8-11 妬心にまみゆ真意
回復の森の奥、暗闇に包まれる中、リシアは嫌悪していた。
思わせぶりな態度をし、気を引いて声を掛けられるのを期待する。
そういう幼稚なトルプの態度に、リシアは呆れてさえいた。
「何が言いたいのです?」
「これは失礼。本来精霊は宿玉から離れて行動できないものですから、やはりと思ったのです」
「含みを持たせて、私の興味を引こうというのですか?」
「いえいえ。我が事ながら半信半疑なだけです。ただ、ディアン殿は、リシア殿のお守りとは別に、宿玉を持っているようだと――」
「それのどこが問題なのですか?」
「契約精霊の宿玉とは、言わば精霊にとっての命の核。それを手にしているからこそ、契約者たる人間は、精霊に命令できるのです」
「命を担保に服従させるのですか? まるで奴隷契約ですね」
「そうしなければ気まぐれな精霊は、勝手にどこかへ行ったきり戻ってこなくなります」
「ラスピは、私が宿玉を持っていなくても、従ってくれています」
「ラスピ殿とは、そういう契約をなさったからです。ですがディアン殿は、お守りを宿玉にすると言ってリシア殿に預けていながら、別の宿玉を隠し持っているのです」
「ディアンが戻ってこないと言いたいのですか?」
「そうではありません、忠告です。ディアン殿の本来の契約者の企みに用心すべきだという、忠告です」
「矛盾していますね。契約精霊は宿玉から離れられないと言ったのに、ディアンの契約者が他にいるとでも言うのですか?」
「知る限りにおいて唯一、プロソデア・オーティタの一族は、宿玉を与えても精霊を契約で縛る方法を知っているのです」
「それだけの理由ですか?」
「ディアン殿はプロソデアの契約精霊のキディナスに間違いないでしょう」
「考え難いですね。もしそれが事実なら、プロソデアさんは私が祭殿を出る前に、ディアンを付けてくれたはずです」
「それが奴の手なのです。陰ながら常に護っていると振る舞い、女を籠絡するようなふしだらな男なのです」
「何を根拠にそんなことを」
「誰にも心を開かなかった姫も、奴にだけは笑みを向けるほど心酔させられたのです」
「姫?」
「守人です。奴は精霊と契約できない定めの姫に、精霊を預けていたのです。常に護られているという安心感に姫は心を狂わされ、騎士として何の実績も無い奴を守護騎士の候補に推挙したのです」
「プロソデアさんが不正をしたのですか?」
「守人に正式に任じられる前の姫と密会するのを、不正と言わず何というのでしょう」
「詳しい事情が分からないと、私には判断しかねます」
「まあ、そうですね。ですが、風の精霊キディナスを守人に付け、常に護り続ける。それが決め手となり、陛下は奴を守護騎士に任じたのです。正気の判断力を失った守人が、裏で陛下に奴がいいと伝えたのは間違いないのです」
「穿った見方ではありませんか?」
「それだけではないのです。守護騎士の役目を終えケントリコスに戻った奴は、身分卑しいながらも美少女を見付けるや、剣を教えると称して手を出したのです」
「ロリコンですか!」
「今何と?」
「いえ、続けてください」
「奴は貴族の子女の指南役を断っていたにも関わらずその少女を弟子にしたのが問題でした。貴族は怒り、その少女に剣の才能は無いと、身の程を悟らせようとしたのです。ところが、その際にもキディナスが少女を護ったのです」
「貴族が思い通りに行かずに腹いせのために少女に悪さしようとして返り討ちに遭っただけではありませんか?」
「違います。奴はそうやって精霊を使って護ってやることで少女の心を籠絡し手を出したのです。奴は破廉恥な男なのです」
「事実と想像が混濁しているように聞こえますが?」
「――失敬。リシア殿は分別ある大人の女性でした。ただこれは、奴の毒牙に掛からないようにとの、忠告と受け取って頂きたい」
「そう――」
リシアはゆっくりと息を吐き出した。
幾つもの嫉妬心が複雑に絡まりあい歪んだ感情が育まれた、トルプの心の内が透けて見えたからである。
本来であれば騎士団長として心の奥底に沈めて隠されているべき心情なのだろうが、別の感情によって波立つ心理によって過去のわだかまりが浮かび上がってしまったのだ。
嫉妬するほど本気の好意を抱かれていると、リシアが確信するには十分な態度であった。
