8-05 挑発と暗黒の突風
境界の園にモッサが現れた。
風の精霊と共に聖剣の祠へと素早く向かっていく。
想定外の事実に、ユートは何も出来ずに立ち尽くしていた。
『モッサが上に行きました。守人を――』
唐突にプロソデアの声がユートの耳に届いた。
ディミが伝えてくれたのだ。
「なんでモッサが?」
「あの者が今回の元凶ですか?」
「そうだ――やばっ!」
園の草花が激しく揺れる波が速い。
すさまじい風が稜線から吹き上がってくる。
境界の園に登るためにモッサが巻き起こした暴風の余波である。
無数の小石を巻き込み散弾のように放ち、地面を吹き飛ばして迫り来る。
ユートは守人の肩に手を掛けると、引き倒すようにくるりと背を向けさせながら、頭を抑えて屈ませる。
守人は従順だった。
王女だったからこそ、護られ方を知っているのだ。
守人の頭を手で押さえ低い姿勢を保たせたユートは、背に覆い被さるようにして身を盾にする。
バラバラと小石が縁を砕き、空へと吹き抜ける。
砂塵の雨を背に受けてもユートは痛みに耐える。
守人を護らなければいけない使命がユートにはあるからだった。
暴風が吹き抜けた後の吹き戻しの風が吹き去り、ユートは振り向きながら状況を確かめた。
「大丈夫か?」
「お陰様で。ですが――」
「モッサが聖剣を奪いに来たらしい」
「そのようなことは、させません」
腕の中からすり抜けるようにして守人が立ち上がる。
駆け出そうとする彼女の腕を、ユートは掴んだ。
「君は精霊を使えるのか?」
「わたくしは聖剣の守人です」
「フラグミに守られる人という意味だと言ったのは君だ」
「ですが!」
「モッサは精霊王の分霊を使うんだぞ」
「それでも――」
「プロソデア、今どうなってる?」
ユートはディミに声を届けるよう念じる。
『私はフラグミを抑えるので手一杯です。守人はご無事ですか』
「大丈夫だ心配ない」
「ユート殿?」
守人が怪訝そうな顔をしている。
ディミが伝えてくれるプロソデアの声は、守人には聞こえない。
ただ、プロソデアに借りがあるユートには、守人を護らなければならない義務もある。
「大丈夫。モッサは聖剣を奪えない」
「本当ですか?」
「モッサは俺が作るガンピシを欲しがっているからな」
だから、聖剣を持ち運べるような技術は持っていないはずだと、ユートは自分に言い聞かせていた。
「あの者は祠の扉を開きました。扉を守る精霊は、わたくしの指示にしか従わないはずなのですよ」
「今から戻っても間に合わない」
「そうだとしても、何もせずに傍観出来ません!」
「だったら俺が行く。君よりは時間が稼げるだろう」
「ユート殿には、精霊王の分霊と戦う力があると言うのですか?」
「モッサが俺のガンピシを作る技術を手に入れるまでは、殺されないさ」
「ユート殿が連れ去られたら、聖剣の鞘と柄は誰が作るのです?」
「君とプロソデアなら出来る。ガンピシの作り方は教えた」
「すぐには出来ません。ユート殿に何かあれば、世界は終わりです」
「俺はそんなに重要人物じゃない」
「重要です。プロソデア様にとって大切な人です」
「君が無事なら問題ない」
「わたくしの代わりなど――」
「誰にも務まらない」
「ユート殿もそうです!」
気迫に押されたユートは反論できずに黙り込むが、守人の腕を握る手は放さなかった。
ふっと、守人が腕を振り払おうとする力が抜けた。
「――もう平気です。どうやらモッサは聖剣を持たずに祠から出ました」
守人は安堵の息を吐いた。
ユートもほっとした時だった。
ごうっと唸る風の音がしたと思うと、尾根の縁の向こう側に、精霊を踏み台として空中に立つモッサが現れたのだ。
精霊とは違うが、精霊に匹敵するほどの精を全身に漲らせている。
異質な存在に見えたが、ユートは守人を背後に隠すように前に進み出た。
「ガガン・モッサ、やはりお前か」
「まさかこのような場所で再会できるとは、驚きましたよ。ユート・クマ」
「俺は再会を望んでなかったんだが」
「妙ですね。あの少女を助けるために我を追い掛けて、タタ・クレユまでいらしたのではないのでしょうか?」
「もしそうなら、ここでお前を倒せば全てが片づくのかな?」
「さあ、どうでしょう」
ユートはモッサの、サングラスに隠された目を見た。
奇術師と自称するこの男は、常に虚実の狭間を生きている。
事実を嘘にし、虚構を真実に塗り替える。
それでいて常に虚実の境界線上に片足を残している。
真実の欠片で人を招き、騙すからである。
逆に言えば、言葉の奥底には本音が隠れているのだ。
加えて洞察すれば、ガンピシを造る技術を手に入れる事だけを目的とするなら、今起きている事態は大事過ぎる。
違和感となるその要素を割り引けば、真実が見えてくるのだ。
