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白猫と勇者~裏物語~  作者: 八陽
第9章 紡がれし想いと団円
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9-10 悪意と繰り手の死守

 第七の月(ミナ・ピドゥロ)二六日は、風の王宮の裏手でも必死に戦う者がいた。

 オジャスゥ・ユビキシュ子爵とその旗下の者達である。


 祭殿騎士は、モッサ騎士団と称するモッサに寝返った風の騎士を、揺動しあるいは牽制していた。

 その間にオジャスゥは、夜陰に紛れて王宮の丘へと登り、散らばる倒壊した建物の残骸の陰に身を潜めていた。

 付き従うのは、工部の者五人、護衛騎士二人、祭殿騎士三人と、もう一人であった。

 服装の違う一人は、天空遊撃隊のフィステであった。


「夜が明けるな。では参ろうぞ」


 契約精霊が告げる時を聞き、オジャスゥが瓦礫の陰から進み出た。

 それと同時に、空は明るくなる。

 事前に打ち合わせしていたように、フィステが先頭に立ち、環状路を抜けて白化した森へと入っていく。

 その後方に祭殿騎士、続いてオジャスゥと護衛騎士、最後に工部の者という順番で道を進んだ。


 先頭を行くフィステは何度か顔を上げ、丘の上に見える環状宮殿の屋根を見て、また丘の下に顔を向けてはゴニモ街道の位置を確かめる。ほどなく、白化して枯れた木の前で立ち止まった。

 その白化した木は斜面に生えているため、幹の裏側は長年の風雨によって崩れた土砂が押し寄せた跡のように、こんもりと盛り上がっている。周囲にある白化した枯れ木も同じようになっているが、よく見比べれば、フィステが足を止めた木は、他のどれよりもこんもりとしていた。


「ここだ」

「まさか――」

 工部の者が発した疑惑の声を無視し、フィステは落ちている枝を拾うと、幹の裏側に突き刺し、積もった枯れ葉を掻き出した。

「奥を覗いて確かめられよ」


 工部の者が一人、進み出て幹の脇から奥を覗き込む。

 幹の陰に積もった腐葉土を掻き出すと、明らかに人の手で石を積み上げて作られた構えがあった。

 横穴であり、その奥は石で塞がれている。


「閣下、間違いないようです」

「入れそうか?」

「木を倒せば――」

「急ぐのじゃ」

「しかしながら、閣下、それでは目立ちます」

「構わぬ。やるのじゃ!」


 命じたオジャスゥはフィステに視線を向けた。


 二日前、王宮周辺で怪しい動きをしていると、祭殿騎士が捕らえて連れてきた人物である。

 風貌と服装から天の騎士なのは明らかだった。そこで尋問したところ、これまでの経緯の概要に加え、単身行動した後は、王宮精紋を破壊する方法を調べていたと答えたのだ。

 政治的事情もあって殺さなかったが、作戦の障害となるため幕舎に軟禁していたのだ。


 結果として、その判断は幸いした。


 オジャスゥはこれまでの数日、伝承と記録にある王宮精紋を修繕するための入口を探し続けてきた。モッサ騎士団の注意を祭殿騎士が引きつけている間に、工部の者が王宮の丘の斜面を調べ、文献にある王宮精紋の入口を探していったのだ。

 だがあろうことか、痕跡や手掛かりすら発見できなかったのだ。


 風の祭殿の地下に作られた精紋に関する記録が実際と違っている現実をついこの前目の当たりにしていた事もあり、工部の者も記録が間違っていた可能性を疑い出し、その事実を有耶無耶にするために、そのまま王宮精紋を発動させてしまおうという提案すらあった。


 そこでオジャスゥは昨日、風の王となったウザラに会いに行き、それとなく当初の想定通りに王宮精紋を使用すると伝えに行ったのだ。

 すると、挑発されたのだ。

 死力を尽くせと言われて心変わりをしたのではない。光の霊獣が上空で放ったまばゆい光を見て、既存のやり方だけではいけないと感じ、ウザラの言葉に乗ってみようと、無意識の内に意識が転換されたのだ。



