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白猫と勇者~裏物語~  作者: 八陽
第8章 総力の紡ぎし兆し
79/97

8-10 心を照らし出す光

 第七の月(ミナ・ピドゥロ)二五日。

 タタ・クレユの暦による今日の日付である。


 リシアは、ギデント街道が環状路と交差する地点の近くにいた。

 フード付きのマントを身につけ、顔と髪を隠している。

 黒髪と肌の色は、この世界では目立ちすぎるからだった。


 その交差点には、大きな穴が掘られていた。

 道路を掘り返し、その地下に埋められていた石塁が、王宮精紋を為す構造物である。

 モッサを信じる民衆は、その石積みを崩し撤去しようとしている。楔を石に打ち込む金槌の音が響いていた。


 リシアは、その作業を強制的に阻止するための最終手段を行使する事態に備えていた。それまでの間は、トルプ達三騎士とフホ村の若者達が啓蒙活動を行い、人々がモッサの言動に疑問を抱くように働きかけを続けている。


 ただ、リシアの心はやりきれない無力さに苛まれていた。

 すぐにもルリを助け出したいのに、何も出来ずにいるからだった。

 直接的な行動であればやっている実感が得られるのだが、間接的な行動では成果が見えてこないだけに徒労感と共に、正しい選択をしたのかと疑問が何度もぶり返すように浮かんでくる。


 時折風の王宮がある丘を見上げ、リシアは溜め息を吐く。

 王宮の様子は、その場所からは見えなかった。

 緩やかな弧を描き頂へと向かう稜線の膨らみと、頂付近を囲むように残る白化した森の木々によって視界が遮られていたからである。


 リシアが身を隠しているのは、風の精霊王の接近に際して空から降ってきたと言われている大小の岩の内、高さ三メートルはある大きな岩陰である。

 ただこの日、リシアは王宮の方に異変を感じていた。

 それもあって何度も少し身を乗り出して丘の上を見上げるのだが、リシアがいる場所からは何も分からなかった。



「どうです、ディアン?」

「王宮内の風の流れが変わったのは間違いありません」

 スカートの中にある宿玉に身を隠したまま、ディアンが声だけをリシアに届けた。

「大地を伝わる精の振動は、王宮精紋が邪魔をして良く分からん」

 石の表皮で覆った体をマントで隠して人のように振る舞うラスピは悔しげに唸った。


「トーマ君が来たのでしょうか」

「このところ地を駆けるメノスが増えたせいで判別は難しいが、昨日遠くから一〇頭ほど新たに現れたのは間違いない」

「多すぎますね。話では、トーマ君をサポートしているのは、モーティス騎士団の五人と聞いていますから」

「では違うのだろう」


 ラスピの言葉に、期待を諫めるようにリシアはうなずく。


「風の王の動きは?」

「動いていないのは間違いない。大地の振動がないからな」


 丘の反対側に風の王が八〇騎ほどの騎士を率いて現れたのが、四日前である。

 しかし、散発的な動きを見せるだけで、風の王宮に近づこうとはしない。モッサが唆した民衆と、モッサに寝返った風の騎士が作ったバリケードを突破出来ずにいるのだ。


 結局のところリシアがルリを救出するために期待できるのは、救世の勇者だけであった。

 それだけに、風の王宮から感じられた異変が救世の勇者の到着によるなら、そしてそれが聖剣を得たトーマならば、リシアはより直接的にルリを助け出す一助を為したいし、その場面に居合わせたいと心が欲するのだ。


 リシアは岩に手を突き、もたれた。


 丘の頂まで直線で二キロほどだが、傾斜と瓦礫と、王宮の周囲を囲む森が白化した木の柱が邪魔で見えないもどかしさがある。

 風の王宮で何が起きているのか、確かめたい衝動をリシアは理性によって抑えた。行ったところでディアンとラスピの力を借りても守護精霊と戦うには力不足であり、その間に民衆が王宮精紋を破壊してしまえば、すべてが終わると分かっているからである。