彼にとって不幸なことに、トルプ・ランプシという人物は、リシアの好みではなかった。
そのためリシアは、秘められた感情が心の深く底に埋められているなら、触れずにおきたいと望んでいた。
鬱陶しいからとあからさまに拒絶をし、未遂の告白を事実のように砕こうとは想わなかった。それはお互いを傷つけ合うに等しい行為であり、ルリを助ける一助を失う不利益になると分かっているからであった。
「トルプ・ランプシ、そうした気遣いは不要です。私はお嬢様をお守りする使命にのみ、生きているからです」
「素晴らしい。その気高さこそ、リシア殿の美しさ」
「お世辞は無用です」
「いや、本心です」
「お嬢様を助けるのが最優先だと、私は何度も言っているはずです」
「心得ております」
「でしたら、すべき事をし、為すべき事を為し遂げましょう」
「もちろんです。では早速、まずは我らが成果、捕らえた例の男の許へ案内しましょう」
「アジテーター、いえ、扇動者の男ですか」
「はい。こちらです」
成果を自慢するように、意気揚々とトルプは歩き出す。
リシアは、避難民が立ち入ることのない、回復の森の奥へと案内された。
暗がりの中、人影が見えてきた。
セバステとロティタが左右に立ち、真ん中には男が座らされている。
男は手を体の後ろで縛られ、動けないようその肩を左右の騎士が押さえている。
「暗くて顔が見えませんね。明かりは点けられませんか?」
「森の奥とは言え、光は目立ちます」
「ならば、オレが土で囲ってやろう」
ラスピが土壁を作り周囲を覆うと、トルプが光精枝の明かりを点けた。
すると、縛られて俯いていた男が顔を上げた。
整った顔立ちだが、平凡な雰囲気の若者であった。
ただ、顔も服も土で汚れ、頬には擦り傷がある。
捕らえられる際に抵抗したのだろう。
「いるじゃないか、黒髪の魔女――」
「その二つ名を二度と口にするな」
素早い動作でトルプが男の頬を叩いた。
「暴力はいけません」
止める間もなかったリシアは、トルプの肩を引いて下がらせ、男の前に立った。
「あなたの名は?」
「エニアス・エクストーモだ。それよりあんた美人だねえ。とても世界を破壊するとは見えない」
「当然です。私には世界を壊せませんから」
「だが、天の騎士のこいつらを籠絡した」
「なんだとキサマ!」
セバステとロティタが肩を持つ手に力を込めると、男は苦痛に顔をしかめた。
トルプが嘲笑を浮かべ、男にまた一歩近づいた。
「この数日、我々はキサマの行動を監視していた。モッサの手下であるスエナガという男と頻繁に会い、民衆を扇動する策を話し合っていた事実を見ていたのだぞ」
「スエナガ? 知らないなあ」
「白を切るな。さっきも悪辣な相談をしていただろう。石ころひとつでも運べるなら子供でもいいから現場に出せと言われ、それでキサマは、何と言ったか覚えているか」
「さあね」
「無駄な作業をしている連中の手を空けてやるべきだと言ったのだ」
「ほうほう。そうなのかい」
「まだ白を切るか。手間ばかり掛かる怪我人を処分すれば、看護する奴らを動員できるとキサマは言ったであろう」
「おやおや、そんな酷い事をあんたは考えるのか?」
「キサマだ。キサマはモッサが治療すると偽って人目の付かない森の奥へ怪我人を移動させるから、処分してくれと頼んだだろう」
「どうかな、言ったかななあ」
「どうせ奴らは使い捨てだから、先に処分しても何の問題もないと、せせらわらっていただろう」
「処置だよ。苦しんでる奴らを楽にしてやるだけだ」
「認めたな、卑劣な奴。お前など死刑が相応しい」
今にも殴りそうなトルプを手で制してリシアが一歩前に出た。
「エニアス・エクストーモ、あなたはスエナガとはいつ知り合ったのですか」
「さあ、いつだったかなあ。一年か二年か、どうだろうねえ」
「つまり、少なくともこの一、二ヶ月の内に初めて会ったというのではないのですね」
「ちっ」
男はツバを地面に吐き捨てた。
「やはりあんたは黒髪の魔女だ。頭がいい。人の心を操るのがうまそうだ」
「あなたほどではありません」
「ほう。謙遜? それとも懐柔しようというのかな?」
「スエナガに何を言われたの?」
「凄い話だ。わくわくする。スエナガ様と話していると、俺は興奮するんだ」
「あなたは何がしたいの?」
「世直しさ」
「どういう世直しですか」
