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白猫と勇者~裏物語~  作者: 八陽
第9章 紡がれし想いと団円
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9-04 錯綜する思惑と愚挙

 ギデント街道と環状路が交差する場所。

 そこでは地面を掘って出てきた石塁の遺跡があり、その石積みを撤去する作業が、夜通し続けられていた。

 一〇メートルほど掘り下げた地面の底で、いくつもの篝火が焚かれている。

 揺れる火の明かりに照らされる中、土と汗にまみれて数十人の男女が働き、崩れた斜面の土砂を運び出している。

 両端に土砂を入れた篭を吊した天秤棒を担ぎ、穴の外へと斜面を登り、反対側の斜面からまた降りていく。


 黙々と続けられる作業は、暗がりに光が走るのが見えるや、度々中断される。光の霊獣が襲ってきたと怯え、風が吹けば救世の勇者か騎士が現れたのかと身を隠す。

 そのため、作業はあまり進まなかった。

 作業が遅延する要因として最も深刻なのは、疲労だった。

 重労働であるため、一〇〇人一組の集団を三組編成し、二時間ほどで交代する体勢を取っていた。ところが、怪我人や体調不良を理由に休む者が増えたのに加え、新たに作業を手伝いたいと申し出る避難民が減ってしまったのだ。


 それなのに、明日までに作業を完了させるようにモッサに厳命されたのだ。どうにか五〇人ずつの組を編成して三交代で回している状態だった。


 だが、夜になり足場が沈んで櫓が何度も傾き、穴の下から土砂や崩した石を運び出す運搬路が崩れる事故が頻発しているのだ。穴の縁が崩れて石積みを覆った土砂をようやく撤去した矢先に発生した問題に、作業に従事する民衆はしばし愕然とし、疲労も当て茫然と眺め続けていたのだ。

 作業が遅延するのではなく後退する事態に、民衆は徒労感に苛まれ、心理的に疲弊し、肉体的な疲労となって蓄積していたために、動く気力を失ったのである。


 多くの作業者は、心が折れてしまったのだ。


 脱落者が増え、夜が更けた頃には交代制は破綻していた。精霊王を解放しなければならないと強く信じる者だけが、休みなく働き続けるしかなかったのだ。


 石の撤去作業を実質的に取り仕切る男は、もう限界だと思った。


 作業する者は奴隷ではなく、モッサの教えを信じる者達である。

 彼らが正義と信じるからこそ、過酷な労働に従事してくれているのである。そんな彼らを、鞭打って働かせる事はできないのだ。

 精霊王を解放するためという理想だけでは、体力が持たないのだ。過度な疲労は、気力すら奪ってしまう。

 義務感と使命感によって休むことなく作業を続けていた人々も、異変があるとそれを口実に手を止め座り込むようになっていた。


 実質的に取り仕切る男は、這うように斜面を登り穴から出て、地面に突き刺さって立つ岩の上で横になり眠りこけるニッシュという男に近づいた。


「ニッシュ、まだ来ないのか?」


 現場指揮官を自称し指示を出していたのが、ニッシュ・イクスという人物である。

 エニアス・エクストーモの言葉に感銘を受け、すぐに心酔し、欠かさず説法を聞き、間の手を入れて場を盛り上げてきた男である。

 ガガン・モッサの正しさを訴える使命感に燃え、エニアス・エクストーモの手を煩わせないようにと、進んでとりまとめをするようになったのだ。

 いつしかエニアス・エクストーモから、食事の配分や寝場所の割り当てなどの作業を任されるようになり、事実上の補佐役ナンバーツーであった。


 ニッシュはあくびをしながら体を起こすと、寝床としている岩の前に立つ男を見おろした。


「じきにエクストーモさんが連れてきてくださる」

「昼間からそう言うが、もう夜なんだが――」

「モッサ様もお忙しかったのだ。もう少し辛抱するように」

「光のまやかしの動揺を治めるために、モッサ様が同志達の陣を回ってくださったのは分かっているが、もう現場は限界だぞ」


「もう一踏ん張りの辛抱だ。精霊王を解放するためだ。次に偽の勇者が現れる前に遺跡を壊さなければならない。正義を成し遂げるための苦難の道なのだ。これを耐え忍び抜いてこそ、平穏が訪れた世界へと到達できるのだ」


