9-08 急行せし救援の急落
毛細血管のようだった。
ユートはカゼフネに乗って空を眺めている。
無数の精の流れが網の目のように天空を巡っていた。このような微かな精の光は、空の明るさに紛れて消えるため、地上からでは見る事ができない。
天と地が繋がっているとユートはしみじみと感じていた。
カゼフネは今、世界を巡り対流する精流脈に乗って空を飛んでいる。この高高度がカゼフネの飛行限界だったが、この遙か上空に世界の果てとも言える闇の領域へと向かう精流脈が見える。その上空の精流脈も、毛細血管のように細い流れによって繋がっている。大きな循環の中で、小さな循環も起きているのだ。
複雑ではあるが、自己相似な単純な世界とも言える。
そして空が限りなく高く広いと、ユートはつくづく思うのであった。
カゼフネが飛行出来るのは、言わば対流圏である。
そこでは精流脈が対流しており、その流れは幾筋もある。曲がりくねりながら分岐と合流を繰り返し、時に上下動しながら世界を循環している。
巨木の森の精霊公子と呼ばれるザゲルの操船により、カゼフネは風の領域の首都ユーシエスに向かう流れに乗って航行を続けている。
夜になり、朝を迎えた。
第七の月二六日になったのだ。
地上では一瞬で空が明るくなるが、高高度から見ると、世界の中心から外へ向かって明るくなっていくように見える。
境界の淵で闇と光がせめぎ合う様子を見たように、闇は世界の端へと追い払われていく。
カゼフネは本流から逸れ、徐々に高度を落としていく。
毛布にくるまって寒さに耐えていたユートは、下界を見下ろした。
夜の間に、地表の様子は一変していた。
ほとんどの大地が灰色の世界に変貌している。
左前方に緑の森が残っているのが見えるのが、救いだった。
「ユーシエスが見えてきました」
プロソデアが正面を指さした。
ユートには小さな緑色の点しか判別できなかった。
単眼鏡を出して覗いたユートは困惑し、肉眼で見直して諦めた。
「どこだ? 俺にはよく見えないが」
「左手前に見えるのが蒼き森です。その右手奥が風の領域の首都ユーシエスです。その右側に見える小さな緑の点が、残され森と呼ばれる、クロタフォ公爵の首都屋敷です」
「視力の違いらしい。俺にはぼんやりと煙っているようにしか見えない」
「砂塵に煙っているためです。それに、私にも街並みは見えません。ただ地形から場所を推定しただけです」
「そうか安心した。プロソデアの目は、偵察衛星の望遠カメラ並かと思った」
「エイセイとかカメラとは、なんです?」
「遙か上空を飛びまわる道具と、地表の詳細を拡大して見るための道具だ」
「そんな便利な物があるのですか?」
「便利だが、すごく高価な道具だから、個人で所有はできないぞ」
「そうですか」
プロソデアは残念そうな顔からすぐに、思案顔になる。
どうやってそうした道具を造れるのか考えているようだった。
「それより、大地の荒廃が精霊王のせいなら、どうして蒼き森は無事なんだ?」
「森に宿る精霊騎士に守られたからです」
「他の森には精霊はいなかったのか?」
「蒼き森の精霊騎士ほど強い力は持っていないのです」
「精霊にも階級制があるんだな」
「部分で比べればそうですが、すべてを見比べれば優劣はありません」
「そりゃそうだ」
カゼフネの高度が下がるにつれ、地表の様子がより鮮明に見えてくる。
高度一万メートルから降下していくような感覚である。
平坦に見えたモザイク模様のような地平が、凹凸のある立体的な世界だったと改めて知る事になる。
荒れ果てた灰色の大地も黄色がかった砂塵にまみれ、道らしき細い筋が地表に描かれているのも視認できるようになる。緑のフェルトを敷いただけのように見えた蒼き森が、驚くほど広大であり、背の高い木々が聳えているのも判別できた。
