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白猫と勇者~裏物語~  作者: 八陽
第7章 凪闇からの誘い
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7-04 暗闇からの誘惑

 アネモアクロ山頂へ続く稜線は、歩く幅もないほどに、細い。

 まるで鋭い刃物の上を歩くような道である。


 のこぎりの歯に見える凹凸のある稜線によって世界が切り取られたように、光の領域と闇の領域が分けられる。

 ただ、線を引いたように切り分けられるのではなく、稜線の縁から五〇メートルほど先まで、闇がグラデーションの帯となって区切られている。

 その先は、光が届かない闇の領域だった。


 闇を見つめ続けていたユートはあくびをした。


「ここで物思いに耽るというのは、いい趣味ではありませんよ」


 声に驚いたユートはあくびを噛み殺し、振り返る。

 尾根の石段を上ってきたのはプロソデアだった。


「登ってはいけなかったか?」

「いえ、そういう決まりはありませんが――」


 プロソデアの視線が、境界の園に向けられた。

 丸池の向こう側の畔にある屋敷の門柱の前に、小さな点が見える。

 守人がそこにいるのだ。


「折角邪魔者がいなかったんだから、守人と思い出話に花を咲かせるべきだと俺は思うが」

「ユート殿が下の園を散歩しているだけなら、そうしていましたよ」

「そりゃ、悪かった」


 ユートを心配した守人が、プロソデアに様子を見に行くように頼んだのだ。

 特定の人しか来ない場所だけに禁則はないが、稜線の縁は危うい場所ということなのだ。


 しかし、異を唱えるようにユートはプロソデアを見た。

 断崖に刻むよう作られた階段を上ったここは、少し広く平坦になっており、テラスのように石のテーブルと椅子も置いてあるのだ。

 アネモアクロ山頂へ続く刃筋のような稜線とは違う。

 ここだけは、まるで恋人同士が向き合って座るような場所になっていた。


「だが、あれは?」

「守人が気分転換するための場所です」

「もしかして俺は、君たちの場所を奪ってしまったのかな?」

 ユートはプロソデアに睨まれた。


「そうではありません」

「俺が邪魔した訳じゃないなら、良かった」

「ですが守人は、キディナスに会いたがっていました」

「それを言われると、少し負い目を感じる」

「キディナスは、ユート殿にそそのかされたと、守人に伝えておきました」

「プロソデア――」

「なんでしょう」


「あいつの夢を叶える手助けをしたと思ってくれよ」

「別に責めてはいません」

「なら良かった。無理強いは俺の趣味じゃないからな」

「守人に心配させるのは、趣味なのですか?」

「そんなつもりはない。ただ、ここは面白いぜ」


 ユートは再び、闇の領域へと向き直った。


「何もないその闇が?」

「闇というのは、光を発しないからであり、こちらからの光を反射しないというだけで、何も無い訳じゃないだろう」

「ですが、闇に近付くなと言うのが、遙か昔からの伝承です」

「プロソデア、これをどう思う」


 ユートは、首に掛けたお守りの紐を頭から外した。

 紐を手首に巻いてお守りを手に持ち、淵から先に向けて突き出す。

 ほどなく、闇の向こうに小さな光の点が見えてくる。

 光の点はふわふわと飛ぶ虫のように近付いて来て、御守りに触れる。

 そして光は、お守りに吸い込まれるように消えてしまう。


「精ですね。闇の向こうにも精があるとは驚きです」

「大地に流れる精流脈の源がどこか、考えたことがあるか?」

「精流脈は、この境界の淵から始まります」


「だからその精が、地下から湧いてくるのか、天から降ってくるのかという話だ。無から有は生じない」

「ユート殿は、闇の彼方から流れてくるとお考えですか?」

「分かってきたじゃないか。それが科学的思考だ。現象に対して仮説を立てて、実験し検証する。そして考察。その繰り返しだ」


