分でも初めて知った。


なのに彼は少しも驚かずに首を横に振った。


「お前は俺に付き合ってくれただけだ。お前は、なんも悪くない。俺が、お前の優しさに漬け込んだんだ。悪かったな、今日まで……付き合わせてさ。」


そう言って笑う彼の顔は、なんだか不自然で。

いや、きっと他人から見たら普通の笑顔なのだがオレにはわかる。


これは彼の……本心じゃない。


「……俺は、好きでもないやつに付き合ったりしない」


ぐちゃぐちゃな頭で必死に言葉を紡いだ。

なのに彼は下手くそな笑顔でヘラヘラと口を開く。


「わかってるよ、ったく。ホント優しいヤツだなぁお前は。」

「わかってない。俺だって……ちゃんとお前のこと」

「ありがとな、遼。今日色んなとこ行けて楽しかったよ。幸せになれよ。ちゃんと俺より良い相棒、見つけないと許さないからな。……じゃあな。」


オレの言葉を遮って、彼は1人海へと進もうとする。


だめだ、だめ。

行かないで。


まだ、まだ伝えてない。

このままだとオレは一生後悔する。


こいつを、勘違いさせたまま、行かせたりなんかしたら。


「悠……!」


俺の声に振り返った、もう半分消えかけている悠に………口付けをした。


オレからしたのは多分、初めて。


感覚は、ない。

だけど確かに触れた。


オレの、幼なじみで。

親友で。


そして世界一俺のことが好きな、馬鹿な恋人だった男に。



「なんだよ、やめろよ。連れてきたくなるじゃんか。」


顔を離した時、悠は初めて見る顔をしていた。

泣きそうな、幸せなのに悔しそうな、なんとも言えない顔。


そのぐちゃぐちゃに歪んだ顔で、彼は何とか声を、絞り出した。


そんな彼の体を抱きしめて、俺は続ける。


「好き、だったよ、オレだって。ほんきで、お前となら死んでもいいって思ったのは、嘘じゃない。」

「ほんと?」


震える声。

鼻をすする音。


ああ、こいつが泣くとこなんか、初めて見た。


こいつが……死ぬまで知らなかった。


「当たり前だ。誰が同情なんかで、男と付き合うか!幼なじみだからって……親友だからって。そこにオレが嘘つくわけないだろ?」


いつ、好きになったか。付き合ったか。

そんなのもう覚えてない。


だけど告白は悠からで。


幼なじみで親友だったオレたちの日常は対して変わらなかったけど。


でもその日から悠が、オレをもっと大切にしてくれた。

そばに居てくれた。


オレはどうしても付き合ってることがなんだか恥ずかしくて、バレたくなくて……だから手を繋ぐのもキスをするのも、2人っきりの時だけで。


それだってオレは恥ずかしくて、滅多にOKをださなかった。


だからこいつは……馬鹿なコイツは。


オレが好きでもないのに『付き合って』くれた、なんて思ったのかもしれない。



「あの時は……オレはガキで。周りの目が怖くて。だからお前との関係を大っぴらには出来なかったし、手も、繋いで歩けなかった。キスも、それ以上だってそうだ。


けど、けどオレは本当に……お前が好きだったよ、悠。


バカで、うるさくて、ガキで。でもどうしようもなくかっこいいお前が。好きだった。」


オレの言葉に、悠はぐちゃぐちゃな顔で、泣きながら口を開いた。


「遼、俺、今日めちゃくちゃ嬉しかった。1回でいいから……お前とこうやって出かけたかった。人目なんか気にしないで手繋いで……お前と歩きたかった。ちゃんと……恋人で、いたかったんだ。」


その言葉に俺も視界が滲む。


ごめん、ごめん。

お前に、そんな思いを抱えさせて。


ただ一言、言えばよかった。

なのにあの頃は勇気も自信もなくて言えなくて。


でも、今なら、もう怖くない。


胸を張って言える。


「好きだよ、悠。

でも、だからこそ、一緒には行けない。」

「わかってるよ。」

「一緒に行けなくてごめん。だから……見ててくれ。俺がちゃんと死なないで幸せになれるように。」

「お前ほんとひでぇやつだな。好きなやつが他の奴と結婚して生きるの見とけって?」

「ああ。」


オレの言葉に悠は、今度こそいつも通りの笑顔を見せた。


「はは、さいってー。……分かった、見ててやるよ。仕方ねぇから。」

「次に会う時は、なるべく後にする」

「おーそうしろそうしろ。情けない生き方だったらすぐ迎えに来るからな」

「ああ、努力するよ。」


彼の体はもうほとんど消えて、今見えているのは肩から上のみだ。


それももう……半分以上透けている。


「もう、時間みたいだ。じゃあ俺、いくわ。」

「ああ。」

「遼、ちゃんと長生きして……幸せになれよ。約束、だからな。じゃあ、またな!」

「ああ、また。」


それが、オレと恋人の……新しい最後の約束だった。

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