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はぁ、と息を手に吹き掛ける。

全くここ数日急に冷え込んできやがった。


本来なら防寒ゼロのスーツのみで外に出るなどしたくなかったのだが、去年使っていたマフラーは管理が杜撰だったのか虫に食われて使い物にならず。


お陰で薄っぺらいコート1枚で何とか体温を保っている状態だ。


月も陰って、ほとんど見えない帰り道をフラフラと足を引きずるように歩く。


頭がぼんやりする。

体のあちこちが凝り固まって悲鳴をあげている。

社会人というものになって数年経つが、やはり疲れが取れにくくなってきた。


今日はもう食欲もない。

風呂に入って酒でも飲んで……それでさっさと寝てしまおう。


そう思いながらオレは何とか家にたどり着く。

いつものように鍵を差し込み、ドアノブを回した。


その時。


「おかえり」


部屋の中から聞こえた、するはずのない声。

俺は「は?」と、思わず持っていたスーツカバンを落とした。


「相変わらず絵に描いたよーな反応どーも。ほーんとおもしれえくらいテンプレの反応しかしないな、(はるか)。」


冬だと言うのに半袖の夏制服を身にまといヘラヘラと笑う声の主。

短い髪と、日に焼けた少し幼いその顔。


それがあまりにもあの日のままで。

いや、だから。

だからこそ。


信じられなかった。


「お前、誰だ」


やっと絞り出した自分の声は思ったよりも小さく震えていた。

そんなオレを見ても、ヤツは一瞬ぱちくりと目を瞬いただけでまたその、人懐っこい笑顔をうかべる。


「誰だとは失敬な。俺だよ、俺。」

「オレオレ詐欺じゃないんだ。ちゃんと名前を名乗れよ。」

「あーもう、だからぁ、俺だって!戸堀(とぼり) (ゆう)