 幕舎に戻ると、捕らえたフィステに尋ねた。

 メンツもあり端から当てにしてなかったのだが、戯れと酔狂という仮面を付けて問うた言葉だった。なのに、フィステはそれらしき横穴を見たと応えたのだ。

 ウザラに対する敗北であった。

 工部の者や祭殿騎士はその言葉を疑ったが、次は勝利を得んとする強い意志が成果をもたらしたのだ。



「感謝する、フィステ殿」

「役に立てたのでしたら幸いです。閣下」

「約束ゆえ、そなたを解放する。これまでの処遇を詫びようぞ」

「いえ、閣下の行いには何一つ問題はございませんでした。むしろ私は、お役に立つために、このまま旗下に加えていただきたいと望んでいます」

「生憎とこの先は秘事ゆえに――」

「そうですか」

 想いを内に秘めるように目を伏せたフィステの表情には、無念さが滲み出ていた。


「ウザラ陛下ならば、受け入れてくれよう」


 オジャスゥは目をそらすように、発見した横穴へと視線を戻した。

 音を立てて白化した幹が倒れ、工部の者が穴に入った。すぐに鶴嘴で奥の石積みを崩し、石を手前に掻き出していく。手早い作業で穴を塞いでいた石積みを退かすと一人、中に入って行った。