「は、ははは。いいねえ、どうだい、俺と組まないか。黒髪の魔女として、この腐った世界を一緒に変えようぜ」
「一度世界を作り替えるための、グレートリセットでもしようというのですか?」
「新しい世界秩序を作るための、絶好の機会。今がその時なのさ」
「そのために、古い秩序を破壊しようとしているのですか?」
「やっぱりあんた、頭がいい。こいつら騎士とは違うな」
「黙れ、キサマ」
セバステとロティタに肩を押さえられ、男は地べたに押さえつけられた。
「手荒なことはやめなさい」
だが二人は言うことを聞かず、トルプに顔を向けた。
「隊長、こういう奴は――」
トルプは二人に向かってうなずくと、半歩前に出てリシアに体を向けた。
「リシア殿、このような狂人は、後腐れ無く処分した方が今後のためです」
「ハハハ。お前だって処分というじゃないか。どう処分するんだ? 殺すか? え?」
「うるさいキサマは黙れ」
地べたに顔を押し付けている男をちらと見たリシアは、トルプの目を見ながらゆっくりと息を吐き出した。
その人間性を、改めて探っているのだ。
「悪人だからと、闇に葬るというのですか?」
「そうです。こうした手合いに会話など無意味。人を謀る言動しかしないような人間です。言葉で理解し合おうとすれば、惑わされ狂わされるのが落ちです」
「この男を信じた人々が真実を悟るためには、生かしておく必要があります」
「それだと、混乱の火種は消し切れません」
リシアはトルプを睨んだ。
先程の話をもう忘れたのかと、苛立っていた。
予想していた通り、トルプは真意を理解していなかったのだ。
だが、ここで改めて議論するのは無為に時間を失うことだと、リシアには分かっていた。
「この男に構うだけ、時間の無駄です。行きましょう。ラスピ、この男が逃げ出さないよう、この中に閉じ込めておいてください」
「了解した」
男の拘束をラスピに任せると、リシアは三騎士を伴って外に出た。
すると土で覆われたドームからラスピが出てきて、出入り口を閉じた。
それを確かめると、リシアは三騎士を見た。
三人とも不服そうな顔をしている。
目立つからと言っていた光精枝の明かりを消すことすら失念しているのだ。
「すでに、火種は撒かれています。人々の心の中に。それを消せるのは、その本人だけです。エニアス・エクストーモの言動が偽りだったと悟るためには、その人間性を見極める能力を人々が身につけなければならないのです」
「多くの民衆に、そのような人を見抜く能力など、ありません」
「見捨てずに、導くのです」
「どんなに教えても、理解できない人間が一定数いる。それが現実です」
「共に歩むしかないのでしょう」
「隊長、今のリシア殿の言葉は、無駄にして迂遠過ぎるのではありませんか?」
「セバステの言う通り、火種は炎上する前に踏み潰して消し去るべきです」
「この点についてはリシア殿、また改めて議論と致したい」
リシアは溜め息を吐いた。
「分かりました。この話は後にしましょう。逃げ出せない場所に捕らえたのです。今は、使命を全うしなければなりません」
「ごもっとも」
「そのために、全力を尽くします。救世の勇者がお嬢様を助け出すまで、王宮精紋に精霊王を留め置かなければなりません」
「分かりました。セバステ、ロティタ、聞いたな。奴のことは、他を片付けた後で再度話し合う、それでいいな」
「はい」
「隊長の判断に委ねます」
「頼みます」
「お任せください。ところで、モッサを盲信する民衆の目を覚まさせるために、最後にはリシア殿に姿を見せて頂きたいのですが、よろしいですかな?」
「私が? 逆効果では?」
「極めて効果的です。ノイ・クレユより少女を助けるために現れた黒髪の聖女として、降臨して頂くのです」
「あなたは一体どういう噂を広めているのです?」
「気高き聖女リシア殿が世界を救ってくれるという、事実を伝えているだけですが、何か?」
「大げさな話にされては、迷惑です」
「違います。愚鈍な民衆には、目に見える象徴が必要なのです。風の精霊と地の精霊と契約している黒髪の美女は、誰もが見たことのない奇跡と映るでしょう」
「そうは思えません」
「リシア殿はご自身が見えていないのです。二精霊を従える気高い姿を見せれば、効果はあります」
「状況によっては火に油を注ぐでしょう」