 リシアは身を隠す岩を見上げた。

 一辺が三メートルはある大岩である。

 比重が水の三倍あると仮定すれば、重量は八一トンになる。

 これが暴風によって飛ばされたのが事実なら、風の精霊王の接近は、大型ハリケーン以上の脅威であった。


 この脅威に再び襲われるかも知れないと、彼らは想像していない。

 しかも、王宮で起きた異変にすら民衆は気付いていないようで、石積みの撤去作業を続けている。

 木で櫓を組み、チェーンブロックの代わりに動滑車を組み合わせた機構を用い、砕いた石を吊り上げようとしている。それでも大変な重労働であり、道具と人員の技術水準が劣っていることもあり、作業の進行速度は緩やかなのがリシアにとっての慰めだった。



「ラスピなら、この岩を動かせますか?」

「動かすくらいならば。だが、やりたくはないな」

「どうしてです?」

「激流の中に立ち、暴風の中で持ち上げるようだと言えば、リシア様にも分かりやすいかな」


「王宮精紋の影響ですか」


「それによって、複雑な精の流れがある。精流脈が丘の中心へと引き込まれているのだが、一度引き込んだ精が外に漏れ出ないように堰き止める仕掛けが、環状路の下にある石積みだ」

「それで、モッサは精霊を使わないのですね」

「使えないのだ。ただでさえ、精霊王と精紋によって精が吸われ続けている。この丘に好んで近づく精霊はいるまい」


「精紋の破壊にはまだまだ掛かりそうですね」

「そうとも言えないな。堤防でも小さな穴から決壊するように、要となる石を撤去するだけで、精紋としての機能に綻びが出来る」


「そう言えば、要石がどれか分かりますか?」


「正直、分からん。人が生み出した技術だ。あれに関わった精霊は身を滅ぼしただろうし」

「では、どの段階で動くか、見極めが難――」


 突如、空が光った。

 空から降り注ぐまばゆい光にリシアは言葉を切り、振り向く。

 眩しさに目を細め、手をかざした。

 丘の上辺りで、何かが光っていた。

 だがすぐに、光は消えてしまう。


「あれは何?」

「古い言葉だ。撤退を告げていた」

「光の言葉? 光信号ですか?」

「リシア様、精霊だけに伝わる古き共通言語です」

「誰がそれを発したのです?」

「すみませんリシア様、ボクには分かりませんが、再起する強い意志は感じました」

 宿玉から姿を現したディアンが風となってさっと上空から見渡すとすぐにリシアの元に戻った。

「見回えた範囲では、瓦礫が多く、あちこちで人が走り回っているので、判りません」



 再び何かが光った。

 今度は丘を半ば下った先である。

 リシアは無意識のまま拳を握り締めていた。

 光の霊獣を連れた救世の勇者と呼ばれているトーマが、すぐそこに来たのだとリシアは確信した。

 だが、光信号で撤退を伝えたのなら、ルリの救出に失敗した事を意味している。



「王宮の様子は?」

「大きな変化はありません」

「精霊王も?」

「はい。これまでと同じようです」


 リシアは出て行って真偽を確かめたい衝動に駆られたが、石積みの撤去作業をしている方からざわめく声が聞こえて思い留まった。


「間違いない。あれは、光の霊獣だ」


 一際大声を出したのは、生真面目そうな青年だった。

 先日フホ村の四人に紹介されて、面識がある。

 彼はフホ村の若者の一人でロムドといい、リシア達が来る前から救世の勇者が現れた事実を伝え広める努力をしているのだ。


「まさか、あんなに眩しいのか?」

「救世の勇者が現れた証拠だ」

「伝説は本当だったのか?」

「まさか。あれも風の王の策略だろう」


 そこへ、丘の上から男が一人走ってきた。


「おおい、エクストーモさんはどこだ?」

「食料の供給交渉にモッサ様のところへ行っていないと思うが、王宮で何があったんだ?」

「偽勇者が現れたんだ。だが、モッサ様のガーディアン精霊に追い払われて、逃げていった」


「おお、モッサ様すげえ」

「だが、あの光ったのはなんだ?」

「よく分からないが、なんか小さな白い獣が光ったらしい」

「それが光の霊獣だ。あれだけ眩しい光を放ったのが証拠だ」