「つまり、お前も制御できない状況というわけか」
「本当に、嫌な方ですねえ、あなたは」
「お前ほどじゃない」
声に嫌悪を響かせたモッサに、ユートは得意げに笑みを向けた。
推察が当たったと知ったからである。
「で、何しに来たんだ? お前はてっきり精霊王の陰に隠れ、権威を利用して威張るような奴だと思っていたが」
「我を臆病者のように言うのはおやめなさい」
「非常時に大将が留守にしてもいいのかと、思っただけだ」
「問題ありませんよ。風の王宮には、我がガーディアンを精霊王の護衛に用意してきましたから、誰も近づけはしないのです」
「精霊王の分霊じゃないのか?」
「似たようなモノです。精霊は皆繋がっていますから」
「どういう意味だ?」
「メイド服の女と天の騎士崩れは、片付けたという意味ですよ」
「殺したのか?」
反射的に問いかけて、ユートは拳を握り締めた。
動揺を誘うモッサの心理戦と気付いたのだ。
乗ってはいけない迷霧への誘いであった。
「死んだかもしれませんがね」
「そんな事より、そもそもお前は何がしたいんだ?」
「そんな事とは、冷淡ですねえ」
「お前は親切なのか?」
「その通りですから、教えましょう。我が目指すのは世界平和です」
「それが本気なら誰かの命を犠牲にするなよ」
ユートはモッサを睨みつける。
サングラスの奥にある目は見えず、ただ冷酷な笑みを浮かべている。
だが、唐突にモッサの表情が強ばった。
凍り付いたように固くなり、先程までの余裕を失ったように、顔が左右に振り向けられる。
ユートはモッサの前に立ったまま動いていないのに、モッサには見えていないようであった。
「おや? どこへ行ったのです? ユート・クマ」
「モッサ、お前は何を探している?」
「どういうことです。闇から声が。まさか――」
うろたえ逃れるように上体を仰け反らせると、その感情に引き摺られるように、モッサを乗せたまま風の精霊が稜線から離れていく。
「ど、どこです? ユート・クマ」
口を開き掛けたユートの前に守人が手をかざし、制した。
「立ち去りなさい」
威厳に満ちた守人の声が、周囲の精を震わせた。
境界の淵の向こう、闇の奥から唐突に沸き起こった猛烈な風が、モッサへと襲いかかる。
ユートと守人を避けて吹き抜けていく風に、モッサとその精霊は吹き飛ばされた。
その圧倒的な力を見たユートが、驚いたように守人を振り返った。
「君は精霊を使えないんじゃなかったのか」
「はい、使えません。ですが強い意志を放てば、周囲の精が反応して強風が起こるのです。ただ、今のはあの者が自らの意志で飛び去ったというのが正しいでしょう」
「一体何を怯えていたんだろうな、奴は」
「ユート殿を包む闇を恐れたのでしょう」
「闇?」
「あの者は、光が見えない目の代わりに、人や物が放つ精を見ているのでしょう」
「俺からも放たれる精? 赤外線か? それが消えたと?」
ユートは自分の体を見た。
前進がぼんやりとしたぼんやりとした影に包まれている。
闇の精霊である。
「カクレか? そうか。出てきてくれたのか。ありがとな」
ユートの言葉を受けると闇の精霊は、照れてはにかみながら隠れる子供のように、すぐに姿を消した。
「その子は、わたくしを警戒しているのでしょう」
「俺に似て、恥ずかしがり屋で人見知りするらしい」
「そのようですね」
守人は微笑みをすぐに消し、縁に立ち下方を覗いた。
まだフラグミに起きた異変は収まっていないのだ。
「降りよう。下の状況を確かめないと」
「そうですね」
ユートは守人をエスコートするように、石段を下りた。
境界の園で丸池の畔を巡っていると、守人は立ち止まり、安堵の笑みを浮かべた。
「プロソデア様のお陰で、フラグミが自我を取り戻しました」
「なら、一安心だな。だが――」
ユートはモッサが逃げ去った方を見つめた。
「どうかなさいましたか?」
「モッサにこちらの状況を知られた」
守人を包むように風がそよいだ。
聖剣の祠に宿る精霊がやってきたのだ。
耳元で風が囁くと、守人はハッと息を飲んで立ち止まった。
「ゾネイア博士が亡くなられたようです」
「そうか――」
複雑な表情を見せたユートの言葉は、続かなかった。
風の祭殿の地下迷宮での出来事だけが、ユートとゾネイアの接点である。
謀られ転移紋によってゾネイアが抜け出せずにいた反対側の精紋に閉じ込められたユートであったが、それによって祭殿紋の修理を行う結果がもたらされたのだ。
そしてゾネイアが外に出たからこそ、トーマを境界の淵まで導く案内役になってくれたのである。
ゾネイアは善良とはほど遠く、利己的で排他的で、独善であり妬み深い意固地な老人であったが、行いの結果はユートにとって有益であった。
ユートはただその死に、黙祷を捧げた。