 ユートは手を戻し、お守りを首に掛けた。


「ユート殿はカガクというものに、こだわりすぎではありませんか?」

「こだわるというよりは、探究心だ」

「ではもうお分かりでしょう。そのお守りには、精を集めるだけでなく、聖剣が精を吸おうとする力から守ってくれました。それだけでは不満なのですか?」

「だから、どうしてそんな力があるのかを、俺は知りたい」

「そういうものだからです。それより、精を導く石や紋様について調べるべきだと思います」

「それは、君に任せる」

「私にですか?」

 意外だと言いたげな顔をプロソデアは見せた。


「風の祭殿の地下を知り、奥宮の壁画も見た。君ならそれらの情報から、ルリちゃんを助けるためにできることを、思いつくだろう」

「やってはみましょう。まだ時間はありますから」

「時間か。そう言えばどうなった?」

「救世の勇者は、あと三日ほどでここに到着するでしょう。フラグミの指南を受けられるなら、巨木の森を抜ける試練の後半は不要ですから」

「そうか――」


 マユが作ったお守りは三つある。

 一つはユート、一つはトーマが持っている。

 最後の一つはトーマが、ルリにあげたのだ。

 ルリの精が精霊王に吸い取られずにいるのがお守りの力によるという仮説が正しいなら、お守りが鍵になる。

 ユートは改めて原点に立ち返ることにした。


「なあ、プロソデア。奥宮でも聞いたが、俺が漉いた紙と、マユが漉いた紙で、どうして精霊はマユの紙を気に入るんだ?」

「精霊は本能で行いますから、理由は無いでしょう」

「そうじゃなくて、違いがあるはずなんだ」



 ユートはしゃがむと、足元に置いていたバックパックの中から、八角形に折った二枚の紙を取り出した。

 自分が漉いた紙と、マユが漉いた紙である。

 お守りを試作した物で、ディミが一時的に力を蓄えるために使ったものである。


 それを左右の手に持って稜線に立つと、ユートは闇の領域居に向かって腕を突き出した。

 すると、闇の奥深くから精の粒が漂ってきて、迷う事無くマユの紙へと辿り着き、吸い込まれるようにして消えてゆく。


「そういう性質があるのですよ」

「だから、どうして違いが出るかが知りたいんだ」


 ユートは頭を掻きむしった。

 どうすればプロソデアに理解してもらえるのかと、ユートは腕組みをし、稜線を行ったり来たり歩きながら考えを巡らせる。

 何度目かの往復で、踏み外しそうになり、慌てて体勢を立て直して踏み留まる。


「ここは危ないですから、戻りましょう」

「分かっている。が、大丈夫だ」

「いいえ、分かっていません。闇の領域は、私が学んだ書物の中にも記述が無いのです。私が契約している精霊達も、その深淵の先へは行きたがりません」


「だが闇であって、無ではない」

「無秩序なる領域、混沌、そうした風に書かれています」

「この先に何があるのか、知りたいという好奇心はないのか?」

「ありますが、興味本位で踏み込める領域ではないのです」


「知識偏重も過ぎると困りものだ」

「無知と無思慮は兄弟の様な関係です。そんな彼らに縁がないだけです」

「叡智は探求心と親友だと思うぜ」

「欲に溺れると、死にますよ。忠告はしました。息子さんが来た時に、父親が深淵の闇に飲み込まれて死んだなどと、私は伝えたくはありません」

「伝えなくていい。トーマが知るのはルリちゃんを助けた後でいい」



 ユートがまっすぐに見つめると、プロソデアは諦めたように溜め息を吐いた。


「そうですか。では、くれぐれも用心してください。闇は濃く、深いですから」


 プロソデアは怒ったようである。

 分からず屋の説得を諦め、石段を下りていく。

 お互いに信じるところの意見が相手に通じず、苛立っているのだ。

 ユートには、プロソデアがこちらの世界の常識と友を想う善意から忠告してくれたのだと、分かっていた。だがそれでも譲れない、リスクを冒してでも解明しなければならない謎だと直感しただけである。