「確かに、あんな光は見たことない」


「救世の勇者が再び現れたらしい」

「だが、逃げ出したんだろう?」

「つまり、モッサ様の勝利だ」

「まだ分からないですよ。もし本物なら、きっとあの光は、真実に気付くようにと放たれた、導きの光かもしれませんから」


「おいロムド、前から気になっていたが、なんでそうお前は、救世の勇者を推すんだ?」


「見た事実を話しただけで――」

「だからって、救世の勇者が凄いみたいな言い方は、どうも気にくわない」


「いえいえ。そんなことはありません。行き場所を失い飢える私たちに食事をくださったモッサ様は、偉大です」

「そう。それが真実だ。だがお前――」


「まあ、そいつの気持ちも分かる。王宮への侵入者に気付いた連中は、さっきの光を間近に見て、光の霊獣と救世の勇者は本物じゃないかって言い出す奴が何人も出てきたんだ。だから、どうにかしなければと考えて、エクストーモさんに報告に来たんだ」

「分かった。エクストーモさんを呼んでくる」

「おう、頼む。ちょっと水を飲ませてくれ」


 一人がエクストーモを呼びに行くと、伝令に走ってきた男は撤去作業現場で働く人のために用意された水桶から器に水を汲み、飲んだ。

 周囲から冷ややかな目を向けられたロムドは、視線を避けるようにどこかへと去って行った。



 岩陰に頭を戻したリシアは、目を閉じて深呼吸する。

「一度戻りましょう。情報を集め状況を整理して対策を練ります」


 人々の視線がロムドや伝令の男に向けられている内に、リシアは反対方向へとそっと移動する。

 岩陰から岩陰へと走り、丘の裾野に作られた街道のバイパスへ降りると、ギデント街道の本道を駆け出す。

 すぐにディアンが追い風でリシアを押す。

 ラスピは軽やかな走りで並走する。

 新旧の街道が交わる辺りから、回復の森と呼ばれる、再生された森が始まる。


 リシアは、回復の森へと駆け込んだ。


 森には避難民キャンプが複数作られている。

 王宮に最も近い第一のキャンプは、石積み撤去作業に従事する者が優先的に暮らせる場所で、仮設住宅が建築中である。

 だがそれ以外の、第二第三のキャンプ地は天幕があればいい方で、大半は野宿生活であった。


 とにかく物資がないのだ。

 それらを作る道具もなかった。

 近隣の町から取り寄せるにも、輸送手段が失われている。


 このキャンプ地に比べれば、残され森に行った人の方が恵まれていた。

 何より優れているのは、精霊伯爵と彼を慕う精霊達によって森が守られている事だった。そのため強盗は近づけず、不心得者による犯罪行為も抑止される。最も安全な場所となっているのだ。


 そして、避難民達の活気に、最大の違いがあった。


 残され森に集まった人々は、すべきを悟り、各々が自発的に仕事を見付け、同じ目的に向かっているからである。何より、子供達の笑い声と遊び回る姿が見えるのが大きく違う。

 リシアが身につけているフード付きのマントも、公爵の屋敷の瓦礫の下から見付けた布と針や糸と鋏を使い、心得のある人が縫製してくれたものだった。


 対して、回復の森にいる人々は、消極的だった。

 食事の施しを受けてモッサに感謝しつつも、石積みの撤去作業に従事しようとしない人がかなりの数存在している。

 ただ、それなのに勧誘と啓蒙活動は、不調だった。


 避難民の協力者とトルプ達三騎士によって、自発的に判断できるようになるための情報を与えているのだが、大半の避難民の腰は重かった。


 避難民キャンプでは、モッサから供給されているという食料が配られ、何もしなくても飢えずに済むからである。

 多くの人々は、残され森へ行って本当に食事にありつけるのか疑心暗鬼になっているのだ。これまでに首都から逃れた人々は食料を求めてさ迷い、戻ってきてようやく食事にありつけた場所がこのキャンプ地だったからである。


 食糧があるというデマに踊らされて、何もない荒れ地に誘導されたという話も聞く。そこで強盗に遭い、食料や荷物を奪われたというのだ。加えて残され森では、狂気の精霊に襲われたという事実も噂として広まっている。

