5-01 奥宮の壁画
二つの光条が闇に走る。
ユートとプロソデアが付けているヘッドランプである。
地底湖の水中を精霊の力で移動し、出口に繋がっているという洞窟へと入ってからしばらく経つ。
這わなければ進めないような隙を何度もすり抜けてきた。ユート一人だったら、諦めて別の道を探していたことだろう。
それほど困難な道だった。
洞窟を歩き始めてから、ユートの腕時計の長針が三分半ほど進んだ頃だった。
少しばかり、周囲の空気がぬるくなってきた。
さらに進むと自然洞窟のごつごつとした岩肌から、トンネルのように石積みで周囲が覆われた場所となった。
明らかな人工物に、出口の近さがより実感できる。
ただ、整形された石が雑然と放置されていることから、途中で作るのを止めたと分かる。しかも、かなり古い時代らしく、石造りの壁は風化し、表面は削られ苔も生えている。
「この場所の見当が付きました」
「流石プロソデア。優秀だな」
「煽てないでください。人の嫉妬にも気づけなかった愚かな男なのですから」
プロソデアは少しだけ卑屈になっていた。
これまで誰からも指摘されずにいた人生は、ある意味では不幸であり、羨ましがられるものではない。
すべてに表裏があり、両方満たされることは、異世界でもありえないのだ。
「総じて見ればプロソデアが優秀で有能なのは、誰もが認めている。自信を持っていい。それに、完璧を目指し過ぎれば行き詰まる。ある程度の所で線引きして先に進むべきなのさ」
「勉強になります」
「ちなみに俺は、そうやって先に進んだら、紙造りの師匠に叱られた。基礎を疎かにする奴は大成しないとね」
「どうしてです? ユート殿の師匠は、指導者失格なのですか?」
「いや、立派な人だった。だから、初めから手を抜かずに全力で当たり、完璧を目指して初めてまともな物が出来ると何度も言われた。積み重ねが重要で、手を抜くとすべてが台無しになると」
「矛盾していますね」
「そう。俺は矛盾だらけだ。だけど、俺は先が知りたかった。意味も分からず言われるままに作業するのが嫌だった。全体像を知って、最初の作業の意味を悟ってからでないと、始められなかったんだ」
「分かるような気がします」
「とはいえ一度先に進んでしまうと、戻って手直しできない仕事もある」
「難しいですね」
「しかしだ。向こう見ずなバカが突っ走ることで、新たな世界が切り拓かれる事もある」
「そうでしょうか」
「広い谷に阻まれて渡れない向こう側は危険だと言われれば、誰も渡ろうとしないだろう?」
「危険を冒す理由が無いですから」
「そこで登場するのが無鉄砲なバカだ。無謀な道具を作って飛び越える奴がたまに現れる。いつの日か谷を渡った奴が戻ってきて、楽園があると教えてくれたらどうする?」
「渡りたいと思う人が増えるでしょうね」
「つまり、そういう事だ」
「ユート殿は、先駆者になるのですか?」
「可能性を広げるためには、斥候役が必要なのさ。先の先の先へ行きたいと思う奴がいるから、世界が広がる。そういう意味では、モッサもそうかもしれない」
「ですがユート殿はモッサを否定されましたよ」
「そう。そこも俺の中の矛盾だ。俺はモッサの目的を阻止する。極めて個人的な、息子を守るためという理由で」
「ユート殿――」
「極論を言えば、トーマとルリとリシアを無事に連れて帰れるなら、こっちの世界の事なんて滅びようが救われようが、どちらでも構わないんだ。究極の選択を迫られたら、トーマを守る選択をする」
「ようやくユート殿の真意が見えてきました」
「異端で過激だろう」
「はい。ですが、優しい」
「いざとなれば俺は、見捨てて切り捨てるぜ。色々な物を」
「その可能性を見ているから、見捨てずに拾い上げる道を探そうとされているのですね」
「そう思うか?」
「はい」
プロソデアは、迷いの無い確信に満ちた表情をしている。
そんな彼を見て、ユートは溜め息を吐いた。
「それはプロソデアの主観だ。例え俺が全世界の人類を救いたいと想ったとしても、手を取れるのは最大で二人だ。他は見捨てられる」
「でしたら、私も共に歩めば、あと二人、増えますね」
「プロソデア、君って奴は――バカだな」
「ユート殿に言われると、なぜか嬉しいです」
「すると君が単なるマゾヒズムか、俺の親友を通り越して悪友になったのかの、どちらかだ」
「でしたら、悪友を装った親友がいいですね」
「なら、これからもよろしく頼む」
ユートは向き合うと右手をプロソデアの肩に乗せた。
「はい、こちらこそ」
「親友の顔が眩しくて直視できないぜ」
「お互い様です」
「なかなかいい言葉を返してくれるようになったじゃないか」
プロソデアが頭につけているヘッドランプの明かりを避けるように、ユートはポンと肩を叩いて一歩先に進む。
プロソデアが隣に並び、二つの光条が洞窟の先を照らす。
「ユート殿のお陰です」
「悪い友達を作っちゃいけませんと、親に言われなかったか?」
「友達を作るなとは言われました」
「そいつは、業が深いな」
「どういう意味です?」
「君の家族の問題という事だ。相談には乗るが、自分で解決すべき事になる」
「分かりました」
「それより俺は、サーリに恨まれそうだ」
「何故です?」
「君を悪の道に誘い出してしまったからだ」
「そうなのですか?」
「だが、誘いに乗ったのは――君だ。俺を恨むな」
「はい」
「それで、ここは一体何なんだ?」
ユートが話を本題に戻した。
