9-03 光に集う者、其の参
単身行動する天の騎士がいた。
その名をアプローセという。
風の祭殿で精霊を失い、無事に故郷に帰る事すら危ういと感じていた。
だが、トルプ隊長が単独行動をすると宣言して走り去るや、それが忠誠心を図るための行為だと思い込み、衝動的に追い掛けたのが過ちだった。
隊長からの心証を良くし出世のためにいい判断をしたと自負したのは、迂闊でしかなかった。
その夜の野営地で、トルプの秘めた目的を聞いたからである。
正直呆れ愕然とした。
ノイ・クレユから来た黒髪の女に惚れたというバカげた理由を告げられ、ほとほと愛想が尽きた。
迎合してまで出世を望んだ欲を悔い、付き従う相手を見誤った愚かさを恥じた。だからアプローセは、立ち去る機会が与えられると、迷わずに決断したのである。
皆が寝静まった頃を見計らって、アプローセはメノスを引いて野営地から離れた。
だがまたアプローセは、やらかしていた。
誰にも気付かれぬようにと慌てたため、迂闊にも虚無ノ剣を置き忘れてしまったのだ。
ないと気付いたのは、メノスを駆ってしばらく進んでからだった。
取りに戻るのは恥ずかしく、愚かさと無様さを隠すため、餞別代わりに置いていったのだと自分を納得させ、諦めた。契約精霊がいなければ扱いづらい剣だから不要なのだと、自分に言い聞かせながら道を進んだ。
だが、それからがさらに悲惨だった。
言葉が通じず、食料も手に入らず、天の騎士と知られては敵意を向けられたのだ。
自分の愚かさを何度罵ったことか分からなかった。
騎士服を着ているのがいけないのだと悟ったアプローセは、無人となった家を見付けると、物盗りのように服を盗み、着替えた。
もちろん、言い訳はある。
盗む気はなかったが、人がいなかっただけなのだ、と。
対価を置いていっても、別の盗人に奪われるから無駄だと分かっているから、あえて何も置かなかったのだとも言い訳をした。
だが、着替えを得ても、アプローセは騎士服を捨てられなかった。
丸めて鞍に括り付け、移動した。
問題は、風の領域の言葉が話せない事だった。
言葉は騎士学校で習っているのだが、試験を通過するために詰め込んだだけで身についておらず、使えなかったのだ。
それに加えて、方言で訛りが強いのか、言葉を聞き取れないのだ。
そこでアプローセは、声を出せない者を装った。
肌の色が違うのは土で汚し、髪は泥で染めた。
無一文ではなかったが、天の領域の通貨は使えない上に素性がばれる恐れがあるため、物乞いのように食料を求めた。
騎士としての誇りを捨て、施しを求めたのだが、虚しい努力をしたと悟っただけで終わった。
一度、干からびたレデーブを恵んでもらったのだ。だが、それをくれた相手は、見るからに自分よりも貧しい人であり、そんな人の慈悲を受けたのだと知って、アプローセは物乞いを止めた。
そして、この身の不幸の原因となった、トルプ隊長の個人的な目的を蔑んで嫌った。
しかしながら、騎士として相応しくないと思ってすぐに別離の道を選んだ判断をしたアプローセはまたしての迂闊だったのだ。他に何をしたいという目的がないまま、衝動的に立ち去ったからである。
その結果、落ちぶれているのだ。
虚しさを抱きながら、アプローセはユーシエスを目指した。
土地勘もなく、馴染みのある地名がユーシエスだったという理由から決めただけである。
それでも、目的を持つと、少し心が軽くなった。
アプローセは、何日も食わずにメノスを駆った。
訓練はしていたが、心身にとって辛く厳しい旅だった。
喉の渇きと飢えに苦しみながら、ユーシエスの近郊で食料を分けてくれる人を探した。
問題は言葉だった。
幸いにしてユーシエス近郊の人々の言葉は聞き取りやすく、昔の記憶を呼び起こし、なんとなく意味が分かるようになったのだ。
どうにか身振り手振りで交渉し、メノスと交換で食料を得る事で交渉が成立した。
ところが、いざ物々交換となった際に、相手はメノスの健康状態を確かめたいというような事を言いだしたのである。
手綱を渡すと、邪魔だと言って鞍に括り付けていたまるめた騎士服を外して手渡され、彼は鞍上に跨がった。