しばらく蒼き森を左手に見て進み、森が途切れた頃には、より首都の様子が判別できる距離にまで近づいていた。
右手に森が見える。
先程プロソデアが残され森と呼んだ森である。
「右手の森にも精霊がいるのか?」
「精霊伯爵の称号を持つ精霊がいるとされていますが、森が残った要因は、封精石で精を内に閉じ込める結界を作っていた事が大きいでしょう。その向こう側に横に広がっている森は、前はなかったはずですが、何かが変わったようです」
「砂漠のような完全な不毛地帯を想像していたが、まだ救いがありそうだ」
「私からみれば、それでも絶望的です。本来であればこの荒れ地全体が木々や草花で覆われていたのですから」
「そうかもしれないが、森が再生した部分があるなら、前向きに捉えよう。逆境にあっては、悲観より楽観の方が生きる力になる」
「――はい」
プロソデアはまた何かを看取したように、深く考え込むようにうなずいた。
さらに近付くと、首都の様子が視認できるようになった。
残骸だらけの街並みが広がっている現実に、ユートは愕然とした。
改良藤田スケールの最大値を超える竜巻に蹂躙されたような惨状だったからである。
「完全に廃墟だな」
「風の精霊王が起こした暴風によって倒壊したのです」
「恐ろしい破壊力だ。それに対抗できる人間なんて、いるのか?」
「いません。精霊でも無理です」
「ザゲルもか?」
ユートは船尾を振り返った。
「これをひと薙ぎでやったのなら、私にも無理だ」
「無謀な戦いに思えてきた」
「私は何度かユート殿にはそう言ったと思うのですが」
「悪い。俺の想像を遙かに超えていた。初めに見ていたら、俺は諦めの境地になっていたかもしれない」
「では、順番は正しかったのでしょう」
「そうだな。ザゲルと友達になれたし、山を削ったというフラグミに会ったお陰で、少し耐性ができているのが幸いだ。それに――出来ると踏んでトーマとファロウが向かったんだ。どうにかなるさ」
廃墟ではあるが、街並みの痕跡は分かる。
丘を中心とした同心円状に広がる都市の基礎らしきものや、頑丈だった家の壁が一部残されている。つまり、ごっそりと地表が剥ぎ取られたわけではないのだ。
また、首都の中心にある丘の頂には、コロシアムのような円形の建造物が見える。損傷が激しいが、屋根が残っているため、被害が少ない。
棘のような白い杭に囲まれているそこが、風の王宮である。
対してすぐ近く、王宮の奥に見える木々に囲まれた建物は、無傷のようであり、そのアンバランスな対比が不自然であった。
不自然といえば、もう一つある。
異質さを感じたユートが目を凝らし、見えたモノである。
円形宮殿の中心から、空に向かって巨大な噴水のような何かが立ち上っていた。
「あの丘の上にある柱みたいなのは、なんだ?」
「大地から天に向かって吹き出している精の流れです」
プロソデアの言葉に、ザゲルが唸った。
「あのように人は酷いことをする」
「精霊王の仕業じゃないのか?」
「精霊王がする訳がない。大地の精を集めてただ天に向かって放っては、大地が枯れるだけだ。精霊はそれを望まない」
ザゲルは憤りのためか語気を強めた。
「すると王宮精紋のせいか?」
「おそらくそうでしょう。膨大な精を吹き出し、壁を作り精霊王を閉じ込めているのです。ただ――私が先日見たのとは違っています」
「どう違うんだ?」
「無駄と思えるほど異常に精を噴出していますが、すべての精が天へ昇るのではなく、王宮の周辺で滞留しています」
「確かに、何となくだが中心付近から精があふれ出ているように見えるな」
「それです。王宮精紋が精霊王を囚えるための仕掛けなら、あの滞留は無駄でしかありません。ですからあれは――」
「モッサか」
「おそらくそうでしょう。モッサが王宮精紋に手を加え、何かを企んでいるようです」
「ところで、王宮精紋を使っていなければ、精流脈はどう流れていたんだ?」