大きく逸れた会話は無駄口と言えるが、結果を見ればむしろ有益だったと言える。
信頼関係が一段深まったと、ユートとプロソデアはお互いに感じているからである。
「祭殿の裏に初期の祭殿があると聞いた事があります。ここがそれだと思います」
「奥宮みたいなものかな」
「そうだと思います。それと、精の流れが穏やかになってきました」
「精霊が使えるのか?」
「もう少しすれば。今は失った精を集めているところです」
更に進む。
壁が壊され、穴が開いていた。
向こう側から二人が居る方向に向かって瓦礫が散乱している。
誰かが行き止まりとなっていた向こう側から、破壊したのだ。しかも、その痕跡は新しかった。
穴を抜けると、洞窟の雰囲気が変わった。
しかも抜けたすぐ目の前に、祭壇が設けられている。
二人が奥から入口へと向かっているなら、本来はここが一番奥とされていたことになる。
ユートが祭壇の前に回って出てきた奥を見ながら考え込む一方で、プロソデアは祭壇の横壁に向かって歩いていく。
「これは素晴らしい」
プロソデアのヘッドランプで照らされた壁には、色鮮やかな壁画が描かれていた。
宝珠が置かれていた祭殿の間にあった彫刻と異なり、服装のデザインだけでなく、ブレスレットやネックレスなどの装飾品、表情まで分かるような細かさで描かれている。
精霊王の姿も人間とは明らかに異なる風体である。
ユートはプロソデアの隣に並んだ。
二つのヘッドランプで壁を照らし、二人にとっての出口へと向かって歩く。
壁画は、風の吹く森から始まる。
森に小さな精霊がいくつも生まれ、風に育まれ、それらが寄り集まって大きくなる。
次の場面では、より大きな精霊達が集まっている。
精霊の大きさが違うのは、その力の強さを表しているようである。
更に次の場面では、より大きな精霊が描かれている。
頭には王冠のような後光が描かれている。
精霊王である。
森を離れた精霊王は、精が多く集まる場所へと移動し、留まった。精霊王の元に人々が現れ、祭壇を作り、平伏して祀る姿が描かれている。
その次には場面が変わり、精霊王が祭殿から出る姿がある。
精霊王は、世界を巡り始めた様子が描かれている。
「今の祭殿と違う形だな」
「祭殿の入り口が穴のようですから、この奥宮から出たことを描いているのでしょう」
「ペトラ遺跡みたいに岩壁に祭殿の形が彫られているのかもしれないな」
「ノイ・クレユの遺跡の事は知りませんが、岩壁に彫られた祭殿というのは聞いた事がありません」
「外に出てみれば分かるだろう。それより、この絵から精霊王の体に宿玉らしい円が描かれているな」
「そうですね。宿玉を得て、祭殿から出られるようになったのかも知れません」
次の場面から、様相が変わった。
精霊王が通った跡は荒廃して行く。
進む先では家々を吹き飛ばし、河を涸らし、溶岩を落とし、大地を引き裂く。
逃げ惑い、怯える人々は、精霊王を畏れ、人間の王の下に集まった。
人々は宝珠を作り、一人の人間が精霊王に捧げた。
宝珠を取り込んだ精霊王は、天へと昇る。
天の循環へと返る精の流れとなって、精霊王と宝珠を捧げた人間は消えた。
また場面が変わった。
人々は新たな祭殿を作り、祭壇の間に宝珠を置いた。
天と地から流れ込む精が宝珠へと集まり、新たに巨大な精霊が現れた。
精霊王のようである。
新たな精霊王は、宝珠を宿玉にするように、祭殿に留まった。
人々は、祭殿に留まる精霊王を祀った。
ここで描かれている祭殿は、今と同じようだった。
「どうやら、この奥宮から現在の祭殿に移す過程を描いたようですが――」
プロソデアが首を傾げている。
壁画には、明らかに違和感がある。
ユートは振り返り、奥の祭壇の方を照らす。
石の朽ち具合が明確に違う。
壊された壁を境界に、手前が新しく奥が古い。
元から有った場所に手を加え、後から祭壇を作ったのだ。
壁画もまた、妙である。
何を主眼に置くかによって変わるが、祭殿の成り立ちを告げる壁画であるなら、入って来た人物が奥に向かって歴史を追体験するように描くのが普通に思えるのだ。
だが実際には、時系列が逆である。
そもそも、今の祭殿を造った経緯を後世に伝えたいなら、この古い奥宮ではなく新祭殿にこそ描くべき題目である。
「どうやらこれは、隠蔽と偽装だな」
「ユート殿もそう思いますか」
「これ見よがしに行き止まりの壁を作って祭壇を置いていたが、実際はその奥があった。さて、一体何を隠したかったのか」
ユートは祭壇の奥の壁に開いた穴の向こうへと戻った。
朽ちかけた壁面に顔を近づけてよく見る。
ライトの光に、消えかけた壁画が微かに見えた。
「当たりだ。プロソデアこっちへ来て、これを見てくれ」
プロソデアが近付いてくると、ユートはライトを手に持って壁を照らす。
より古く消えかけた壁画が、壁一面に描かれているのが、うっすらと見える。
プロソデアは興奮した表情を見せ、指先で掠れた線を辿りながら、食い入るように壁の絵を追い始める。
ライトの光を当てる角度を変えながら線を追うが、掠れて何が描かれていたのか不明瞭な場面が多い。
ユートは邪魔をしないように脇に退いてプロソデアの調査結果を待った。
「驚きました。別の壁画ですか。しかも、先程とは違う場面のようですね」
「どう違うんだ?」
「これは聖剣、かも知れません」
プロソデアが指さした壁画には、人が細長い物で精霊王と対峙し、精霊王から宿玉を奪う様子が描かれていた。