「しかし、足場は崩れやすいし、滑車を吊す櫓も地面に食い込んで傾いてしまう。それに加えて、半数近くは偽の救世の勇者を捕らえるための守備隊に取られたんだ。その上昼間は襲撃に備えて現場を守る柵を作らされたんだ。作業者を増やしてくれないと、現場は回らない。特に、石割ができる奴が欲しい」


「文句を言う暇があるなら、気合いで頑張れ。働かないなら、食事は無しだ」

「そりゃあべこべだ。そもそも、働けばたらふく食わせてくれる話だっただろう」

「仕方あるまい。日々避難民が増え続ければ、配給が足りなくなるのは当然だ」


「そんな奴らに無駄飯食わせるくらいなら、精霊王の解放のために汗水流しているこっちに回してくれ。肉体労働すれば、腹が減るのは、分かるだろう」

 男が迫ると、ニッシュは岩の上に立った。


「作業員にはこれでも優遇している」

「分かっているさ。だが、休憩も必要だ」

「そんな悠長な事はしていられない。朝までに終わらせるんだ。精霊王を殺そうという偽勇者がすぐそこまで来ているんだぞ」

「それも知ってる。光がこっちに向かってくる度に、危ないからと作業を止めて逃げ出そうとする。だが、疲れているから休むための口実に使われている」


「まったく。どいつもこいつもだ。エクストーモさんが避難民に真実を説いても、信じない愚民が多すぎる。そのくせ、食事ばかりねだる」

「食った分働けとは思うが、初めから平等に配るというのが間違っていたんじゃないのか?」


「それは違う。そもそもタタ・クレユでは精霊のお陰で食物が育つという真理を忘れている。精霊王の解放に尽力した者にこそ精霊の祝福があると知らずに、働こうとしない怠惰な連中なのだ」

「その精霊王が、精を吸って大地を不毛にしたというのも事実だからじゃないか?」


 現場を仕切る男に、ニッシュが侮蔑する目を向けた。

「お前も黒髪の魔女に誘惑されたのか?」

「まさか。ただ、現実を見てくれってだけで――」

「現実? 見ているぞ。俺だってこの目で今も!」


「いやいや。この現場じゃない。昨日はもう、新参組の連中にも食事が回らなくなったって話だろう。だから、残され森に移動する連中もいるって言うじゃないか」

「黒髪の魔女に騙されているだけだ」

「本当は黒髪の聖女だという話もある。しかも美人だとか」

「ありえん。人を騙す女だ。醜悪な顔をしているに決まっている」


「そうかもしれないが、本当に魔女か? 向こうに行けば、食事も家も手に入るって噂だし」

「こっちでも小屋は作っている。だが、働かずに食う奴が多すぎて作業が進まないだけだ」


「そこをなんとかしてくれよニッシュ」

「分かっている。だから方法を考えている」

「寝てただけだろう」

「疑うのか、俺を!」

「いや、そうじゃないが」


「いいか、精霊王を解放するのが崇高なお役目と信じていないから、そうなるんだ。疑うな、信じろ。この苦難を乗り越えてこそ、永劫の祝福を得る。そうすれば万物の真理によって救済されるのだ」

「信じれば人員が補充されるとでも?」


 男は呆れたと言いたげに、疑惑の視線をニッシュに向けた。


「お前も疑うのか? 信じない者には食事の配給を減らすぞ。とにかく働け、夜明けには仕上げろ」

「もう現場は限界だ。せめて休憩させてくれ」

「そんな暇があるなら働け。怠惰は罪だ。モッサ様も嘆かれる。苦役から解放された真実の世界でいい想いがしたければ、モッサ様に認められるしかないんだ」

「それはむちゃくちゃだ――」

 現場を仕切る男が肩をすくめて首を振った。


 ニッシュは不機嫌そうに男を睨み付けたが、遠くからの声を聞いて、視線を転じた。

 街道を挟んだ向こう側から走って来る者が、篝火の明かりに陰となって浮かび上がる。慌てた素振りで駆けて来るのは、精紋破壊作業現場を守るために配置された、守備隊の者だった。