「地表に、他よりも少し白っぽく見える線が見えますか?」
「道だろう? 何となくキラキラしているように見えるあれだ」
「そうです。あれが首都と地方を結ぶ街道で、ほぼ精流脈に沿って造られています。光って見えるのが精流脈の流路です」
「すると、一本だけ精流脈が逸れていないか?」
「蒼き森から、クロタフォ公爵の首都屋敷だった残され森を通り、ギデント街道へと流れています。あの精流脈があったので、森が残ったのでしょう」
「その向こうの細長い森は?」
「シノラフォティ街道の精流脈を引き込んでいるようです」
「なるほどねえ。本来は精流脈のすべてが首都経由で世界の中心に向かうわけか」
「そうなります。風の王宮に集まってから、向かって右側に続くギデント街道に沿って中央大樹へと流れていきます」
「風の領域における精流脈の合流地点を首都にしたって訳だ。そしてそこに王宮精紋を作ったのか」
「精霊王は大量に精を必要とするため、祭殿を出ても精流脈を辿るのは容易に想定できます」
「祭殿を出た精霊王は風の王宮に向かうことになり、王宮精紋という罠に囚われるのか。精霊王ホイホイだな」
「そうだと思いますが、ホイホイとは?」
「擬態語だ。何ら疑い持たずに気楽にというような意味合いで使う。ほいほいっと精霊王が入ってしまう罠を、簡略化して精霊王ホイホイといったのさ。オマージュでもあるが」
「なるほど。興味深い表現です」
「ところで、こうして精の柱が立っているなら、精霊王はまだあの中にいるってことでいいのかな?」
「そう考えて間違いないでしょう」
「状況は分かるか?」
ユートは単眼鏡を取り出し、王宮の中心へと目を向けた。
天に昇る精の柱から透けて円筒形の建物がある。精霊王はその中に居るらしく、ルリの姿も見付けられなかった。
「丘の左側の先に布陣しているのが、風の王となられたウザラ陛下で、味方です」
「味方とは頼もしいが、すでに手前と奥で砂塵が上がっているな。戦端が開かれたようだ」
「手前側は散発的ですね。モッサ側に付いた風の騎士と、正規の風の騎士が戦っているようですが、契約精霊を持っているのは少数のようです」
「すると、王宮の向こう側は?」
「ユビキシュ家の兵士のようです。騎士と兵士の連携が保たれています」
「祭殿に現れた連中か。風の王の命令で動いているならいいが」
「この短期間でそこまで人心掌握できていれば、理想的ですが」
「そうか。トーマの味方は頼もしいな」
「ユート殿、それは皮肉ですか?」
「悪い。気に障ったなら謝る」
「いえ。ようやく私にも言外の意味合いが分かるようになりました。ユート殿のお陰です」
「悪友だからな。純真な心を汚し、歪んだ見方をするようにしてしまったらしい」
「人の言葉を、そのまま受け取ってはいけない事もあると分かり、いい勉強になりました」
「悪知恵も知恵の一種とすれば、知っていて損はない。あとは使い方次第だ。それで、右側の丘の中腹辺りで蠢いている連中は何だ? 地面を掘っているようだが」
「恐らくモッサの手の者達が、王宮精紋の外縁を壊しているのでしょう」
「壊れるとどうなる?」
「精霊王が解放され、世界の中心へ飛び去るでしょう」
「その前に、ルリちゃんを助けなければならないのか」
「そうなります」
「ところで、まだ動きのない風の王の陣の後ろ、あれは何だ? 精が溜まっているようだが」
「祭殿方向から流れてくる精流脈を、堰き止めて溜めているのでしょう。他の精流脈も王宮の上流側で、同じように精を貯めているように見えます」
「何のために?」
「推測ですが、王宮精紋によって精霊王を天の循環に返すために必要な精を貯めているのだと思います」
「ユビキシュの爺さんの指示か。もしそれでルリちゃんがどうにかなったら俺は、祭殿で殺しておけば良かったと一生後悔するんだろうな」
