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ズィミウルギアの心臓  作者: 吉遊
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第四話

 青と白の双月が輝く夜空の下をゆっくりと歩く。

 あえて落とした歩調は逸る気持ちを抑えるためか、あるいは緊張のせいか。初夏とはいえ日が落ちてしまえば肌寒い。無意識に上着に触れると、懐に仕舞っていた紙ががさりと音を立てた。


 ――今宵、凍らぬ湖(クレオアルス)にてお待ちしています。


 手紙というには簡素なそれは、署名こそなかったが書類で何度も目にしたレオノーラの字だ。昼間いつものようにセルギオスの執務室へとやって来た彼女が現在の進捗として提出した書類に紛れ込んでいた。

 宛名も書かれていなかったため、自分宛てではないのではと悩むこと数時間。

 ドロワに”いい加減にしなよ、このヘタレ!”と罵られ、もしレオノーラが待っている相手が自分ではなければ自室に引き籠もろうと暗い決意を胸に夜道を進む。


「……レオノーラ王女に、なぜお前が来るんだという顔をされたらどうしたらいい?」

「なんでそんなにネガティブなの?」

「ノーラはセルのことを待ってるんだからちゃんと行かないとダメなんだぞ!」


 いつの間にか彼女を愛称で呼ぶようになった蛇たちとこの自分の違いはなんだろうか。




 レオノーラは凍らぬ湖(クレオアルス)のそばに腰を下ろし月を眺めていた。

 夜に彼女を見るのは十年前のあの日以来で、ふと懐かしさに目を細めた。月明かりよりも陽の光の方が彼女には似合うと今なら思う。


「レオノーラ王女」


 少し躊躇いがちに声をかけた。

 呼びかける名前はこれで間違っていないはずだ。レオノーラとして初めて顔を合わせる彼女は、王女が着るにしてはシンプルなワンピースに身を包み、いつもは纏められている美しい髪を無造作に背中へと流していた。

 そのどこか無防備な姿にセルギオスの胸がざわめく。


「セルギオス様。無作法な呼び出しに応じてくださりありがとうございます。ハイディングスフェルト王国第一王女レオノーラ・ファル・ヴェルト・クレヴィングと申します。突然の輿入れに戸惑われたことと思いますが、妻として幾久しくお仕えする所存です。どうぞ可愛がってくださいませ」


 畏まった挨拶はさすが大国の王女に相応しい優雅なものだった。

 ”輿入れ・妻・可愛がる”の言葉が頭のなかをぐるぐると巡り、セルギオスは満足に挨拶を返すこともできず固まる。レオノーラが自分に嫁いできたのは理解しているが、本人の口から聞かされるそれは破壊力が違う。

 彼女自身は言ったあとでいまさらだと思ったのか小さく吹き出すように笑い出した。


「妻として仕来り一つ守らないわたくしですが、もらってくださいますか?」

「もっちろん!」

「むしろノーラこそセルなんかでいいの? 返品不可だよ?」


 言われた彼よりも早く蛇たちが当たり前のように返事をしたことに焦る。

 もとより断るつもりなど微塵もないが、求婚の言葉など考えてきていない。いや、この場合はレオノーラが求婚してきているのでセルギオスはそれを受けるだけでいいのか。そもそも彼女から求婚させてしまったが今からでも自分が言うべきでは。いやだから、求婚の言葉などまったく思いついていないのだが。


(ダメだ。混乱している)


