5-04 彼我の差異
「精に反応しています。何ですか、それは」
「俺が漉いた紙だ」
「宿玉の中で最も優れているのはカチェリなのですが、中央大樹の若葉を内に留めた樹液が石化した物なのです。その若葉に近いようです」
「つまり琥珀の中にある葉っぱか。だが、山のような木の若葉は、どれくらいでかいんだ?」
「芽吹き初めですから、小指の爪くらいですよ」
「それなら、持ち運びもできるのか」
「はい。ですが数が少なく貴重なのです」
ユートは持っているガンピシをプロソデアの前に突き出す。
「これが量産できると、イノベーションが起こるかな?」
「イノベーションとは?」
「技術革新とも言う。社会構造が変わるような、新しい技術や技法が生み出される事なんだが、通じるか?」
「分かります。実は先程のカチェリも、かつては採掘によって入手していたのですが、今は人が作っているのです。中央大樹で暮らすのを許された一族の中でも、特に優れた者だけが継承を許される技とされています」
「その生産量を天の王が独占的に管理している訳か」
「その通りです」
この世界で最大の兵器とも言える精霊に必要な宿玉の中で最高ランクの物を独占しているなら、天の王の影響力は全世界に及ぶ。
世界の王と自称する根拠となる。
一方で、希少性と地域性があるなら、管理する者が善良かつ公正であるならば、調和を保つことはできる。
そのような世界に、ガンピシというカチェリに匹敵するか凌駕する物が存在すると、世界の有り様を変えてしまうのだ。
何時でも何処でも誰でも大量に作れるような最高ランクの宿玉の存在は、世界を保っていた軍事バランスを大きく変える。これまで抱いても枯れてしまった野心さえ、水と養分を与えるように育むだろう。
極めて厄介な技術だった。
「これの違いは分かるか?」
ユートは三種類のガンピシを抜き取って扇のように広げた。
及第点とされた三級品、滓と評された四級品、屑と評された五級品である。
プロソデアはいとも簡単に優劣を付けた。
顧客の評価と一致していることに、驚愕しつつ、ユートは希望を見た。
「何が違うんだ?」
「精が集まろうとする量が違います」
「どこを見て評価しているんだ?」
「見たままなのですが、ユート殿にはまだ分からないようですね」
「霊感もデリカシーもない鈍感だと妻に言われたくらいだ」
「どう説明すればいいでしょうか。その紙を駄目にしてもいいようでしたら、違いをお見せできると思います」
「構わない。見せてくれ」
「では、一番悪い方から」
プロソデアが一枚抜き取る。
「これに精を導きます」
すぐに紙は変色し、灰のようになってボロボロと朽ちた。
次いで二枚目を取ると、少し光ったがすぐに焦げて崩れる。
三枚目の及第点の紙は光を放ち続けたが、徐々に暗くなって消えた。
「どうやったんだ?」
「精は意識に反応して導かれます。それをこの紙に注いだのです」
「俺にもできるか?」
「訓練すればできるかも知れません」
「後で教えてくれ。それで、これはどうだ?」
ユートは妻が漉いたガンピシを取り出す。
そのままでは何も変化が無い。
「精を通してもよろしいですか」
ユートはうなずき、ガンピシを手渡す。
プロソデアが精を通す。
仄かに光を放ち続ける。
「驚きました」
「どう違うんだ?」
「ほんの少し精を注ぎ込んだだけで、その精が中をずっと巡り続けています」
「精が消えないと言う事か?」
「そうです。先程の紙は、導いた精が徐々に活性を失い残滓となって消えてしまいましたから」
より多くの精を流し込んでも、精が蓄積され続けるというのだ。
超伝導で電力を蓄積するような物だろうか。
「ですが、精霊を留めるには向かないようです」
「どうしてだ?」
「宿玉には、大量の精を一気に出し入れできる出入り口の広さと、精霊が自己を保てるだけの大量の精を内包するための器の大きさが必要だからです」
「妙だな」
そんな不完全な物なら、モッサは必要としないのだ。
「どうかしたのですか? そもそも、これは一体何なのですか?」
「よく分からないが、モッサが欲しがっていたのがこのガンピシだ」
「そういう事ですか。モッサが分霊の宿玉として与えていたのは、このガンピシという紙なのですね。ですが分霊の宿玉は八角形でした。その違いがあるのでしょうか」
「八角形――何かあるんだろうか」
八角形には、特別な力があるのかもしれない。
法隆寺の夢殿や、八卦図にもある。
正方形を四十五度ずらして重ねた内側に出来る形状である。
