7-10 地下からの道筋
光が遮られた。
天地がひっくり返えされたようだった。
せり上がった地面が頭上で合わさり、巨大な蓋となってのしかかり、落ちてくる。
闇に飲み込まれながらリシアは落下していた。
強ばる表情のリシアを風が抱擁し、落下速度を緩めた。
安堵の息を吐きリシアが剣を鞘に収めると、地に響く声に導かれ、地面に開いた空洞へと降下する。
闇に支配される中、リシアの足が地面に触れた。
その直後、裏返った地面が蓋となって頭上に落ち、ズシンと響き渡り闇が震えた。
闇の中、二精霊の姿だけが仄かに光って見える。
「リシア様、ご無事ですか?」
「ええ。ですが暗くて何も見えません。ここは――」
「オレが作った地下室のひとつに導いたのだ」
「とにかく助かりました。ディアン、ラスピ、ありがとう」
「なんの、容易きこと」
「どういたしましてリシア様。ですが、ボクはここまでです」
仄かに光を発するディアンの姿が掠れるように姿を消した。
リシアはスカートのポケットに上から手を乗せ、その膨らみと温かみを感じる。
ディアンが宿玉に入ったからである。
リシアは背負っていたバックパックを降ろし、手探りで懐中電灯を取り出し、スイッチを入れた。
暗黒が遠退き、光の輪の中に石を纏う人の姿を捉える。
「やはり、風だな。オレは姿を保っていられるぞ」
「自慢するくらいなら、すぐにリシア様をここから出して見せろ」
ポケットの奥からディアンの声が聞こえた。
「うぬぬぬ。出来ぬと知っていて言うとは、卑怯な風め!」
「ラスピ、何が起きたのです?」
「封精結界の中に閉じ込められた」
「封精石をモッサに利用されたのですか」
「そうだ。精が通らないから、オレの力でも地下から出られない」
「ほら、役立たずはボクと変わらない」
「姿を保てないひ弱な風のくせに」
封精結界の中の精霊は、水槽に入れられた魚のような状態である。
外部との繋がりが断たれ新鮮な精を取り込めなくなる。
常に精を消費し続ける精霊にとって、死を待つばかりの密閉空間となったのだ。
ただ、それは地中に閉じ込められたリシアも同じで、いずれ空気中の酸素も尽きることになる。
「言い争いは止めなさい。お互いに個性があるからこそ、適材適所で活躍すればいいのです」
「リシア様の言う通りだぞ、ラスピ」
「ぐぬぬぬ。反論できぬ」
「まずは相手の主張を認めるのです。それにラスピも力を温存したらどうです?」
「リシア様がそう言うなら」
ラスピの体からバラバラと石が崩れ落ちる。
懐中電灯の丸い光に照らされる中、無数の石の破片が地面に落ち、代わりにラスピは土を纏い、埴輪のような姿になった。
「かわいらしくなりましたね、ラスピ」
「褒め言葉のようだが、何やらこそばゆいぞ」
「たぶん照れでしょう」
「そうかこれが照れというのか。このように人間と契約するのは良き糧となるものなのか」
「それより、トルプ達三騎士はどうなりました?」
「同じく結界の中だろう。押しつぶされていなければいいがな」
「無事だと信じましょう。モッサは血の穢れを嫌ったようですから」
「そのようだな」
「まずは、三騎士と合流しましょう。穴を掘れますか、ラスピ?」
「結界の内側ならば――」
ラスピは拳で壁を叩いた。
数カ所で同じ作業を繰り返す。
地中を伝わる振動の反響によって地下の構造を探ったのだ。
「オレが作った向こう側の地下室にいるようだ」
ラスピは壁の石積みを崩すと、土を掘り始める。
手をショベルのようにして穴を掘り、出た土を地下室の後端に運び押し固めて進む。
掘り進んだ分だけ、残土によってこれまでの空間が埋められていく。
手間が掛かる作業であり、穴掘りははかどらない。
しかも外から精を補えないので、言うなれば省エネモードでラスピは活動している。通常よりも力は弱く、動作も遅かった。
それでも、リシアが手伝うよりは早いのである。
邪魔にならないようにリシアは壁際に立ち、懐中電灯を消した。
暗闇の中でも周囲が見える精霊には明かりは必要なく、予備がない電池を温存するためである。
目を閉じているのと変わらなかった。
リシアは暗闇の恐怖に耐えながら、ラスピの指示に従って立ち位置を変え、少しずつ進んでいく。
リズミカルに土を掘る音が響き、土の匂いが漂った。
長い時間が経った。
掘る音が変わり、ラスピの手が石に当たったのだと分かる。