 それだけはわかる。


「セルー?」

「セルギオス様固まっていらっしゃるわ」

「処理落ちしてるね」

「セルのきゃぱしてぃを超えちゃったんだね」

「いや、ゴーシュそれ意味わかってないでしょ。奇跡的に使い方は間違ってないけど」


 なかなか現実へと戻ってこないセルギオスを前に彼女たちはすっかり談笑モードだ。

 この婚姻自体もう覆る可能性はないとはいえ、せめてもう少しセルギオスの返答に興味を持ってほしい。意識を彼方へ飛ばすほど考え込んでいる自分が馬鹿みたいではないか。


「レオノーラ王女。此度の結婚ですが……その、私は、つまり」

「お受けしていただけますか?」

「……はい」


 勢い込んだが結局言葉にならずレオノーラに助け舟を出されてしまった。

 両側から聞こえる呆れたような溜め息が耳に痛い。


「喜んで、とか。嬉しく思います、とかくらい言えないの?」

「ノーラ、大丈夫だ。セルはめっちゃ喜んでる! オイラとドロワも!」


 自分が口下手なのはこの蛇たちのせいもあると思う。

 最近こそ違うが、誰かと必要事項以外のことを話すなど今までのセルギオスの環境を思うと考えられもしなかった。いつだってドロワとゴーシュだけが彼のしゃべり相手で。


「セルギオス様はまだ、ご自身の姿を呪いだと感じていらっしゃいますか?」


 一人と二匹の様子を微笑ましそうに見ていたレオノーラから発せられた質問に、セルギオスは身体を強張らせた。双蛇もぴたりと口を閉じる。


 この姿はセルギオスにとって呪いだ。


 幼き日にレオノーラと出会ってからもその考えは変わらなかった。

 でも、彼女に言われた”祝福”という言葉は確かにセルギオスのなかに何かを残していて。


「わたくしはあの日セルギオス様と出会ってから、あなたをもう一度笑顔にしたいと思ったんです」


 わたくしの力で、と続けた彼女はセルギオスよりもずっと強い。

 レオノーラはこの十年でアヴァランシュ王国の風土の調査はもとより、魔力を必要としない農耕具の開発や、寒冷地に強い動植物の品種改良にと自身の力を注いできたのだと言う。

 今回連れてきたのは一緒に研究開発をしていたチームで、みな”魔法に頼らない人類の知恵による発展”を志しているらしい。


「……ただ一度、会っただけです。失礼な態度を取りもした」

「わたくしは失礼だとは感じませんでしたわ。それに会った回数はあまり関係ありません。人生でセルギオス様ほど気になる方はできませんでしたから」


 それは自分の境遇やこの姿のせいではないかとも思ったが、さすがに口には出さなかった。悲観がすぎるし、何よりはっきり好意を伝えてくれている相手にかける言葉ではないのは人間関係全般が不得手なセルギオスでもわかる。


(私は彼女の努力に、好意に見合ったものを返せるだろうか)


 自信はない。

 呪われた姿であることを差し引いても、自分と彼女の釣り合いが取れているとは言い難かった。彼女は見目麗しい大国の王女で、セルギオスは王位についているとはいえ自国の民からも遠巻きにされているような王なのだ。

 魔法が使えるわけでも、剣術に秀でているわけでもない。

 巧みな話術も持っていなければ、女性への贈り物一つ選ぶのに数日かけた上で無難なものしか思いつかないような面白みのない男だ。

 それでも、レオノーラへと愛を告げる資格はあるだろうか。


「私もあなたと出会ったあの日のことを忘れたことはありませんでした」


 これが今のセルギオスの精一杯。

 彼女にばかり言わせておいて、と自分でも情けなくなくなる。そのくせ、自分に自信が持てないからレオノーラも同じように思っているかのような言い方をしてしまったと頭を抱えたくなるのだ。

 愛を告げるどころか、彼女への返答すら覚束ない自分が不甲斐なかった。


「……本当は、迷惑だったらどうしようかと不安もあったんです」

「迷惑などっ」


 思うわけがない。

 そう思う反面、彼女のような人でも不安になるのかと不思議な心地がした。セルギオスから見えるレオノーラは、大陸一の大国の王女で、妖精のような美貌の持ち主で、その明るく優しい気質はまるで聖女か天使のようで、およそ欠点などない女性だというのに。


「よかった。ねぇ、セルギオス様。呪いが……呪いが解けると言ったら、どうしますか?」


 それが今宵の呼び出しの理由だったのだと、なぜか直感的に理解した。



   ◇◇◇



 三百年前。

 エテルニタ大陸の北方に位置するその地には魔物が棲んでいた。


 魔物の名は――ズィミウルギア。


 かの魔物の身体はその地から太陽を覆い隠すほどに大きかったとされている。宝石のように輝く瞳は見たものを石へと変え、その歯は山をも噛み砕いた。青銅の手は人々の血に濡れ、黄金の翼で空を駆けることもできたという。

 人の身では決して敵わぬ存在に人々はただただ怯えて過ごすしかなかった。

 そんななか、一人の青年が剣を取った。

 のちに英雄と呼ばれることになる彼は、神より与えられた聖剣にて魔物を討ち滅ぼすことに成功する。

 首を落とされ、心臓をくり抜かれたズィミウルギアの身体は一瞬で霧のように消え失せ、真昼でも薄暗く一年のほとんどを雪と氷で閉ざされていたその場所には暖かな春が訪れ、青年を王とし新たな国が興った。




