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白猫と勇者~裏物語~  作者: 八陽
第9章 紡がれし想いと団円
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9-15 祭と伝承と優しき途 (了)

 もうじき夜になる。

 カルナはそう言って、長老の家へと戻っていく。

 ユート達に異論は無かった。伝承を聞こうにも、村人が準備に追われて急がしそうにしていて、まともに話ができなかったのだ。


 長老の家に着くと、母屋の脇から先に繋がる庭の奥の方から人の声が聞こえてきた。気になる様子を示したユートは、漂って来た食欲をくすぐる香りに興味が奪われてしまったのも、昨日からまともな食事をしていないためであった。


 玄関に入ると、カルナは光精枝の明かりを手にした。

 縁側には雨戸らしき戸が閉められており、屋内は暗かった。三人は先程とは異なる廊下を案内された。通されたのは同じ部屋だったが、室内は光精石によって明るい。

 出かける前との違いは、部屋の中央に修繕されたユートとリシアの服が掛けられていることだった。


「もうじきお爺様がお見えになりますので、少々お待ちください」


 言い置いてカルナは部屋を出ていくと、リシアは真っ先にピナフォア・ドレスを手に取った。修繕状態を確かめるように、表面の生地に触れ、裾をめくって裏側まで丹念に見ていた。

「驚きました。どこを直したのか分かりません」


 リシアは食い入るように見ている。

 破れや穴があった場所を示す痕跡は見当たらない。布の端材を織り込で一体化するのではなく切れた糸を紡ぎ直して一体化しているために、裏から見ても修繕したようには見えない。糸の繊維を操れる精霊でなければできない作業であった。

 ユートも自分の服と上着に触れた。

 奥宮の洞窟の狭い隙間を抜ける際に知らずに引っかけて空けてしまった上着の穴はきれいに塞がっているが、触れるとわずかな引っかかりがあった。



「リシアさんの服は簡単だったようです」

「俺の服は、ポリエステルとかナイロンだ。合成繊維は紡げないから、溶着するしかないんだろう」

「確かに、指で触れるとユートの上着は、少し引っかかりがありますね」

「プリントされた部分は、剥げたままだしな」

「上手く直せませんでしたか?」

「いや。十分だ。ありがとう。初めての素材でよくできたと、感心しているところだ」

「そうですか。安心しました」


 プロソデアの興味は合成繊維に向いたようだったが、追究が進む前に長老が部屋に現れた。


「準備が整いました。早速場を整えたいのですが、良いですかな?」

「ここで見せてくれるのか?」

「少し片付けさせていただきます」


 長老が声を掛けると数人の男女が部屋に入ってきて、服掛けを部屋の脇に移動し、縁側の廊下に向けて座椅子が置かれていく。長老に促されるまま席に着くと、三人の前に食膳が運ばれてきた。簡素ながらも工夫を凝らした料理が幾つも乗せられている。

 近くに枯れずにそのままの森が残ったために、ユーシエスに比べれば、食材は豊富なようだった。ただ、精流脈が正常化したとは言え、農作物がすぐに育つ訳ではない。

 煮物、焼き物、素材の多くは芋類など、厳しい環境に強い作物だった。それと、備蓄されていた穀物の粉を練った生地を焼いたパンのような物である。元の世界のフルコースメニューと比べると質素だが、状況を踏まえれば最大限のご馳走である。


「どうですかな、お酒は。我が家の自慢の一品があるのです」

「いえ、私は飲みませんので」

「俺も酒は要らない。祝杯を上げるのはまだ早い」

「私が飲むとしたら、お嬢さまが成人された後です」


 プロソデアの応えに長老は納得したようにうなずいたが、ユートの言葉にやや落胆の色を見せ、リシアが告げると失望した顔を見せた。

 ただ、それを見ていたカルナは笑みを浮かべ、酒の代わりにお茶を淹れて持ってくる。その様子を見ながら長老は失意混じりの息を吐き出すと、気を入れ直すように長老が咳払いした。