トーマが小さかった頃、妻が折り紙で八角形を作っていたのを思い出した。一緒にやらないかと誘われたが、興味が無くてユートは断ったのだ。学んでおけば良かったと後悔しても、今更遅い。
「折ってみるか」
ユートはプロソデアの手からガンピシを受け取ると、半分に折った。その途端、何かが弾け、反射的にユートは手を放した。
コンセントに悪戯して針金を突っ込んだような衝撃に驚いたのだ。
「瞬間的に閉じ込められていた精が飛びだしたようです」
ユートはヘッドランプを点けた。
地面に落ちたガンピシを見ると、一部が焦げたように茶色く変色していた。
衝撃を受けた指は、無事だった。
指先の痛みを癒すように指先を摺り合わせながら、ユートはプロソデアを見た。
「一度祭殿に戻ろう。情況を確かめたい」
「そうですね」
プロソデアもヘッドランプを点けると、先に立って歩き出した。
洞窟の先は暗いが、空気は温くなり、草の匂いが漂ってきた。
ほどなく、外に出た。
奥宮の入口は断崖の壁に開いていたのだ。
夜闇に包まれる中、ヘッドランプの明かりに照らし出されたのは、視界を覆うように伸びきった草木だった。踏み倒された跡があることから、直近で誰かが入ったことがあるのだと分かる。
ユートは振り返って見上げた。
だが、暗く、ヘッドランプの明かりだけでは、断崖の壁面に祭殿が彫られているのかは判別できなかった。
「ユート殿、こちらです」
風船のように風の精霊が草木を押し広げて開いた道をプロソデアが進んでいく。その後をユートが追い掛ける。
茂みを抜けると、遠く闇の中木立の間から、ぼんやりと白い建物が浮かび上がっているのが見える。
風の祭殿である。
奥宮の入口は、風の祭殿の裏手にある断崖の中程にあったのだ。
階段ピラミッドのような石積みの上にある、外周を覆う社殿の外壁が四角く仄かな光を発している。
そして、祭殿の屋根からは雨上がりの晴れ間に水蒸気が揺らめくような靄が周囲へと流れて行くように見える。
プロソデアは剣の鞘から細長い棒を引き抜くと、ヘッドランプを消した。代わりに棒の先が光を放ち、周囲を包むように優しく照らし出す。
ヘッドランプより柔らかい光であり、指向性を持たない拡散する光だった。
ユートもヘッドランプを消した。
「それは?」
「光精枝と言います。周囲の精を取り込んで光にして放つ光精石と同じような物です」
「光り方が不思議だ」
「精が濃い場所では、感応して周囲の精も光を放つからでしょう。ユート殿からお借りした明かりとは、違う性質です」
「性能は、そっちの方がいいようだ」
光精枝は周囲十メートルほどを均等に明るくする。
向こうの世界では光源から遠くになるほど暗くなる。
「ですが精の流れが速すぎる祭殿の地下では使えませんでした」
「一長一短だな」
「万能なんて、ありませんから」
「そうだな」
答えながらユートは、重みのある言葉を発したプロソデアを見つめていた。
言動の節々に、プロソデアの感情が見え隠れしている。
優秀なだけに、何でも出来ると奴という、やっかみを含んだ差別を受けてきたのだ。だが、どんなに認められようが、どんなに羨ましがられようが、自分が抱く理想に辿り着けないと知れば、己の無力を嘆くのだ。
それが、劣等感になる。
他人にその心情を話せば、贅沢な悩みであり傲慢な嫌味と受け取られる事だろう。結果として、より多くの反感が醸成されるだろう。
上を見て無力と感じるのは驕らないための謙虚さに通じるが、羨む者からは嫌味な謙遜と受け取られる事だろう。聞いた者は、高望みの強欲で不遜だと決めつけることだろう。
結果孤独となる。
友達を作るなと親が言ったのは才能に恵まれた子供の心を守るためだったとすれば、それは親の愛情だったのだろう。
ユートはプロソデアの心中を察したが、鈍感を装い、風の祭殿へと視線を転じただけだった。
「地下に落とされてから、二日半といったところかな」
「そうなります」
「トーマはまだ祭殿に居るだろうか」
「今は――分からないです」
プロソデアは見上げて動きを止めた。
光精枝の光が消える。
周囲が闇に閉ざされる。
「どうかしたのか?」
「精霊の存在を感じます」
「俺には感じないが――」
「少し、急ぎましょう」
プロソデアが真剣な眼差しをユートに向けている。
危険を予見したのだと、ユートは気付いた。
「なら、走るか?」
「はい」
プロソデアはいきなり全力疾走を始めた。
軽いジョギングを想定していたユートは焦った。
暗い森へと下る道を、プロソデアの白い影が遠ざかる。
ユートは見失わないように全力で駆けた――。