 レオノーラが語ったのはアヴァランシュ王国の建国記だ。

 神話と呼ぶにはしっかりとした事実としての記録が残されており、”神から与えられた聖剣”も一応国の宝物庫にしまわれている。


「英雄セルシアス。セルギオス様のご先祖様ですね」


 レオノーラの言葉に頷く。

 歴代の王の肖像画にはもちろんセルシアスのものもある。三百年という時のせいか、英雄とセルギオスに似通ったところは見受けられない。肖像画のなかの初代国王は精悍で男らしい、その行いに相応しい容姿をしていた。


「ズィミウルギアによって雪と氷で閉ざされていたこの土地は、その魔物を倒すことで春が訪れる場所となった」

「英雄セルシアスによってズィミウルギアは首を落とされ、心臓をくり抜かれていますよね?」

「ええ。そう伝わっています」


 恐ろしい魔物はそうまでしなければ死ななかったのだろう。

 幼い頃より繰り返し読んできた建国記に呪いを解く鍵のようなものがあるとは思えない。レオノーラの話はセルギオスのよく知っているものと違いはなかった。


「ズィミウルギアの身体は霧のように消えてしまった。では落とされた首は?」

「同じように消えたのでは?」


 落とした首が残っていたとは伝わっていない。


「魔物を倒す際にその首を落とすことは珍しくないそうで。魔物は再生能力の高いものが多く、一撃でその生命を刈り取る必要があるのだと」


 そういえば、ハイディングスフェルトには魔物がいるらしいと聞いたことがある。

 何不自由のないように見える魔法大国のある場所は、千年前には人が住めぬ不毛の大地で、魔法という力を持つかの国の民でなければ到底生きることが適わない、と。


「うちの騎士団のものに、魔物の心臓をくり抜くのはどんな時かと聞きました」


 心臓を刺し貫くでもなく、あえて奪い取るその意味は。


「その魔物の心臓に……特別な力があるときだ、と」

「我が先祖は屠る以上の意味を持ち魔物の心臓抉ったと?」


 ならば、それが呪いを解くための手がかりなのだろうか。

 三百年前の魔物の心臓など、なるほど呪いと呼ぶに相応しい邪悪さを孕んでいる気がする。


「ズィミウルギアの心臓はどこにあると思いますか?」


 セルギオスの問いには答えず、彼女はそう言葉を続けた。

 その言い方で彼女にはすでに場所の見当がついていることがわかる。王たるセルギオスすら知らぬ情報をなぜ他国の王女が知っているのかは今は考えないことにした。


 凍らぬ湖(クレオアルス)


 魔法を使えぬこの国で不可思議なものなどそうはない。

 空気すら凍りつくような寒さのなか、大した大きさでもないその湖が凍らないのはどうしてなのか。


「その、湖のなかにズィミウルギアの心臓が沈んでいると?」

「はい。そして三百年の時を経ても、いまだその心臓は生きているのだと思います」


 夜の湖に二人きりの状況を心のなかでこっそりロマンチックだと思っていただけにショックだ。

 途端に神秘的な湖がおどろおどろしいものに感じる。しかもその心臓がいまだ生きているなどと、レオノーラの言葉であってもにわかに信じがたい。

 だが、続けられた彼女の言葉はセルギオスにとっては朗報と呼ぶべきものだった。


「ズィミウルギアの心臓は魔力を吸って生きながらえているのだと思います。この地で魔法が使えないのは、それを発動する前に心臓へと取られてしまうから」

「ならば……心臓さえ取り除けば、この地でも魔法が使えるようになるのでは?」

「はい。そうなるはずです」


 魔法が使える。

 それはセルギオスがずっと夢見てきたことだった。もちろんセルギオス自身は魔法の才を持っていないが、それでも魔道具を手に入れられれば、冬の民たちの生活をずっと豊かなものにしてやれる。死者の出ない冬を迎えることができるかもしれない。

 魔物の心臓などどうやって取り除けばいいのか見当もつかないが、幸いなことにハイディングスフェルトという魔法大国の助力を願うことができる。


 ぜひ、ズィミウルギアの心臓を取り除くことに協力してほしい、とそう申し出るはずだった。


「セルギオス様のその姿も、ズィミウルギアの心臓が生きている証です。心臓がその生命を終えれば、あなたの双蛇も共に消えるでしょう」


 なぜか……それを望む言葉は出なかった。




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