「では、どうぞ、お召し上がりください。その間に、ほんの慰み程度ですが、伝統の舞いの幾つかをご観覧ください」


 長老が合図を送ると、光精石の明かりが消灯し、庭に向いた戸が開けられた。庭は、光精石の灯籠によって明るく、ライトアップされており、宙には舞台が設営されていた。


「これより披露致しますのは、ノイ・クレユからの来訪者を歓迎し送り出す舞いにございます。まだ練習が不足しておりますが、救世の勇者がいらっしゃるまでには、仕上げて見せますので御容赦の程お願いします」


 長老が口を閉ざし、一呼吸置くと、太鼓が打ち鳴らされ、次いで拍子と鈴と鐘の音が色を添える。

 拍子に合わせ、衣装に着替えた村人達が登場し、舞いが始まった。


「まずは、歓迎の舞いでございます」


 神楽のようだった。

 数人の男女が輪になり螺旋を描きまた交錯するように舞う。

 それぞれの役割が服によって分けている。

 黒い服、白い服、緑の服、など色とりどりであった。

 様々な色合いが混じり合うように揺らぐように流れていき、螺旋を描くように舞いながら中央を空けると、舞台の下から演者が一人現れた。黄色の服に黒髪の生えた白いお面を付けており、それはノイ・クレユからの来訪者を表現していた。

 輪になった人々は手を繋ぎ、何度も振り上げて喜びを示し、来訪者を囲み、舞いながら村へ誘うようにして舞台からはけていく。


 そして、静寂が訪れた。

 観劇であれば拍手するのだろうが、厳かな雰囲気はそうした雑音を拒んでいた。

 風さえそよぐのを止めた静けさの中、長老が静かに息を吸う音が際立った。


「次が、送別の舞いです」


 再び、舞いが始まった。

 先程と同じように輪になって舞うが、螺旋を描くように中心へと向かっていく様子が強調されている。

 そこにノイ・クレユからの来訪者が中心へと誘われ、そして周囲の人々が波のように中心へと向かっていき、波紋となって中心から外へと広がる波を描き、そして最後に跪く。

 ノイ・クレユからの来訪者役の者は、くるくると回りながら、奈落へと降りて消えていった。別れを惜しむように輪になってうずくまっていた人々が、舞台からはけた。

 最後に持鈴の音が響いた。

 耳の奥を震わせる高音の余韻が十秒以上続き、無音の静寂に引き継がれていく。



「如何ですかな?」

「すばらしかったよ。長老、ありがとう、フホ村のみなさんにも、感謝だ。ありがとう」

 ユートが拍手を送ると、リシアも手を叩いた。

 プロソデアは両手を体の前で重ね、長老に向かって頭を下げ謝意を示した。


「ご満足頂けたようで何より。ささ、お食事をお召し上がりください。手が止まっておりますよ」

「では、いただきます」


 ユートが率先して箸を手に取り、料理を口に運んだ。

 冷めているが、初めて口にするタタ・クレユの焼いた芋は、表面は軽く焦げて香ばしく、ほくほくとしてほのかな甘みと塩味が紡ぎ出す豊かな味わいだった。

 出された料理のどれもが、おいしかった。


 食事が終わると、食膳が下げられた。

 長老は、明日はまた別の催しを披露するので楽しみにしてくれと言い残して、客間から去って行った。

 ようやく人が去り三人だけになると、ユートは改まったようにプロソデアに視線を向けた。


「プロソデア、さっきの舞いを、どう見た?」

「精の流れのようでした」

「俺もそう思った。黒い服を着ている者が環状列石の石柱を表し、白が精の流れを表しているようだった」

「私も同じです。あの流れは、転移紋を応用したような紋様によって導かれる精の流れに似ていたのですが、むしろ、ノイ・クレユへと転移する精紋を変化させ、転移紋を作ったのではないかと今はそう考えるようになりました」

「なら逆の応用をすればいい。さて、環状列石にどう精を流すか、考えてみよう」


 ユートは庭に降りて小石を拾い、床に環状列石のようにプロソデアの前に置いた。二人は、これまでの知識と組み合わせて、丘の上の祭壇では不完全な状態にあった二つの世界を結ぶ転移紋の紋様を導き出していく。

