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白猫と勇者~裏物語~  作者: 八陽
第5章 逸失の迷い
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5-06 変容の再会

 少年を見た瞬間、ユートは祭殿の地下迷宮で見た人骨を想起していた。

 この少年にとっては、精霊王の不在は幸いなのではないかと、ユートは勝手に想像していた。

 だが、単なる推測に過ぎない。ユートが祭殿の地下で見た風化した頭蓋骨を見た事実と、少年の役割を結び付けてしまっただけで根拠は無かった。


 ただし仮に事実だとしても、過去からの因習を外部圧力で壊すのは、モッサの行いと同じであった。

 そうした想いもあり、ユートは言葉にはしなかった。

 その間も、少年は無垢な笑顔を二人に向けていた。



「この子は?」真偽を確かめるようにユートは問う。

「精霊王にお仕えするために修行中の者ですが、天の騎士の指示で女性の世話役をしている者です」

「そうですか――」

「イウスンジと申します。お連れ様の元へご案内致します」

 戸を開けて廊下に立ったイウスンジは、着いてくるようにと二人を促した。


「それでは祭司長殿、失礼します」

 プロソデアが礼をして部屋を出ていく。

 迷っていたユートも、倣って礼をして退室した。


 初めに案内された宿坊の部屋だった。

 ユートはドアをノックしたが、応答はなかった。


「リシア、無事か? 悪いが開けるぞ」

 ユートはドアに手を掛け、押した。

 部屋の押し戸に鍵はついてなく簡単に開いたが、部屋には人の姿は無かった。


「食堂にいらっしゃるかも知れません」


 イウスンジが次に案内したのは、宿坊がある建屋の一角にある食堂だった。

 食堂には何列も並んだテーブルと椅子が見えるだけだったが、奥の厨房に人影が見えた。

 リシアである。

 作務衣のような服を着て、調理に集中している。


 リシアの無事な姿に安堵の笑みを浮かべたユートは、開けたままのドアをノックした。


 すぐに彼女は顔を上げた。

 その表情に一瞬浮かんだ喜びが幻のようにすぐに消える。

 見間違いだったと勘違いするほどに、リシアの目つきが険しくなる。素の可愛らしく素直な人間性が、冷徹な仮面で隠されたようであった。



「元気でいたか、リシア」

 何事もなかったようにユートは笑顔のまま近付く。

 ユートの接近に伴い、リシアの表情は怒りに満ち、視線は痛いくらいに鋭くなる。構わずにユートは続けた。

「似合ってるじゃないか、その服」


 ユートが言葉を発した瞬間、リシアの視線は一瞬服に向き、次に顔を上げた時には憤怒の形相になっていた。



「汚れた格好で厨房に入らないで」

「再会を喜んではくれないのか?」


「うるさい。黙りなさい」

 激しい剣幕でリシアはわめいた。

 牙をむき出すような怒りの形相となり、包丁を手にして突き出しながらユートへと迫り、払いのけるように包丁を振り回してくる。

「それに臭い、汚い。最悪。せめて湯浴みして服も洗濯しなさい」


「分かった、分かった」

 ユートは剣幕に圧倒され、プロソデアの背を押すように、食堂を出てドアを閉めた。

「悪いがイウスンジ君、今度は風呂場に案内してくれないか?」

「は、はい。湯浴み場はこちらです」


 リシアの形相に怯えていたイウスンジ少年は、懸命に気を取り直したのか、目にした現実を幻と判断したのか、何もなかったような顔に戻り、案内を始めた。

 プロソデアの表情は驚愕を通り越して、理解不能だと難題に挑む受験生のような顔をしていた。



「リシアさんはどうしてあのようにご立腹なさったのでしょう」

「照れ隠しさ」

「包丁を振り回すのが?」

「そもそもリシアは俺を嫌っているんだが、俺を見て一瞬でも嬉しいと想ってしまったんだろう。孤独を過ごした後で見知った人間に会うと、気が緩むものさ」


「それがどうして怒りになるのでしょう」

「いつもとは違う服を着ている姿を見られた照れ隠しと、嫌っている俺に見られたという屈辱が、怒りに変換されたのさ。かわいいだろう?」


「そうでしょうか」

「全くの無関心なら、路傍の石を見るように無感情になる。俺の事を嫌っては居るが、嫌いになりきれない優しさがあるんだよ、あの子には」


「難しいですね」

「言葉の論理性だけを見ていては気付かないだろうな。言葉を紡ぎ出す心理的背景を察しなければいけないが、それは剣術も一緒だろう?」


「――そうかもしれません。やはり私は未熟です」

「いいんだよそれで。人は皆人生の求道者。熟したら後は腐って落ちるだけだ。残った種は次世代に育つかも知れないが、腐らせる前に実りを分かち合い、種を苗にするように、後継者に託して大樹に育つのを期待する方が楽しいだろう?」

「明が開かれた気がします」

「それは気のせいだ」


「いいえ、ユート殿に教えられました」

「だから、開かれたんじゃなく、開いたんだよ。教えられたんじゃなく、学んだんだ。受動的な影響ではなく、自発的な変革だ。君自身が求めていたから、得られた成果で勝ち取った実りであり糧なんだ。俺が開いてやった訳ではなく、教えてやったのでもない」


