幕間
ハイディングスフェルト王国第一王女レオノーラ・ファル・ヴェルト・クレヴィングは夜の帳が下りた窓の外をぼんやりと眺めていた。
(あの子……泣いてたな)
自分よりも年上の男の子があんなふうに涙を流す姿を見たのは初めてだった。レオノーラの魔法で笑顔になり、彼女の言葉で再び泣き出してしまった少年。
次兄と同い年くらいに見えたから十歳か十一歳といったところだろう。
一滴の色も混じっていない真っ白な髪と明かりに透かしたようなぶどう酒色の瞳の男の子は、王宮の端にある小さな薬草園で独り隠れるように泣いていた。
いや、厳密にいうと彼は独りではなかった。
彼には二匹の蛇が常にそのそばに――その髪にくっついていた。
所謂もみあげにあたる部分から髪が少しずつ蛇へとその姿を変えたように、少年の顔の両側に髪と同色の蛇がいた。しかも人語を解する蛇だ。
(ドロワも、ゴーシュも可愛かったわ)
彼は自身の姿を呪われていると話していたが、レオノーラにはどうしてもそうは思えなかった。
”解けぬ呪いはなく、解けぬのならそれは祝福である”という一文は、先月に習った魔法史に出てくる言葉だったが、決して事実をぼかした詩的な表現ではない。
呪いとはその解除条件を設定しないとかけられないのだ。魔法とは便利な力ではあるが、他国の人間が思うほどなんでもありの奇跡ではない。ちなみに、祝福はただ相手を思う祈りなので、現実的な効果を約束されたものではない。
そもそも。
魔物を倒した代償として呪いを受けたというのなら、王族は英雄であるはずだ。その結果の姿を呪いとして忌避するのはおかしい。
少年の不遇は呪いのせいではなく、周りの環境によるもので、自身の姿をあんなに厭う必要はないと思う。
「まだ起きていたの?」
むむうと眉根を寄せて難しい顔を作っていたレオノーラは、母親の声に慌てて立ち上がった。
「お母様!」
「もう日付が変わろうというのに寝室にいないだなんて、とんだ不良娘ね。あなたの侍女とレオンハルトが探していましたよ」
「……ごめんなさい」
確かに夜ふかしが過ぎた。
今日の舞踏会に王妃として参加していた母親ももう豪奢なドレスを脱ぎ夜着に着替えている。双子の兄であるレオンハルトは早寝早起きの健康優良児だ。きっと今も眠い目を擦りながらレオノーラを心配しているだろう。
「もう部屋に戻ります」
父とは違い礼儀作法に厳しい母に、レオノーラは淑女らしい優雅な礼をして、自室へと戻ろうと勉強部屋の扉へと近づいた。
「まあ、待ちなさい。あなたがここでただ時間を潰していたとは思っていませんよ。何か悩みごとでもあったのかしら?」
てっきり夜ふかしを咎められるのだと思ったのだが、母の声には何故か喜色が混じっている。常々夜ふかしは美容の敵だと言っている母にしては珍しい。
「女が時間を忘れるほどに思い悩むことなど、恋の悩みと相場が決まっています。さあ、この母に話してご覧なさい」
「……ええっと。別に恋の悩みではないの」
だいぶ偏見に満ちた解釈だ。
レオノーラが思春期ならばその可能性もあるだろうが、まだ七歳。恋に思い悩むには少々早いし、そもそも彼女は恋がどういうものかもよくわからない。
読書は好きだが、もっぱら読むのは歴史小説や偉人の伝記ばかりで、恋物語とはあまり縁がなかった。双子の兄を筆頭に彼女の周りにいるのが男性ばかりだというのも一因かもしれない。
レオノーラの否定に母はあからさまにがっかりしてみせた。
「あら残念。でも、気になる人ができたら必ずお母様に教えなさい。いいわね?」
念を押す目が真剣だった。
気になる人の定義が知りたいと頭の隅で考えながら、深くは聞かずに頷いておく。レオノーラはわからないことはまず自分で調べてみる派だ。
「ねぇ、お母様」
気になる人はいないが、心のなかに引っかかっていることはある。
「”解けない呪いはない。解けぬのならそれは祝福である”って言葉があるでしょう?」
「あら、もうそんなことを習っているのね」
前置きもせずに告げたが、母にはなんの言葉かすぐにわかったようだ。
魔法史のなかにその名を記される偉大なる魔法使いの言葉は、魔法の心得というよりは、魔法を使うものの心の持ちようを伝えようとしているのだと思う。
「悪意ある呪いなどより、押しつけがましい祝福の方が質が悪いっていう意見には同意するけれど……子どもに教えるには早くないかしら?」
しかし、思わぬ母の言葉にレオノーラは声を上げて固まった。
「えっ!?」
そんな馬鹿な。
それだと、だいぶレオノーラの解釈と違う。
「変えられないものを”呪い”だと嘆かず、今を受け入れて前向きに頑張りなさいっていう教えではないの?」
「あら、わたくしの娘は素直で可愛いこと」
ふふっと微笑む母の顔は慈愛に満ちているが、言っていることは慈悲の欠片もない気がする。
(なら……わたくし、嘘を吐いてしまったのでは?)
少なくとも、レオノーラは”祝福”を正しく好意的な意味で使ったし、少年もそう受け止めたはずだ。呪いではなく、祝福というあなたに幸福をもたらすものだと。
「…………」
どうしよう。
意図したことではないが、結果的に相手に偽りを教えてしまった。レオノーラの言葉に少年が自身の考え方を変えるほど影響を受けるかはわからない。もし、仮に呪いと前向きに向き合うことにしたとしても、少年に損はないはずだ。
(別に現状は何も変わっていないわ。ただ……)
あの少年が、レオノーラの嘘を信じて幸せになってしまったら――それは、なんだかちょっと嫌だ。
寝覚めが悪いというか。腑に落ちないというか。
レオノーラは決して彼を非難するつもりで呪いではないと言ったのではない。笑ってほしかったのだ。彼女の魔法を見たときのように涙を止めて、溢れるような笑顔を見せてほしかった。
最後に見た、少年の泣き顔が頭を過ぎる。
(決めた)
その決意を表すように拳をぎゅっと握った。
少年の呪いは、レオノーラが祝福へと変えてみせる。