 精紋に関する知識のないリシアは、ただ、二人の様子を不思議そうに見つめている。

 しばらくして、二人は確信に満ちた表情を見せるのだった。



 夜明けを目前に控えた頃合いだった。

 三人は身支度を整え、人に知られぬように村を出た。

 双方の世界にとって、現時点では自由に交流する方法が明らかになるのは避けるべきだという認識で一致したからである。



 空が明るくなる頃に丘の上にある環状列石の祭壇に到着すると、ユートとプロソデアはすぐに、残りのガンピシモドキを配置していく。舞いが始まる際に人が立っていた位置を元にした配置である。


 実際の環状列石には精の流れを阻害する要素も含まれていたが、精紋の本質を悟りつつあるユートとプロソデアは、昨晩の議論の末に何をどう変えれば良いか見極めていた。歓迎と送別それぞれの舞いを重ね合わせ、激しい動きに惑わされて見過ごしそうな人の位置を踏まえれば、見えてきたのである。


 精紋の状態が整うと、これまで丘を避けるように流れていた精が、丘の頂まで登って来るようになる。


 霧のように見える精が満ちてくる。

 精は環状列石の間を縫うように巡りながら流れ出し、量は次第に増加し、伴って仄かに環状列石が光を放ち始める。それでも精は祭壇を中心として描かれている精紋には、流れ込もうとはしなかった。


 ユートは一人で精紋の中に入った。

 中心にある祭壇の上に置かれた宝石の位置を確かめる。

 穿たれた穴に嵌め込まれた宝石の位置を、パズルのように置き換える。ヒントとなったのは、送別の舞いにおいて、中心にいた人の位置である。

 最後の宝石を置き換えると、環状列石に纏わり付くように流れていた精が、渦を巻くように祭壇のある中心へと流れ始めた。

 変化を敏感に感じ取ったプロソデアが、環状列石の全体を見渡してからユートに視線を向けた。


「うまくいきそうです」

「そうだな。だが、最後の流れが必要だな」

「精の流れを向ける先ですね」

「元の世界、ノイ・クレユへと一気に流し込むことで、二つの世界を繋ぐ門を押し開くんだろう。それは多分、普段は素粒子しかすり抜けられないような隙間なんだろう」

「極微少の隙間を広げるために、要となる石からノイ・クレユに向けて一気に精を流し込めばいいのだと思います」


「つまり、これだな」

 ユートは上着のポケットからガンピシモドキを取り出した。

「俺はそれほど精を操れないから、これに精を集めて、一気に爆発させるように解き放てばいいわけだ」


「そうだと思います。私は要の石にガンピシモドキを置き、十分な精が集まるよう、精霊達と周囲の精をこの精紋に導いて補助します」


 ユートはうなずくと、祭壇の前から離れ、環状列石の外側に立つリシアとプロソデアの側に戻った。


「俺が実験台になる。成功したかどうか、プロソデアには分かるか?」

「え?」リシアが驚いたように半歩踏み出した。


 プロソデアは少し考え込んでから、ユートを見つめた。


「確証を得るには戻って来てもらうしかないです」

「悪いが俺には、向こうの世界で精紋を集めて門を開く自信がない」

「では、精の揺らぎというか、ほとばしる方向から、成否を推定しましょう」

「それでいい。リシアは俺の成功を確かめてから来るんだ。それが安全だ」

「いいえ。ユート、あなたと共に行きます」


 ユートは目を見開いてリシアを見つめた。

 彼女もまた経験を経て何かが変わっている。

 だが最も変わったのは、ユートの接し方である。

 心の置き所が変わったのだ。これまでのユートはリシアと真っ直ぐに向き合うのを避けるように、斜に構えてすかした態度を見せていた。だが今は、真にリシアの安全を思い、本気で良かれと想い、言葉を発している。

 当たりが変われば障りも変わるという理屈で、リシアの反応が変わったのである。


 とはいえ、別人となるように精神性が切り替わることはなく、新旧が混じり合う領域は存在している。そのため、元の世界に戻れるという気持ちによって、ユートの心に従来の感性が少し多めに引き戻されてしまう。