「ユート殿が命を懸けた布石があります。ウザラ陛下がどうにかしてくれると信じましょう」
「信頼できるのか?」
「世を忍ぶ仮の名を使う彼とは、悪友ですから」
「王が友人とは、驚いた」
「先日までは、実質的に廃嫡された王子でしたから、知り合う機会があったのです」
「なら、信頼できそうだ」
「いつも思うのですが、ユート殿の基準は新鮮です」
「信憑性に欠けるとよくバカにされたけどな。それよりトーマはどこだ? 途中で追い越したか?」
「追い越してはいないと思いますが――ザゲル、もっと高度を下げてください」
ザゲルがカゼフネの高度を下げると、地表の様子がより鮮明になる。
風の王宮の周囲に無数の杭が打ち据えられているように見えていたのは、枯れて葉を落とし白化した木であった。
「いました。風の王宮の前庭で、奇妙な精霊と戦っています」
「どう奇妙なんだ?」
ユートは単眼鏡の向きを変えた。
「精霊の動きが不自然です。分霊のように無機的ですが、分霊よりも感情がないようです」
「機械的な動きに見えるな。だがザゲルよりは弱そうだぞ」
「その通りだろうが、私はあそこへは近づけないぞ」
「そうなのか?」
ユートは単眼鏡から目を離して船尾でカゼフネを操るザゲルを仰ぎ見た。
「王宮精紋と精霊王の相乗効果によって、精が吸われていくからです。宿玉としたカゼフネごとでしたら行けるでしょうが」
「だがカゼフネを下ろしては、再び空に上がれなくなる」
「遊覧飛行限定というわけか」
ユートは再び単眼鏡を覗き込み、風の王宮を見た。
風の王宮の前庭のような場所で、大きな精霊とトーマ達が戦っている。
「見たところ、みんな善戦しているぞ」
「サーリ達も、フラグミとの戦いでコツを掴んだのでしょう」
「お、倒した。と思ったら復活した」
「そういう仕掛けですか」
一人うなずいたプロソデアは、言葉を続けずに考え込むように口を閉ざした。
「一人で納得しないで教えてくれ」
「すみません。王宮の外側で精が滞留しているのは、あの精霊に関係していたのです。王宮精紋によって周囲から集められた精が天の精流脈へ送られようとする一部を取り出して、王宮の四方に伸びる軒廊を通して外に出して溜め込み、その精を使って精霊王を守るあの不可思議な精霊を生み出しているのです」
「精の滞留がある限り、あの精霊は復活するのか」
「そうです。ですが、サーリ達は気付いていないようです。動きに迷いが生じ、苦戦し始めました」
「プロソデアならどう戦う?」
「まず、四方にある精の供給源を断たなければなりません」
「トーマかモーティス騎士団に、それが可能か?」
「難しそうですね」
「どう難しい?」
「まず、精が風の王宮の外側に滞留させられていると気付くまでが難しい。次に、外に溜め池のように集められた精を四散させる方法を見付けるのも難しいでしょう」
「任せていいか?」
ユートは単眼鏡を覗いていた顔を、プロソデアへと向けた。
「ユート殿は人使いが荒い」
「悪いな。身の程を知っているだけだ」
「仕方ありません。ですが王宮の精紋が機能していると、ディミを介しての会話ができませんよ」
「必要なら大声で呼ぶことにするよ」
「ユート殿らしい応えです。では」
プロソデアは笑ったように見えた。
次の瞬間、姿が消えた。
カゼフネの船尾から飛び出し、風の精霊に抱かれて王宮へと降りて行ったのだ。
まるでピンチを救うヒーローのように、華麗に空から舞い降りて着地する。
ユートが昔憧れた情景だった。
窮地を救うために颯爽と登場するシーンである。
「俺だって少しは格好つけたい思いはあるんだぜ」
ユートの呟きは虚しく風に紛れた。
カゼフネは王宮を中心に大きく旋回を始めた。
上空では中心から立ち上る精の柱に向かって、周囲から風が集まっている。
その流れに乗ったのだ。
