7-01 巨木の森の精霊
まるで魔法だ。
と、ユートは思っていた。
風の精霊が追い風を生み、森の木々を押し退けて道を広げる。
地の精霊が轍をレールに変え、道なき道を拓き、谷や川に橋を架ける。元の世界の常識では非常識な妄想としか見なされない情景である。
それほどまでに、超常現象の連続だった。
「ユート殿、そろそろ試してみようと思います」
「いきなりで平気か?」
「どうにかなると思います」
ユートがうなずくと、荷台の両側に格納されていた布の水平翼を地の精霊が展開する。
すると、飛行機が離陸するように、獣車は浮き上がる。
メノスは、斜面のように宙を蹴り、森の上へと駆け登ってゆく。
地表を見下ろすと、一瞬、大地に筋のような物が見えた。
長く引かれた境界線のように大地に描かれた黒い線は、おそらく谷だろうが、それも一瞬で通り過ぎ森の陰で見えなくなる。
不意に、一瞬速度が落ち、獣車が揺れた。
失速し、揚力が減ったのだ。
すぐさま両翼を風の精霊が支え、前方から空気を集めて圧縮し、後方へと吹き出し始める。さらに、水の精霊が送った水を火の精霊が熱を与え、蒸気を後方へと吹き出す。
精霊の協調によるジェット推進である。
高度は安定したが、水の気化膨張だけでは推力が足りない。
そのためメノスは、森の樹木の上を蹴って進んでいる。何もない宙を蹴っているように見えるが、樹海を覆う濃密な精をメノスの脚に精を集めてぶつけ、その反力で駆けているのだ。
精がぶつかり合うと、火花が散るように、光る。
初めこそ上下に揺すられたが、少し走っているうちに、速度と姿勢が安定した。プロソデアの指示と精霊の習熟によって、力の使い方のコツを掴んだからである。
座席にしがみついていたユートは、振り落とされる恐怖に引きつっていた表情を和らげ、周囲を見渡した。
獣車は広大な樹海の上を走っている。
見渡す限り緑の海原が広がる。
この世界、タタ・クレユはとてつもなく広い。
世界に対する自分の小ささを感じていたユートだったが、世界の一部であるという感覚に浸りつつあった。
「上手くいきました。ユート殿の助言のお陰です」
「役に立てて嬉しいが、向こうの世界の知識の受け売りさ」
「そのように、卑屈にならないでください」
「そう見えるか?」
「はい」
自分で発見した法則や自分で得た知見でないため、盗みを働いたような後ろめたさをユートは感じていたのだ。
だがそれは、思い上がりであった。
人の成長や学習は、改めて考えてみれば、すべて模倣から始まる。身につけた知識を伝承するのも、重要な役割だと言える。
正しく伝えるのも才能だと思えば、自信に繋がる。
ユートが抱えていた心の闇に、光が差し込まれた瞬間だった。
「――多分、俺の周りに有能な人がたくさんいたせいだな」
「ユート殿は有能です。私の想像を超える才覚があります」
「ありがとよ。そう思ってくれるのは素直に嬉しい。だが、望む成果を上げられなければ無能と同じさ」
「――分かります」
プロソデアの表情が一瞬曇った。
為し得ない夢を抱き苦悩しているようであった。その心情を察したユートだが、理由を尋ねなかった。
物事には曖昧なままにしておく方がいいこともあるのだ。
「ところで、ちょいと寒くないか?」
「済みません。気付きませんでした」
プロソデアは手綱を精霊に委ね、御者台から荷台に移動すると、荷物の中から毛布を出してくれた。
ユートは受け取るとすぐに、毛布にくるまった。
「プロソデアは平気なのか?」
「はい。この騎士服は、精を導くと温かくなるのです。暑い場所なら風を通して冷やしてもくれます」
「便利で羨ましいが、それでも毛布を持ってるなんて、準備がいい」
「元々は、ゾネイア博士のために用意したものです」
「ああそうか」
ユートは視線を転じて、獣車を引きながら樹海の上を駆けるメノスを見た。
「それはそうと、どうしてメノスは樹海の上を走れるんだ?」
「この森は精が濃密なので、メノスの脚に精を集めると地面のように蹴ることができるのです」
「なるほどね――」
唐突に、獣車が大きく揺れた。
大波が襲ってくるように、樹海の上に突き出すように何かが盛り上がってくる。
凶悪なモンスターの出現を予想したユートは恐怖に顔を引きつらせるが、御者台のプロソデアは平然としている。
その姿を見て、ユートは力を抜いた。
樹海から海坊主のように、直径二メートルくらいある巨大な頭が突き出て来た。続いて肩、上半身、そして足が出てくる。緑の服を着た筋骨隆々の巨人で、古代ローマ人のような布を纏っている。
その巨人は、手足を動かすことなく、ただ波に乗っているように、樹海の上を高速で駆ける獣車と並走している。
間違いなく、精霊だった。
存在感がこれまでに見た精霊と、明瞭に違う。ユートが凄いと感じていたプロソデアの契約精霊ですら、比べれば子どものように小さな存在に見えてしまう。
「知り合いか?」
「巨木の森の精霊公子の異名を持つ、偉大な精霊にして、私の盟友です」
「精霊公子――」
血縁関係というより、偉大さを示す称号である。
「おお、やはりプロソデアか」
高速で移動する両者の間には暴風のような風が吹き抜けているにも関わらず、精霊公子の声がはっきりと聞こえた。