ったく、相棒の顔も忘れちまったのか?歳ってのは取りたくないねぇ」


やれやれ、と首を振る少年に少しカチンときて語気を荒らげる。


「オレはまだ28だ。別に年じゃない。第一、お前が悠なわけないだろ。」


それでも彼は全く動じない。

耐えず笑みを浮かべたまま、いたずらげに首を傾げた。


「なんで?」

「なんでって……大体、どうやって部屋に入ったんだよ。鍵は、かけてたはずだろ」

「別に不法侵入とかじゃねーぞ。空いてたから入っただけ。まあ俺、鍵とか関係無いけど」

「それを不法侵入っていうんだろうが」

「ちげぇよ。泥棒みたいに針金で鍵ガチャガチャーとかやって入ったんじゃねぇもん。ドアをこうすり抜けてお邪魔しマースって」

「現状同じようなもんじゃねーか!」

「あはは仕方ねぇじゃん、このやり方しか出来ねぇんだもん」


その時、どんどん、とドアがノックされる。

しまった、大声を出しすぎたらしい。


「は、はい、今出ます……」


慌てて出ると、そこに居たのは自分より背の低い女性……隣の部屋に住む、シングルマザーの葛西(かさい)さんが立っていた。


「葛西さん。こ、こんばんは……」


小柄な彼女はその長いまつ毛に縁取られた目を細めて「こんばんは」と軽く頭を下げる。

自分より3つ年上らしい彼女だが、その顔は、何度観ても自分と同い年……下手をしたら年下に見えるほどで。

とても、子供を1人産んだとは思えないほど若々しい。


「あの、瀬野(せの)さん大丈夫、ですか?今、その……大きな声がしたから心配で……」


小さく、小鳥の鳴くような声と共に首を傾げる彼女。


仕事終わり、なのだろうか。

ふんわりとしたブラウスと細い黒のスラックスが、彼女の小柄さを引き立てている。

なのにその、少し幸薄げな顔に施された化粧はまるで今してきたかのように綺麗だった。


「あ、ああ、大丈夫です!今、その……親戚の子が来てまして!!」


独り身の男の元に、学生姿の子供が1人。

こんな状況普通に怪しすぎる。


誘拐など疑われたらたまらない。


そう思ってオレは咄嗟に嘘をついた。


葛西さんはオレの言葉に目をぱちくりさせて、俺の背中越しにちらりと部屋をのぞきこんだ。


その目の先には確かにアイツがいる……はずなのだが、どうも様子がおかしい。


彼女は不思議そうに視線を部屋の左右に振ったあと、思いがけない言葉を放った。


「……?ああ、今はお風呂、とかに?」

「え、ぇ?」


どういうことだろう。


オレの部屋……というかこのアパートの部屋は決して広くは無い。

玄関から覗けば、すぐ、リビングがある。

だからつまり、確実に見える位置にある。


それに、ヤツは今、部屋のど真ん中……オレが置いているローテーブルの傍、それもドアの方向を見る形で座っているのだ。


だから絶対、確実に見えるはず。

なんなら、目だってあったはずなのに。


なのに彼女は……何故かやつに気づいていないらしい。


悪い冗談かとも思ったが彼女は冗談を言うタイプでもないし、第一彼女の曇の無い目が嘘をついているとは思えなかった。


どういうことだ、と頭を捻っていると背中からやつの呑気な声が聞こえた。


「あー、大丈夫、お前以外に俺見えてねぇから」

「は?!」

「えっ?!」

「あ、すみません……っ!何でもないです……!」


思わず反応してしまった。


いやいやお前当たり前みたいに言ったけど!

だったら先に言っとけよ!!


後ろにチラッと視線を送りやつを睨む。

が、彼はワザとだろうが目線を合わせない。

ぴゅーぴゅーと鳴りの悪い口笛まで吹いて知らんぷりを決め込んでいる。


このクソガキ。

ほんっっっとうに腹立たしい………


「あ、あの……瀬野さん?大丈夫ですか?」


押し黙っていた俺を心配したのだろう。

葛西さんが上目遣いで顔を覗き込んできた。


その際、オレとの身長差もあり、襟首の隙間から胸の谷間がちらりと見えて慌てて目をそらす。


「あ、すみません……っ!そ、そうーなんですよ、なかなか風呂入らないもんでつい、大声を……」


白々しい言い訳だと思ったが、どうやら彼女は信じてくれたらしい。

ぱっと顔を明るくして微笑んでくれた。


「まあ、そうだったんですね。私も子供がお風呂嫌いなので良く苦労してますから分かります。」

「そ、そう、ですか」

「では、何も無かったみたいなので……」

「あ、あぁ、ありがとう、ございます……」


ぺこり、と頭を下げて部屋に戻った彼女。

ドアを閉める前、小さく手を振ってくれる。


ドアの隙間から子供の「ママー」と呼ぶ声を漏らしながら……扉は閉められた。


オレも部屋に戻り鍵を閉めたあと……大きくため息を着く。

つ、疲れた……嘘をつくってこんなに精神すり減らすのか……


「で、何今の美人!あれ誰?!」


項垂れるオレを気にかけるでもなく、ヤツはテーブルに頬杖を着いて興味深そうに聞いてくる。


「隣の部屋の人……旦那さん亡くして、今シングルマザー。」

「へーぇ、未亡人かぁ!ちょっと俺の趣味ではねぇけどスケベな遼は好きそーなタイプかもな」


にしし、と八重歯を見せてやつは笑う。

昔と変わらないその顔と軽口に……オレは、理解した。


いや、理解できる程度まで落ち着いた、とでもいうべきなのか?


「ほんとにお前……悠なんだな?」


オレの言葉に、彼は口をとんがらせる。


「だからそうだって。何度も言わせんなよ。」

「なんで、なんでここにいるんだ。なんで、今更来たんだよ……だって、お前……」







「10年前に死んだじゃないか」

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