一つ深呼吸してユートは振り返った。
ザゲルは待っていたようにその顔を覗き込む。
「それでユートよ、我らはどうする?」
「答えは簡単だ。着陸場所を探す」
「先程も言ったが、ここで降りれば二度と空へは戻れなくなる」
「最悪はそうだが、どうにかなると俺は思う」
「曖昧な話だ」
「王宮精紋があんなふうに精を高く吹き出せるなら、それに乗せてカゼフネを打ち上げればいい」
「なるほど。ユートは面白い事を考える。だが、上手くいかぬ場合には――」
「色々困るが、それより困る事態を回避するためだ。傍観者でいられる方が俺は楽だが、楽しくないならそれは苦労になる」
「難しい論法だな」
「俺が出しゃばる必要があれば、出て行く。その場合に備えておくんだ。だが、俺はプロソデアのように飛び降りる術はない。ザゲルに運んでもらうか、カゼフネを着陸させてもらうしかない」
「この高さからでは、私はユートを地表まで運べないだろう。かといって届くまで低く飛べば、墜落するしかない」
「やっぱりそうだろうな。だが、カゼフネを失って困るのは、ザゲルだけじゃないんだ。だから、高みの見物ができる間に、対策を練る必要がある」
「うむ。やはり人とは面白い。森を出たのは正解だな」
「変化のない森に引きこもっていれば、そりゃあ退屈だろう。人は人生が湧き立つような刺激を求めて生きているからな」
「それだけではあるまい」
「命が短いからその分濃密に過ごす。精霊に比べれば目まぐるしく変化する日常だらけだ。何もしなくても、子は育ち、親は死に、友は出来ては失われ、老いていき、世界情勢も価値観も環境も変容する。そうした外部刺激に対して人は変わらざるを得ない」
「ふむ。そうなのだろうな。だが精霊とて、人との別れは何度も味わう甘く切ない体験だ。十分すぎるほど味わったものだ」
「長く生きていると、想い出を増やすよりも想い出に抱かれて生きるようになるのかな?」
ザゲルは笑ったようだった。
ただ、何も答えなかった。
答えを求める代わりに、ユートは地上を見下ろした。
リシアの姿を見付けられるようにと期待しながらも、ユートは着陸地点を探した。
カゼフネには着陸装置がないので、破損を避けるために、池や湖を見付けたかったのだ。
だが、枯れた大地に、水面は見えなかった。
かつて湖があった痕跡のような窪地はあっても、水がないのだ。
ユートは周囲を見渡して、残され森に目を向けた。
少し遠いが、森の中に池がある可能性に気付いたのだ。
ただ、鬱蒼と茂る木々に隠されているためか、角度の問題で確認できなかった。高度を落としたと言っても地上からすぐに発見されるほど低くはないのだが、単眼鏡を覗いても残され森に池があるかの判別は難しかった。
太陽があれば、木々の隙間からキラキラと水面が輝いて見える事もあるだろうが、この世界では無理な話である。
「ザゲル、少し大きく旋回して、あの残され森の上を飛んでくれないか?」
「やってみよう」
王宮のある丘の上を離れ、残され森の上へと向かう。
速度が落ちているため、一〇分ほどかかって残され森の真上へと至った。
「ザゲル見ろ、池がある。いや、湖くらい広いぞ。あそこになら、着水できるだろう」
「うむ。広さは十分だし、精もそこそこある。降りても再び空に戻れると期待ができそうだ」
「よし! 前向きの方針ができたところで、高みの見物に戻ろう」
「了解した」
ユートは改めて、上空から首都ユーシエスを眺めた。
風の王宮を中心にしてみれば、六方向に向かう街道が伸びている。
王宮のすぐ近くから細長く続く森に沿っているのがギデント街道であり、上空からでも森が目印となって分かりやすい。
それ以外の五街道に沿うように精流脈が王宮へと流れ込んでいるのだが、その量はわずかだった。
どれもがその上流で堰き止められ、ダム湖のように精が溜められているのだ。