「大丈夫です。そのために、黒髪の聖女の噂を流しているのです。少なくとも半数は、リシア殿を見て、真実と悟るでしょう」
「分かりました。ですがそれは、最後の手段です」
リシアは妥協した。
いまさら噂の中身を変えられないからである。
「了解した。では我々は、再び妨害工作に戻ります」
「頼みます。ですが決して殺さないように。殺したら、歯止めが利かず、暴動に発展するもとの留意してください」
「分かっております。では。行くぞ、セバステ、ロティタ」
三騎士が去ると、リシアは小さく溜め息を吐いた。
傍らに静かに立つラスピは、終始無言だった。
世俗的な人間の会話には、無関心だからである。
「ところでラスピは、私からどこまで離れて行けるのですか?」
「地の果てまで。だが、トルプの言った事なら気にしなくていいぞ」
「どうして?」
「ああした考えをしているから、天の種族は精霊から嫌われているのだ」
「天の種族が一番優れているという話では?」
「元来、劣等民と蔑まれてきた反動で、優れているという幻想に縋ったのだろう。カチェリというのは一見魅力的に思える器で、それを支配しているからこその驕りだ」
「カチェリとは琥珀ですか?」
「中央大樹の若葉を内に含んだ琥珀だ」
「それが精霊との契約に必要なのですか」
「本来契約とは、交換条件の取引ではない。人と精霊が交わす約束だ。守るか破るかは信義の問題でしかない」
「どういうことです?」
「その昔、人が精霊を裏切った。ある事を為すまでと約束したが言葉の理屈で誤魔化し、契約は終わっていないと強弁したのだ。だがその者は、精霊の力を手放したくなかっただけなのだ。結果として、その精霊は、契約したその人が死ぬまで解放されなかった」
「それは酷いですね」
「話には続きがある。年月が経ち、それを知らぬ人が契約を持ちかけたのだ。そこで精霊は、報復として約束を守らずに宿玉だけを奪って去った。すると人は、精霊は約束を守らないという話を広めた。それだけの話だ」
「そんな過去が――」
「人の命は短く、裏切った者は疾しさのため、自らの裏切りを語らずに死んだ。だが、裏切られた者は、自らの正義のために、精霊の裏切りを語り伝えたのだ」
「人は、醜いですね」
「だから二度も人と精霊は争った」
「愚かな行為です」
「その通り。人も精霊も愚かだったのだ」
「それを知るラスピは、私と契約して良かったのですか?」
「あれは建前だ。ノイ・クレユ人だというのに、良き人と思えたので、興味を持っただけ」
「では、本当の契約とは違うのですね」
「信義の問題だとオレは言ったぞ。それに、リシア様からもらったあれは、役に立っている」
「それでしたら、いいのですが――」
「リシア様――」
「何?」
「もし、オレが約束を守らず、身の危険を感じて逃げ出したらどう思う?」
「命は大事です。ラスピが本当に身の危険を感じたなら、逃げても私は咎めません」
「弱ったな。リシア様は素敵すぎる」
「何が言いたいのです?」
「オレが理不尽にリシア様を裏切ったらどう思うかと、聞きたかったのだ」
「軽蔑します」
「うむ。いい答えだ」
「どうしていい答えなのです?」
「オレはリシア様の人間性に惹かれた。人のような恋愛感情があれば、もうぞっこんというものだろう。だからこそ、軽蔑されるのは一番嫌なのだ。嫌われたくないと思う。だから、約束は守る」
「ありがとう、ラスピ」
「なあに。心地よいものだ、守護騎士気分というのは」
リシアは微笑んだが、すぐに真剣な眼差しになった。
「ラスピにお願いがあります」
「なんだ?」
「石積みの撤去作業を、それとなく邪魔してくれませんか。例えば掘った穴の脇に積まれた土砂を崩してまた埋めるとか、人が死なないように、なるだけケガもさせない方法で」
「難題だな。そもそもオレは、あそこに近づきたくないと言ったはずだか」
「できる範囲で構いません。要石が見つかったら、私がみんなの前に出て、説得してみます。恐らく彼らは私を敵と見て、襲ってくるでしょうが、それで作業を止められるなら上出来です」
「心得た。ディアンが戻ってきたら、行くとしよう。あいつとも約束したからな。リシア様を守ると」
「頼りにしています」
ラスピは仄かな光を放った。
それは精霊が感情を表す光だと、リシアは知った。