 童心というには薄汚れた、からかう意図を含んだ悪心である。ただその根底には、照れ隠しの無意識が働いていた事に、当人は気付いていなかった。


「一人旅に懲りたか?」

「そうではありません。ただ、ユートが一人で先に帰ってしまうなら、私は独断で行動させていただきます」

「ルリちゃんに会いに行くと?」


「そうです。私は今でも、お嬢さまの無事を確かめ、一緒に元の世界に帰るべきだという考えは捨てていません」


「俺が無理強いしたみたいだな」

「ユートの考えに賛同している部分もあるのです。ですが、一人になると、義務を優先するでしょう」

「だから、一緒に連れて行けという訳か」

「そうです」


 二人のやりとりを楽しそうに見ていたプロソデアが、口を開いた。


「ユート殿、ノイ・クレユへの道を開くには、転移紋よりも大量の精が必要になると思います。ですから、一度使うと精が枯渇し、次に使えるまでに日数を要する可能性があります」


 ユートはうなずき「分かった。行こう、リシア」とその手を取った。

「あっ……」

 瞬間リシアの体に緊張が走った。


 反射的に投げ飛ばされるのを恐れるようにユートは身を固くしたが、そうはならなかった。代わりにリシアは、ユートの手を強く握り返したのである。その行動は、反射的に緊張したのを、誤魔化しているようであった。