「やはり、ユート殿は矛盾していますね」

 プロソデアは笑った。

「先程は私の教え方が良かったのだと言いましたが、逆に私が教わったと言えば教えてないと言うのですから」


「視点と意識の違いだ。少なくともプロソデアは精霊の助力の受け方を俺に教えて導こうとした。だが、俺はプロソデアに教え諭そうとは思ってない。好き勝手無責任に自分の主張をしただけだ」

「ではそういう事にしておきましょう」


「ありがとよ。それより一つ教えて欲しいんだが、俺は汗臭いかな?」

「ユート殿はそうですね」

「おい!」


 自分の事は棚に上げるのかと言いたかったが、周囲の改めて匂いを嗅ぐが、プロソデアは確かに臭くは無い。


「まさか、それも精霊のお陰か?」

「精霊と、この服の機能です」

「そいつは、少し不公平だな」



 賛同するようにプロソデアがうなずく。

 宇宙飛行士が着るような機能性材料による臭いを抑える服と精霊という超常の力。

 そのどちらもユートが持ち合わせていない物だった。



「こちらです」

 イウスンジに案内された湯浴み場とは浴槽は無く、シャワールームのように、上から水が流れ落ちているだけだった。

 脱衣所らしき場所すらない。



「他に御用はございますか」

「いいえ。もう十分です。ありがとうございました。役目に戻ってください」

「では、失礼します」

 プロソデアの言葉に安堵したように、少年は去って行った。

 ユートは湯浴み場を見回した。


「脱衣所はないのか? 石けんやタオルとか、アメニティーのサービスはないのか?」

「少しばかりおっしゃる言葉が分かりませが、体を清めるのはこれで十分です」

「文化の違いだな。まあ、サバイバルよりはマシか」

「よろしければ、手伝いましょうか?」

「いや、自分で出来る事だ。遠慮しておく」



 男に手伝われてシャワーを浴びるなど、願い下げだった。

 ユートはバックパックを湯浴み場入り口の脇に置き、中からタオルを出す。服を脱ぎ始めたユートを、物珍しそうにプロソデアが見つめている。

 学者として異世界人の体の構造に興味があるのだと、ユートは独り合点して、湯浴み場に入った。


 五人ほどが一緒には入れるくらいの広さで、浴槽はない。

 天井近くの樋から、打たせ湯のように流れ落ちているだけだった。

 湯浴みと言われたが、熱気は感じられない。

 樋から流れ落ちる水に触れる。



「わ、冷てえ」

 地下水と思える冷水に、ユートは急いで手を引っ込めた。


「お湯にしましょうか?」

「できるのか? どうするんだ」

「火の精霊の力を借ります」

 プロソデアが火の精霊を使うと、流れ落ちる水が湯に変わる。

「おお、これは便利だ」



 タタ・クレユは、精霊の力を前提にした社会基盤インフラを構築した世界なのだ。

 だが、石鹸はないので湯で全身を洗い流すだけである。

 一方のプロソデアは、服を着たまま湯を浴びていた。

 樋から落ちる水が生き物のように向きを変えてプロソデアを包み込み、全身を覆うようにして巡っては足元に流れ落ちて排水溝へと消えて行く。


 また濡れた服から汗のように水分が滴り、次いで蒸気となって立ち上り、温風が吹いて全身を乾かしてしまう。

 周囲に漂う蒸気が収まった時には、プロソデアの着ていた服は綺麗に洗われ、アイロンまで掛けられたようにビシッと整っていた。



「驚いたなあ。こっちの世界の風呂は、そういう物なのか」

「火と水と風の精霊と契約している人だけです」

「少ないのか?」

「モーティス騎士団の中では、サーリとゾタニだけです」

「四割なら多い方だと思うが、祭司はどうなんだ?」

「ここの祭司は風の精霊王に仕えていますので、そもそも契約精霊は居ません」


「すると彼等は水浴びしているのか?」

「いえ。契約精霊が居なくても、多少の精は導けますので、精を集めて火を作り出し、精を燃やして水を温めるのです。祭殿には精が大量にありますから、簡単です」



 プロソデアは壁から出ている樋の下に空いた穴を指さした。

 手を伸ばして何やらすると、樋を温めるように火が付いた。

 水は湯となって落ちてくる。



「こういう事情を知っていれば、プロソデアに頼んだんだが」

「すみません。説明不足でした」

「まあ、いいさ。また今度で」

「では、代わりにユート殿が着ていた服を洗いましょう」

「気が利くじゃないか。頼むぜ」


 ユートが脱いだ服を持ってくると、プロソデアは精霊を呼び出して水を熱して操り服を包み込み、汚れを洗い流してしまう。

 仕上げに、温風を生み出して乾燥させる。



「理屈は簡単なのですが、上手く仕上げられるように精霊を使えるようになるには、訓練が必要になります。本人に自覚はないようですが、こうした技能は、サーリよりもゾタニの方が優れています」



 万能な人間はいないという事である。

 何事においても、適材適所を心掛けなくてはならない。

 だがユートには自分の適性が、この世界ですべき役割が、まだ分からないままだった――。


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