ユートは王宮に向かう精の流れをもっとはっきり見たいと強く想いながら、凝視する。
堰から漏れ出た精の流れが微かに見えてくる。
そうした小川のような精は、王宮の中心へ向かって流れていくが、その流れは王宮の中心を避ける方向に流れている。だが、王宮の建つ丘の中腹辺りにある環状路付近で、不自然なカーブを描いて中心へと流れを変えるのだ。
まるで環状路に引き込まれるようだった。
その精の流れを観察し、ユートはその環状路が精紋の役割をしていると気付いた。
しかも、中に取り入れた精を外に漏らさないダムのような役割も果たしている。この機能によって、王宮の中心から溢れた精を引き込み、王宮の外側の四箇所で精のプールを保っていられるのだ。
「あの環状路の精紋が機能しなくなれば、貯めている精も流れ出し、精霊王を閉じ込めておくための精が足りなくなりそうだな」
「壊されてはまずいというわけだな」
「だが、そもそも、あれだと燃費が悪そうだ」
「ネンピとは、なんだ?」
「比喩だ。精霊王を閉じ込める効果を得るために使う精が多すぎるから、効率が悪いという意味だ」
「それで大地の精が枯れたか」
「多分そうだろう。精を枯渇させ、その責任を風の王になすりつければ、怒った民衆はモッサに協力するだろうな。日常を取り戻したいという、彼等の当たり前の願望を利用して、味方に付ける」
「その精を集めて、王宮を守る人工精霊を作ったというならば、ガガン・モッサとは恐るべき策略家だな」
「奇術師さ」
「奇術師? それはなんだ?」
「虚実の狭間で生き、人を騙す仕掛けを作り実践する奴の事だ」
「興味深いな」
「嘘を吐いて人を騙す事を、やりたいのか?」
「いいや」
「ならいい。騙されないためにはその方法を学ぶ必要があるんだが、知れば使いたくなるから気を付けなければならない」
「人と関わった分だけ精霊は、そうした経験を積んでいる。だから、人を避けるようになるのだ」
「騙せば支配できると考えるのは、人の浅はかさだな」
「ユートは違うようだが」
「俺は普通じゃないからな。それより、あの細長い森を作るために精流脈の流路を変えたとプロソデアは言ったが、それはモッサの仕業のようだな」
「ほう。森を再生するとは、いいこともするではないか」
「奇術師は、目立つことをして人の目と意識を逸らして、逆の場所で騙す仕掛けをするものだ」
「どういうことだ?」
「ギデント街道に繋がるその流れは、合流点で流速が上がっている。つまり、その合流点と、ギデント街道が環状路と交差する点までは、精が流れない真空地帯と言える。詳しい理屈は知らないが、アスピレーターの原理だ」
「それがなんだというのだ?」
「王宮に満ちた精は、一箇所でも精紋の力が弱まれば、そこに圧力が集中する。内側から外へと突き破る力に外側から引き込む力が合わさり、より小さな力で自壊するようになるだろう」
「ユートよ、よく分かるな」
「なんとなくだ。精がどういう物質かという想定は難しいが、水や空気のような流体と仮定しただけだ」
「ふむ。勉強になる」
「ボトルネックはあの、地面を掘っている工事現場だな。今のうちに俺は、その備えをしておくとしよう」
「できるのか?」
「祭殿の地下で、地下宝珠という流量弁のような機能を持つ物を見た。似たような物は造れるだろう。あるいは、破壊されそうな部分に当てるような、パッチのような物でもいい。それと――まあ色々あるが、どれも精を閉じ込める仕掛けという意味では同じだ」
ユートは座席の下に押し込んでいたバックパックを取り出し、残っているガンピシモドキの枚数を数えると、黙々と折り紙を始めた。
合間に地上を見て戦況の変化を確かめながら、ユートは折る作業に集中したのである。
五周、首都の上空を旋回した。
いつしかユートは、ガンピシモドキを折る作業に熱中して、戦況を確かめるのを失念していた。