 力みを捨てたユートは、リシアを引き寄せるようにして、精紋の中心となる祭壇の前へと誘った。


「リシア、君の想いはどこにある?」

「な、何の話です?」

「精は意識に反応するという話は聞いただろう?」

「はい。量子の世界と同じなのでしょう」


「そうだ。だからこそ、向こうの世界に戻りたいという意志、向こうの世界に戻ろうとする心の向きが重要になるはずだ」

「はい」

「こっちに来る時は、ルリちゃんを助けたいと想ったからうまくいった。ところが君は今もルリちゃんに心が向いている」

「当たり前です。遠目ではなく直にお嬢さまの無事を確かめ、今すぐにでも言葉を交わしたいと思うのは当然です」


「それだと、心と体が分かれてしまいかねない」

「お嬢さまを忘れろと言うのですか?」

「そうじゃない。俺がリシアを引っ張っていく」

 ユートは絡めるように握った手を持ち上げて、顔の前にかざした。


「あ、ありがとうございます」

 リシアは顔を背けるように横を向いた。


「準備はいいですか?」

「そういえば、プロソデアに改まってお礼をしてなかったな」

「もう十分に頂きました」

「そうか。学者だな。しかも最強の」


 物ではなく知識と技術を得たと、プロソデアは告げたのである。得がたい経験と新たな知見は、山積みの金銀財宝よりも価値があると知る者の言葉であった。

 首を傾げたリシアも、すぐに得心したようにうなずいた。


「モッサのようにはなりませんよ」

「もちろん、そうだと信じている」

「ユートも、ノイ・クレユで奇術師にならないでくださいね」

「モッサの真似事はしないさ」

「そう言うと信じていました」

「二人は、本当に仲がいいですね」


「嫉妬したかな?」

「ええ。少しだけ」

「トルプには荷が重すぎたか」

「そうみたいです。ただ、精霊とは仲良くなれました。ですから、淋しいですが、お別れです。ディアン」


 リシアの声に応じ、プロソデアの隣に、風の精霊ディアンが姿を現した。

 ザゲルに抱えられて残され森に戻った後、リシアはディアンとの約束を果たしていた。それでも二人にとっては、キディナスではなくディアンなのである。


「はい、リシア様。ボクも淋しいですが忘れません。お元気で」

「プロソデア、後のことは頼んだ」

「私からもお願いします。お嬢さまとトーマ君を、元の世界まで送り届けてください」

「必ず、間に合わせます」


 力強いプロソデアの言葉に、ユートとリシアはうなずいた。


「世話になったな、プロソデア」

「こちらこそ。お世話になりました」

「じゃあな、みんな。達者でな」

「それではお別れです。ありがとう、ユート、リシア」


 ユートはプロソデアを見つめ、無言のままうなずいた。

「色々とありがとうございました」

 リシアは頭を下げた。


 プロソデアが最後の要のガンピシを転移紋に配置し、ユートは右手のガンピシモドキを折った。


 ガンピシモドキに蓄積されていた膨大な精が、まるでブラックホールか奈落の底かと思える別の空間へと流れ込んでいく。

 その直後、環状列石が周囲の精を吸い込むように、中心へ流れ込む螺旋の渦となり、舞い上がった。

 緩やかな反応から、急速に精が集まり、満ち始める。

 そして、光がほとばしった。



 ユートとリシアは眩しさに目を閉じる。



 二人は、奇妙な浮遊感を味わった。

 それが急に、体に重石を乗せられ、粘性のある液体の中に沈められたように重苦しくなる。前のめりになる意識に急ブレーキが掛けられるような感覚を二人は味わった。


 ほどなく、肌に冷気が触れた。

 目を開けて二人が見たのは、暗闇だった。

 淡い仄かな光が生まれる。

 光っていたのは、優途が右手に持っていた、雁皮紙類似品(モドキ)だった。

 洞窟に漂う精を集めて、光に換えているのだ。


 そこは、女神の間と呼んでいた、洞窟の中にある少し広い空間だった。

 元の世界である。



「どうやら、成功か」

 優途の声が洞窟の中で声が響く。

「良かった。戻れたのですね」

 梨詩愛は安堵の息を吐いた。

「お互い無事で良かった」


 優途は握っていた手を開いた。

 それでも梨詩愛は、優途の手を握り締めている。

 優途が、雁皮紙類似品(モドキ)の明かりで照らすと、梨詩愛は表情を隠すように俯いた。



「どうした? 外まで手を引いてやらないと怖くて歩けないか?」

「そうではありません。ただ――優途になんてお礼を言えばいいのか分からないのです」

「お礼なんて要らないさ。無事に戻って来られただけで十分さ」

「ですが、私に手を貸すようトルプに頼んだのは優途なのでしょう?」

「トルプが勝手にやったことまで俺の仕業にされても、買いかぶりだとしか言えない」


「でも、私を守るために仮の宿玉となるお守りをくれたのも、それでプロソデアさんの契約精霊キディナスにディアンという名を与えて、自然な形で私と契約できるように仕向けたのも、優途ですよね」

「誰かを守るのが趣味だというキディナスの想いを遂げさせてやりたかったのさ」


「半分はそうなのでしょう。ですが、そうお膳立てしたのは優途なのですよね。それに、モッサを捕らえたのも優途です。優途が来てくれなければ、モッサによって王宮精紋が破壊され、統真君はお嬢様を助け出せなかったかもしれません」


「それは違う。君は君で努力してモッサが煽動した人と戦い、精紋の破壊を阻止した。統真は統真で努力して瑠璃ちゃんを助け出した。みんなの努力の賜物さ。そうした中で、俺が一番楽をした怠け者なんだよ。プロソデアやザゲルに頼むのはタダだしな」