「先へ続いています」


 奥からの声に他の工部の者が入っていくと、オジャスゥは中を覗いた。

 入口は屈めば大人一人が通れる高さしかないが、奥に行けば立って歩ける広さがある。


「どうじゃ?」

「本物のようです」

「見付けられぬ訳じゃな」

「森が昔より広がっていたようです」

「工部も文献頼みで現場を軽視していた悪弊だ。この先の多忙な日々を想うと嫌になりそうじゃ」

「申し訳ございません、閣下」


「それを良しとしてきたわたくしも同罪ぞ」

 屈んで突っ込んでいた頭を外に出すと、振り返った。

「ウシュビ。陛下の元へ行って参れ」


「閣下、やはりツィージュではダメですか」

「精霊を使えると?」

「――いえ」


 王宮精紋が発動した状態でも力を発揮できる精霊と契約しているのは、この場にいる騎士ではウシュビだけだった。


「環状路の先で陛下を待て」

「陣へ行かずとも?」

「民衆の堰を越えられぬなら、それまで」

「かしこまりました」


 ウシュビが白化した森を王宮の正面側に向かって駆けていく。

 オジャスゥは、祭殿騎士の三人に視線を向けた。


「そなたらは、入口を死守せよ」

「はっ!」


 オジャスゥは腰をかがめて穴へと入った。

 その後からもう一人の護衛騎士、ツィージュが付いていく。


 石積みで塞がれていた先へと入ると、冷気に包まれた。

 少し湿った匂いが漂っている。石造りの通路を光精枝で照らすと、床が濡れている。染み込んだ雨水が、石組みの隙間から染み出してきているのだ。


 先に入った工部の者達は、通路の状況を確かめていた。

 左右両方に通路が伸び、それは大きく弧を描いており、先は見通せない。


「合っておるかな?」

「はい、閣下。記録の通りです」

「ならば、ここが新式の一じゃな」

「さようにございます」


「では長老殿、参りましょう」

「皆は速やかに一から七まで精紋の状態を調べ、破損があれば修復せよ。精流脈が繋がれたなら精霊は使えなくなる。急げ」


「はっ」と応えて四人の工部の者が走り去っていく。

 オジャスゥの元に残ったのは、工部の長老と護衛騎士だった。


「ところで姫、よろしいのですかな?」

「ウシュビがうるさいのじゃ」

「しかし、この中で敵など――」

「わたくしと叔父上の剣術では、頼りないのでしょう」

「そうか。だが、後の事は後で考えるとしよう」


 工部の長老が走り出した。

 その後を、オジャスゥと護衛騎士のツィージュが付いていく。

 少し進んだ先で長老は立ち止まり、円を為す通路の内側を向いた。


「姫、ここだ」

「ツィージュよ、見てはならぬぞ」


 護衛騎士が背を向けると、長老が指さした壁に組まれた石の一箇所の前に立ったオジャスゥは、そこから数えて左に三の位置、右に七の位置、下に五の位置の石を押した。

 内側の錠が外れ、押すと石組で偽装された扉が開いていく。

 人が通れる隙間が開くと、中へと踏み込む。

 後から長老と護衛騎士が続いた。


 扉の内側は、何も無い空間だった。

 天井は高く、中心へと伸びる細長い回廊のような場所である。

 しかも、光精枝の明かりでは届かないほど、先は遠い。


「姫よ、間違いない、ここだ」

「これが一一いちいちの紡ぎの間ですか」

「表繰り場が無事なら、遠回りせずに済んだのだがな」


 長老は言いながら脇の壁に向かうと、仕掛けを操作し、隠し扉を開き、中へと入っていく。


「ツィージュはここで待っていよ」

「ですが閣下」

「案ずるな。この部屋の入口は、これだけじゃ」