三三枚作ったところで外に意識が向き、舷側から環状路を見下ろした。地表で何かがアメーバーのように蠢いていた。
単眼鏡で覗くと群衆が秩序もないままに走っている。それが包むように出来た空白に単眼鏡を向けたユートは、そこに見覚えのある人影を見付けた。
「リシアだ!」
リシアは土塁で囲まれた中にいた。
そこには天の騎士らしき姿もあった。ただ、何度数えても四、五人くらいしかいない。祭殿を出る時は、三〇騎いたはずである。
「俺の思った通りだったが――トルプの奴、人望がないのか?」
「どうするのだ、ユートよ。緊急事態か?」
「その通りだザゲル。急速降下して、俺をあの土塁の中心に降ろしてくれ」
「やむを得んな」
「済まない。俺を降ろしたら、ザゲルはさっきの湖にカゼフネを着水させてくれ」
「心得た」
ザゲルが急激に高度を下げた。
その時だった。
下に光が見えた。王宮の脇にある森に囲まれた別邸のバルコニーが光ったのだ。そこに人の姿がある。
瞬間的にユートは、それがモッサだと悟った。
そして、光ったと見えたのは、赤い炎の光だった。まるで上空から打ち上げ花火を見るように、火炎を纏う人の姿が飛んで来る。
「ザゲル、下から火が襲ってくる」
「蒙昧な火の精霊か、吹き飛ばしてやる」
ザゲルが突風を起こした。
全身を燃えさかる炎で覆った火の精霊は風で飛び散ったと見えたが、十体に分裂しあらゆる方向からカゼフネへと迫り来る。火の精霊は、帆に、船底に、船首に、舷側に、船尾に、両翼へと抱き付き、その火がカゼフネに燃え移っていく。
「散り飛べ火よ」
ザゲルが強烈な風を起こす。
三体の火の精霊が後方に吹き飛んでいき空中でかき消された。
それでも残った火の精霊はしがみつき、カゼフネを炎で包んでいく。船体の外装に精紋を描いて覆ったガンピシモドキが焦げていく。
船体に貯めていた精が流出し、カゼフネはザゲルでも制御できなくなり、高度が下がっていく。
カゼフネから流出する精を糧にして火の精霊は、さらに炎を大きくする。船体を覆う炎によって精紋が途切れ、ザゲルの存在を保つために蓄えた精さえも失われていく。
「済まぬユートよ、降ろしてやる余裕がなくなった」
「せめて目立つように飛んで、盛大に地上の人々を驚かせよう」
「暢気な事を」
「リシアに逃げる隙を与えるためだ」
「悠長に構えているが、墜落するのだぞ」
「分かっている。俺もできる事はする。だからカゼフネをあの湖まで届かせろ。これを失えば終わりだ」
「力が抜けていくのだ」
「どうにか耐えてくれ」
ユートは先程作ったガンピシモドキを用い、船体の内側に貼り付ける。ガンピシに描いた精紋を折り重ねて発生する効力を適切に配置することで、精の流出が収まっていく。精を燃料にして燃えていた炎は弱まったが、両舷側にある六枚の羽と尾のような羽が三分の一ほど焼けてしまった。
そのためカゼフネは揚力を失い、ザゲルが操る風によってどうにか進路を保っている状態だった。
「ユート、捕まっていろ」
ザゲルの声に、無我夢中でユートは船体にしがみついた。
それでもなお、モッサが放った火の精霊は健在で、船体を燃え尽くそうと火勢を強めていく。
ザゲルは船体をしっかりと踏みしめると、前方の大気を集めて後方に勢いを増して噴き出した。後方へ向かって風が起こり、カゼフネは速度を上げ、取り付いた火の精霊を引き剥がされていく。
生い茂る森の上を船底を擦りながら飛び抜けると、湖が見えた。
ザゲルは湖面を目指し急降下させる。
着水する衝撃に吹き飛ばされるユートをザゲルが手を伸ばして掴むと同時に、大量の水しぶきが上がった。カゼフネは一度大きく沈み込み、舷側近くまで水面が迫る。浸水ギリギリだったが、そこで船体は浮力によって浮き上がり、湖面を滑っていく。