「本音を誤魔化さないでください」

「俺は、外野でうろちょろしていただけだ」

「あなたという人は、どうしてそうなのです!」


 優途は、雁皮紙類似品(モドキ)を持つ右手で頭を搔いた。


「仕方ない。一つ本音を言おう。俺がこっちに迷わず戻って来られた理由が、分かるか?」

「こっちが私達の世界なのですから、当然ではありませんか?」

「いや。俺には未練があったからだ」

「未練?」

「そうだ。俺がこの世界に戻りたいと強く思ったのは、真結の魂はこっちの世界にあると思っているからなんだ」

「マユ?」

「妻の名だ」


 その瞬間、握り締めていた梨詩愛の右手から力が抜けた。

 優途は左手を抜き取り、雁皮紙類似品(モドキ)を右手から持ち替えると、出口の方へ向けた。


「さあ、外に出よう。洞窟の中は冷える。長居は体に悪い」

「そ、そう思うのなら、早く行きなさい。私は道を知らないのですから」

 梨詩愛は優途の後ろに立ち、背中を押した。


「もっともだ」


 よろけながら三歩進んだ優途は、梨詩愛に背を向けて歩き出した。

 二人は会話も無いまま歩いた。

 出口に近付くにつれ精が弱くなり、雁皮紙類似品(モドキ)は光を失っていく。


 二時間近く歩いてようやく出口に着いた。

 雁皮紙類似品(モドキ)は崩れるようにバラバラになり、風に吹かれて散って行く。


 外は夜だった。

 空に星と満月が見える。

 遠くの星々の輝きが無限の広がりがあった。

 タタ・クレユは広大な世界だったが、どことなく鬱屈した閉塞感があった。空の先にある宇宙のような、奥深さが感じられなかったのだ。

 だが球体である元の世界は、地平の先は宇宙へと向かう。


 その違いだった。


 優途はスマホの電源を入れた。

 起動すると、電波を受信し、現在の日時が表示される。


「午前二時四〇分か」

「一日も経っていないのですね。向こうの世界に居た二四日が約八時間。二〇分で一日になります」

「計算が速いな」

「こちらでのタイムリミットは、二時間二〇分」

「つまり、もうすぐだ」


 女神の間から外に出るまでの約二時間が、向こうの世界で六日ほどの経過を意味している。


 不意にユートの視線が、洞窟の奥へと向けられた。

 何かが弾けたような感覚に襲われたのだ。


 闇の中に聳える山と広がる森がざわつく。

 精の流れは微かだが、森を抜ける風となって、あるいは山から吹き下ろす風となって、または空から降り注ぐ光となって、洞窟へと注がれていった。

 微かに、洞窟の奥が光った。


「優途、見ましたか?」

「どうやら、勇者がお姫様を救出して、ご帰還らしい」

「迎えに行きましょう」

「そうする気なら、女神の間で待っていたさ。ここで待とう。空が白む頃には出てくるだろう」

「そう、ですね」

「その間に、俺達は口裏を合わせておくとしよう」

「やはり、隠さなければいけませんか?」


「嘘をつかずに、言わずに済ませるのさ。凄い苦労をした統真と、嫌な体験をした瑠璃ちゃん。二人が乗り越えた試練を、祝福するためでもある。そこに実は俺と君が居て、裏でこそこそと手助けしていたと言うような野暮を自慢するのは大人の対応じゃない」

「分かりました」


 うなずいた梨詩愛は、一呼吸置いて優途を見つめた。

 その顔に浮かぶ微笑みを月明かりが照らしている。


「優途、本当に、ありがとうございました」


 梨詩愛に深々と頭をさげられ、優途の表情が困惑の色に染まった。


「お礼なら、みんなが戻って来てから、統真とファロウに言ってあげるといい」

「今は優途へのお礼の気持ちを伝えたかったのです」

「なんなら、抱き付いてキスしてくれてもいいんだぜ」

「それは――本気の本当の本音ですか?」


 児戯のようにうそぶいた優途は、殴られも投げられもせず、ただ梨詩愛から鋭い眼差しを向けられた。


「ごめん。悪乗りした冗談だ。もうこういうのは止めようと想っていながら、つい、これまでの習性が出てしまう。面と向かって梨詩愛にお礼を言われて戸惑ったのと、照れてしまったんだ。持てないおっさんの愚かな妄想による妄言と、卑下してくれ」