「リシア様、着いたぞ」
「ありがとう。ラスピ。みんな無事だといいですが」
リシアは懐中電灯のスイッチを入れる。
ラスピの声が聞こえた方を照らすと、人が出入りできる範囲の土が除去されており、石積みの壁が見える。
光の輪を少し下げると、そこに膝上くらいにまで背の縮んだラスピの姿があった。
穴掘り作業で消耗した分だけ、体を構成する精を失ったのだ。
「開けるが、いいかな?」
「お願いします」
リシアはちらと懐中時計を見て、半日が経ったのを知った。
ラスピが壁の石積みをひとつ外し、頭半分くらいの穴を開いた。
一瞬、異様な匂いが漂うが、すぐにディアンが異臭を遠ざける。
リシアは感謝しながら、光を穴へと向けた。
「騎士の方々、生きていますか?」
「リシア殿?」
トルプの声と共に、残る二人の安堵の声が漏れ聞こえた。
すぐに立ち上がる物音がして、穴の向こうにトルプの顔が見えた。
眩しそうに目を細めたので、リシアは懐中電灯の向きを逸らした。
「おお、正しくリシア殿。ご無事で何よりです」
「あなた方三人も無事のようで――」
「運良くラスピ殿が作られた地下室に落ちたからです」
「おそらくモッサがそうしたのでしょう」
「やはり策が漏れていましたか」
「隊長、やはり奴らが裏切ったのでしょう」
「奴らとは、誰です?」
「避難民です。世界を救うためと言ったら、石運びを手伝ってくれたのですが――」
「所詮は風の種族ですな。強く吹く風に靡き自分の考えを持たない」
「ロティタ、それは言い過ぎだ。私の妻はしかっりとした意見を持っている」
「二人ともよせ。憶測に過ぎぬ。糧を得ねば生きていけぬのだ。食事を与えてくれるモッサの言葉なら、信じてしまうだろう」
「私も、モッサの力を甘く見ていたようです。人の心を支配するのも力ですから」
「いずれにせよ、己の策の甘さに恥じ入るばかりです」
目を伏せるトルプを、リシアは真っ直ぐに見据える。
「ですが、まだ終わっていません」
「その通りです。ところで、リシア殿が手にしているその光る道具ですが、ノイ・クレユの物ですか?」
「そうですが、なにか?」
「封精結界の中でも光るとは、すばらしい道具です。準備万端備えているとは、流石はリシア殿です」
「いいえ、違います――」
「ご謙遜を」
「そうではありません」
会話を遮るように、リシアが懐中電灯の光をトルプに向けた。
トルプは眩しそうに目を細め、手で影を作った。
少しだけ感じた苛立ちを、嫌がらせによって晴らしたのだ。
バックパックを持たせてくれたのも、中身を準備してくれたのも、あの男だった。
その功績を奪うつもりはない。
かといって感謝する気持ちを抱くほど素直にはなれず、あの男のお陰だと言いたくもなかったのだ。
「それより、ここから脱出する方法を知っていますか」
「待つこと、でしょう」
「何を待つのです?」
「大地の精を揺り動かすような脈動が再び起きる瞬間です。あれが起きれば、封精結界の機能が失われます。ラスピ殿ならばその機を逃さず、地上までの道を開けましょう」
「あれは精の断絶だ。また起きるとは思えん」
「いやいやラスピ殿。モッサは脈動が起きると知っていたのです」
「なぜそう言い切れる」
「脈動が起きて封精の罠を破れると知っていたからこそ、封精の罠に掛かって見せ、我らを誘い出し一網打尽にしようとしたのです」
「モッサが私達を捕らえるために囮になったのはおそらく確かでしょうが、知っていたとは思えません。それよりラスピ、仮にその精の断絶があれば出られるのですか?」
「無理だな。仮に起きたとして、あの一瞬でこの深さから地表まで道を造るには、オレの精が足りんぞ」
「ならば手詰まりです。リシア殿を助けると誓いながら、助けられずに終わるとは、面目もない」
「あなた方は何もせずに、諦めていたのですか?」
「体力を温存しつつ、ラスピ殿が来るのを待っていたのです」
「封精結界は人間には効果がないのでは?」
「その通りですが、それが何か?」
「自分の手で穴を掘ろうとは思わなかったのですか?」
「道具がありません」
「剣を使えばいいでしょう」
「剣とは騎士の命です、リシア殿。土を掘るために使ったとはあっては、騎士の名折れとなります」
「隊長の言う通りです。しかも、剣で穴を掘れば刃は欠け、あるいは剣が折れるかもしれない」