 それだけに、このキャンプ地での待遇を捨て、残され森へ行こうと考える人は少なかった。


 リシアはただ、それでいいと考えていた。


 一挙に残され森へ人々が集まれば、食料も居場所も足りなくなるのは明白だからである。

 避難場所がある程度分散していなければ、人々の生活は支えきれなくなる。

 モッサとその賛同者に頼る事になっても、食糧供給が十分になされているなら、避難民を助けるという観点においてありがたいからである。


 リシアは、回復の森に点在する避難民キャンプの中で、最も新しく最も首都中心部から遠い場所へと向かった。

 ざっと五〇キロ近い距離があるが、精霊の助力を得て走るリシアにとって、一時間程度で行ける近場であった。

 そこをリシア達は活動拠点としている。


 活動と言っても、首都に戻った人々に向けて、この先にモッサからの食糧供給があるが、残され森でも食料が手に入るらしいとの噂を流すだけである。

 強引に残され森へ連れて行く事はしない。

 あくまで、個々人の、あるいは家族毎の自主性に委ねている。


 拠点となるキャンプ地に近付くと、リシアは走る速度を緩めた。

 風の精霊の助力を受けているのを知られないためである。

 ここには、リシアの協力者以外の避難民もいるからだった。


 ただし、モッサによる食料提供も、ここまで離れると乏しかった。

 水は、ラスピが井戸を掘ってくれたので自由に飲めるが、食事は不足している。

 リシア達は食事の提供も考えたが、残され森から運ぶ輸送手段に困るため、断念したという事情もある。

 その代わり一画を開墾し、畑作りをしているが、その収穫は早くても数ヶ月先のことだった。


 キャンプ地に戻ったリシアは、歩きながら三騎士を探した。

 フードを深くかぶり黒髪と顔を隠しているが、この世界にはないトレッキングシューズを履いた足元と、腰に下げた剣の留め具が揺れる音は隠せなかった。

 加えて同じくフード付きのマントで姿を隠しているが、石の姿をしたラスピを護衛のように従えている。

 そんな異質な存在であるリシアだが、疲れ果て空腹に弱り、希望を失った多くの避難民の目には映っていなかった。


 リシアの姿に気付いたのは、フホ村の少女キュセだった。

 お下げ髪を左右に揺らして走ってくると、興奮に輝かせた目でリシアを見つめた。


「リシア様、見ましたか?」

「丘の上の光ですか?」

「はい。あれはきっと光の霊獣です。前に見たのと同じです。あんなふうに光って、風の騎士の精霊を追い払ったのを見ましたから」


 弾む声からもキュセが救世の勇者と光の霊獣の存在を確信しているのだと分かる。

 そして、まばゆい光は回復の森の奥までも届いていたのだ。


「やはり、本物ですか」

「そう思います。ですが、急に地面が黒い何かに覆われてしまったので、みんな怯えてしまったのです」

「影ですか。太陽がある世界でも、ドン・キホーテのように影を見て怯えますから、仕方ないかも知れません」


「けど、焚き火でも影は揺らぎますから、分かる人は、あれが光の霊獣だって信じてくれました。やっと、あたしたちが見たのが本当かもしれないって思ってくれたようです」

「残され森から来た人はそうでしょう」

「いいえ。最近ここに来た人の中にもいたんです。それで、残され森へ行くと決めてくれました。だからあたし、嬉しくて。やっとみんなが信じてくれるようになったんだって」



 リシアは立ち止まり、キュセのかわいらしい無垢な顔を見つめた。

 無邪気にはしゃぐ喜びに水を差したくないという想いを抱いたが、嘘を吐いてモッサのようになる訳にも行かなかったのだ。

 申し訳なさそうな表情をリシアは浮かべた。



