7-09 誤算と逆転の罠
モッサはキョロキョロと周囲を見回している。
周囲を探るように杖を突きながら、その場で一回転する。
「おや、これはどうしたことでしょう」
「封精の罠だ、モッサよ」
意気揚々と離れた場所にある瓦礫の陰からトルプが姿を現した。
勝ち誇るようにゆったりとした歩調で歩みながら、微かに空間が揺らいで見える罠の壁の前に立ったトルプが、モッサを見据える。
「封精石を利用した罠ですか。これで我を捕らえたつもりでしたら、甘いですね」
「強がりを言うな。そこから出られまい」
「余裕で出られますよ。このような玩具の罠など、無いに等しいのです、我にとっては」
モッサが杖で突くと、倒れたままの地の精霊がゆっくりと起き上がる。
地の精霊が、罠の外に立つラスピ目がけて突進した。
見えない封精の罠の壁に激しくぶつかり、体を覆っていた石の破片が飛礫となって外へと飛び出す。それが外に立つリシアへと向かい、ラスピが盾になって払い落とした。
「無駄だよ、モッサ。封精の罠は精霊では破れん」
「知っていますよ。我はただ、確かめただけですから」
「負け惜しみか? まあいいだろう。それよりラスピ殿、そろそろロティタとセバステを出して頂きたい」
「おおそうだ。忘れていたぞ」
ラスピが封精の罠の外側を回りながら、二箇所で立ち止まり、蓋を外すように地面を剥がした。
地中から泥で汚れたロティタとセバステが出てくる。
「ようやく地上だ」
「無事、罠は成功ですね」
ロティタとセバステは、トルプと共に封精の罠の外側に同じ間隔を空けて立った。
「ようやく全員が揃いましたか」
「だからどうした。さあ観念しろよ、モッサ」
セバステが剣を抜いた。
「どう観念しろと? 我はまだ自由の身なのですがね」
「だが、お前がこの封精の罠から出れば、精霊を失うのだ」
「そうです。惜しいですが、やむを得ません」
「あなたは、精霊も使い捨てにするのですか?」
リシアが睨んだ。
「精の有効活用と言って頂きたいですね。では、そろそろ我も本気を――」
唐突に、世界の音が消えた。
そう思える異常事態が何の前触れもなく起きた。
耳鳴りに似たキーンと張り詰めた音が響き、世界が揺れる。
目眩がしてリシアがよろける。
ディアンとラスピの体がグニャグニャといびつに揺らいだ。
残され森がわさわさと揺れる。
遠くに見える森がぶわっと膨張するように見えた。
それは無数の鳥が森から一斉に飛び立つ影だった。
その影が揺らぐように薙ぎ払われ、狂った精霊が飛び出して暴れ回り、荒涼とした大地の砂塵を巻き上げる。
「なに、これは?」
リシアは問うが、答えられる者はいなかった。
「モッサの仕業か?」
風に煽られながら砂塵に顔を打たれながらトルプは、罠の内側を見る。
暴風が吹き抜ける中、モッサはシルクハットを右手で押さえながら、左手で杖を突き、風に向かって立っている。
その視線は遠く彼方を見つめていた。
風が収まり、砂塵がゆっくりと舞いながら散って行く。
その直後、地面の一箇所が破裂した。
封精の罠のために埋設した封精石のひとつが、唐突に起きた精の揺らぎに耐えきれずに壊れたのだ。
瞬時に悟ったトルプは、モッサへと走り出す。
「ロティタ、セバステ急げ、モッサを捕縛する」
「おや、これは僥倖」
モッサが杖で地面を突いた。
杖の先から凝集した精が大地へと送り込まれ、波紋の大波となって大地の精を揺さぶる。
連鎖的に地中の封精石が破裂する。
封精の罠が破壊されたのだ。
モッサは浮力を取り戻したように、宙へと浮かび上がる。
捕縛すべき目標を失い、トルプたちは足を滑らせながら急停止し、空中に立つモッサを見上げた。