「セバステの言う通り。仮に脱出してもモッサと戦う際に刃こぼれや折れた剣を抜くようでは、裸で出歩く以上の恥辱ですからな」
「本末転倒ね」
「違います。騎士としての生き様、心構えです」
「いいえ、恥の隠蔽に過ぎません。何もせずにただ地下に埋もれたまま死ぬなど」
「恥をさらしてまで生き延びては、騎士のメンツが立ちません」
「騎士は廃業したのでは?」
リシアは露骨にため息を吐いた。
二人が会話している間も、ラスピは石積みを崩して穴を開けているのだが、中の三人は手伝う素振りもない。
土木作業は騎士の職務ではないという態度であった。
無自覚なのだろうが、三騎士の主眼は、騎士である自分に陶酔することだった。
トルプは、命を懸けると口にした。
その結果がこれである。
口先だけの上辺の言葉だと判明したのだ。
リシアはそういう男が嫌いだった。
目的を達成し使命を遂行するのに、体面は必要ない。
リシアの目的は変わらない。
ルリを助ける。
そのためにはまず、この地下から脱出しなければならない。
だがその先も、リシア一人では為し得ない難題ばかりである。
頼もしい味方ではなかったと分かった三騎士であっても、ルリを助けるためには、役に立ってもらわなければならなかった。
導くのか鼓舞するのか叱咤激励するのか、状況に応じて臨機応変に対処するようになるが、見捨てて切り捨ててはいけないとリシアは自分に言い聞かせる。
孤立無援になる道は避けなければならない。
適材適所と二精霊に言ったように、三騎士の力が必要になる場面は必ずある。
少なくとも封精の罠を作ってモッサを捕らえるという策は、三騎士がいなければ思いつかなかったのは紛れもない事実である。
かといって、やる気を失った人に自発的行動を求めるのは無駄だというのも、リシアは分かっていた。
「ラスピ、どうにか脱出する方法はありませんか」
「オレだけならば、すぐに出られる。風には無理だろうがな」
「いちいち押しつけがましいぞ、ラスピ」
「そう言うならば風よ、この地下をすり抜けて地上へと吹き抜けてみせろ」
「リシア様の言葉を忘れたのか。それならラスピは、ボクより速く飛べるのか?」
「軽々しく論点を変えるとは、やはり風だ」
「二人とも、言い争いはそこまでにしなさい」
「すまないリシア様。だがオレには封精の綻びが分かったのだ」
「綻びとは、隙間ですか?」
「おそらく封精石の配置にずれがあるのだろう。内と外との間に僅かな精の繋がりがある」
「その繋がりを伝って出て外に出れば、この罠を壊せますか?」
「それは難しい。だが、精を溜める良き物があれば、外からそれに精を流し込んで蓄え、一気に精を解放し炸裂させ、封精結界を内から壊せるはずだ」
「では宿玉があればいいかな?」
声に振り向いたリシアは、懐中電灯の光の中、トルプが琥珀色の宝石を指先で持っているのを見た。
「隊長それはフィステの――」
「それを失えば、この先力のある精霊と出会っても契約できなくなります」
「セバステ、ロティタ、ここから脱出しなければ始まらぬのだ――」
トルプは二人の部下へと巡らせた視線を、リシアで止めた。
「――そういうことですな、リシア殿」
リシアは沈黙のままうなずく。
因習に凝り固まった思考に囚われているが、それでも部下の二人に比べると、トルプは少しだけ柔軟さを残していたのだ。
小さなラスピが進み出ると、トルプの手から宿玉を受け取った。
「いいカチェリだが、装飾品だな」
「ダメですかな?」
「いや、むしろ都合がいい。壊してもさほど惜しくはないからな」
「未使用のカチェリは、高価で希少品なのですが」
「まあ天の種族ならばそうか」
「引っかかる言い方をされる」
「オレは好かんのさ。柔くて溶ける」
「地の精霊がカチェリを好まないのは、それが理由でしたか」
「天の種族はカチェリを至高の宿玉と勘違いしているのだ」
ラスピは体の向きを転じると、リシアを見上げた。
「リシア様、オレと初めて会った時に使った鉄針、まだあるかな?」
「ありますが、どうするのです?」
「精を通しやすいと感じた」
「どう使うのです?」
リシアはスカートのポケットに右手を入れると、シークレットファスナーを開けてガーターベルトに差し込んである鉄針を一本抜き、差し出した。
「これを、カチェリと結ぶ導線にする」