「おおい、ニッシュ、大変だ来てくれ」

「どうした?」

「向こうから、ぞろぞろとこっちに向かってくる連中がいるんだ」

「なんだ、また穀潰しか?」

「いや、少し違うんだ。とにかく来てくれ」

「わかった」

 ニッシュは岩の上から飛び降りると、現場を仕切る男を振り向き、「お前も来い」


 告げるやニッシュは、疲れ果てて倒れるように眠る者達を飛び越し、ギデント街道の向こう側へと走った。

 手が痛い足が痛いからと作業現場に入らず休んでいた者達の多くは、興味を抱きつつも立ち上がる気力もなく、ただぼんやりとその様子を見ているだけだった。


 作業現場の周囲に立てられた柵まで行ったニッシュが見たのは、外側に集まる、数十人の若者達だった。

 守備隊の者達が、柵の隙間から棒を突き出して近づかないように押し返えそうとしている。

 それでも、押し寄せてきた集団は立ち去ろうとせず、かといって柵を打ち破ろうと攻めてくる様子もなかった。


「なんだ、お前ら」

「やっと来たか。あんたが責任者か?」

「そうだが、どこから来た?」

「残され森だ」


「残され森? なら黒髪の魔女の仲間だな」

「違う。食べ物をもらいに来た」

「働かない者に食わせる余分な食料はない」

「分かってる。手伝いに来たんだ。だから何か食わせてくれ」


「手伝いに? なんのつもりだ?」

「酷い話なんだ、聞いてくれ」

「何の話だ?」

「残され森に食い物があると聞いて行ったら、自分達で畑を耕して作れと言われたんだ」


「なんだ、騙されたのか?」

「そうなんだ。けど、こっちはすぐに腹一杯食えるんだろう?」

「言ったはずだ。ここでは働かない奴は、椀に一杯だけだ」

「働くから、食わせてくれ」


「ほう」

 ニッシュはニヤリと笑みを浮かべた。

「だが、黒髪の魔女の工作員でないと、証明できるか?」

「参ったなあ――」

「ニッシュさん、そいつは俺の知り合いです」


 背後の声にニッシュが振り向いた。

 進み出たのはロムドという名の青年だった。


「知り合い? どういうことだ?」

「ロムド来てくれたか良かった」

「チナン、ご苦労さん。やっぱり黒髪の魔女という噂は、嘘だったんだね」

「そうなんだよ。黒髪の魔女の話なんて、ぜんぶ嘘っぱちだった」


 ニッシュは苛立った顔で、ロムドの視線を遮るように前に立ち、迫った。


「一体何の話をしているんだ?」

「信頼できる友人に、残され森の様子を探らせていたのです」

「俺に黙ってか?」

「エクストーモさんも、ニッシュさんも忙しそうでしたから、勝手しましたけど、噂の真相を確かめたかったのです」

「で、嘘だったと?」


「そして残され森から人を連れてくるように頼んでいたのです。ニッシュさんも、働く奴を集めろと言ってましたから」

「ほう。気が利くな」

「ありがとうございます。世界を救うためには、信じる者の協力は必要です、ニッシュさん」


「その通りだが、一番足りないのは、石工だ」

「ダリュアができます」

「本当か?」

「まあ、できますよ」

 柵の向こうのダリュアと呼ばれた青年が手を上げた。


「そうか分かった。いいだろう」

 ニッシュは集まった人々を見渡し、両手を広げた。

「みんな聞いたか? 黒髪の魔女に騙された者達が、真実に目覚め、戻ってきた。つまり、真実はこちらにあるという証拠だ」


 一瞬静まりかえったが、すぐに「そうだ」と叫ぶ声が湧き上がった。その声は、火が付いて燃え広がるように、歓喜の声にあふれた。


「正義は我々にある」

「そうだ、俺たちが正義だ」

「我々の正義を示すため、皆協力して、精霊王を解放しようではないか」


 ニッシュは満足そうな顔を見せ、両掌を人々に向け、興奮を抑えるように示した。


「おいロムド、彼等を現場に案内してやれ。さあ、柵を開けて同志を招き入れろ」

「了解です。ではみなさん、こちらへどうぞ」


 数人がかりで柵を移動すると、新たな作業員がぞろぞろと中に入っていく。ロムドの案内で、穴の下の作業現場へと傾斜路を降りていく。

 ニッシュは先程文句を言いに来た現場を取り仕切る男の肩を掴んで引き寄せた。


「どうだ、これは内緒の話だが、実はこれもエクストーモさんの指示だったんだ」

「そうなのですか?」

 男が見せた驚きの表情を見て満足そうに、ニッシュは二度うなずいた。


「黒髪の魔女の嘘も暴く、エクストーモさんはすごいだろう」

「ええ。そうですね」

「待たせたな。作業者を休ませてやれ。代わりに今来た連中に作業させる。全員交代だ。そうしたら、ロムドに現場監督を任せるから、お前も休め。とっておきの酒もある。これまで頑張った褒美だ」