モッサは一〇メートルほどの高度を保っている。
「さてそれでは、皆さんまとめてお相手しましょう。ちょっとした余興もご堪能いただけますよ」
力を失っていたモッサの地の精霊が立ち上がる。
その姿は、先程よりも大きく逞しくなっていた。
トルプ達が大きく飛び退く。
地面が槍となって突き出したのだ。
地の精霊はまるで地下茎で繋がっているように、人の姿として立つ場所から離れた複数の地点で、大地の槍を生み出して攻撃を繰り返す。
先日の守護精霊とはまるで違う動きである。
モッサが直接操っているからであった。
「ラスピは地の精霊を抑えて。ディアンはモッサをあの高みからたたき落としなさい」
「分かりましたリシア様」
二精霊が同時に答えて動き出す。
「舐められた物ですね」
モッサがまたしてもスーツの内側から紙の宿玉を取り出し、疾風となって迫るディアンへと投げる。
紙の宿玉は瞬時に大きな精霊の姿となり、ディアンを払った。
腕の一振りでディアンが吹き飛ばされる。
その劣勢を見て、リシアはディアンの方へと走った。
吸精剣である虚無ノ剣を使い、ディアンと共に戦うのが最善だと悟ったからである。
「スエナガ、出番ですよ」
モッサの声が耳に届くと同時に、リシアは右後方からの突風に襲われていた。
衝撃波に撃たれてリシアは吹っ飛び、地面にぶつかるが、咄嗟に受け身をとって立ち上がる。
思いの外ダメージは少ない。
バックパックから瞬時にあふれ出した精がエアクッションのようにリシアを包み、衝撃を吸収したのだ。
リシアが突風の吹いた方を向く。そこには、ウィンドサーフィンのような帆を立てた板に乗った男が迫り来る姿があった。
「メイド女カモーン。ヒャッハー」
叫ぶ声と共に男は空中で板から飛び降り、一〇メートルの間合いを空けて着地するが、その勢いのままリシア目がけて走った。
腰を低く落として上半身を一定に保ち、リシアへと迫る。
着ている作務衣の帯に大刀を差し、左手は既に鞘に添えている。
リシアは無意識に八相に構える。
迫り来る男の間合いを計り、上体を動かさずに、右足を半歩外にずらした。
男が刀を抜くと観た瞬間、切っ先を落として剣を盾にしつつ、左足を引いて右足を軸に回転する。
男が刀を抜きざま胴を薙ぎ払ってきたのを体捌きで躱したのだ。
刃と刃が擦れ合う微かな音を聞きながら、リシアは、男の左小手を狙って剣を擦り上げる。
男は左手を柄から放し、体を開きつつ返す刀でリシアの両腕を払いに来る。
リシアは体を引いて避けるや、素早く下がって距離を空けた。
「何者?」
問いながらリシアは、予想が付いていた。
モッサと共に元の世界から来た、仲間なのだ。
古武術を修め、少なくとも目録を手にするレベルの実力者だった。
「古流を少々修めた者、としておこうか。あんたは?」
「言う必要はありません」
「狡いねえ。だが、あんたには新陰流の色が見える」
リシアは睨んだ。
教わった師匠の流派が見抜かれたからではなく、自らも「古流を少々」とぼかしたくせに「狡い」と言ったからである。
いずれにせよ、リシアは語るつもりはなかった。
流派が明らかになると、型から剣筋を予想され、不利になるからである。
「だんまりか。なら、当たりだな?」
「さあ、どうでしょう」
力みに気付いてリシアは、ふっと力を抜いた。
ルリを助けられないままの死を恐れるあまりに、無意識のうちに柄を強く握り締めていたのだ。
そしてリシアの剣は、活人剣である。
戦国の世を終えた社会に受け入れるために用いる方便の裏にある本質は、人の動き出しを誘って有利に導く剣である。
人の動きを活かして勝利を得る剣術。
後の先ともいう。
相手の後に動き出して先手を取るには、力みは邪魔になる。
