5-10 無手の博打
翌早朝、拝殿前の階段の下に三人の姿があった。
一人旅立つリシアと、見送りのユートとプロソデアである。
リシアは洗濯したピナフォア・ドレスの下に、作務衣の下をペチパンツのように履いている。乗馬ズボンの代わりである。
リシアは精の循環による騎乗方法の基礎的な部分を、習得していた。完全に身につけるためには練習あるのみというレベルには達したので、後は実践しながら習熟させることになる。
代わりに座学の時間が減り、プロソデアが教えられたのは、地理と簡単な生活の知恵と、旅する上での心構えと注意事項であった。
「考え直すなら最後の機会だぜ、リシア。俺が居ないと悪態つく相手が居なくて、道中淋しいだろう」
「冗談でしょう。鬱陶しいあなたと別行動ができるから、嬉しいくらいです」
「そんな嬉しさに浸ってるところ悪いが、俺の代わりにこのバックパックを持って行けよ」
ユートが差し出したのは、昨夜返却されたバックパックである。
「もう不要になったのです」
「荷物の分散はセオリーだ。それに、イウスンジ君の特製の携帯食と水が入っている。契約精霊を持てない祭司が旅をする上での必需品だそうだ。四、五日余計に生き延びられるだろう」
「どうせ死ぬならあなたの見えないところで死ねと?」
リシアが発する言葉の棘は、冗談めかした口調に覆われていた。
そのためユートの心には刺さらず、表面をくすぐって落ちて行く。
「察しがいいじゃないか」
「私はあなたの死に様が見られなくて残念ですけど」
「悪いな。人の期待を裏切るのが大好きなんだ」
「悪趣味ですね」
リシアがわずかに微笑んだ。
「そうでもないさ。俺は君の無事を祈っているというのが本心だ」
「どうかしら」
リシアから疑いの眼差しを向けられたユートは、反論の代わりに、紐を付けた小さな袋状の物を差し出した。
「その証拠に、これをもらってくれ」
「何です?」
「俺が作ったお守りだ」
「お守り?」
呆れたと鼻で嗤ってリシアは、疑惑の眼差しを見せる。
「どんな御利益が?」
「一人で淋しくなった時に握ると、俺を思い出せるだろう」
汚れた物を見下すような目をユートは向けられた。
「冗談でしょう。あなたを思ってどうなるのです。気持ち悪い」
「――という効果が期待できる」
負の感情を糧に生きる力を呼び起こせというような意図は、ユートの即興である。
「一応、受け取っておきます。あれば付け木代わりとして役立つかも知れませんから」
「違いない」
ユートは嫌味を受けながして、笑みを浮かべた。
勝手の違いに困惑したように、リシアは背を向けて表情を隠してメノスに跨がった。
鞍上に背筋を伸ばして座る姿は凜としており、緑を取り戻した祭殿の周りの情景と相まって、絵になるほど美しく映えている。それさえも当然とするような済ました態度で、彼女は背を向けたまま、顔だけを見送る二人へと向けたのである。
「それでは、あなた方もお元気で」
「気をつけてな。結果を焦るなよ」
「あなたこそ、呑気に構えて遅きに失するような愚を犯さぬように。生きていたら、王宮で再会しましょう。その時私は、お嬢様を助け出しているでしょうけど」
「期待しているよ」
ユートの言葉にうなずいて背を向けたリシアは、断崖を貫く道へと向けてメノスを駆った。
初めは少しぎこちなかったが、すぐにメノスは勢いを増して駆け去る。
そのリシアに向かって追い風が常に吹いて行った。
少しの間見送ってから、ユートとプロソデアは背を向けて拝殿への階段を上った。
「これで良かったのでしょうか?」
「ああ。見知らぬ土地で、言葉も満足に話せないのによくやるよ、あの子は」
「もっと説得して思い止まらせるとか、あるいは密かに尾行するのかと思いました」
「非力で弱虫な俺は、分を弁えているつもりさ。単純な戦闘力では、リシアが上だ。足手まといの俺が一緒に居るより、逃げる算段が取りやすい」
「そんなに弱そうに見えませんが」
「人は見かけによらないと言うだろ? というかそれは俺らの世界の諺か」
ユートは引き締まった体をし、肩幅も広い。
紙漉は力仕事で、原料の採取で野山を歩き回ってもいるため、そこらのサラリーマン以上に足腰は鍛えられているし持久力も備わっているが、それで戦いに強いとはならない。
「確かに騎士のようには見えませんが、素質はあるのでは?」
「薪割りくらいはできるぜ」
「薪、ですか」
「ところで、トルプと話をしたいが、いいか?」
「別に止める理由はありません」
「用が済んだら俺たちも出発しよう。聖剣とやらがある所へ」