そして彼はメノスを走らせて行ったのだが、そのまま遠くへ駆けていき、戻ってこなかったのだ。
騙されたと知ったのは、夜になってからだった。
追い掛けようにもあてはなく、目撃者も証人も周りにはいない。
翌朝、周囲を探し回ったが、盗んだ相手は見つからなかった。
ただ、どうみても鞍の一部にしかみえない木を燃やしている人々と、その火であぶっている肉を見ただけである。
「その肉は何だ、メノスか? 私のメノスを食ったのか?」
思わず怒鳴って詰め寄ったが、アプローセの主張が受け入れられる事は無かった。
焚き火を囲っていた男達は立ち上がり声を上げると、周囲からも騒ぎを聞きつけて人が集まってきた。アプローセは手を腰に伸ばしたが剣はなく、剣を抜く代わりに腕を突き出して焚き火の肉を指さした。
「それ私のメノスの肉だ、誰からもらった」
だが、肉を奪うと思われたようだった。
彼等が早口で言う言葉を聞き取れず、身振りで示そうと肉を手に取ろうとしたところ、殴り飛ばされた。
長旅と空腹で弱っていた事もあり、アプローセの反応は遅れた。
殴られ蹴られ、坂道へと投げ落とされた。
不覚にもアプローセは、気絶した。
いや、正しくは疲労と痛みで、休眠状態になったのだ。
意識を取り戻しても、アプローセは殴った相手に仕返しをする気力はなかった。
理不尽さにツバを吐き、不運を呪った。
もう誰も信じられず、人目を避けながら廃墟となってユーシエスをさ迷った。
倒壊した家屋の瓦礫の下に食料があればと期待したのだが、すでに持ち去れた後らしく、残っていた物は朽ちていた。
記憶の地図を頼りにアプローセは、ギデント街道を目指した。
風の王宮がある丘の裾野に作られた新道を回っていると、前方に森が見えてきたことに、アプローセは驚いた。
森があれば、水と食料が手に入る可能性が高まるからである。
アプローセは、逸る心を抑えながら歩んだ。
ギデント街道に入ってすぐに、食べ物の匂いが漂ってきた。
匂いに誘われたアプローセは、ギデント街道沿いの森の中に入っていく。
幹に隠れて様子を見ていたアプローセは、誰かが無料で食料を配っていると知ったのだ。
恥を忍んで食事をもらう列に並んだアプローセは、何日ぶりかの食事を堪能した。
食べ終えてひと心地着いたアプローセは、この場に留まり、体力を回復させる事にした。
数日が経ち、アプローセも耳が慣れて風の領域の言葉もほとんど聞き取れるようになり、単純な会話はできるようになった。
耳を慣らし単語を覚えるために、避難民が会話する声を聞いていると、噂程度の話ながら、だんだんと状況が分かってきた。
寡黙な人という印象を保てば言葉数が少なくても怪しまれないと考えたアプローセは、少し話しかけて情報を集めた。
そしてここが、ガガン・モッサが作った、避難民達の居留地のひとつだと判明したのだ。
それともう一つ、気になる噂を聞いた。
黒髪の魔女とそれに従う天の騎士が現れたという噂である。
アプローセはすぐにそれがトルプだと察したが、何もしなかった。
会わせる顔が無いからである。
「隊長はなんだかんだと、世界を救おうとはしている。それに比べて私はなんだ。ゴミ屑以下じゃないか」
アプローセは自嘲し、このまま無償で食料を得ながら、風の領域で暮らすのもいいとさえ考え始めていた。
それから数日して、あろうことか、トルプ隊長とセバステとロティタの姿を、避難民居留地で見かけたのだ。
三人はフードを目深に被っていたが、物腰と声とちらと見えた顔立ちから、間違いないと確信した。
その日以来、アプローセは心が休まらなくなった。
彼らに気付かれないように日々を過ごさなくてはならなくなったからである。
だが、人を避けてばかりもいられなかった。
エクストーモに取り入ろうとする者達もいたからである。
功績が認められると、配給とは別に、エクストーモから肉が振る舞われるからだった。
そんな連中に、アプローセは目を付けられた。
毎日、マントを羽織り、フードを深く被って顔を隠しているからだった。
「お前、怪しいな」
「返事をしろ」
「こいつ、オビですよ」
「なんだそりゃ」
「無口の風来坊。あだ名です。ほとんどしゃべらない奴なんで」
「顔を見せろ」
「いやだ」