「ですが、撤退したようです。まだ何かが足りないのでしょう」

「え? 嘘ですよね?」

「事実です。それより、三騎士は戻りましたか?」

「いいえ。探して参りましょうか」

「ありがとう、キュセさん。ですが――」

 不安と動揺から逃れるように走り出そうとするキュセの手を、リシアは掴んだ。

 少し荒れてかさついた手は、わずかに震えている。

 信じていた希望が砕けそうになり、不安になっているのだ。


「キュセさんに、お願いがあります」

「はい、何でしょう」

「残され森へ避難してください。ですが、なるべく大げさに」

「ここの人を見捨てるのですか?」

「逆です。全員を避難させようと働きかけて納得してもらうのは時間が掛かります。ですが、何も告げずに我先にとここから立ち去る人が増えれば、人々は不安に思うものです」


 そこかしこで荷物をまとめて人が移動を始めれば、この場所が危険だと感じ、群集心理によって大半が避難するようになるとリシアは考えたのだ。


「そうかもしれませんね」

「ですが、聞かれたら、正直に理由を伝えてください」

「ええと、万が一モッサが精霊王を解放した場合、精霊王が起こした風に吹き飛ばされるかもしれないと言えばいいんですね」

「そうです。賢いですね、キュセさんは」

「分かりました。みんなで分担して、なるべく慌てて逃げるようにします」

「頼みます」


 満面の笑顔で仲間の方へ走って行くキュセの後ろ姿を少し見送ってから、リシアはキャンプ地から森の奥へと入った。


 ここから残され森まで、およそ三〇キロ。

 徒歩でも今から向かえば、明るい内に着けるはずだった。

 その辺りは残され森でも王宮側に位置し、リシア達が逃げ込んだ場所になる。ディアンが支配権を得てラスピが拓いた場所だった。支配権は精霊伯爵に返したが、交渉の結果、そのエリアに避難民の仮住居を作ることで合意している。

 この一番遠いキャンプ地にいる人数は余裕で受け入れられる面積はある。


 他のキャンプ地の人々をどうするか考えながら、リシアは森の奥へと入った。



「ディアン、ラスピ、三騎士と相談したいのですが、探せますか?」

「リシア様、済みません。ボクは精を補給しないと行けません」

「オレもだ、リシア様。王宮に近づくほど黙っていても精が吸われる。更にあの撤去作業の現場は、また違う力で精が持って行かれそうになるから厄介だ」


「そうですか。やむを得ませんね。しばらく休憩しましょう。準備が出来たら言ってください」


 森の奥にある切株の上に腰を下ろし、リシアは目を閉じた。

 リシアには考えるべき事がいくつもあった。

 ルリを助けるための最善の道は何か、常に考え続けている。

 頭の中で様々なパターンを想定し、そして否定する。


 仮にモッサがガーディアンと呼ぶ守護精霊を倒したとしても、精霊王を逃がさないように囲んでいる、天高く聳える柱のような精の流れを越える事は出来ないというのだ。

 モッサを捕らえてルリを助け出す方法を聞き出すのも、為し得なかった。

 仮に捕らえたとしてもルリを助け出す方法を素直に話してくれるとは思えない人間性を知ったため、再挑戦にリシアは慎重だった。


 しかも、情報を知りたいリシア達にはモッサは殺せないという弱みがある一方で、モッサは民衆を使って王宮精紋の外縁を壊すだけで精霊王を解放できる。優位性は常にモッサの側にあった。

 それに、理屈で説き伏せられるような相手ではなく、死や苦痛と引き換えにするような拷問はすべきではなかった。結局の所、どのような手段であれ、モッサの言葉をそのまま受け取ることに、リシアは懐疑的にならざるを得なかった。