「そこまではしません。ですが、私が安い女と思われていたのでしたら、とても不本意で、腹立たしいのです」

「済まない。君は気高い高嶺の花のようだと思っている」


 梨詩愛は背を向けた。


「気高いといよりは、自意識が高いだけです。高嶺の花というよりは、ヤマモモのような変わり者なだけです」

「自分を大事にするのは、立派だよ。それに、君は唯一無二の素敵な人だ」

「もしそれが本音なら、いえ、本気になるなら、というより、本当のところ、私には果たすべき義務があります」

「俺にだって、義務はある」


 梨詩愛が小さく溜め息を吐く様子を背中越しに見ていた優途は、空を見上げた。

 西の地平に満月が去りゆこうとしている。


「ようやく私は、あなたという人が分かってきました」


 視線を上げた梨詩愛が見たのも、月だった。

 優途と梨詩愛は、数歩離れていたが、期せずして同じ月を見つめていた。


「底が知れると、面白味もないし憎しみも湧かない、つまらない平凡な男だよ」

「私が卑下しないからって、自分で卑下してどうするのです?」

「自信がなくて、臆病で弱虫なのは、本当さ」

「呆れた人ですね、優途は」


「そうだろう。弱っちいから、はすに構えて格好つけているふりをしている」

「そうではありません」

「そうか?」


「成し遂げた事実を脇に置いてそう言うあなたのような人を、恥知らずと言うのです」

「恥をかきすぎて、麻痺してしまったらしい」

「どうやら、あなたの性根は叩き直さないとダメなようですね」

「お手柔らかに」


「言いましたね」


「え?」

「ですから、お手柔らかにと言ったのは、私に叩き直して欲しいということだと受け止めました。いいですか?」

「君は俺なんかに構うより、自分の人生を見つめた方がいい」


「失礼なことをまた言いましたね。私は自分の未来をしっかり考えて、自分を大事にしています」


「いや、またまた、ごめん。俺は駄目な人間だとつくづく思い知らされる」

「日常では冴えない人なのでしょう。それより、お嬢さま達をここで迎えるのですか?」

「そうだなあ。遭難の再捜索は、大体日の出と共にするものだから」


「それでしたら少し、山を下りたところで迎えましょう。日の出と共に登ってきたように見えます」

 梨詩愛はガレ場に続く、道を指さした。

「いや、反対の道がいい。遠回りだが、緩やかだ。トーマとルリちゃんも、こっちから下山するはずだし」

「では、案内してください」


 優途はヘッドランプを出して点灯した。

 高原にあるハルニレの木を、統真のお気に入りの場所へと向かって山を降りていく。

 そこに着くと優途はバックパックの奥にしまっていたレジャーシートを引っ張り出して敷き、寝転んだ。

 梨詩愛はその傍らに腰を下ろした。


「言い忘れていましたが――」

「なんだ?」

「優途からお借りしていたバックパックですが、なくしてしまいました」

「君にあげたから、君の物だ。気にしなくていい」

「なんでそう、あなたは――」

「それにパンプスは、不向きな場所を歩いて壊れたことにしておけばいい」

「まったく、あなたという人は――」


 梨詩愛は覆い被さるようにして、寝転ぶ優途の目を真っ直ぐに見つめた。

 動揺した優途の目は、すぐに穏やかな光を宿した。

 薄闇の中で見つめ合う二人の間に、無言の語らいがあった。

 言葉にはしない、腹の内の探り合いである。


 黒い空が東から紫に変じていく。

 空が白み、お互いの顔がはっきりと見えるようになる。

 梨詩愛はちいさく溜め息をついて、体を元に戻した。


 太陽が昇り朝を迎えた。

 優途が大きく伸びをして上体を起こした。

 山間から陽射しが差し込んでくる。

 見とれている間に、時は駆け足で過ぎ去っていく。


「何日ぶりだろう。やはり朝はこうじゃないとな」

「来ました、お嬢様です」


 梨詩愛が立ち上がって手を振った。

 優途も振り返る。

 二人の視線の先には、斜面を降りてくる、統真と瑠璃が並んでいる姿が見あった。

 朝日に照らされて二人が輝いて見える。

 その後ろから、ファロウの白く輝く姿もある。


「さて、何と言って迎えようか」


 優途はレジャーシートをしまいながら、降りてくる統真を待った。

 こっちの世界では約一日振り。