アプローセは手でフードを引っ張った。
「怪しいじゃないか」
「工作員が紛れ込んでいるって噂があるんだ。改めさせもらう。逆らったら、どうなるか分かるか」
戦って勝てる自信はあったが、アプローセは逃げようとした。
すぐに捕まって、フードを取られる。
だが、その髪色は、金色ではなかった。
泥で染め、濃緑色になっていたからである。
「なんだ。天の種族じゃねえな」
「当たり前だ」
「なら、次からはもっと従順になれ」
八つ当たりのように、アプローセは頭を叩かれた。
「おい、ニッシュ、当てが外れたな」
「うるせー」
文句を言いながら、ぞろぞろと六人の集団は、去って行った。
そんな苦痛な毎日を過ごしていた時だった。
王宮の上空で何かが光ったのだ。
まばゆい光は森の中にも差し込み、木々を照らして地面に恐ろしい影が生まれた。
避難してきた人々はこの異変にざわめき、怯え、動揺した。
夜の焚き火や光精枝などの明かりによって影が生まれるのを知ってはいてもこれほどまでに鮮やかに、広範囲に、長く伸びる影を見た者はいないのだ。
ただ、アプローセは違った。
初めて目にするが、瞬時にそれは光の霊獣が放ったのだと予感したのだ。
祭殿に現れたノイ・クレユから来た少年が、少女を助けるために現れたのだと確信した。
だが、アプローセの見立ては悲観的だった。
「あの弱すぎる少年に何ができると言うんだ」
無駄な努力と表向き嘲笑いながら、アプローセの心の内ではドロドロとした失意の沼に沈めきれない想いがあった。
身を偽り姿を隠す日々に疲れていたのだ。
現状から抜け出したい欲求が、光で照らし出されたように、もう押し込めて隠しきれなくなっていた。
ふつふつと湧いてくる感情に、奮起させられつつあった。
何の力もない少年ですら立ち向かおうとしているのに、自分は何をしているのかと、アプローセは焦りも感じていた。
だが、実行するには、気が重かった。
自らの行いを恥じていたからである。
行動の正当性を示し、落ちぶれた今の姿を、誇りある使命で裏打ちしなければならなかった。
アプローセは、名乗り出る切っ掛けを待った。
そして、天の騎士に相応しい大義名分を探した。
衝動があふれ出ないように、アプローセは歩いた。
何かしなければと思い、逸る心を誤魔化すために、歩き回って衝動を発散させているのだ。
ぶらぶらと歩いて、地面を掘り返している遺跡の撤去作業現場に近づいた時だった。
モッサが現れ、まばゆい光を生み出してそれが特別な現象ではないと伝えている場面を目撃したのだ。
初見であるが、見るからに怪しい風貌だった。
それなのに、愚かな民衆はそれを信奉するように、言葉を疑わなかった。
「そうか。その手があった」
アプローセは、大義を見付け、思わず手を叩いていた。
トルプ隊長が目的としたリシアというノイ・クレユの女性を助けようという行為には賛同できなかった。だが、何もせずに本領に帰るつもりもなかった。
逃げだしたのではなく、元凶となったモッサを討つために避難民居留地に潜入した。と、そのように設定すれば、現状を説明し大義を示し、正当化できると気付いたのだ。
先程モッサが現れた時には、想定外だったために機を逸したと説明できる。
そう考えてアプローセは、モッサを討とうとしているという裏付けを作るために、風の王宮の裏手にある別邸へと向かった。
そこにモッサが寝泊まりしていると聞いていたからである。
だが、別邸を囲む林には不気味な精霊が飛び交い、近づくと襲われてしまったのだ。
アプローセは潜入を諦め、ただ遠目に様子を見るに留めた。
そして迎えた翌朝。
成果なく、腹が減ったので避難民居留地へ戻ろうとしたところ、撤去作業現場で騒ぎが起きていたのだ。
事情は分からないが、ニッシュという男がロムドという青年を拘束し人質にして強迫し、発掘した石積みの撤去を強要していた。
人質救出という正義のためならば、騎士として青年を助ける理由になる。しかもそれはモッサを討つよりも易く、証人となる民衆もたくさんいる。
あとはより効果的な場面が必要なだけだった。
アプローセは、傍観する避難民を装ってゆっくりと近付き、岩陰に隠れて頃合いを見計らうのだった――。