 一度話してリシアは確信した。

 煙に巻くように語るモッサは、間違いなく奇術師なのだ。

 発言から真偽を見抜く力がなければ、惑わされるだけなのだ。

 やはり、王宮精紋の破壊を阻止する事が、リシアに出来るルリを助けるためにすべき事の最大限であった。



「リシア様――」



 ディアンが耳元で囁く声に、リシアは目を開けた。

 すでに夜となっていた。

 上空を流れる天の川のような精流脈の仄かな光は、森の中には届かない。

 ぼんやりと二精霊の姿が見えるだけである。

 風の誘いに視線を向けたリシアは、遠くキャンプ地の焚き火が放つ光を背に、人影が近づいてくる姿に気付いた。

 ほどなく、草を踏みしめる足音とともに、トルプが姿を現した。



「リシア殿、こちらでしたか。探しましたぞ」

「私は目立ちますから。それとディアンとラスピの力をまた借りなければなりません」

「精霊にとって精の補充は重要です。ところで、避難民が減ったようですが――」

「キュセさんに、残され森へ退避するように言ったのです」

「その割には、残った者がいましたが」

「強制連行はできませんから」

「まあ確かに。ところで昼間の光ですが――」


「光の霊獣だというのは、事実ですか?」

「間違いないでしょう。民兵の者の話では、五人の女騎士と少年と光の霊獣を見たそうです。ですが、守護精霊に負けて逃げ去ったと」

「救世の勇者でもお嬢様を助け出せなのですね――」



 リシアは落胆に沈まないように、拳を固めて耐えた。

 代わりにリシアがルリを助けようにもその確実な方法が分からない以上、すべき事は変わらないのだ。



「ですがモッサは、より警戒を強めました。動揺する人々に、怪しげな術で光を生み出して見せ、光の霊獣の存在もまやかしだと説きに現場に現れたほどです」


「モッサは、救世の勇者を恐れているのですか」

「そのようです。その直後に、新たに守備隊を募っていました。おそらくウザラ新王陛下の前に作った人間の壁と同様に、次に丘へ向かう救世の勇者の目の前に立ち塞がって見せるのでしょう」


「やはり卑劣ですね」

「どうであれ、人を殺さないという欺瞞を振りかざすモーティス騎士団に対しては、極めて有効な壁となるのは事実です」


「風の王の動きはどうですか?」

「大きな動きはなかったようです」

「四日前から動かずにいるのが、トーマ君いえ、救世の勇者の到着を待っているのだと思っていたのですが」

「もしそうであれば、連動して動いていたはず。やはり人の壁を崩せずにいると見るべきでしょう。新王陛下は機を見定める才覚に乏しいのでしょう」



 ラトリア街道側では、モッサに従う人々は土塁を築き瓦礫を集めてバリケードが作られている。

 その守備は、風の騎士だった者達が指揮しているが、多くは首都で暮らしていた住民からなる民兵である。

 言うなれば、民衆を集めて並べた、人の壁だった。


 新王が強引に突破すれば、風の王は民集の命を軽視していると証明する結果になる。

 かといって攻撃せずに留まっているばかりでは、新王も危機に際して何もできない無能と証明されてしまう。

 いずれにせよ、風の王の立場は悪くなる。



「あの光を見るまで気付かなかったということはありませんか?」

「確かめたいところですが、新王陛下の真意が見えない以上、接触は避けるべきです。風の王が救世の勇者を殺したとの噂が、モッサの陰謀だという証拠もないのです」

「王に会うなら、天の騎士団の団長であるあなたは適任だと思うのですが」

「協定違反で侵入した私の立場では、余計な疑惑を招きます」

「私なら、どうでしょう」

「可能性はありますが、黒髪の魔女という噂をどう受け取っているかによっては、捕らえられるでしょう」


「ディアンとラスピの力があっても、逃げ出すのは無理ですか?」

「近衛騎士一人に契約精霊一体として、少なくとも八〇体の精霊を相手にすることになれば、無傷とはいかないでしょう」


 ディアンとラスピも否定はせず、リシアの考えに消極的な様子だった。


「お嬢様を助けるためならリスクも冒しますが、王の力が絶対に必要とも言えないのが歯がゆいですね」

「とある筋からの情報では、ユビキシュ家の者が新王に従っているそうです。目的が王宮精紋を機能させて精霊王を天の循環に返す事にあるとすれば、今日動かなかった理由にもなります」

「それでお嬢様を助けられるのですか?」


「いえ。恐らく精霊王と共に消滅させられるでしょう」

「では、私の敵になりますか――」

「そう考えておくべきでしょう。しかし私に契約精霊がいないのが痛い。せめてあのカチェリを失わずにいれば精霊伯爵と契約できたでしょうから、なんとも悔やまれる結果に忸怩たる想いです」