 オジャスゥは部屋に入り、扉を閉めた。

 光精枝で照らすと、七つの宝珠が磨かれた黒い表面が光沢を放っている。


「ここが裏()り場ですか」

「何十年か振りだが、変わってないようだ」

「使えそうでしょうか?」

「そいつは分からん。千年以上使っていないのだ。試しに使う訳にも行かない代物だからな」

「使えぬなら、一族は笑いものじゃ」


「問題なかろう。表の六は機能しているのだ」

「精の供給次第と?」

「匠ならば、精紋の経路切り替えは間違いないだろう」

「ですが父上がどちらに繋ぐかで、結果は変わりましょう」


「旧の一に決まっておる」

「表の六と裏の一を同時に起動しては精が足りぬと、わたくしは計算しております」

「だがそれが精霊送りだ。そうせねば、精霊王を中心に誘えないのだからな」

「不完全な送りで精が尽きたならどうなるとお考えでしょうや」

「記録にはない事だ」

「伯父上はまた、そのように誤魔化される」


 オジャスゥは光精枝の光を向け、宝珠の向きを確かめた。

 風の祭殿の地下宝珠と同様の仕組みで、どの精紋に精流脈を導くのかを変えるためのものである。

 一つずつ調べると、宝珠に付けられた印は、すべて左を向いている。古文書によれば、すべて閉じた状態のはずだった。


「叔父上は、この状態が新旧のいずれかご存じか?」

「知るのは匠のみ」

「父上は、行けば分かるとおっしゃるだけです――」

「無理もない。古文書でも統一されていないからな」

「不親切な事です」

「姫よ、重大な秘密は、口伝でのみ伝えられるのだよ」


 オジャスゥは言葉なく、ただうなずいた。

 まだ知らない伝承がある事実は、彼女の立場の不完全さを示している。

 これまで一族の男が継承してきた匠の地位を女であるオジャスゥが継ぐには、認めさせる実績が必要だった。

 父親のイムカは、婿を迎え男児を産ませ、その子に継承させようという考えを未だに持っているのだ。


 しばらくして扉が開き、工部の者達が姿を見せた。

 四人の内の一人が代表して部屋に入った。


「多少の綻びはありましたが、修復致しました」

「簡易な破損か?」

「祭殿で事例を見ていなければ、破損と気付かなかったかもしれません」

「扉は?」

「閉めました」

「ご苦労。外で待っていろ」


 長老が告げ、工部の者が部屋の出ると隠し扉を閉めた。

 室内に戻した視線が物言いたげな様子に、オジャスゥは気付いた。


「何か、伯父上」

「姫がどうするのかと思ってね」

「言葉の縄目という厄介なものを駆けられてしまったものじゃ」

「ユビキシュ家の在り方が問われているのだろうな」

「知らねば迷わぬのを、余計な事を言い残していった者がいる」


「姫は、どうするつもりかな?」

「借りが出来たのは事実。お陰で余計な選択肢が増えた。もっとも、選択出来るとは限らぬ故――成り行き次第じゃ。そうではありませぬか、伯父上」


「ならば、あとは待つだけだ」

「ただ待つだけとは、緊張が増すだけで辛いもの――」

「姫もそうか」

「伯父上も――」


 不意に、部屋の中が明るくなった。

 天上に埋められた光精石が光を放ったのだ。

 精流脈から王宮精紋に精が流れ込んだためである。


「匠が繋いだのか。しかし――」


 壁に絵が浮かび上がった。

 壁に嵌め込まれた石が光って浮かび上がった絵である。

 七つの同心円である。内六つが青い光で、中心から二つ目だけが赤い光だった。そして、宝珠を収める台座には、光りによって数字が浮かび上がった。向かって右端が一で、左端が七である。