「十七年ぶりです。巨木の森の精霊公子」
「プロソデアよ、称号で呼ぶなと言ったばかりだろう」
「覚えています。ですが、名を広められるのはお嫌でしょう?」
「そうだ。名とは、私に名付けた者との記憶と経験の証。そうか、同行者がいたのか」
「はい。紹介します。親友のユート殿です」
「ユートだ。友達の友達はみな友達だから君も俺の友達になる。よろしくな」
「そうなのか? プロソデアよ」
「ノイ・クレユの格言は知りませんが、あなたと私は盟友ですし、私がユート殿と親友になったのは事実です」
「ならば、友となろう、ユートよ。それにしても、ノイ・クレユからとは、獣車で樹海の上を走るよりも驚きだ」
悪戯少年のような憎めない笑みを浮かべた。
どことなく嬉しそうな表情を見せる、気さくな精霊である。
「ユート殿に方法を教わったのです」
「それで守人に逢いに来たのか?」
「フラグミに頼み事があって来ました」
「同じ事であろう。では近くまで運んでやろう。守人も喜ぶぞ」
樹海に飲み込まれるように精霊公子の姿が見えなくなると、獣車を担ぐや、速度が増した。
獣車の前が持ち上がるように傾き、足が付かなくなって動揺したメノスが暴れる。
プロソデアの指示で精霊が、荷台の底に収納していた足場を二頭の足元に敷くと、メノスは落ち着きを取り戻した。
「おお、済まぬ。メノスを驚かせすぎたか」
「もう平気です」
「ならば、参ろう」
樹海の上を進む巨大な波のように、猛烈な速度で運ばれる。
景色はより単調となり、正面に見える巨大な山脈が緩やかに近づき、山にぶつかるとユートが思った寸前で、獣車は停止した。
巨大な山脈の山腹にある、平地に到着していた。
大小の石がごろごろ転がるガレ場である。
正面には断崖が聳え、ガレ場の一方の縁が、崖となって遙か下方へと垂直に切り落ちている。断崖だったのを削り取ってこのような平坦な場所にしたようだった。
精霊公子は身長二メートル程の姿となり、獣車の脇に立った。
「私が運べるのはここまでだ」
「ありがとう。ここが境界の淵か?」
「境界の淵に聳える大山脈地帯にある、アネモアクロ山です。運んでもらえなければ、あと数日かかったでしょう」
「祭殿を出発してから三日か。さて、猶予はどれくらいかな」
ユートは来た方向を振り返った。
果てしなく世界は広かった。
無限に続くように見える樹海は、遠い先で霞んで見えなくなる。
大気は澄んでいるが、透明度一〇〇パーセントではないのだ。
「――お!」
精霊公子が山裾から広がる広大な森へと振り向いた。
遠い彼方を見るような目をしている。
「私の森にまた来訪者だ。珍しいこともある」
「サーリ達でしょう」
「知り合いなら連れ来てやるぞ」
視線を向けられたユートが首を左右に振ると、プロソデアはうなずいて精霊公子を見た。
「いつものように対応してください。その者たちには、偉大な精霊とはどういう存在か、直に知って欲しいのです」
「いいだろう」
「それと、私達が来ていることは、言わずにいてください」
「分かった。そうしよう、友よ」
巨木の森の精霊公子の姿は風となり、裾野の森に溶け込むように消えた。
「それがトーマの役に立てばいいが」
「大いに役立ちますが、それでもご子息には、技量も経験も知識も何もかも足りません。他の誰よりも勝っているのは、少女を助けようという意志だけです」
「足らざるを補うのが、大人の役割だ。プロソデアやサーリ達に期待する。俺は、俺が出来ることをする」
「はっきり言いますと、ご子息が巨木の森を抜けられずにその意志が挫かれるようでしたら、別の方法を考えるべきです」
「挫かれなければ?」
「可能性はわずかながら高まります。精は、人の意識に応じて集散するのです。意志の弱い者では、精を動かすことはできません」
「なら、大丈夫だ。トーマは芯の強い子だ。仮に意志が揺らぎそうになったら、周りの大人が支えてやってくれ」
「出来るだけの事はします」
「ありがとう」
「では行きましょう。この先は、祠の精霊の許しがなければ契約精霊の力を使えませんから」
ユートはプロソデアと共に獣車から降り、断崖へと向かう。
「守人はどこにいるんだ?」
「この試し平の上です」
「ここでは何を試すんだ?」
「祠の守護精霊にして、精霊大公の称号を持つフラグミが、訪問者を試みるのです」
「フラグミというのは名前か?」
「そうです。古文書に記されています」
「そのフラグミに、俺も試されるのか?」
「おそらく大丈夫でしょう」
「ならいいが――」
ガレ場の奥に見える断崖の根元に、洞窟の入口が見える。
近づくと、突如突風が吹いた。
竜巻のように巻いたかと思えば、上空で人の姿を成し、ゆっくりと降臨し正面に立ち塞がった。
まるで人間のような存在感がある。
身長はおよそ三メートル。
両足でがっしりと大地に根ざすように立ち、腕を組んで長い髪をなびかせる。腰布だけを身に付け、盛り上がった筋肉を誇る容姿は、戦士を思わせる姿だった。
「ここを通りたくば、力を示せ」
暴風が吹き下ろすような声が響いた。
威圧的な姿は大自然の脅威のように無機質だった。人力では抗えない無情な差が、氷塊のように固く冷たく伝わってくる。
ユートは圧倒されて足が竦み、動けなかった。




