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ズィミウルギアの心臓  作者: 吉遊
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第五話

 呪いを解きたいのだろうか。


 レオノーラの話を聞いてから何度となくそれを自分に問いかけてきた。しかし、答えを見つけられないままただ時が過ぎていく。


「……ドロワ。……ゴーシュ」


 セルギオスの呼びかけに双蛇が答えぬことは産まれて初めてだった。

 誰よりも共にいた存在。忌まわしい呪いの象徴であり、彼の唯一の友。(いと)うていたのに、本当はいなくなることなど想像もしていなかったのだと思い知らされた。

 決断を彼に委ねるかのように、双房の蛇たちは沈黙を守っている。


「お前たちにも、口を出す権利はあると思うぞ」


 二十一年共に生きてきたのだ。

 いまさら彼らの生殺与奪を握っているなどと言われても困る。いつだって、一人と二匹で考え支え合ってきたのだから。


「……私一人にすべてを押しつけるつもりか」


 双蛇は答えない。

 それが、もういなくなることを決意しているかのようで、言いようのない感情に襲われる。悲しいのか。苦しいのか。たった一人、どこかにとり残されてしまったかのようなその思い。

 ともすれば、”呪いが解ける”と言ったレオノーラを見当違いにも恨んでしまいそうになる。


 すべて、自分が望んでいたことだ。


 呪いが解けることも。この国で魔法が使えるようになることも。

 ただハイディングスフェルトに助力を請えばいい。そうすればセルギオスの望む幸せが訪れる。王として自国の利益を優先させるべきだ。双蛇に特別な力はない。彼らがいることは決して国の利益とはならない。


(わかっている)


 答えなど……最初から、一つしかない。



   ◇◇◇



 婚姻の誓約を明日へと控えた夜。

 セルギオスはレオノーラに会うために再び凍らぬ湖(クレオアルス)へと足を運んでいた。その足取りは前回同様重い。

 あの夜から、レオノーラは彼の執務室へと来ることはなくなった。農地改革は変わらず進めているようだが、書類などを持って来るのはすべて彼女以外の人間になってしまった。


 自分の出した結論を彼女はどう思うだろうか。


 心なしか輝きの弱い気がする双月の下を無言で歩く。

 この道がこんなに長く感じるのは、あのときの彼には騒がしく話しかけてくる蛇たちがいたからだと今ならわかる。

 人々から忌避されている自分を孤独だと思っていた。

 でも本当の孤独とはこんなにも寒いものなのかと、アヴァランシュの真冬すらも超えるその寒さに身が震える。悲観的な自分が、彼らを失うことだけは想像もしなかったなんて。




 レオノーラはあの日と同じように湖のそばに腰を下ろして彼を待っていた。


「レオノーラ王女」


 セルギオスの声にレオノーラは小さく笑みを浮かべ立ち上がった。その笑みにどこか緊張を感じるのは、セルギオス自身がひどく緊張しているからだろうか。


「お待ちしておりました、セルギオス様」

「……答えを伝えに参りました」


 この場になってもまだ迷っている。

 自分の出した答えは間違っているのではないかと、最善は他にあるのではないかと、埒もないことを考えてしまう。

 それでも、この結論以外を彼は選べない。


「ハイディングスフェルトのお力で、凍らぬ湖(クレオアルス)よりズィミウルギアの心臓を取り出して頂きたい。……ドロワとゴーシュはこの身に宿したまま」


 無茶な願いを口にした自覚はあった。

 俯いているセルギオスには彼の答えにレオノーラがどんな顔をしているのかはわからない。顔を上げる勇気はなかった。

 きっと、それは無理だという断わりの言葉が返ってくるだろう。

 そうであればセルギオスは諦めるつもりだった。


「わかりました」

「やはり……なら、ズィミウルギアの心臓は諦め……って、え?」


 できると言ったのか。


「セルギオス様がドロワとゴーシュをその身に宿したまま、凍らぬ湖(クレオアルス)よりズィミウルギアの心臓を取り出してみせましょう。ハイディングスフェルト王国第一王女レオノーラがお約束いたします」


 それはまるで奇跡を起こす魔法使いのような言葉。

 幼い日彼女はセルギオスを喜ばせるために美しい花を出してみせた。成長した彼女はあのときと同じく白く可憐な手を差し出し、彼の我儘な望みを叶えてくれるという。


「言ったはずですよ、セルギオス様。わたくしは――あなたに幸福を届けにやって来たんです」


 ハイディングスフェルトに彼の救世主はいなかった。

 あの魔法大国にいたのは、”呪い”すら”祝福”へと変えてしまう美しい魔法使いのお姫様だった。



   ◇◇◇



 レオノーラに、なぜ自分に選択を委ねたのかと尋ねると思いもよらぬ答えが返ってきた。


「セルギオス様にとってドロワとゴーシュが大切なことはわかっていました。でも、初めて会った日にあなたに”自分のことを何も知らない”と言われて」

「……その節は大変な失礼を」

「ふふっ。いいんですよ。自分でもその通りだなと思ったので」


 そこからレオノーラはセルギオスにとっての”呪い”とは何かを考えるようになったのだと言う。

 悍ましい蛇を宿した姿なのか。周りから恐れと微かな嫌悪の視線を向けられ忌避されていることか。あるいは……そう嘆いていること自体なのか。


「姿は隠そうと思えばいくらでもやりようはあるし、周りの目は自分の行動で変えていけばいい」


 明るく前向きな彼女らしい発言だと思った。

 なかなかセルギオスでは辿り着かない結論だ。自身の姿を見られたくないと隠すことはあっても、それを積極的に工夫しようとしたことはない。自分の行動で周りの目を変えようなど、いや周りの目が変わるものだなどと考えもしなかった。