ユートは、腰の剣を抜いて頭上に構え振り下ろす動作を真似てみせる。
エアギターならぬエアソードである。
うなずくプロソデアの表情には、微かに憂いの色があった。
親友の顔をちらと掠めるように身ながらユートは、天の騎士が閉じ込められている、宿坊の地下室へと向かった。
扉を開け中に入ると、トルプ・ランプシの視線はユートを通り越してプロソデアへと向けられた。
「嗤いに来たのか、プロソデア」
「いいえ。ユート殿から話があるそうです」
「ノイ・クレユ人が?」
「この世界で最も優れた騎士団の団長に聞きたい事があってね」
「嫌味か、それは」
「そう感じるあんたは、事実を知っていることになる」
「不毛な会話は止めてくれ」
「なら本題に入ろう。あんたには、契約精霊無しで精霊王と戦う気概はあるか?」
「無駄死にはしない主義だ」
想定内の言葉に、ユートは微笑んだ。
「仕える王のためでもか?」
「無謀を諫めるのも臣下の務めであろう?」
ユートは腕組みをしていた手を腰に当て、うなずいた。
「正論だな。だが、リシアは精霊王の宿玉にされた少女を救うため、一人で行くと決めた。どう思う?」
「……愚かかと」
「俺もそう思う」
ユートが同意すると、トルプは首を傾げながら、鋭い視線を放つ。
それを受け止めたユートは、笑みで受けた。
「ところで、君達をここから解放すれば、その後あんたはどうする」
「天の領域に帰る。陛下に顛末をご報告するまでが私の務めだ」
「なら、報告はより正確にすることだ」
「そうなるであろう」
意図が掴めないのか、トルプは不機嫌そうな顔を見せている。
その目を、ユートは覗き込んだ。
じっと見続けているとトルプの瞳に宿る色は、困惑から怪訝となり、悟りとなって動揺となり、戸惑いから決意へと変じてゆく。
優秀な人物なら、キーワードを提示すれば言外の意図に気付く。
ユートはそう考えていた。
だが、言葉による表明は不要であった。トルプが自分の意志で決めるべきあり、自らの意志によって行動すべきだからである。
「俺は、君たちを解放しに来た。何故だと思う?」
「恩を売って何をさせようというのだ」
「俺が扱う商品に恩なんて無い。あんたはあんたの自由意志ですべきと思う事をすればいい」
「お前を殺すのも自由だと?」
「自由だが、殺されたくないから用心棒がいる」
ユートはちらと後ろに立つプロソデアを見る。
「ならば何故解放する。私はお前の敵だろう」
「敵じゃない。意見の対立があっただけだ。それに、契約精霊を失ったあんたらはもう脅威ではないのさ。ついでに言えば、祭殿には無為徒食の輩を養う余裕がないらしい」
「厄介払いという訳か」
「納得したか?」
「妙な男だ」
トルプが瞑目してうなずくのをユートは見た。
交渉はそれで終わった。
トルプ等天空遊撃隊が出立の準備を終えたのは、頃合いとしては昼過ぎだった。
ユートとプロソデアは、祭殿の上から解放した天の騎士を見送った。全員がメノスに跨がり隊列を組み、整然と断崖に囲まれた祭殿から駆け去って行く。
その姿だけは立派だった。
「少なくともこれでサーリ達が思い悩む要素はなくなった。この後の結果は俺の責任になるし、彼等の自助努力によるところになる」
「ありがとうございます」
「プロソデアに礼を言われる事じゃない。サーリからのお礼なら喜んで受け取るが」
「私はぞんざいに扱われるのですか?」
「逆だ。プロソデアにはもっと大きな借りを作る事になるから、お礼の言葉を受け取るのは、俺が倍返しした後の話だ」
「その気持ちだけで、嬉しいですよ」
「それを聞いて安心した。返せなかったら感謝の言葉と熱い抱擁で誤魔化そうと思っていたところだ」
「親友ですから、それで十分です」
「ありがとよ。そう思ってくれるからこそ、倍返ししたいと思うのさ」
「では、それまでは貸しですね」
「あっちでもこっちでも俺は負債ばかり積み上げてしまうようだ」
「安心してください。私の分には返済期限はありませんから」
「そいつは助かる。――さて、そろそろ俺たちも出発するか」
「では、獣車を正面に回してきます」
「なら上で待ってる。出る前に祭司長に挨拶はするだろう?」
「そうですね」
プロソデアは祭殿裏手の厩舎へと向かって行った。
ユートが一度宿坊の部屋に戻って荷物を取り、拝殿の前まで戻り待っていると、工部の老人現れ、ユートの左後ろに立った。
「天の騎士を解放してしまうとは――」
「何か問題か?」
ユートは足元にバックパックを置いて老人を見詰める。
「いや。どのみち祭殿を血で穢す訳には行かないからな」
「処刑するつもりだったか?」