 向こうの世界の出来事を想えば、一ヶ月以上の経験を積んだことになる。瑠璃を助け出すために幾つもの困難を乗り越えた統真は、大人びた顔つきになっていた。

 梨詩愛は待ちきれずに駆け出していく。


「お嬢様!」

「梨詩愛!」


 すぐに瑠璃が気付いて駆け下りてくる。

 梨詩愛は元気に駆け下りてくる瑠璃を抱き留めた。


「お嬢様、よくご無事で」

「梨詩愛、ごめんね、わたし、わたし――」

「今は、無事であることを、喜びましょう」


 優途は、抱きしめ合う二人の向こうから歩いてくる息子を見た。

 泣き濡れる二人を照れ臭そうに見ている。

 その統真と、優途の目が合った。

 だがすぐに、統真は視線を逸らしてしまう。

 一ヶ月の経験も、救世の勇者となった活躍と栄光も、一瞬のうちに色あせる。十六年間に渡って構築された、不器用な親子関係に戻ってしまったようである。


「あ、あのう、ただいまお父さん」

「お帰り統真、頑張ったな」


 優途はぽんと息子の肩を叩いた。

 驚いたように顔を上げ見つめてくる統真に向けて、ただ笑みを浮かべた。

 お互いに目をまともに合わせるのは数年ぶりの出来事だった。

 言葉には依らない、語らいがあった。

 目を見て挨拶をする。

 ただそれだけであるが、母親殺しの疑惑を抱いていた統真の態度としては、大きな変容であった。そして優途は、その変化をそのまま受け入れたのである。


 それ以外の言葉は、不要だった。


 優途自身、何が正解であるのか、答えは未だに見付けられていなかった。それでも息子の三倍近い人生を生きて来た先達として、人生の道筋を示すことくらいはできているのだろうかと、自問するだけである。


 昔から子は親の背中を見て育つと言われている。


 親であっても子の生きる道筋を事細かには指し示せないし、子は子で自分の考えに基づいて人生の岐路で道を選択する。その時の判断材料となる前例を示すのが、最も身近な親の生き方になる。


 交友関係が広がれば、あるいは、様々な人の生きた軌跡を知れば、事例として知識に基づく判断材料は増える。

 それでも、日常の問題における身近な事例は親が最も多く提供しているのだ。

 生き様を見せると言えば少し格好つけてしまう。

 単に、久磨優途という一人の人間を見せるだけでしかない。


 いや、見られているのだ。


 だからこそ、子と正対して真っ直ぐに目を見つめられる人間であり続けるようにと、優途は自分を戒める。統真が目を見て挨拶しなくなったのは、統真から向けられる疑惑の眼差しから目を背けた優途にも要因があったと、気付いたからでもある。

 子に対して偽らず、また隠さずに自分をさらけ出せる人間たりえるのか。

 世の中に対して恥ずべきことのない人間たりえるのか。

 そして天に対しても――。


「帰ろう」


 優途は背を向けて歩き出す。

 親として、人として、頼りないかも知れない。

 生き様として無様で、情けないかも知れない。

 それでも、自信を持ってその時々で最善の選択をしたと言える道を歩もうと優途は決めていた。

 そのためにまず、隠し事を明かさなくてはならない。

 妻、真結の死に関するすべての事柄についてである。


 今の統真はそれを受け止められるようになったのだ。


 優途は振り返った。

 そこには、統真と、瑠璃と、梨詩愛と、ファロウがいる。

 すぐに統真は視線から逃れるように、梨詩愛と手を繋いで一緒に歩む瑠璃へと視線を向ける。

 親の気持ちを知らないのか、あるいは知った上での照れ隠しなのか、優途には判断が出来なかった。


「瑠璃、家まで競争だ」

 統真は先に駆けだし、優途を追い越していく。


「あ、待ってよ統真」

 瑠璃が繋いでいた梨詩愛の手を離して駆け出す。

「お嬢様、走っては危ないです。お疲れなのですから」

 梨詩愛が慌てて追いかけていく。


「やれやれ」

 呟く優途の傍らに、輝く程に白い猫が並んだ。

 優途が見下ろすと、すぐに見上げてきた。

 インペリアルトパーズ色の目が何かを訴えているようだった。

 だが、ファロウの声が脳裏で響くことはなかった。


「ありがとな、ファロウ」


 同意を示す小さな鳴き声に優途はうなずき、先を行く三人の後ろ姿に笑みを向ける。

 その頬を撫でるように、涼やかな風が吹き抜けていった。


(了)


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