ラスピは受け取った鉄針を無造作にカチェリに突き刺した。
鉄針とカチェリは、解け合って同化するように一体化する。
次いで、鉄針をまるで水飴のように引き延ばして針金にした。
「リシア様、あの紙を一枚もらえるかな。この導線が結界に触れると精が漏れるようだ」
リシアがバックパックから残りのガンピシを取り出して渡した。
受け取ったラスピは丸めて絶縁テープのように針金の一部に巻いていく。
「いいようだ。それで、脱出したらどうする?」
「残され森に行き、体勢を立て直しましょう」
「リシア殿、しかしあの森は狂気の精霊が――」
「もし逃げ込めたなら、むしろ追撃を阻む役に立つでしょう。それに、二人が失った精を回復させるにも都合がいいかと」
「了解だ、リシア様」
「それならば我らも異存はない」
三騎士がそれぞれ賛同の意を示した。
「では行ってくる」
「そう言って逃げるなよ、ラスピ」
「大地に誓って成し遂げると約束しよう」
「ディアン、あんたは疑いすぎです。ラスピ、私は信じています」
「リシア様、感謝する。故に風よ、お前は崩れ落ちる天井からリシア様を守るのだぞ」
「当然だ」
「出口は森に向かって開く。出たら真っ直ぐ進むように」
ラスピが壁際まで進むと、手を伸ばし天井の角に宿玉を埋め込む。
その宿玉から伸びる針金にした鉄針を丸めて束にして左手に持ったまま、右手で壁に触れる。
ラスピの指先が細い糸のように解れると、針金に螺旋となって巻き付きながら、石積みの隙間へと入ってく。
針金が伸びて行くにつれ、ラスピの体が小さくなる。
しばらくして、ラスピの体となっていた土が崩れ、床に小さな山となった。
ラスピの姿は消えていた。
変化のない平坦な時間が過ぎていく。
ラスピがどうしているのか知る術はなく、ただ信じて待つだけの時間だった。
リシアはラスピを信じていたが、時間の経過と共に、三騎士が苛立ちを雰囲気に表し始めた。
むしろ、言葉の上では疑っていたディアンは、平穏な精の波動を保っている。
三騎士は時間が掛かりすぎると焦っているようだが、リシアは時間が掛かるだろうと初めから予想していたのだ。
鉄針を伸ばした針金は、細すぎるからである。
精が電気で宿玉を電池に例えるなら、針金は電線になる。
細い電線では大量の電気を流せないため充電に時間が掛かるが、それと同じようなものだと考えていたからである。
「リシア様、騎士殿、脱出の準備を」
三騎士が苛立ちを体で示し始めた頃、ディアンの声が沈黙を破った。
リシアは懐中電灯を消してバックパックを背負い脱出の瞬間に備えると、慌てたように三騎士が腰を浮かせた。
ぼんやりと、天井の角に埋め込まれた宿玉が光っている。
その光はゆっくりと、しかし確実に光を増していく。
ビシッと亀裂が入る音がした次の瞬間、宿玉が弾けた。
瞬くような閃光は闇に消え、轟音と共に外へと向かう圧力に押された。
地面が揺れ、天井が崩れ落ちる。
瞬時にディアンは温存していた精を解き放ち、人の姿となってリシアの腰を抱え、風を生み三騎士の背を押した。
リシアはディアンに支えられながら崩れる土砂を駆け登り、そして強烈な風に押されて飛んだ。
ディアンが前を遮る土砂を突風で吹き飛ばす。
渦巻く風によって土煙が払われ、光の道が現れる。
リシア達は、風と共に一気に外に出た。
この時の三騎士の反応は、流石精鋭部隊に所属していると納得できるものだった。
ディアンの助力を得たリシアにほとんど遅れずに追従している。
リシア達は、飛び出した勢いのまま走った。
前方、およそ三〇キロ先に残され森が見える。
森はまだ遠い。その手前で、ラスピが手招く姿が見えた。
乗ってきたメノスの姿を探したリシアは、左右に散らばる瓦礫の向こう側から叫ぶ声を聞いた。
「逃げたぞ!」
モッサを信じて従う避難民達だった。
瓦礫の陰から数十の人影が姿を現した。
彼等は手に槍や棒を持ち、走り出てリシア達を追い掛ける。
「ディアン! ラスピ!」
リシアの意志に応じ、消耗が激しい中、ラスピが砂を集めディアンが風を起こした。
砂塵が民集へと襲いかかり、包囲しようとする足を留めた。
その隙に、リシア達は駆け抜け、森へと向かう。
風が止むとリシア達の後を民集が追い掛け始めたが、その速度に付いていけなかった。
追い風の助力を受けているリシア達との違いである。