「儂は工部の者ですので――」
惚けたジジイだとユートは苦笑した。
「そうだったな。だが、置いていけば殺されるなら、出してやるしかないだろう。プロソデアが居れば、祭司達の大義名分も立つ。稀代の守護騎士らしいからな。くだらない話だが、そういうメンツを立てなきゃならないんだろう」
「結果は変わらずとも、気分は良いだろうな」
「見逃してやれよ」
「特例ばかり認めれば、法を定めての統治はままならんのだよ」
「世界が滅ぶ瀬戸際にあるのに、種族違いとはいえ、人間同士で争って楽しいか?」
「決まりは決まりだ」
「時代が変われば常識や価値観が変わる。歴史という過去の教訓を元に新しい知見が得られる。何事にも変革が必要と考えないのか?」
「人であるが故に変わらぬ性があるというもの」
「モーティス騎士団を知っているか?」
「知りませんな」
「ニチェア・モーティスの名は?」
「ああ――そういう騎士団ですか」
「モーティス騎士団は危害を加えず、天の騎士を地下に閉じ込めた」
「禍根と火種を残す愚行だ、それは」
「そのモーティス騎士団は救世の勇者と共に、聖剣を手に入れに行った」
「無駄な事を」
「他に手はあるのか?」
「王宮精紋を正しく機能させればいい」
「どうなるんだ?」
「精霊王を天の循環にお返しする」
「宿玉の少女はどうなる?」
「贄として共に捧げられる」
「聖剣があれば、精霊王と宿玉を分かてるのだろう?」
「あれを扱える者など、この世には居らぬ」
「そのための救世の勇者だ」
「出所の分からぬ流言に過ぎぬ」
「嘘から出た真という話を知っているか?」
「偶然の産物など、当てにしてどうする」
「あんたにとって、どっちがいいんだ? 精霊王が元通りに祭殿に戻るのと、一度消滅させてから降臨させるのと」
「やはり、祭殿の秘密を知ったか」
「秘密じゃない。事実だ」
「言葉尻を変えたところで何になる。出来ぬ事を望んで滅びの道を歩むのは愚かだ」
「あんたらは、あんたらの道を進めばいい。だが、救世の勇者が聖剣を手に入れて世界を救う可能性にも、期待していいだろう」
「勝手にすればいい」
「なら、そうさせてもらおう」
ユートはバックパックを持ち上げようとした。
「いや、待て」
「見送りは不要だぜ」
「逆だよ」
「逆? どういう――」
突如地鳴りのような音が響いた。
ユートは音のした方を見る。
祭殿を取り囲む周囲の断崖上が煙っている。
砂塵が舞っているのだ。
「何だ?」
「昨日の道具で覗いてみるがいい」
単眼鏡スコープを取り出し、ユートは覗いた。
崖の上に何十騎もの騎士の姿が小さく見える。ミントグリーンに太筆で描いたような白波模様の騎士服を着ている。
プロソデアの想定より早く、しかも気付かないほど隠密に部隊が接近してきたのだ。
祭殿の正面、参道のある両側の断崖の上に姿を現した何十人もの騎士が、断崖の上から飛び降りたのだ。
一ノ谷の逆落としを事例に知るユートは可能性を考えていたが、ほぼ垂直な断崖から飛び降りるとは思っていなかった。
その墜落すると思えたその速度が、緩やかになる。
風の精霊が支えているのだ。
メノスに乗ったまま何十騎もの騎士が断崖を下り、祭殿の正面を包囲するように広がりながら迫ってくる。
祭殿の外周を城壁のように囲む断崖から出るには、正面の裂け目の道しか無い。
その行く手を断たれたら終わりだった。
ユートの顔に焦りの汗が滴る。
「どうやら、間に合ったな」
老人は言葉と同時に、ユートの首筋に剣を擬した。
ユートは急な窮地に体を強ばらせたが、抵抗の甲斐なく両腕が強い力で取られ、背中にねじ上げられ、座らされた。
「どうやら、理解してもらえなかったらしい」
ユートの声は、低く落胆を響かせている。
老人は、世界を救う可能性を広げるよりも、真実を隠蔽する方を選んだのである。そしてユートをプロソデアの自由を奪う心理的縄目として、人質にしたのだ。
異なる視点で異なる未来を見ていては、議論は成立しない。
ユートの最大の武器となる論理的会話による交渉は、封じられた。
人質を見てプロソデアが降伏すれば、トーマが手にする前に聖剣の仕組みを解明する道は断たれる。
「どうすりゃいいんだ――」
妙案を思い描けずにいるユートの心が、闇を招く。
分からず屋の偏屈な老人には、言葉による説得は効果がなかったのだ。
この場で我意を通そうとするなら、力で屈服させ、精神を支配して従属させなければならない。
それが不可能なら、老人を殺してでも阻止しなければ、ルリを失いかねない。
不安に、ユートの心は染められていった。