死に引かれる心を捨て去る胆力が必要だった。
リシアの心が鏡となる水面のようになった瞬間、男の雰囲気が緩んだ。
「それよりあんた、それ反則だ」
「どういう意味でしょう?」
危ういと感じた間を、男は逸らそうというのだ。
やはり手練れだとリシアは確信した。
「メイド服にリュック。So Bad。萌え要素ゼロの残念ファッションってやつだ」
「余計なお世話です」
「しかも、メイド服美少女じゃなくて、BBAというのが、反則だ」
「失礼なことを。私はまだ二〇代ですから」
「ハタチ越えたら皆BBA! 大人の階段上ったら中古品というのが世の中の常識」
「それは腐った世界の常識ですね」
生理的に受け付けない嫌な人間だと、リシアは男を睨んだ。
殺しても構わない相手だと怒りが芽生える。
その心理を見抜いたように、男がニッと笑った。
が、それさえも囮だった。
男はすっと、一歩踏み出していたのだ。
心の乱れを突かれ、動き出しが遅れたリシアは、思わず飛び退いた。
だが、男は突き出そうとした刀をすぐに引き、横合いからの攻撃を受け流して飛び退いた。
トルプだった。
横合いから男に斬りかかったのだ。
スエナガは大げさなほどによろけ、フラフラと三歩足を付いてから、地面に刀を突いて止まった。
トルプはリシアとスエナガの間に立ち、剣を構えた。
「リシア殿、助太刀します」
「なんだ今の斬撃は?」
「我が剣は、精纏ノ剣。精を纏いて打ち砕く力を持つ」
「まったく。純粋に剣術を極めようという心はないのですかねえ」
「何を言っているのだこの男は。自分の持つ武器を最大限に使いこなすのが武術であろう」
「あんた邪魔しないでくれよ。私はその女と戦っているのですから」
「ならばこそ。私は彼女を守ると誓った」
「は?」
「嗤いたくば嗤え」
「そうじゃない。戦うメイドはいいが、騎士をこき使うメイドは、違うだろう。メイド服への冒涜にして、許されざる売女。メイドを装い男を色香でたぶらかす、魔性のBBAだ」
「彼女を侮辱する者は、私が許さん」
「ああ、もういい。止めですよ、止め」
唐突に男は、刀を鞘に収めた。
「どういうつもりだ」
トルプは、武器を収めた男に戸惑っていた。
「モッサ様、あとはお任せしますよ」
「困りましたねえ。あなたがメイド女とやりたいと言ったのでしょうに」
「あれは偽物メイドですから、もういいです」
言うなり男は背を向けて走り去り、落ちていた帆付きボードに乗った。すると風の精が現れて、去って行く。
「まったく、スエナガの道楽にも困った物です」
モッサの顔は余裕に満ち、嗤っていた。
「あの男、赦せん」
「トルプ・ランプシ、今はモッサが先です」
追い掛けようとしたトルプと止めたリシアは、互角の戦いをしているディアンとラスピへと視線を向ける。
二人の騎士は空中に立つモッサに対しては何もできず、ディアンとラスピの戦いに加勢もできずにいる。
「ディアン、ラスピ、個別に戦ってはダメです。連動します」
リシアは走った。
トルプもすぐにその後に従う。
「残念ですが、もう、余興は終わりです」
モッサが手を振ると、周囲に八枚の紙の宿玉が飛ぶ。
見る間に、五メートル以上ある巨大な精霊が姿を現す。
突如、地面が割れ扉が開くように左右に分かれて穴が開いた。
周囲の地面が、巨大なスプーンで掬われたように、壁となってせり上がる。
「では、さようなら。ここは人の血で穢したくありませんので」
モッサの声が遠くに聞こえた。
天地が逆さまになるように、大地がごっそりとえぐり取られ、裏返される。
大地に開いた奈落の底へと通じるような暗き穴へとリシアは落ちていった。