「いいのか、ニッシュ」

「当たり前だろう。俺たち、同志だからな」


 交代の作業者が来たという話に、穴の底で作業していた人々は、地面に座り込んだ。

 気力で作業を続けていたのだ。

 新たに来た若者達が彼らに肩を貸し、穴の外へ連れだしていく。明るい内から働き続けて来た彼らは、ようやく体を休める事が出来たのだ。

「後は俺達に任せてくれ」

「少し休んだら、また働くから頼むぞ。少しでも石をどかしてくれ」

「あんたらは、ゆっくり休んでいてくれ」


 そうしたやり取りをして、穴の底に新たな人員だけとなったのである。

 ニッシュは街道の上から地面の下を見下ろしたが、その若者達はすぐに作業を始める様子はなかった。


「まずは何か食べさせてください」

 チナンと呼ばれた若者がニッシュを見上げた。

「ニッシュさん、私からもお願いします」

 彼等を案内して穴の底に降りたロムドが下から声を張った。


「その前に、お前らが使えるのか証明してもらおう。その石を割れ」

「分かりました。じゃあ、ダリュア、この石を割ってくれ」

「道具は?」

「これを使ってくれ」


 ロムドが石の上に置かれていた、鋼の楔と金槌を手にすると、ダリュアはすぐに石を調べ始める。

 目となる場所を見定めると、楔を打ち込んでいく。

 八箇所目に楔を打ち込むと、背丈ほどある大きな石に亀裂が入り、二つに割れた。

 穴の下にいる新参者だけでなく、穴の上から様子を見ていた物からも感嘆の声が漏れた。


「どうです?」

「まだだ。石積みはまだ土に埋もれている。それらの土砂と石を運び出せ」

「重労働の前に何か食わせてくれ」

「いいや。働いて成果を出し、黒髪の魔女の工作員じゃないと証明するのが先だ」

「おい、信じてくれたんじゃないのか?」

 ダリュアが睨み付ける。


「水ならくれてやる。その桶にある。それを飲んで、まずは土砂を撤去して、埋もれた石が見えるようにするんだ。その間に、食事を用意させる」

「まさかタダ働きさせようってんじゃないだろうな」

「嫌なら、残され森に帰って土を耕せばいい」

「おい、そりゃないぜ」


 次々と不満の声が上がるのを無視して、ニッシュはロムドを見た。


「ロムド、お前が監視しろ。土砂を運び出すのに合わせて、石割の作業を進めろ」

「ですが、彼らも空腹で働けないのでは?」

「あの中に、黒髪の魔女の工作員が紛れているかもしれないだろう。それをあぶり出すんだ。いいな、それがお前の役目だ。そうすれば、小屋を使っていい」


「小屋、ですか」

「どうだ、使いたいだろう。当てがないなら俺が手配してやってもいいんだぜ」

「あ、ありがとうございます」

「励めよ」

 ニッシュは次の現場指揮官にロムドを任じ、回復の森へと向かった。


「これで安心だ」


 回復の森の外れにある、エクストーモが使う小屋に入ると、ベッドに横になって目を閉じる。

 普段なら相手をさせる女を呼ぶニッシュであったが、さぼりたがる現場を監視するために出ずっぱりで疲れきっていて、それどころではなかった。


「まあ、俺の価値が認められたんだ。作業が終わってから、ゆっくりと楽しめばいい」


 食料分配の権限はニッシュにある。

 見る目のある女により多くを渡してやる事がニッシュには出来るのだ。欲しがる者達は大勢いる。そして、それらの中に彼が欲する者が含まれている。お互いに持つモノを与え、双方満足する関係になれるのである。

