7-06 確信と核心の芽
刃のように細い稜線の上に、ネコに似た白く輝く獣がいる。
ユートはそのインペリアルトパーズ色の目に見覚えがあった。
「ファロウか?」
〈……はい〉
「少し見ないうちに大きくなったなぁ」
〈――驚かないのですね。まさかあなたまでこちらに来ているとは思いませんでしたよ〉
「十分に驚いているさ。君がただのネコじゃないだろうとは思っていたがね」
〈そうでしたか。私は、元々こちらの世界の者です〉
「それが元の姿か?」
〈こちらに戻ってより多くの精を集めたのでこうなりました〉
「トーマを助けてくれたんだろう? 感謝している。ありがとう」
〈いえ。私もトーマに助けられています〉
「そうか。お互い様で二人が親友なら、貸し借りをカウントするのは無意味だ。気にするな」
〈――はい〉
ファロウは苦笑したようだった。
ネコのように見えるが、その精神は立派な人格者で、聡明なようである。
ユートは、ファロウに助けられたのを借りと感じているが返せないかも知れないから気にしないと宣言したのだ。それをファロウは理解してくれたのである。
「しかし、君が来たのならトーマも来たか。あと三日ほどあると聞いていたが」
「いいえ。その三日、あなたは行方不明だったのです」
背後からの声にユートは振り返った。
細く頼りない稜線の道をプロソデアが登ってくる。
珍しく息を切らせていた。
ユートが立っていたのは、石段を上ったテラスがある場所より、ずっと高い位置だった。
ユートにとって、闇に飲まれていたのは、ほんの数時間という感覚しかなかった。
だが、ファロウがいることも、プロソデアが言った言葉からも、三日経った現実をユートは受け入れるしかなかった。
そして同時に、トーマが聖剣を手にしてしまったのではないかと危惧したのである。
「まさか――」
「ユート殿はとても危ない状況でした。闇の奥深くから何かとてつもなくどす黒い精に飲み込まれようとしていたのです」
〈あれは闇の精の塊だ。それが急激に自我に目覚め精霊になろうとしていた。何があったのです?〉
「よく分からないが、俺のお守りを奪おうとする奴がいたから、名前を付けてやった」
〈名付けられて自我を抱き始めた精霊に、混沌とした精の意識が流れ込んで一体化しようとしていたのでしょう〉
「それが闇の精霊ですか」
〈そういうことだ、プロソデア〉
「ユート殿、その名付けた闇の精霊はどこへ?」
「さあ、どこかに消えたな。おいカクレ、出てこい」
ユートが呼ぶが、闇の精霊は姿を見せなかった。
「恥ずかしがり屋なのか、隠れるのが好きなのか、困った奴だ」
「ユート殿は、闇の精霊の存在を、近くに感じているのですか?」
「ああ。まあ何となくだが」
「では、そのお守りを宿玉にしたのでしょう」
「そうなのか? まだやるとは言ってないのだが」
「仮宿にしているだけと思ってください」
「なるほど。まあいいか」
「良くありません。ファロウ殿が来てくれなければ、ユート殿は闇に飲み込まれ、おそらく闇の精霊の媒体なって肉体を乗っ取られていたかも知れないのですよ」
「それをファロウが助けてくれた?」
〈私が光で闇を薙ぎ払ったのです。居場所が分からず何度も闇へと入ったのですが、見付けられませんでした。もう無理かと思ったのですが、より深く大きく弧を描くように飛んだところ、異様に闇の精が集まる流れがありました。そこへ行くと、闇の精に取り込まれようとしていたユート殿がいたのです〉
「そうか。ありがとう」
「ですから、私は危ないと警告したのです」
「悪かったよプロソデア。それよりトーマは?」
「安心してください。トーマ君の修行は始まったばかりですから」
「フラグミと?」
「はい。今日は精根尽きるまで剣で挑まされ、疲労困憊で倒れるまでしごかれていました」
「親としてはそう聞くと不安になるが、まあ二人が平然としているなら、問題ないんだろうな」
安堵の息を吐き出したユートは改めてプロソデアを見る。
見直すように、何度も瞬きをした。
ユートは目がおかしくなったと思ったのだ。
というのも、プロソデアの体の周囲に霧のような微粒子がまとわりついているように見えたからである。しかもその霧は、腰のベルトあたりに吸い込まれるように渦を巻いて消えていく。
振り返ってユートは、同じように周囲から霧のような微粒子が急速にファロウの小さな体へと流れ込んでゆくのを見た。
「ところで、君達は霧を纏っているが、それは一体何だ?」
「どうやらユート殿にも、世に満ちる精を見る目が開かれたようですね」
プロソデアは微笑み、ファロウはうなずいた。
濃密な闇での経験を、ユートは感慨深く思い返した。
過去の記憶。
妻との思い出。
ガンピシ作りの忘れていた事実。
そして、闇の精霊との邂逅。
「――俺は危なかったかも知れないが、お陰でいくつか想いだした事があるし、こうして俺は、精が見えるようになった。これは、成果だと思う」
「呆れた人ですね。死ぬよりも厄介な事になっていたかも知れないのに」
プロソデアの愚痴を、安堵の言葉と聞いてユートは、ただうなずいて受け入れた。
助けるためにプロソデアが尽力してくれたのだと察し、深く感謝しているユートだが、すでに心は次に向かっていた。
迷夢の時は去り、霧が晴れた一瞬に垣間見えた道筋を見失いたくなかったからである。
ユートが獲得した微弱な精を見る能力は、大きな助けとなる。
見ようと思えば見え、見たくないと思えば見えなくなる。
精が意識に反応するというのも、納得できるようになる。
プロソデアが着ている騎士服が特別な生地で作られているのも分かる。
騎士服には可視光では見えない細かい紋様が描かれており、それに沿って精が巡り、電熱線のように発熱するために、寒さから守る機能が働くのだ。
ユートは握り締めていた右手を開き、お守りの中身を見た。
そこには、プロソデアの騎士服よりも細かく複雑な紋様が描かれていた。これまで見えていた模様よりも、もっとずっと細かく複雑な紋様が、ユートには見えるようになっていた。
「これも、精紋か――」
精は精紋によって導かれ、その紋様の違いによって発現する性質が変わる。精を電気に例えるならば、精紋とは電子基板を作るようなものである。
するとお守りは、集積回路のように精紋を小型化した物となる。
ガガン・モッサが欲しがった理由はそこにあるのだ。
しかも精の経路を描いたガンピシを折り曲げることで、集積回路を三次元積層させるような状態となり、小さくても複合的な機能を持つようになっている。
マユが作ったお守りが持つ、特殊性だった。
これはこの世界における、技術革新になる。
モッサはそれを知っている。
だが、まだその技術が未完成だからこそ、マユが漉いたガンピシを求めたのだ。
そこに、アドバンテージがあるはずだった。
モッサの企みを砕くためにも、先にガンピシを用いた精紋集積技術を確立しなければならない。
ガンピシ宿玉によって精霊王を操る力をモッサが持つなら、それを打ち砕くために、聖剣を使いこなせる技術が必須になる。
「プロソデア、もう一度聖剣を見に行こう。それとファロウ、君の意見も聞きたい」
今聖剣を見れば対策方法が判る。
そう、ユートは確信するのだった。