「伯父上、新式のようじゃ」

「そのようだが、匠が過ったとは思えん――」

「陛下が父上を説得したのでしょう。憎たらしい事に」

「ウザラ殿下を見誤っていたのか」

「陛下じゃ、伯父上」

「そうであったな」


 オジャスゥの脳裏に、あの男の記憶が蘇った。

 匠が最後の最後に新式に繋ぐ決断をした理由の一つに、あの男が残した選択肢があった可能性を想う。矢先、唐突に赤い円が消えた。

 長老は、首を傾げていた。


「壊れたかな?」

「あるいは、壊されたか」

「姫よ、確かめねばなるまい」

「物見の像へ行ったとして、どうやってこちらへ状況を伝えるおつもりです?」

「しかし、それでは――」

「そのための角笛です」

「だが、鳴るのか?」

「そう信じるだけ――」


 オジャスゥは祈るように目を閉じた。

 程なく、ヴォーンと耳をつんざくような轟音が響いた。

 急に響いた大きな音に、耳がやられた。

 地下空間全体が振動する大きな音であり、長老が「姫、角笛だ」と叫ぶ声は、誰の耳にも届かなかった。

 続けてヴォ、ヴォーンと体を揺さぶる大きな音が響き渡る。


「伯父上、一番の宝珠を!」

 オジャスゥは指を差して叫んだ。

 一時的に聴力を失っていたため声は聞こえなかったが、長老が即座に一番の宝珠を動かした。

 壁に描かれた同心円の一番外側、七番目の円が赤に変わった。

 新式の第一精紋の発動であった。

 オジャスゥは大きく安堵の息を吐き、長老を見つめた。


「伯父上、耳は無事かや?」

「やれやれ、角笛があれほど騒々しいとは。ようやく聞こえるようになってきた」

「外の者は無事でしょうか?」

「どれ、確かめてみよう。本来、外に人は置かぬものだからな」


 長老が裏()り場の扉を開いて、硬直したように動きを止めた。異様な雰囲気を敏感に感じたのか、オジャスゥの表情が緊迫していく。


「伯父上?」


 長老の服の背中が赤く染まっていく。

 オジャスゥは無意識のまま、一歩下がっていた。


「に、逃げよ、姫――」

「伯父上!」


 気力で踏み留まったオジャスゥは身構えた。

 腰に下げた細い剣は、言うなれば飾りだった。

 細腕に鋼の剣は重すぎるため、薄く細く軽量化した剣を、領主として陣頭に立つための備えとして身につけているに過ぎない。

 剣術を習っているが、技量としては騎士に劣るのだ。


 長老の体が崩れるように倒れ、扉の陰から突き出た鋭い先端だけが見えた。


「何者じゃ!」


 見知らぬ者が裏繰り場へと踏み入ってくる。

 見慣れぬ身形に、反った片刃の剣を持つ男だった。


「オジャスゥ・ユビキシュ子爵閣下ですね」

「問うたのは、こちらぞ」


「名乗るほどの者じゃあございませんが、スエナガと呼ばれております」

「耳慣れぬ名だな。どこの者だ?」


「ある時は紙漉き職人、そしてある時は分析屋、またある時は地質学者、はたまたある時は植物学者、さらにある時は考古学者、そしてとある時には古武術家。はたしてその実体は、解放者ガガン・モッサの雑用係にございます」


「モッサの手下か。して、わたくしに何用じゃ?」

「ちょいと遊んでくださいまし」

「戯れが過ぎるようじゃ」

「まあ、そう言わずに」


「どこから入ってきた?」

「あちらからこちらへ、ひょいとひと飛び」

「表の転移紋か――」

「やはり、ここが真の繰り場――。制御盤みたいで面白いですねえ」


 スエナガが部屋に一歩踏み込むと、オジャスゥは後ずさった。

 不意に、甲高い鈴の音が鳴り響いた。護衛騎士が救援を求める際に鳴らす鈴の音である。ツィージュはまだ生きていたのだ。

 スエナガは足を止め、振り返った。


「死に損ないがいましたか」


 踵を返し部屋を出ていく姿を見ても、オジャスゥは動けなかった。

 逃げ出してもすぐに、斬られると想像し、足が震えていた。扉を閉めようとしても、そこに戻ってきて長老のように胸を貫かれると恐怖に竦んでしまう。



「閣下、お逃げくだ――」

 鈍い音と、ごぼっという音が聞こえた。

 ツィージュの最後の忠義を無駄にしたと、唇を噛んだ。



「お待たせしました、子爵閣下」


 スエナガが入ってくる。

 オジャスゥは身構え、マントの内側でそっと左手を剣に添えた。

 慌ただしく駆けてくる足音が、近づいてくる。鈴の音を聞いて入口を守らせていた祭殿騎士が駆け付けてくれたのだ。察して口元に笑みを浮かべた。


「閣下! 何事です!」

「気を付けよ、賊じゃ」

「閣下、ご無事ですか?」


 床に倒れた工部の長老を慌てて跳び越えて、祭殿騎士の三人は、裏()り場の奥の壁に背を向けて立つオジャスゥを護るように、その前に立って剣を構えた。

 スエナガは扉の陰となる壁際に退いて動かず、不敵な笑みを浮かべていた。


「そちらは行き止まり。形勢逆転ですねえ」


 スエナガが壁際から動いた。

 扉から部屋の外に逃げるのだと、誰もが思った。


「逃がさん、賊め!」


 怒りを露わにし、祭殿騎士がスエナガに斬りかかる。

 三対一と圧倒的な優位に、勝利は明らかなはずだった。

 だが、違った。

 スエナガは、突き出された剣を刀で受け流しつつその祭殿騎士の小手を断ち、隣の祭殿騎士が振り降ろす剣を刀で受けて斬り返して首筋を削ぎ、三人目の祭殿騎士が薙ぎ払う剣の一閃に踏み込んでくるりと体を躱して横に入り無防備となった内股を斬ったのだ。