「そう……現状を受け入れず、ただ嘆いてそれに囚われていることこそが、呪いだったんですね」


 確かに蛇を宿した姿は呪いだったのかもしれない。

 だが、それをより強いものへと変えてしまったのはセルギオス自身だった。


「セルは、僕らがいてもいいの?」

「いてもらわないと困るな。この姿のせいでろくに友人もいないんだ。お前たちがいなくなったら言葉を忘れそうだ」

「ノーラがいるじゃん。てか、友達くらい作りなよ」

「オイラはセルの友達ーっ!!」


 ドロワの嫌味も、ゴーシュのやたらと元気な声も、もうかけがえのないものだと知っている。

 セルギオスの呪いは解けたのだ。


「変えられないものを”呪い”だと嘆かず、今を受け入れて前向きに頑張れと言われていたのに、それに十年もかかるとは我ながら情けないですが」


 彼の言葉にレオノーラが珍しく渋面を作った。

 そんな顔をしていても彼女がとても可愛らしいのは魔法かなにかだろうか。最近、レオノーラを見ると辺りが光り輝くように感じるのも彼女の魔法かもしれない。

 常なら自分の言葉に渋面を返されれば、即座に気分を害してしまったのだと落ち込むであろうセルギオスは少々浮かれていた。


「ノーラ、それってどういう感情なの?」

「大丈夫? ノーラの顔、ぐしゃってなってるよ?」

「大丈夫です。いえ……普通そう受けとめますよね、と思って」


 どこか遠い目をするレオノーラに、ひょっとして自分の解釈が間違っていたのではないかと気づく。勝手に自分に都合が良いように受け取っていたと恥ずかしくなった。


「……そのような意味ではなかったんですね」


 羞恥で地面に埋まりそうだ。


「いいえ。セルギオス様の思っている意味で間違いありませんわ。……少なくとも、わたくしはそういう意味でお伝えしたので」


 思いのほかきっぱりと否定され、地にめり込んでいた気分がやや復活する。

 この気持ちを自覚してから、セルギオスは自分の感情に振り回されっぱなしだ。常日頃から悲観的ではあったのだが、レオノーラといると嘆くばかりではいられない。


「それでズィミウルギアの心臓は凍らぬ湖(クレオアルス)から取り出したあとどうするの?」

「保存の魔法をかけてハイディングスフェルトで保管するわ」

「ノーラの国はすごいなぁ。魔法で何でもできる!」


 今回のズィミウルギアの件は臣下たちには伝えていない。

 英雄セルシアスが特別な力を持つ魔物の心臓を取り出し何をするつもりだったのかはわからないが、魔法の”魔”の字もないアヴァランシュ王国の手に余ることは確かだ。

 セルギオスとしては、双蛇との別離を必要とせず、この国で魔法が使えるようになるのであればなんの不満もない。

 臣下や民たちには魔法大国のよくわからないすごい技術だと説明するつもりでいる。


「でもさ、ズィミウルギアの心臓が生きてたら……また、呪いが出ちゃうんじゃないの?」


 ドロワのもっともな心配も、レオノーラは笑って否定してくれる。


「ズィミウルギアの心臓にはもうほとんど力は残っていないと思うわ。ここ何代も蛇を宿した子が生まれなかったのもそのせいよ」


 レオノーラの仮説では、セルギオスが生まれる前に誰かがこの地で大きな魔法でも使おうとしたのではないかと言うことだった。そのため一時的にズィミウルギアの心臓への力が高まり、呪いを持った子が生まれたのだろうと。


「よかった。よかったね、セル」

「? セルなんかいいことあったの?」


 もし生まれてくる子どもが彼と同じ姿をしていたら、双蛇を残すことを躊躇ったかもしれない。

 呪いを持つ苦しみは誰よりも知っている。

 でも、たとえ蛇を宿した子を産んでも、レオノーラなら笑って抱き上げるのだろう。彼女がいるかぎり、その子どもはセルギオスよりもずっと温かな幼少期を過ごせるはずだ。そして、その横には同じく笑顔を浮かべる自分と二匹の蛇がいる。

 レオノーラの運んできた”幸福”は、大陸中のどの春よりも温かく優しいものだった。



   ◇◇◇



 今日、レオノーラと婚姻の誓約を結ぶ。

 誓約と大仰に言ったところで、教会で決められた紙に互いの名前を書くだけの儀式だ。たった紙切れ一枚で彼女と夫婦になれるのだから願うべくもない。


「えっ!? 今日は結婚式じゃないの?」

「違うよ。ゴーシュちゃんと話聞いてたの? 今日は夫婦になる誓約を交わすだけで、結婚式は来年の春だよ」

「夫婦になるのに結婚式じゃない、だと!?」


 結婚式はアヴァランシュ王国で行われる予定だ。

 各国の王侯貴族の名前が連なった招待客リストに今から胃の痛む思いがする。何しろ、ハイディングスフェルト王国の国王夫妻と王太子殿下にもお越しいただけるらしい。

 彼らは可愛い王女がこんな小国の王に嫁ぐことをどう思っているのか。

 一応、十年前に国王陛下と王太子殿下には会っているはずだが型通りの挨拶をした覚えしかない。


「魔物の心臓も今日取ってくの?」

「そうだ。ハイディングスフェルトから誓約の見届人が来るから、その方と一緒に何名かの魔法使いが派遣されるらしい」


 ズィミウルギアの心臓は彼らが回収していってくれる。

 憂いはなにもない。

 レオノーラの農地改革のおかげもあり今年の冬への準備は着々と進んでいるし、もうすぐこの地でも魔法が使えるようになるのだ。

 そんなセルギオスの平穏は、恐ろしく大きな水音によって消し飛ばされた。


 ――魔物ズィミウルギアの復活と共に。




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