 明日の楽しみを夢見て、ニッシュは眠りに落ちた。


 しばらくして、ニッシュが寝る小屋のドアが開いた。

 小屋に忍び入ったのは、作務衣を着た男、スエナガだった。

 スエナガは腰帯に差し込んだ刀を鞘ごと抜き、気付かずにベッドで横たわるニッシュの口に、こじりをねじ込んだ。

 うげっというヒキガエルのような声を上げて目を開け、逃げるようにベッドから転げ落ちた。


「な、なに……あがが」


 再びこじりを口の中に突っ込まれたニッシュは、眠気が吹っ飛んだらしく、死の恐怖に青ざめていた。


「うるさい黙れ。騒ぐないいか?」

 ニッシュがうなずくと、口の中に突っ込まれた鞘が引き抜かれた。


「ここは、エニアス・エクストーモの小屋のはずだが、違うか?」

「いえ、エクストーモさんの小屋です」

「お前は?」

「ニッ、ニッシュ。ニッシュ・イクスといいます。エクストーモさんの代理です」


「そうか。で、エニアス・エクストーモはどこだ?」

「昨日から帰ってません」

「ほう。消えたか。なるほど邪魔したな」

「あ、あのう」

「なんだ?」

「あなたは、どちらさまでしょう?」

「モッサ様に従う者だ」


 不気味な男が去ってもなお、ニッシュは動かなかった。

 しばらく茫然としていたが、ようやくのそのそと動き出すと、這うように小屋の外へと出て、何度も深呼吸する。


「あいつ、エクストーモさんと知り合いなのか? どういう関係なんだ」


 ニッシュは暗い空を見上げ、ふうっと息を吐き出す。

 ぼんやりと虚空を眺めていたが、程なくニッシュは部屋の中に戻り、ドアに閂を掛けベッドに入った。


 そして、第七の月(ミナ・ピドゥロ)二六日の朝を迎えたのである。


 しばらく寝付けず、外が明るくなった頃ってようやくうとうとし始めたところで、外が慌ただしくなり、小屋のドアを叩く音にニッシュは起こされた。

 騒々しく名を何度も叫ぶ声の主に憤りを覚えながらベッドから出た彼は、荒々しくドアを開け放ち、そこに現場を仕切る男が立っていると知るや、頭を殴りつけていた。


「うるせー」

「すみません。ですがニッシュさん、大変です」

「あ? 大変な事はもうあっただろう」

「夜中の件の絡みです」

「あ? 今度は何だ」

「奴ら、全然働かないどころか、余計な事をしでかしたんです」

「エクストーモさんは?」

「まだ姿が見えません」

「ったく。こんな時に、どこに行ったんだ」


 ニッシュは苛立ちながらも、エクストーモの代わりに自分がいる事実に、笑みを漏らしていた。

 面倒事は嫌だが、エクストーモの代わりとなって手に入るモノを想うと、心がはしゃいだのだ。不条理を欲望で満たしたっぷりと吐き出す相手を想像しながら、ニッシュは呼びに来た現場を仕切る男を先に立たせ、作業現場に戻った。


 ニッシュはひと目で、異変だと分かった。

 石積みの遺跡を掘り返していた穴の外周に、土塁が築かれていたのだ。人の肩くらの高さしかないが、数十人がかりとはいえ、一晩にも満たない間に造るなど人間業ではありえなかった。