その水しぶきをザゲルは風で集め、火の精霊へ吹きかける。
水蒸気に煙る中、大量の水を浴びて火の精霊は力を弱まった。火勢を失い、紙の宿玉が燃え尽き、火の精霊は消滅した。それでも残り火が、船体だけで無く帆柱や水平翼となる六枚翼を燃やし続けている。
ザゲルは水面を手ですくい取るように風を起こし、燃え移った火を消し、ようやく鎮火させた。
その間もカゼフネの勢いは収まらず、湖面を走り、岸に向かって進んでいく。そして、カゼフネは対岸に乗り上げて止まった。ザゲルの手で支えられていたユートは、辛うじて投げ出されずに済んだのである。
「ユートよ、平気か」
「助かったよ、ありがとう」
「なあに、当たり前の事だ」
「結構燃やされたなが、ザゲルは平気なのか?」
「この森が精に満ちている内は、平気だろう」
「それはまずい状況だな」
ユートはすぐに損傷状態の確認を始めた。
「いいのか? リシアという者を助けなくても」
「ザゲルの方が深刻だ。それにリシアには、ディアンが付いている」
「ディアンとは?」
「プロソデアと契約している、風の精霊だ。キディナスというのが本当の名だ」
「ああ、キディナスか。小さいながら勇敢で賢い者だった。ならばリシアを守るだろう。守人のようにな」
「そう願っている。それに、俺一人行ったところで局面は変えられないし、ここからだとどみちザゲルの助けが必要なんだ」
「だが、キディナスに貯めた精を届けてやるだけでも、助けになるだろう」
「そうかもしれないが、この森からあの場所まで、俺が全力で走ったところで、着くのは明日になる」
「そう、だな」
「だから現状確認だ。やれる事からやっていく」
ユートは舷側から上体を乗り出して、船体を見て回った。
左右計六枚の翼の損傷が激しいが、飛ぶために必要ではあっても、ザゲルの存在を維持するための宿玉としては重要ではない。
「どうやら損傷は軽微だ。元々巨木の森の丸太で船体を作ったから、頑丈だし浸水もない。表面を覆ったガンピシが焼けて精紋が途切れただけだ」
「直せるのか?」
「まずは応急処置だ。ザゲルが気を抜いても精を保てるよう、精紋の綻びを塞ぐ」
「飛べるようになるのか?」
「それは後だ」
「だがそれでは、私が届く範囲は限られる」
「それでも、やる順序は変わらないのさ」
ユートは先程折り貯めていたガンピシモドキを使い、船体の破損した精紋を補うように配置していった。
手慣れた作業で八角形に折ったガンピシモドキを配置し、封精結界で覆って精が流出する綻びを塞いだ。その上で、一箇所に吸精紋を作り、周囲の精を集めて再びカゼフネの船体へと溜め込んでいく。
「うむ。楽になった。ユートよ、いいようだ」
「よし、これで応急処置は済んだ。次は、リシアを助ける方法を考えよう」
顔を上げたユートの頬を、風が吹き抜けた。
湖面を風がそよいでいる。
波を立てて風が吹いてくるのが見えた。
対岸から、湖面を波立てて飛来する人の姿がある。
見る見る近づいてくる。
風の精霊だった。
大きな精霊を中心に、両側に数十体の精霊を伴っている。
「何者だ?」
「懐かしい精の波動を感じる」
「頼みを聞いてくれそうか?」
ユートの声に、遠くの音が重なった。
野太いホルンのような音が、遠くで響いた。
ヴォーン、ヴォ、ヴォーン。
王宮の方からだった。
「なんの音だ?」
直後、ユートは目眩がしてよろめいた。
船が揺れたからではなく、空間が揺れたようだった。
「精流脈の流れが変わった。しかも、大気を震わせるほど大きく」
「そうか。精流脈の上流に溜め込んでいた精を、王宮精紋に流し込んだんだ。これはその合図か」
そこに、風と共に運ばれてきた声が、響いた。
「招かざる客よ、去れ!」
湖面を飛来する人影が発した声だった。
間近に迫ったその精霊は、老人の姿をしていた。
そしてなぜか、表情は怒りに満ちていた。




