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白猫と勇者~裏物語~  作者: 八陽
第1章 罠
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1-04 苦

 優途は洞窟への最短ルートを、全力で走ったのだ。


 雪解け水で水量の増えた沢を越え、藪に覆われた斜面を突っ切った。

 岩をよじ登り斜面に生えた木を登って崖の上へと進んだ。

 梨詩愛の先回りをするために、危険を冒した。

 山腹の登山道に出たときには、息が切れ、手足や顔に擦り傷がついていた。

 その痛みを無視して優途は、洞窟の入口へと走った。


 だが、洞窟の入口を目の当たりにして、優途は言葉を失った。


 直径二メートルほどの洞窟の入口を塞いでいた金網は、鋭く切断された断面を誇示するように左右にねじ曲げられ外側を向いていたのだ。切断面がきれいに一直線になっていることから、ボルトクリッパーのような工具で一本ずつ切断したのではない。


 加えて、新緑に芽吹いた藪が覆っていた窪みは、洞窟へ至る石積みの階段への道筋だけがきれいに刈り取られている。

 草刈り機でカットしたよりも、切断面はきれいに揃っていたのだ。


 常識ではあり得ない状況に、優途の不安は募る。


 このまま洞窟に踏み入ってそこで統真の死を目の当たりにする恐怖に、足が竦み、すぐには踏み出せずにいた。


 そうしたところに、梨詩愛が辿り着いたのである。

 足音に気付いて優途が目を合わせると、梨詩愛の表情がより険しくなった。



「どうしてあなたが居るのです」



 冷たく響く梨詩愛の声音には、怒りの爆発を押し殺した冷たい殺意に満ちていた。

 優途の胸には、悲しみが去来する。

 嫌われていると想定していながら事実と確定する痛みを感じたのだ。苦しく辛い想いを誤魔化すように、優途は緩慢と思えるほどにゆっくりと息と共に吐き出した。



「近道があるのさ。待てと言ったのに、君は先に行ってしまった」

「そう?」



 友好を表明するように優途が笑みを浮かべても、梨詩愛が向ける敵意は強まるばかりだった。

 根深い冤罪の疑惑を呪うしかなかった。

 言葉で否定したところで、逆効果にしかならない。

 近道を隠していた事実によって、梨詩愛が抱く疑惑をより深めてしまったのだ。


 そうした梨詩愛の疑惑に優途が困惑と動揺を見せれば、疑惑が事実と肯定したと受け取られるだろう。

 だからこそ、平然とした態度を装って疑惑を勘違いだと否定するしか優途には選択肢が無かったのだ。

 感情を無理に押し殺したような冷静さを見せながら、優途は洞窟の入り口を塞いでいた金網を指さした。



「犯人は、あれを切断した手段を持っている、ということだ」

「それが犯人の仕業だと?」

「統真なら切断せずに開けられる」

「やはり、状況が分からないですね」

「同感だ」


 優途の視線が、梨詩愛の足元に向けられた。

 パンプスが泥に汚れて傷も付いているのを確かめると、優途は体の前に掛けてきたバックパックを降ろすと、その脇に引っかけてきた女性用のトレッキングシューズを外して岩の上に置き、梨詩愛に視線を向ける。



「何のつもりでしょう?」

「パンプスだと、洞窟内の濡れた岩場は危ない」

「余計なお世話です」

「ここに来るまで、君は何回足を滑らせた?」


「何が目的かしら?」


「足元に気を使わなくなる分だけ、他のことができる」

「どうしてそんな物があるのです?」

「幼い統真にとっては必要だった。これからも三人家族なんだと確かめ合うために、数年ごとに、家族全員の装備を更新していた」



 梨詩愛の懐疑的な視線にも、優途の表情には疾しさの陰は生じない。

 嘘を言ってないからである。

 トレッキングシューズは家族の絆を確かめるために、死んだ妻の分として揃えたものというのは、事実である。

 ただし、万が一の場合には梨詩愛が使うことを想定していただけであった。

 真実と比べれば嘘だが、表向き告げたのは紛れもない事実である。



「先に入った統真君は、平気なのですか?」

「統真は普段から登山靴を履いている。この裏山が統真の遊び場だからな」

「そう、でしたね」



 優途は、統真と瑠璃が誰にも告げずに二人だけで、洞窟に何度も出入りしているのを知っていた。

 知っているからこそ、遭難した場合に備えていたのだ。

 そして、瑠璃が洞窟で遭難したと梨詩愛が知れば、普段の服装のまま無鉄砲に洞窟に入る事態は自明であった。


 だが、パンプスで洞窟歩きは危険過ぎるのだ。


 グリップ力があり、足首まで保護できるトレッキングシューズは、最低限必要な装備となる。分厚く頑丈な靴底があれば、岩場を歩いても足の裏が痛くならず、指先ほどの岩の突起があればよじ登れるようになるからである。

 何より濡れた岩を踏んでも、滑りにくいことが重要だった。


 もし、洞窟の奥深くで足を滑らせ骨折すれば、生還できなくなる可能性が高まる。

 捻挫で済んだとしても、動きが制約され、休めば次第に体温低下によって死に至るリスクも増えるからである。

 だからこそ、梨詩愛が使えるトレッキングシューズを、優途は用意していたのである。


 優途は、トレッキングシューズの選定を、瑠璃に頼んでいた。

 すると、聡明な瑠璃はすぐに理由を察し、梨詩愛の足のサイズに合わせて靴を選定してくれたのだ。

 そのため、デザインやサイズを理由に断ることはないと考えている優途だったが、感情的にならず意地を張らずに、瑠璃の安全を最優先に、合理的で最善の選択をしてくれるか不安で、緊張の面持ちで決断を待った。



「では、お借りします」



 梨詩愛の言葉を聞いて優途は胸をなで下ろしたが、それでもまだ用心深かった。岩の上に置いたトレッキングシューズを手に取り、状態を入念に確かめたからである。

 何か仕掛けがないか疑っているのだ。

 五分ほど調べ、ようやく納得したように梨詩愛が顔を上げた。



「問題は無いようです」

「厚手のソックスもあるぜ」

「お借りします。ですがこれもお嬢様をお救いするためです」



 優途は降ろしていたバックパックの中から、新品の厚手のソックスを取り出した。これも瑠璃に選んでもらった柄である。

 梨詩愛は片足ずつ岩に乗せてソックスとトレッキングシューズに履き替え始めた。

 その間に優途は、背負っていた自分のバックパックを下ろし、中から上着と帽子を出して身に付けヘッドランプを頭に装着する。


 履き終えた梨詩愛は、履き心地を確かめるように軽く岩から岩に飛び跳ね、靴底のグリップ、動きやすさ、靴擦れしないかを確かめ終えると、少し満足そうに笑みを浮かべた。



「いいようです」

「それは良かった。なら、これもやる。防寒着と非常食と水が入っている」


 優途は降ろしていたバックパックを梨詩愛に向けて投げる。

 反射的に梨詩愛は受け取ったものの、すぐに腕を突き出した。


「不要です」

「中は冷える。君も着た方が良い」

「余計なお世話です」



 嫌いな人間の世話には、極力なりたくない。

 梨詩愛は、そう考える性格なのだ。

 これもまた、優途の罪だった。

 ここまで嫌われる切っ掛けを作ったからだった。


 統真の授業参観に行ったあの日。

 優途が発した言葉がすべての発端を想うのだった――。


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