追っ手は次第にまばらになり、ほどなくして、いなくなった。
「リシア様、あそこへ」
残され森に近づくと、先頭を走る小さなラスピが一方を指さした。
その辺りの森は、輪郭がぼやけている。
森と荒れ地の境界を越えて、草が生えているのだ。
外周を囲む封精結界の隙間を示す現象である。
三騎士が封精の罠を作るために封精石を掘り出して運び出した事で結界が弱まっていたのもあるだろうが、精の断絶が引き起こした謎の脈動によって、劣化した封精石が壊れたようであった。
地面が内側から爆ぜた痕跡があった。
森に逃げ込めるとリシア達は安堵した。
振り返ったリシアは、三騎士が遅れているのに気付いた。
ディアンの力が、三騎士にまで及ばないほどに弱っているのだ。
だがもう追っ手の姿は見えない。
二〇キロ以上走り続けた疲労と気の緩みから走る速度が落ちる。
そんな頃合いだった。
不意に森の陰から雄叫びが聞こえた。
森の陰から武器を手に飛び出す人影があった。
モッサに従う民集が、待ち伏せていたのだ。
瞬間、鼓動が高鳴り、焦り、動揺し、呼吸が乱れる。
急にリシアは疲労を感じ、速度を上げようとしてむしろ足は遅くなった。
森に入るには、外周を覆う茨と蔦の壁を開かなくてはならない。
その作業に戸惑っている間に待ち伏せの民衆に迫られ、背後から襲撃されると予想し、リシアは恐れた。
そこに、三騎士が追いついた。
「我らが壁となり奴らを防ぐ間に、リシア殿は藪を斬り開いて森の奥へ」
「トルプ殿、その必要はありません。ボクが茨の藪を開きます」
「そしてオレが壁で防ぐ。皆早く行け!」
先頭を走っていたラスピが脇に避け、先へ行くよう促す。
すぐさまディアンが先頭を吹き抜け、封精結界の綻びから藪と蔦の壁へと入っていく。
その直後、見えない風船が膨らむように壁に穴が開いた。
だが、茨の道は低く狭い。
人を拒む森の力が強いのもあるが、ディアンの力がそれだけ弱まっているのだ。
その穴を見るや、三騎士は素早く隊列を変え、リシアを先頭に縦列になった。
リシアは気力を振り絞り、低く腰を落として上半身を前に倒した格好で、茨の道へと駆け込んだ。
三騎士も次々と茨の道へと入る。
最後尾のラスピは右腕を形作る精を使い、土壁を作った。
眼前に迫る民衆による槍の突進を防ぐと、ラスピも茨の道へと入った。
その直後、土壁が崩れた。
怒り狂ったように怒号を放ちながら、民集が茨の道に殺到する。
その追っ手が茨の道に入る直前に、ディアンが穴を閉じ、追撃を遮ったのだ。追っ手は茨の壁の向こうから槍を突き入れるが、ラスピには届かなかった。
腰をかがめたまま茨の道を走るリシアの足は、蓄積された疲労によってがたついていた。
地面から突き出た根に足を取られてよろめき、転びそうになる。
辛うじてリシアは踏ん張って耐え、茨の道を駆け抜けた。
すぐに止まると後続に追突されて危ないため、リシアはゆっくりと上体を起こしながらもディアンに導かれるまま走り続ける。
天蓋の光が遮られた薄暗い森の中、リシア達は倒木によって開けた場所に出た。
ディアンが追い風の助力を止めたため、リシアはゆっくりと速度を落として止まった。
「やっと、ひと心地付けそうですね」
リシアは上がった息を整えながら、仄かに明るい空を見上げる。
周囲の大木が張り出した枝と生い茂る葉によって、この空間も数日で覆われてしまうようになる。
近い内に薄暗く不気味な森に飲み込まれるのだ。
「これもディアン殿とラスピ殿のお陰。やはり精霊の力は頼もしいと思います」
トルプは深刻な表情を見せている。
「我々も精霊を見付け契約したいですね」
「この森に巣くう精霊が使えればいいのですがね」
「ロティタ、それは難しかろう。何しろこの森は――」
ビュウっと、森の奥から風が吹いた。
すぐさま別の方向からも風が吹き抜けていく。
三騎士は身構えた。
リシアも警戒して周囲を見回すが、姿は見えない。
土壁を作るためにその精を使って右腕を失ったラスピが、リシアの脇に立った。
そしてリシアの傍らに漂うように立つディアンの姿は掠れるほどに薄いままである。
「去れ去れ去れ」
「退け退け退け」
「出てけ出てけ出てけ」
「来るな来るな来るな」
周囲の森から、怒り狂った声が聞こえてくる。
得体の知れない何者かの気配に、リシア達は包囲されていた――。