 その様子を、元からいた作業員が遠巻きに見ている。



「なんだあれは、どうなってる」

「せっせと勤勉に土砂を運んでいると思ったら、これです」

「なんで土塁がある?」

「分かりません」


「石積みは? 要石は見つかったか?」

「分かりません」

「あんなもの、とっとと壊せ」

「近づけば石を投げられるのです」

「まったく、どうなってるんだ。ロムドはどうした?」


「説得しているのですが」

「説得? なんの話だ」

「おい、ロムド、ニッシュさんが来たぞ」

「あ、ニッシュさん、すみません」

 駆け寄って来るロムドをニッシュは睨んだ。


「どういうことだ、ロムド」

「食事をよこさないと働かないぞと言い出しまして」

「お前がずっと、見ていたんじゃないのか?」

「知らない間に土塁が造られてしまったのです」

「なんでそうなる、バカかお前は!」


 言うなりニッシュはロムドの頬を殴った。

 不意打ちを食らったロムドは倒れ、恨めしそうな目で見上げた。


「なんだその目は?」

「現場の判断で、勝手に食事を提供すれば良かったですか?」

「ダメに決まってるだろうが!」

「だから、ニッシュさんを呼んで来るよう頼んだのです、いけませんか?」


「もっと早く呼べ」

「ですが――」

「立て。付いてこい。中の奴らはどうしてる?」

「休んでます」

「ったく。俺がいないとダメだな。まったく」


 苛立ちを踏みしめながら進むニッシュの足元に、石が転がった。

 土塁の向こう側から、石を投げて来たのだ。


「食事をよこせ」

「うるさい黙れ。とっとと作業を終わらせろ。そうすれば、食い物をくれてやる」

「約束が違うだろう」

「朝までに石積みを崩す予定を遅らせたお前らが悪い」

「そんな話、聞いてない!」


 土塁の向こうから投げられた石が、ニッシュの頭の脇を飛び抜けた。その瞬間、ニッシュは怒りの形相となり、ロムドの方を向き、襟首を掴んだ。


「ニッシュさん、なにを」

「お前、あいつらが友人と言ったよな」

「そうですが――」

「なら、確かめてやる」


 ロムドの腕を背中にねじ上げると盾にして、ニッシュは土塁へと近づいていく。

 土塁の向こう側では、石を投げようとしてためらい、困惑している。


「どうだ、効果てきめんだろう?」

「ちょっと、ニッシュさんやめてくださいよ」

「おい、卑怯者。ロムドを放せ」

「それと食事を持って来い」


 土塁の陰から大声を出したのは、チナンとダリュアであった。

 見覚えのある二人を見て、ニッシュはニヤリと笑んだ。


「どうやら、友達というのは本当らしいな。良かったじゃないか。見捨てられずに」

「そうですね。ですから、もう止めません?」

「あいつらが、石積みを壊したら、止めてやる」


「ロムドを放せ、関係ないだろう」

「関係は大ありだ。これではっきりした。お前達は、黒髪の魔女の命令で、精霊王の解放を妨げるために来た工作員だ」


「違う!」

「違うなら、証明しろ」

「証明? どうしろと?」

「まず、土塁から離れて穴の底に降りろ」

「その前にロムドを放せ」

「立場をわきまえろ、若造が。こいつを殺されたくなかったら、早くしろ」

「分かった」


 チナンとダリュアが周りの連中を促し、穴の下へと降りていく。

 ニッシュはロムドの腕を取ったまま、土塁の前に進み出ると、穴の下を覗き込んだ。

 下にいる連中は、まだ元気そうに見える。


「ダリュアと言ったか? お前、大急ぎで石を割れ。とっとと砕いて、その石積みを撤去しろ」

「――」

「なんだ? 抵抗するのか? こいつの命がどうなってもいいなら、構わんぞ」

「――分かった」

「他の奴らも、手を動かせ。石を割れる奴は、他にもいるだろう」

「楔が足りないんだ」


「なら頭を使え。それまでは、こいつは縛り付けておく。早く撤去作業が終われば、こいつは解放される。急げよ」


 作業を始めるのを確かめたニッシュは周囲を見回した。

 一〇〇人ほどの作業者が、立ち尽くしている。


「おいお前ら。あいつらがサボらないよう、見張っていろ。休む奴がいたら、上から石を投げてこらしめろ」


 のそのそと動き出す腰の重い作業員の様子にやる気の無さを感じ、ニッシュは、地面にツバを吐き捨てる。

 振り返ってそこに立つ現場を仕切る男を睨んだ。


「おい、そこに杭を立て、こいつを縛り付けろ」


 現場を仕切る男は従順であり、すぐに仲間を呼び、ニッシュの代わりにロムドを取り押さえ、縄で縛った。

 地面に穴を掘り、木の杭を打ち込み、ロムドを縛り付けていく作業を見届けると、ニッシュは改めて周り目を向けた。

 いつの間にか、人が増えていた。

 昨日まで現場に来なかった避難民がいるのだ。


「ちっ。こいつら、今更来やがって。まったく。どいつもこいつも、俺の邪魔をする。だがまあいい。石さえ砕ければ、あとは人海戦術だ。役に立つだろう」


 ニッシュは、お気に入りの石の上に座り、現場を眺めた。

 鋼の楔を金槌で打つ音を聞きながら、人々を従える王になった気分に、浸った。

 少しして、囁くようなに批判めいた声が聞こえてきた。

 そして程なく、金槌の音は途絶えた事に、ニッシュは苛立った。


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