 だからユートは心の内で詫びた。


 しばらく見送ってから、ユートは再び淵の先に見える闇を見る。


 真実とは常に闇に紛れ、掴み取ることのできない曖昧な世界に包まれている。

 その境界には虚実が入り混じり、曖昧なまま真偽を併せ持つ朧気な確信によって認知され、虚構によって彩られて現実になる。

 漠然とした感覚は、直感としてそこに真実があると告げていた。


「あと三日か――。俺は移動で楽をした分、ここで苦労しなくちゃいけないんだ。分かってくれ、プロソデア」


 ユートはテラスのような場所にある石造りの椅子に座った。

 傍らにバックパックを下ろし、テーブルの上に首から下げていたお守りを置く。


「このお守りは、マユが漉いたガンピシだ。そしてガンピシ造りは、俺も師匠から教わった。だから俺なら、いや俺にしか分からないはずだ」


 そうであってくれと願いながら、ユートはお守りを見つめる。

 記憶は過去をさ迷い、マユの言葉を思い出していた。


「お守りだもの。中を見たら御利益がなくなるのよ」

 そう言われたからユートは、妻への裏切りになると思い、お守りを調べずに来た。だが、常に答えはそこにあった。紙漉きの技術を向上させたいと言いながら、手元にある正解を調べずにいた事実こそが、本気になっていない証拠だった。

 怠慢であり欺瞞だった。

 探究心とは、抑えきれない知りたい欲求が不可欠なのだ。


「お守りをばらすというのは、気が引けるが」


 ユートはお守りの吊るし紐を解き、抜き取る。

 バックパックの中からナイフを取りだし、袋状になっている合わせ口の封を切った。

 中には、折りたたまれた紙が入っている。

 逆さにして底を叩いて出てきたのは、三センチ四方の大きさの、八角形に折られた紙だった。

 リシアに教わった八角形の折り方とは違っている。

 誰もが知っているような単純な折り紙ではない事実に、ユートは自分の愚かさを嗤った。


 指先で触れると、独特の滑らかな感触と、僅かな凹凸を感じる。

 マユが漉いた紙に間違いなかった。

 それだけでなく、キラキラと光る砂が付いているようだった。

 纏わり付くように精が集まり、光りながら線を描くように流れ、電気回路のように複雑な文様が浮かび上がって見えてきた。


 まるで集積回路のようだった。


 開く前に折り方を見極めようと考えたユートは、バックパックを開け、スケッチブックを探した。

 だが見当たらなかった。


「祭殿であの爺さんにあげたんだった」


 舌打ちしてユートがテーブルの上に視線を戻すと、あろうことかお守りの中身の八角形が、動いていた。

 風ではない。


 慌ててユートは右手で押さえた。

 だが目に見えない力、強力な磁力に引かれるようだった。腕の力だけでは、八角形に折った紙を押さえきれなかった。

 テーブルの縁まで手が持って行かれ、慌てて左手を下から添えて包み込む。

 それでも引っ張られた。

 立ち上がって踏ん張っても、抗しきれなかった。


 お守りの中身を包み込む両手が、何かに触れられた。

 その直後ユートは、体ごと引っ張られた。

 三歩目で腰を沈めて踏ん張るが、ずるずると引きずられる。

 辛うじて稜線の縁で踏み留まる。


「おい、放せ」


 ユートは闇に向かって叫んだ。

 だが返事はない。

 代わりに、一層強大な力で引っ張られた。


 ユートの足が浮いた。

 何者かに足がすくい上げられたのだ。

 そのままユートは、闇へと引き込まれる。


「あっ」と叫ぶ声が虚しく掠れる。

 ユートは、闇へと落ちていった。

 ただ落ちるままに落ちていく。

 助けを求める声さえ闇に飲み込まれ、無音に包まれる。

 ユートのすべてが闇に覆われていった――。


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