 血が噴き出し壁を染めても祭殿騎士は剣を捨てずに立ち向かったが、スエナガの刀はまるで風そよぐように舞い、瞬く間に三人を倒してしまう。


「弱いですねえ。祭殿騎士というのも――」

「どうなっているのじゃ」

「御覧の通り。では、ちょいちょいと、削がせてもらいましょう」


 一歩踏み出すスエナガを見て、オジャスゥは後ずさった。

 ヒュッと風が鳴った。

 スエナガが鋭く踏み込み、刀を左から右へと払ったのだ。

 留め具が斬られ、マントが肩から滑り床に落ちる。

 ドレスと見える騎士服が、露わになった。


「ほう」


 スエナガに足先から腿、腰、胸、そして顔を、ゆっくりと舐めるような視線を向けられ、服を着ているのに視姦されるようなおぞましさに恐怖心を忘れた。


「剣術は苦手だが、やむを得ぬようじゃ」


 細身の剣を抜き、攻撃を防ぐ。が、壁際に追い詰められてしまう。

 逃げ場を失うと、諦めたように剣を下ろした。


「おや、降伏とは興醒めですねえ」

「ならばこれでどうじゃ」


 不用意に近づくとスエナガの胸を目がけ、素早く踏み込み剣を突き出した。妙な手応えがあった。

 剣は胸を貫いた、と見えた。


「残念♡」


 スエナガは浮かべる笑み浮かべる。

 細身の剣は突きの衝撃に耐えきれずに折れ、そして目にも留まらぬ一閃によってオジャスゥの右腕は肘の先から失われていた。

 激痛に呻く声を噛み殺し、素早く屈んで膝を突き、床に落ちていたマントを右腕に巻き付ける。マントがすぐに血に染まっていく。

 憎しみの目で、スエナガを睨み上げた。


「なぜじゃ」


 スエナガの服の合わせ目から内側に何かが見えた。

 地の精霊が身に纏うような石の板を、胸に身につけていたのだ。


「隻腕美女の裸体というのも乙なものです」


 スエナガは刀を構え、剣を弾き飛ばし、服を切り裂いていく。

 右腕の出血を左手で抑えるオジャスゥは動けなかった。

 袖が斬られて落ちて垂れ下がり、襟首が裂かれて胸元が露わになる。

 死を覚悟した。

 その時だった。

 靴音が外から響いて来る。

 すぐ隣まで来て床に流れる血で足を滑らせてもなお、駆けてくる。

 扉の向こうに姿が見えた。そこにウシュビの姿を見て、初めてその存在を頼もしく、また嬉しく感じた。


「閣下!」


 構える間も与えず、ウシュビが鋭い踏み込みと共に斬撃を打ち下ろす。

 スエナガは避けられずに刀を持って両腕を上げる。斬撃の衝撃を利用するように刀で受け流し、くるりと反転して刀を返した。

 返す刃は、首筋へと振り下ろされる。


 ウシュビは屈んで避けた。

 血の付いた靴底が滑っただけかもしれない。

 いずれにせよ反撃は空を斬り、床に膝を突いたまま身を転じて胴を薙ぐように払った剣が、スエナガの胴を掠めた。


 スエナガは大きく飛び退いて距離を空けて、刀を構えた。

 服が裂け、脇腹から血が流れ出ている。

 その間に、ウシュビはオジャスゥの前に立った。



「閣下、ご無事ですか」

「遅い!」

「申し訳ございません。お叱りは後ほど」

 ウシュビ剣を構え改めてスエナガと対峙し、首を傾げた。

「片刃?」


「残念◇――。潮時ですかねえ」

 脇腹の傷に触れたスエナガは、左手が血塗れになるのを見て、眉をしかめた。

 そしてゆっくりと扉の外へと後ずさっていく。


「貴様、逃げる気か?」

「追ってくれば、子爵閣下は死ぬかもしれませんよ」

「くっ――」


 スエナガはくるりと身を翻し、裏()り場から出て行った。

 それと同時だった。

 耳をつんざくような轟音が反響した。

 ヴォーン。


 一度目の長い韻を聞きながら、気力を振り絞ってオジャスゥは立ち上がる。


「閣下、なにを」

「手伝え、ウシュビ」


 続けてヴォヴォヴォと三回鳴る。

 最後に長くヴォーンと鳴る間に、オジャスゥは三番目の宝珠に詰め寄った。