「ですが、精霊伯爵の力を借りたとして、何ができます?」


「無能と名高いウザラ新王陛下ならば、人質にしてユビキシュ家の動きを封じられます。最悪でも仕留めれば、ユビキシュ家の動きを遅らせる事は出来ましょう」

「暗殺を考えるとは物騒ですが、それならモッサの暗殺を考えてはどうです?」

「玉砕覚悟というのでは、作戦にはならないのです」


 勝てる見込みがないと見ればためらう。

 それがトルプという人物だった。

 どちらかといえば平時の将であり、非常時には凡庸以下になる気質の持ち主なのだ。

 しかも、考えが浅いから安易な結論を掴んでしまうのである。



「トルプ・ランプシ!」

「はい」

「人を殺してまで為すという考えは捨てましょう」

「モーティス騎士団のような世迷い言をリシア殿も口にされるとは、失望しました」


「その人達の思想は知りませんが、残され森に来た避難民の方々と話していて私は気付いたのです」

「どのような事を?」

「民意を得るには、嘘偽りで塗り固めて煽動するのが楽だと」

「その通り。感情をくすぐり怒りを呼び起こし、その矛先を向けさせるのが手っ取り早い」


「分かっているではありませんか、モッサのやり口を」


「当然です」

「だからこそ、そのような手段を用いるモッサに対抗するのです」

「は?」

「嘘偽りのない真実を語り、人を徒に犠牲にしない。それがモッサへの最適な対抗手段です」

「リシア殿、しかしそれでは――」


「モッサを信じる者達にとって、モッサの死は闇です。心に闇を生み、モッサが生きていれば理想を実現できたと信じる心がいずれ別の争乱を招くでしょう」


「しかしながら、愚かな民衆の暴挙には、力を示さねば制圧できません。森に現れた連中も、リシア殿が精霊の力を示したからこそ、大人しく対話に応じたのをお忘れですか?」


「覚えていますし、衝動に駆られた言動を鎮めるために力が有効なのは認めます」


「でしたら、無謀な試みは止めるべきです」

「いいえ違います。あなたの言うようなモーティス騎士団と行動を共にしているなら、救世の勇者も人を殺す道は避けるでしょう。目指す道が同じなら、それに倣うべきです」

「難儀な事をおっしゃる」


「お嬢様を助け出す力を持たない私には、救世の勇者を側面から支えるのが最善の道なのです」


 咄嗟に口にした自分の発言に驚きながらも、リシアはすぐに納得した。

 話している間に迷いは消え去り、ルリを助けるための明確で最善の道筋が見えたからである。リシアにとって成しうるのは、王宮精紋破壊の阻止だけだった。


 結論は変わらないが、目的に向かう心の向きが変わったのだ。

 受動的に代替手段として行うしかないという心境から、能動的に救世の勇者の成功率を上げるために行うという心境の変化である。



「どうやら、固い決意のようですね。ならば我々は、リシア殿に従いましょう。そう約束しておりますので」

「感謝します」

「それで、具体的にはどうなさるおつもりで?」


 リシアはトルプの目を見た。

 暗がりの中でよく見えないが、懐疑的な雰囲気をリシアは感じていた。

 納得したと見せて、具体論を問うて実現可能性を理由に翻意を促そうというトルプの腹の内が、漏れ出ているのだ。



「せめて救世の勇者と連携できればいいのですが」

「救世の勇者がどこへ逃げたか分からないのが現実。加えて風の王が来てからは、モッサに寝返った風の騎士どもが夜通し警邏するようになり、我らの動きもままならず。探すのは無理でしょう」



 リシアはため息を吐き、額に手を当てた。

 ネガティブな意見にはうんざりしたのだ。

 トルプを気休めの相談相手にするのも、リシアにとっては避けたいと思うようになっていた。

 そんなリシアを慰めるように、ディアンが頬を風で撫でながら宿玉から姿を現した。



「リシア様、ボクが探してきます」

「ディアン、できるのですか?」

「サーリがいるなら、大丈夫です」

「サーリ?」

「モーティス騎士団を自称する、天の騎士第七護衛騎士隊の隊長、サーリ・フォルネのことです」

 苦々しげにトルプが言った。


「ああ、その人達ですか」

「相手がサーリ・フォルネなら、私が出向くよりはディアン殿がいいでしょう」

「では、頼みます」

「お任せくださいリシア様。じゃあ、ラスピ、ボクが留守の間はリシア様を頼むからな」

「ああ、任された。安心しろ」


 ディアンが風となって飛んでいくと、地中に隠れていたラスピが、土を纏った人の姿となってリシアの隣に現れた。

 邪魔者扱いされるようにラスピに追い払われたトルプは、飛び去ったディアンが揺らした木々の枝を見上げていた。


「リシア殿、つかぬことを伺いますが、ディアン殿には宿玉を与えているのでしょうか?」

「いいえ。私が持っています。お嬢様を助け出したらあげる約束ですから」

「なるほど、やはりそうですか」


 唾棄するようにトルプは言葉を吐き出した。

 深刻そうな表情を見せたまま、トルプは考え込む素振りを見せるのだった。


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