 台座の閂石を踏み込む。

「台座を押し込み右に回すのじゃ」


 言われるままにウシュビが宝珠を回した。

 壁の模様が、外から三番目の円が赤くなる。

「ウシュビ、一番を、右端の宝珠を左に回すのじゃ。急げ」


 慌てて宝珠に駆け寄ったウシュビは、台座を押し込もうとしたが、動かなかった。

「足元の石を踏み込むのじゃ」

 足元を確認したウシュビは、急いで踏み込み、台座を押し込んで回した。

 一番外側の円が赤から青に変わる。


「よくやった」


 笑みを浮かべかけたウシュビは、すぐに表情を引き締める。

 オジャスゥがよろけて倒れそうになると、素早く駆け寄ったウシュビが体を支えた。肩を抱き、壁際にもたれかけて座らせると、側に跪き、袖を引き裂いて傷口に巻き付けていく。


「閣下、一度退きましょう。早く手当てしなければ」

「手当はこれでいい」

「ですが」

「ここで去れば、ユビキシュ家の名に泥を塗る事になる」

「しかしそれでは閣下が――」


 オジャスゥは、左腕を伸ばし、ウシュビの肩を抱くようにして顔を近づけた。

「頼む、ウシュビ」

 抱く想いは意地だった。

 ウザラと、あの男への。

 耳に吹きかかった荒い息にウシュビが上気するなら、それを対価に与えることなど構わなかった。


「かしこまりました。この命尽きるまで、姫様の御為に尽くしましょう」


 再び音が鳴り響いた。


 ヴォーン、ヴォヴォヴォヴォヴォ、ヴォーン。


「五番じゃ、ウシュビ。急げ」

「はい」

 ウシュビが立ち上がり、右から五番目の宝珠を右に回した。

 だが続けて、ヴォーン、ヴォーン、ヴォーンと鳴った。


「閣下?」

「三番目の宝珠を戻すのじゃ」

「はい!」


 ウシュビが宝珠の台座を回す音が室内に響いた。

 オジャスゥは、何度か瞬きし、同心円が描かれていた壁を見た。


「ウシュビ、壁の円は、どうだ?」

「内側から三番目の円が赤で、それ以外は青です」

「そうか」

「姫様、まさか目が?」

「血を失い過ぎただけじゃ」

「もうこれ以上は――」

「ユビキシュの名を継ぐ者として、この時に為さねばならぬ」

「では姫様、どうかこの場はウシュビに任せ、休んでいてください」


「できるのか?」

「短く鳴った回数と同じ数字の宝珠を回せばいいのですね」

「そうじゃ」


 オジャスゥは、痛みに耐えながら荒い息をしていた。

 意識を集中し、精の循環によって出血を止めようとする。

 すぐには角笛が鳴らない。


「まだなのか、陛下――」


 意識を保つことも、辛かった。

 何度か意識が遠退きかけてはハッとして気を保ちというのを何度か繰り返していた。


 ヴォーン、ヴォ、ヴォーン。


 意識を失いかけたが、角笛の音にハッとして顔を上げる。


「一回?」

 ウシュビが右端へ走って行く靴音が聞こえた。


「左だ、ウシュビ」

「え?」

「左の七番目じゃ」

「ですが」

「急げ」


 力を振り絞り、記憶にある七番目の宝珠の位置を指さす。指示に従ってウシュビが左へと駆け、宝珠を回す音に安堵して、壁に背を預けた。続けてウシュビが五番目の宝珠を元に戻す音が室内に響く中、崩れるように床に倒れる躰を支える力は残っていなかった。


「姫!」


 駆け寄ったウシュビは抱き上げようとして、ためらい、床に落ちている切断された右腕を拾い自らのマントを外して包んだ。

 改めて抱きかかえ、部屋から駆け出した。

 いくつかの遺体を跳び越え、回廊を全力で走り、焦がれる体を抱いたまま足から滑り込むようにして低い穴を抜け、勢いを殺さずに立ち上がる。契約する地の精霊による地面の反力を利用して、ユビキシュ家の陣屋へとただ、走った。


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